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48. 雪見風呂

「う、おおぉー。これは結構熱いっ」

「うぅぅ、熱湯風呂みたい……」

「……熱湯風呂入ったことあるの?」

「な、ないわよ。ただの比喩だから気にしないで」

「りょうかい」


 熱いお湯に身体を沈め、胸まで浸かって浴槽の壁に背を預ける。そんな深いお風呂でもないので、背を伸ばして後ろに寄りかかればお湯も胸元くらいまでしか来ない。露出した肩と首裏から背中にかけてが涼しい。お湯が熱いだけあって、夜風に当たる部分がとても気持ちよく感じる。

 湯色は無色に近く、だけど透明ではない。浴槽の床が薄暗く見えるくらいには色がついていて、黒というか茶色というか、そんなような色味がある。お隣の貸切風呂と同じかもしれない。

 じょろじょろとお風呂に湯が注がれる音が聞こえる。音をたどった先には木でできた縦長の箱が置いてあった。箱の真ん中やや上方に湯口があり、竹筒みたいな何かも湯口にくっついていた。その竹筒からお湯が出てきているのかと思ってじーっと見たらそうじゃなくて、普通に湯口全体からお湯が出てきていた。

 お水でも出てお湯温度調節とかしてるのかなとも思ったけど、見ていてもわからないのでぽやーっと天井を見上げ――あ、そういえば。


「うん?なに?」


 ぱっと急いで横を見たら小首を傾げられた。上気した頬が色っぽく、いつも以上にりんご色の顔が可愛らしい。髪は少しだけしっとりと濡れ、お風呂上りのような姿になっていた。そして一番気になったのは。


「ねえ眼鏡は?」

「あぁ、あっち」


 ぴっと水をかき分けて上げられた腕の先が示す場所は湯口。濡れる気配がない湯口の上の部分に、彼の眼鏡がちょこんと置かれていた。


「いつ外したの?」

「日結花ちゃんが湯もみしてるときにね」


 ふーんと返し、恋人から視線を外す。天井を見上げればこげ茶色の太い木で作られた枠組みが見えた。屋根を支える柱に、縦横と連なる木の群れ。立派な骨組みの天井だった。斜めになっているのは雪が溜まらないように、雪を下ろしやすいようにの典型的なものだと思う。雪国であればあるほど屋根も急になるとどこかで聞いた。

 ふと、今さらながらに屋根の骨組みがあるということはここが建物の一番上になるんだと気づく。外から見たとき結構大きな建物だなーと思ったし、暗い外の景色を見る限り、ちょうど温泉街とは反対側に位置しているんじゃないかなぁ、なんて。


「郁弥さん郁弥さん」

「はい、はい」


 くるりと首を動かして隣を見る。あたしと同じくぼんやりしていたのか、とろんとした眼差しがのっそりこちらに向けられる。


「あっち、山側だと思う?」

「うーん……」


 あたしが指し示した先を見て、むーんとうなる。濡れた指が顎に当てられて考える人が現れた。ちょうどいいところに手が来てくれたので、すすーっと手のひらを合わせて繋いでおいた。

 ちらりとこちらを見て微笑んで、それからまた考え事に戻る。何も言わないで手を握り返してくれるところが郁弥さんらしくて好き。あたしからの視線の温度が上がったわよ。


「えっと、位置だけで考えると建物見える側っぽいね」

「建物?」

「うん。隣の建物。玄関の外から見て右側ね。別館だったかな?」

「あぁ、そっちの。それならたしかに別館だったかも」


 でもどうして建物側?と首を傾けて問いかけたら、薄く笑って頭に手を伸ばしてきて、そこで止まった。


「?どうかしたの?」

「いや、手濡れてるから髪の毛濡れたら大変じゃない?」

「ん、別にいいわ。撫でて?」


 苦笑して迷いを言ってくる恋人に心配ないと伝えた。濡れるのはちょっぴり困るかもだけど、それ以上にいつも通り撫でてくれないと困る。悲しい。寂しい。


「君がいいならいいよ」


 とのことでぺたりと頭に手が置かれる。やんわり撫でてくる郁弥さんの手が温かくて優しくて、えへえへと緩い声が漏れてしまった。お風呂の心地よさに気持ちも緩んでいるみたい。


「話戻すけど、部屋から見える景色が街側だったのは覚えてるでしょ?」

「んふふー、うん」

「そこから上に来て、街側に視線向けたままここに動くとお風呂入口が街側になるんだよね」

「えへへ、そうなの?」

「うん。そうなの。そうすると、こっちの開放感しかない側が別館になるわけ。ただ、銀泉花ぎんせんかさんの建物がどこまで奥に続いているかわからないから、それのおかげでここの景色が山肌っぽくなってるのかもしれないけど」


 "ここが最上階っていうのもあるかもしれないねー"と付け加えた。

 何を言っているのか半分くらい聞き流しちゃったような気がしなくもないけれど、要は高くて奥にあるから岩とか雪とかが見えるってことね。わかったわ。


「そっかー。うふふ、雪見風呂になっててよかったわね!」

「そうだねー。すっごく雪入ってきてるけど」

「――んふ」

「……嫌なこと考えてる?」

「んふふ、べっつにー?」


 察しの良い恋人から逃れてお湯をかき分けていく。体勢を崩すとお湯に触れていなかった部分が触れて強い熱を感じる。太ももとか脇とか、身体を沈めながら動いたからか肩や首にも熱いお湯がかかる。冷たくなった肌には熱が気持ちよく、既に熱さにやられてきていた部分は早く冷気を浴びたいと不快感を訴えてくる。なんとも微妙な気分で、進む途中で立ち上がった。

 ばしゃりと音を鳴らし身体を伸ばすと、お湯は腰の辺りまでしかない状態になる。少し思うところがあって振り返ったら、じーっと湯面に目を落としている恋人さんがいた。


「ねー郁弥さーん」

「な、なんでしょう」

「なんであたしの方見ないの?」

「それは、恥ずかしいから」

「あら、ふふ、恥ずかしいんだ」

「あ、当たり前だよ!」


 一瞬顔をあげて、慌てて横を向いた。身体ごと横に向けたところから鉄の意志を感じる。こういうの見ると、ちょこっと悪戯したくなるのよね。まあ、したくなるというかこれからするんだけど。


「郁弥さんってすぐ顔赤くなるわよね」

「そ、そうかな?」


 背後に向けて少しばかり声を張りながら話を続ける。向かうのは湯口の先。壁がなく、風が吹き込んでくる場所近くの床。薄く雪が積もっている場所を目指す。


「そそ。すぐ赤くなっちゃうの。りんごみたいにほっぺた赤くなって、照れてるときもそうだけど気温でも結構赤くなりやすいんじゃない?」

「そうなのかな」

「ふふ、わかんない。でも、頬赤くしてる郁弥さん、あたしは可愛くて好きよ」

「それは、ありがとう?でいいのかな。僕も顔赤くしてる日結花ちゃんは好きだよ」

「うふふ、ありがと」


 雪を一掴み。固めて手のひらに乗るくらいにして来た道を戻る。いつの間にか完全に後ろを向いて長椅子側を見ていた郁弥さんにそろりそろりと近寄っていく。


「いーくやさーん」

「うお近ぃいいいっ!冷たいんだけど!?」

「んふふー、どうどう?雪よ?」

「……はぁ。見ればわかるよ。ていうか当てられたからわかったし」

「あらそう?」

「そうそう。心臓に悪いからあんまりやらないでね」

「それ、どっちを?」

「どっち……?――あぁ、ええと、とりあえず雪はやめてね」

「ふふ、いいわよ。控えてはあげる。もう一つの方は?」

「――いくらでもしていいよ」

「えへへ、そっかー。ふふ、じゃあこれからもいっぱいしてあげる」

「ありがとう?」

「どういたしましてっ」


 背中に雪を当てて、振り返ってきて向かい合うことになった恋人と笑顔を交わす。

 好きな人とすることって、本当に些細なことでも際限なく楽しく感じちゃうのよね。声のかけ方一つで大きく変わるし、それを相手に"いいよ"って一言認めてもらえるだけでもまたいっぱい嬉しくなる。マンネリだとか慣れるだとか、それが当たり前になるとか。何年何十年も一緒にいるとそうなるって言うけど、不思議とあたしたちはそうならない気がする。

 もしかしたら願いも混じってるかもだけど、きっとあたしと郁弥さんはずっとこんなまま。

 お風呂の熱に負けないくらい心の中が温かくて頬が熱くなって、目の前の人が大好きだって気持ちでいっぱいになる。


「郁弥さん」

「うん」

「あなたが好き」

「知ってる。日結花ちゃん」

「ん」

「君が好き」

「知ってるわ」


 手を繋いで、最初に戻るように隣り合って浴槽の壁に背を預ける。でも少しだけ、最初とは違う。今は互いの距離がもっと近づいて、あたしも彼も半分ずつ体重を預け合っているから。

 見つめ合い続けることはできなかった。顔が熱くて、身体が熱くて。全部お風呂のせいにしちゃいたいくらい熱くて。でも不思議と気分は悪くないから、ちょっとの間だけ、何も考えずただただゆだりそうな心地よさに身を任せることにした。

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