46. 脱衣所(二回目)
「僕さ、指先めちゃくちゃ冷たくなるんだよね」
「知ってる――嘘、知らなかったかも?」
いつも通り頷こうとしたら、聞き覚えがなくてすぐに切り替えた。
場所は変わらずにお部屋のまま。二度目のお風呂は着替えが必要ないので、持っていくものは干してあったバスタオルとハンドタオルだけ。三時間くらい干してあったおかげか、それとも元の水分量が少なかったからか、思ったよりしっかり乾いていた。
お風呂用のエコバッグに二人分の携帯を入れ、自分のタオル二枚も押し込んで。鍵は郁弥さん持ちなので準備はこれで終わり。さっき時間を見たら二十一時を少し過ぎたところだった。
鞄を持って立ち上がり、同じく立って待っていた恋人を見る。タオル二枚をたたんで抱え、手に持った鍵をゆらゆら揺らしていた。空いている方の手の指が伸ばされてピンと張っている。
「えい」
ぴとり、と手のひらを合わせた。指同士が重なるようにすると、自分の手と相手の手の大きさがはっきりとわかる。何度も手を繋いできたのに、こうしてみると少し新鮮さがある。
「全然冷たくないわね」
「あったかいところにいたからね」
「ふーん。それより郁弥さん」
「うん」
ぴとぴとと合わせた手で押したり押されたりと、密着した手のひらで遊ぶのが楽しい。にこにこしそうになるのを我慢して自然体で話を続ける。
「あなたの手、大きいのね」
「あぁ、うん。ふふ、日結花ちゃんはちっちゃいね」
ちょうど指の関節一個分か、ううん、もうちょっとあるかも。横も縦も全然違う。こうして手を合わせているだけでもなんだか嬉しくなってきて、すっと指をずらして手と手の隙間を埋めた。
「ふふ、お風呂行こうか。空いてたらいいね」
「空いてなかったら?」
「帰ってきます」
「んふふ、りょうかーい」
いったん解いた手を繋ぎ直し、電気を消して部屋を出る。素足にスリッパと、これまでにない寒さが足元を襲う。さすがに足を揉んでとかそんなことは言えないので無言でいた。
さっき部屋の窓を開けて外の景色を動画に収めたり写真撮ったりしたけれど、そのとき感じた冷気とはまた別の冷たさがある。何も身につけていない足は直接冷気が降りかかってくるので、その分勢いよく冷えていく。早くお湯に浸からないと。
四度目ともなれば古い南京錠のドアにも慣れたのか、今までよりは早く鍵を閉めてくれた。階段を上り、左左と曲がって数時間前に入ったお風呂を通り過ぎる。ちら見した札は貸切中になっていた。そしてもう一つのお風呂。奥のお風呂はというと。
「あ、ラッキー空いてた」
「……ねえ、もしかして空いてないと思って来てた?」
"空いてたわね!"と声をかける前に隣から聞こえてきた軽い言葉にじと目を送る。
「はは、まあねー」
「もうっ」
ぎゅっとくっついて肩をぶつけた。ゆらりと揺れて軽く押し返してくる。そのままゆらゆらと何回かの押し合いを繰り返して、二人で笑い合った。
「よーし行こう」
「はーい」
微笑んで恋人の腕を抱きしめる。空気が温かくて甘くてこそばゆかった。
"空いてます"の札を"貸切中"にひっくり返して、ガラガラとすりガラスの引き戸を開ける。全部郁弥さんがやってくれた。
建物とお風呂の位置関係上、左から右にドアが動く。中は明かりで照らされていて、ドア先すぐにすのこが置かれていた。
部屋はL字型のようになっていて、すのこもそのように続いている。左奥にもう一つ扉があり、そちらは引き戸ではないドアノブ付き開き戸だった。そして。
「さむいぃ」
「わかってたけど寒いな」
呟く恋人にむぎゅっとくっつく。最初から抱きしめていた腕だけじゃ足りず、彼の身体ごと抱きしめるように横抱きした。
「ちゃっちゃと行こう」
「ん」
寒いところで遊んでいても意味ないので、早々と足を動かす。後ろの引き戸はこれまた郁弥さんが閉め、あたしはくっつき虫のように引っ付いているだけ。
すのこを歩いて開き戸を引いて開けると、その先は板張りの脱衣所だった。さっき入ったお隣の脱衣所より狭く、入口からすぐの目前に洗面器が設置されていた。綺麗な白がやけに近代的で真新しい。最新式のシステムだった。その隣にあるのが簡易的な籠。街の銭湯にありそうな服入れ籠が四つ並んでいる。
三人横に並べば埋まってしまいそうな幅に、入口からUターンでもするかのように続く道。部屋に入って左側に進みながらくるりと振り返れば、ぴったり九十度右手に曲がる螺旋階段があった。階段といっても、浅い段差が三つあるだけでそれぞれに吸水用のお風呂マットがあったりするだけだけれど。
そしてそして、すごいのが洗面器の上。幅広のすりガラスな窓の奥に雪が見えた。半分くらい雪に埋もれて窓の先が見えなくなっている。いや、もともとすりガラスのせいで見えないとかは別として。
階段手前にあったお風呂の泉質解説については見て見なかったことにした。どうせたぶん泉質について話すことなんてないもの。ていうかそれよりなにより。
「冷たい冷たい!!郁弥さん郁弥さん抱き上げて!!!」
「いいよ」
「い、いいの!?」
「うん」
にっこり笑顔が眩しい。お言葉に甘えて鞄やらタオルやらは脱衣かごに入れ、急いで彼の正面に回る。まだ入口にいた恋人さんの目前に立ち、おそるおそる両手を伸ばす。その間も足裏が冷たくてぺたぺたと足踏みをしてしまっていた。
「ぁ……え、えへへぇ」
「これでどう?」
「うん!嬉しい!」
「それはよかった」
抱えるようにお尻の下に手が回されて、もう片方は背中に通される。あたしはというと、しっかり抱きついて彼の肩に腕を回して足も後ろに回した。抱っこ、そう、抱っこしてもらった。幸せの風と冬の風が同時に吹いていた。ものすごくドキドキする。
「重い?」
「重くないよ」
「ほんと?」
「女の人一人ならこれくらいかなって感じ」
「ふーん」
定番のセリフを言ってみたら微妙な答えが返ってきた。
「ねー」
「うん?」
脱衣所に入ってすぐの場所そのまま。体勢はよく考えたら色々際どいけれど、そのことは考えずに問いかける。
「他の人にしたりしたことある?」
「したことあるわけないでしょ。というか、日結花ちゃん以外にやりたくない」
「そ、そう……。ふーん。そっか。へぇー、あたし以外にやりたくないんだー」
「ふふ、嬉しそうだね?」
「別に嬉しくない、こともないかもね!」
「あはは、そっか」
「うん、そうそう」
嬉しいのを誤魔化す意味もないけれど、それをそのまま伝えるのは恥ずかしかったので誤魔化し風に言っておいた。
一分か二分か、それくらい話をし続けて、いつまで経っても郁弥さんがやめようと言い出さないので下手したらあたしが飽きるまでずっと付き合ってくれるの?と危機感が芽生えた。この人の悪いところの一つ。永遠にあたしのやりたいことに付き合ってくれること。良いところでもあるけれど、底なし沼のように愛の沼に沈んでいってしまう。何が悪いって、自分から離れようって気持ちがどんどんなくなってっちゃうところよ。
「……そろそろ、下りるわ」
「あ、そう?もういいの?」
「……うん」
断腸の思いとはまさにこのことか。後ろ髪をめちゃくちゃに引かれて彼の腕の中から離れた。あと少しで溺れちゃうところだった。あぶない。
下りた板張りの床が冷たく、ぴくりと跳ねたら恋人に笑われた。羞恥。
後ろ手にドアを閉めた郁弥さんがタオルを脱衣かごに入れ、それじゃあと今日二度目のドキドキお着替えタイムを迎えることになった。
「……脱ぎましょうか」
「そうだねー」
ドキドキはしても、一回目ほどの緊張はない。下着姿もしっかり見てもらったし、全裸だって見ちゃったし見られちゃったし。なにより寒いし。
寒さには勝てないのでさっさと脱いでいき、浴衣まで脱いだところで思い出した。
「あ、そうだ郁弥さん」
「何?」
「お風呂の写真撮ってないけどいいの?」
「あー……」
意図的に見ていなかったお隣さんを見ると、ちょうど下着姿になったところだったようでほっとした。インナーにパンツにとひどく寒そうな格好をしている。あたしもキャミソールとショーツ一枚で人のことは言えないけれど、二人とも下着姿だとなんだかこのまま――。
「日結花ちゃん?」
「え、な、なに?」
「いや、顔赤くなってるからどうしたのかと」
「な、ななんでもないから!!」
「……ふむ」
何やら頷いて、思慮深い視線を向けてくる。とんでもなく嫌な予感がする。
「君、えっちなこと考えていたでしょ」
「にゃ!!?ど、どうして?」
自分のね、動揺のしやすさというかね。なんというかね。わかりやすさにもうね、ほんと。あたしのばか!
「ふふ、日結花ちゃんのことならわかるのさ。好きだからね。さ、写真撮りに行くとしようか。日結花ちゃんも来る?」
「うぅ、行くぅー……」
色々ばれて恥ずかしさがいっぱいいっぱいな状態だけど、一人ここに残されるのはもっと嫌なのでついていく。羞恥心程度が心細さに勝てるわけないって、未来のあたしが言っていたと思う。
それにしても本当に、あたしっていつから全部表情に出ちゃう子になったのかしら。郁弥さんのせい?郁弥さんのせいよね。絶対そう。この人がそうだからそうなっちゃったのよ。それならそれで……うん、悪くないかも。




