43. お風呂までの待ち時間
旅館に戻って鍵を受け取って、それから階段を上って部屋の鍵を開けてお部屋に入ってと。スムーズに行っていた流れが最後の一歩手前で止まった。
古い鍵だけど開けるのは楽なのよ。閉めるのが大変なだけで。
お部屋の暖かさはいい感じ。しっかり暖房が効いている。雪が溶けて濡れた髪の毛とか、雪が溶けて濡れた服とか、雪が溶けて濡れた肌とか。ようやく乾き始めて人心地つける。いくら恋人と二人身を寄せ合って寒さを緩和するといっても限界がある。そうしたらもうお部屋であったまるしかない。あったかい。落ち着く。
「ねー郁弥さーん」
「なにー」
「もっとくっついてよー」
「……もうこれ以上ないくらいくっついているのは気のせいかな」
「えへへ、そうだったかしら?」
この服、というより微妙に濡れた浴衣でお布団へダイブするのは気が引けた。あとで後悔することになるのは目に見えていたので、そこは我慢して座椅子に座った。ちょうどテレビとは対角線上に位置して、部屋としては入口から左奥のところ。暖房の真下にいるので直接温風は当たらない。電気ストーブはつけていないし、暖房だけで十分部屋は暖まる。
当然のように横並びで座って、身体の距離はあってないようなもの。肩も腕も密着してるし、脚なんか絡ませちゃってるし。あたしは右の脚、郁弥さんは左の脚。膝の辺りからこう、むにっと。むにってくっつけてる。
丹前と足袋は脱いで乾かし中。クローゼットを開けて中で干しておいた。暖房の下に取り付けられているクローゼットなので風が当たらないけど、それでもこれだけ暖かいならすぐ乾くと思う。
だからというか、そのせいというか。
丹前を着ていないせいで、今はあたしも郁弥さんも浴衣しか身につけていない。もちろん下着はあるにしても、薄着になっての肌の質感とか体温とかが伝わりやすくなって嬉しい。照れるしドキドキするけど、それ含めて嬉しいの。
「しょうがないなぁ」
「あ……えへへぇ」
色々考えてたら抱き寄せられちゃった。肩に背中から手を回してぎゅって。むぎゅってされた。やばい。よくわかんないけどすっごく嬉しい。多幸感がすごい。
「嬉しい?」
「嬉しいっ」
「それはよかった」
「あなたも嬉しい?」
「嬉しいよ。くっつくの好きだからね」
「あたしも大好きー」
彼の空いている手とあたしの手を繋いだり合わせたり重ねたりと、手遊びをしながら恋人との時間を楽しむ。いちゃいちゃレベルの高い時間は貴重なので、これが本当に飽きない。いつまでも続けていられる。
さっき時間を確認したら時刻は二十時三十分近く。一時間くらいは写真撮ったりしていたらしい。それだけ外にいれば身体も冷える、という話はさておいて。もっと大事なことがある。お風呂について。
身体も冷えちゃったしお風呂入ろうと思い、部屋に戻る前に空いているかどうかの確認だけ済ませておいた。普通に使ってる人がいた。その結果、今のいちゃいちゃタイムがある。時間的に三十分くらい待つつもりだけれど、どうなるかしら。お風呂熱いし、たぶんそんなには入ってないと思うのよね。
「あ、そうそう、さっき言い忘れたんだけどさ」
「んー?」
「外で見た女の子たち。浴衣の種類違ったよね」
「あぁ、うん。そうね。別の旅館なんでしょ」
そういえばと話す。銀泉花さんで会っていないのだから当然と言えば当然だけど、旅館ごとの浴衣とか見ると他の宿にも入ってみたくなる。
"別のところにも泊まりたくなった?"と聞こうと思って、より上の尋ねなくちゃいけないことができたのでそちらへ切り替える。
「郁弥さんさ」
「うん」
「さっきの女の子たちに見惚れたりした?」
「してないよ。日結花ちゃんばっかり見てたし」
「そっか」
「うん」
沈黙。
聞いておいてなんだけど、さっき似たようなこと考えて彼の方見たらあたしと目が合ったんだった。変に罪悪感が生まれたので、ぐりぐりと頭を押しつけておいた。髪の毛撫でてくれた。優しい。嬉しい。好き。
「あ」
「どうかした?」
「いや、聞こうと思って忘れてた。日結花ちゃん動画とか撮りたくなかった?」
「動画?」
「うん。カメラで撮れるし、少しくらいあってもいいかなーって」
若干湿り気のある髪でも気にせず撫でてくれるって、なかなかよ。なかなか。外から戻ってきて髪の毛結んでたの解いたけど、結構濡れてて今も乾ききってないのに。濡れ感あるときに撫でるってどういう感じなのかしら。気になる。
それは後で聞くとして。動画の話よね……動画か。
「今撮りましょ」
「え?今?」
「そ。だって他に撮るタイミングないじゃない。どうせあたしと郁弥さんと他数人くらいしか見ないんだから、今撮るの」
「まあ、いいけど。でも何撮るの?」
「なにって……部屋から外撮りましょ?」
咄嗟に考えたにしては上出来。カーテンとかないから障子閉め切っちゃってたけど、開けて外撮ればいい感じになると思う。
恋人がうんうんと頷いてくれたので動こうと――。
「……ねえ郁弥さん」
「はい」
「動きたくない」
「……そっかー」
「郁弥さんは?」
「ふふ、僕も動きたくないんだ。同じだね」
「えへ、そうよねー!」
むぎゅむぎゅとくっついていたせいで、この温もりを手放すのが惜しい。部屋は暖かいから肌寒いとかそういうわけじゃないんだけど、そうじゃないのよ。これは気持ちの問題。離れるのが寂しいって意味での離れたくないなの。
時間にして五分くらいか。たぶんそれくらいはそのまま動かないでハグしたりお喋りしたりしていた。ちゅーはしてない。なんとなくしなかった。雰囲気的になんとなくね。
やっとの思いで立ち上がって、カメラを取り出す郁弥さんを待つ。電気を消してゆっくり障子を開けると、途端に冷気が押し寄せてきた。
「さむい!郁弥さん寒いわ!」
「僕も寒いよ。障子一枚でこんな変わるかぁ。いや冗談抜きで寒い」
二人で震えるはめになった。一時撤退!
急いで障子を閉める。冷気が止んだ。
「―――」
開ける。横を見る。
「え?寒いんだけど」
閉める。横を見る。
「日結花ちゃん?」
開ける。横を見る。
「寒いのだけども……」
閉める。横を見る。
「……日結花ちゃん」
開ける。横を見る。
「日結花ちゃん」
「な、なにふるの!」
「それは僕のセリフ」
頬をつままれた。
ちょっとした悪戯心だったのに。ほら、開けると寒くて閉めるとすぐあったかくなるから、繰り返したら郁弥さん面白いかなぁと思って。どこかで見たことあるでしょ、そういうの。思った通りいちいち反応が面白かった。
「はなひてー」
「はいはい」
「んもう。レディに対して失礼よ?」
「本物のレディはそんなことしないのでは?」
「そうかしら?」
「そうだね」
「ふーん。そ。あたしには関係ないわね」
ため息を一ついただいた。
面白いのかつまらないのか、よくわからないやり取りを挟んで気合を入れつつ撮影に入る。写真じゃなくて動画。郁弥さんと出会って二人で動画を撮るなんて何気に初めてかもしれない。結構な新鮮さがある。
「郁弥さーん……え、なに?もう撮ってるの?」
「うん」
三脚にカメラにと準備してぱたぱた歩いてきた。そしてあたしの隣にちょこりと座る。可愛い。いえ、それよりも。
「カメラあの位置でいいの?」
「いいの。外の景色は後で軽く入れるくらいにするから」
「そう。今さらだけど暗くてあたしたち映ってるの?」
「どうだろう?外明るいから輪郭くらいは入ってるんじゃない?」
「えー。それ撮る意味ある?いやあるわね」
「自己完結した?」
「ん、した」
別に顔が映ってるかどうかは問題じゃない。これはちょっとした記録みたいなものだから。
「さて、何話そうか」
「んー、郁弥さんが考えてよ」
「おっと、そう来るか。じゃあ足袋を脱ぐ日結花ちゃんがえっちだった話からしよう」
「どうしてそんな話するの!!」
「どうし、て……?」
「ここでそんなわざとらしい顔しなくていいから」
「ふふ、そうだね。どうしてか。どうしてだろうね。動画に残してるから?」
「なおさら意味がわからないのだけど。ていうかしてほしくないんだけど」
「あはは。でも事実だからねー」
「そ、それは……や、やめてよ。恥ずかしいわ」
薄暗い部屋の中。顔は薄っすら見える程度なのに、自分の頬がはっきり赤く染まっているようで余計に恥ずかしくなってくる。
こんな話題のチョイスは予想してなかった。羞恥心がぐんぐん上がっていく。
「だ、だいたいあなたの考え方がえっちだからそう見えるだけじゃないの?」
「一理ある」
「堂々と言わないで」
「ごめんごめん。でもさ、僕らってあんまりこういう話してこなかったでしょ?」
「……それは、そうかも」
彼の言う"こういう"は、たぶんえっちな話。意識して避けてたわけじゃないけど、なんとなく自然とお互いしないようにしていたとは思う。どうして避けていたかは……きっといっぱい理由がある。
「どうしてしなかったんだろうね」
ぽつりとこぼれるように聞こえた声は重く、それでいてどこか寂しげなものだった。




