40. 世界一のモデルさん
銀山温泉夜街の写真は、フラッシュを使ったときと使わないときとで本当に大きな差があった。それこそ歓声を上げちゃうくらいには違った。
"しろがねはし"での楽しくはしゃいだ写真撮影は終わり、湯気を立てる足湯コーナーを通り過ぎる。旅館が立ち並ぶ場所までくれば、明かりの数や多くの建物によって雰囲気ががらりと変わる。さっきよりも人影が多く、赤い傘をさして歩いている人がちらほらといる。ちらりと自分の持つ銀泉花さんの朱色な傘を見て、そのまま視線を隣にずらす。
「ん?」
すぐに視線に気づいて顔を傾けて聞いてくる。相変わらずあたしへの反応が早くて心臓の鼓動がほんの少しだけ高鳴った。それだけあたしのことをよく見て考えてくれているって思うと、さらに胸が高鳴る。
「なんでもない。それより銀泉花さんの方向けて写真撮らない?」
「おー、いいね。せっかく泊まってるんだし夜の写真も撮っておきたいね」
明るく笑って頷いてくれた。できるだけ旅館の全体像を写すために、橋の上でも端っこの方まで移動する。橋上に溜まった雪がふわふわとして少しばかり足が沈み込む。
銀泉花さんだと下駄も貸し出していたけれど、やっぱりブーツで来てよかった。いくらなんでもこの雪の量じゃ足袋までびしょびしょになっちゃっていたと思う。
「この辺でいいかな?」
「んー……うん。いいんじゃない?」
カメラを覗き込んで答えた。これ以上下がるとお食事処にぶつかっちゃうし、銀泉花さんの入口と二階の窓と、あと橋が綺麗に収まって悪くない画角になっていた。ちょうど人も来てないし、ちゃっちゃと撮っちゃいましょ。
「よーしダーリン。傘はもういらないからたたんじゃうわね」
「え?何故!?」
「なにゆえって……街の雰囲気に口調まで合わせなくていいから」
「わかった。傘たたむと寒くない?というか既に手とか冷たいんだけど」
「写真撮るときは傘ない方がいいと思うの」
ね?と笑いかけると口元をもにょもにょさせて、それから一理あると頷いた。恋人も納得させたところで、さっさと写真撮影に入る。
傘をたたんだ手前言いにくいけど、やっぱり雪は冷たい。ちょっぴり肌に触れただけでもそれが溶けて冷水になって体温を下げていく。人肌がほしい。具体的には郁弥さんにぎゅって。ぎゅってしてほしい。
「あ、そうだ日結花ちゃん」
「ん、なに?」
「少し一人で写ってみない?」
「えー」
先に橋の真ん中辺りで待っていたあたしに向けて、なにやら笑顔で言ってくる。あんまり面白くないお誘いだった。
「なんで一人で?」
「日結花ちゃんの可愛い写真が欲しいから」
「んん……そ、それなら仕方ないわね」
「ふふ、ありがとう」
ストンと心の中心を撃ち抜いてくるような真っ直ぐな言葉だった。
そんな言い方されたら断ったりなんてできるわけないじゃない。本当、ずるい人なんだから。
――ぱしゃ
フラッシュが焚かれ、雪舞い踊る薄闇に光が弾けた。眩しさに目をつむり、それから恋人に声をかける。
「もういい?」
「あと何枚か」
「もう、仕方ないわね」
何枚かぱしゃりぱしゃりと写真を撮っていく。あたしも彼も傘をささず雪に降られ、撮っている恋人の髪に白が差しているのを見るに、きっとあたしの髪も同じことになっていると思う。
カメラマンとモデルみたいに、フラッシュを使ったり使わなかったり、ポーズを変えてみたり、繰り返し何度もシャッターは切られ続ける。川のせせらぎだけが耳を揺らし他に人の声は聞こえず、誰かの姿もない。見えるのはレンズ越しにこちらを見つめる恋人の姿だけ。
まるで、このしんしんとした世界に二人だけ取り残されたような、そんな気分に陥る。ずっとずっと、いつまでもこんな時間が続いてほしいなぁって、そんなことを思う。恋人と、郁弥さんと一緒にいるとよく思うことだけど、いつまで経ってもあふれ出すようなこの気持ちは変わらない。
「好き」
距離のある彼には聞こえないよう、小声で呟く。ふっとこぼした一言が全身をぽかぽかと温める。聞こえているはずはないのに、言おうとなんて思っていなかったのに自然とこぼれちゃった。恥ずかしい。
「こんなところかなー。日結花ちゃん、ありがとうね」
「う、ううん。全然平気」
声をかけられてびくりと肩が震えた。かっと頬が燃えるようで、だけど恋人には聞こえてなかったはずと顔をあげる。案の定いつもと変わらず柔和な雰囲気の恋人さんがいた。ほっとしたような、ちょっぴり不満があるような。複雑な心地。
「それじゃ、今度は日結花ちゃんが撮ってみる?」
「え?」
カメラの位置からそんなことを言ってくる恋人に疑問を返す。
「ずっと僕が撮ってたし、日結花ちゃんが撮るのもいいかなって。まあ、僕の写真がいらないなら別だけ」
「いる!!」
「ふふ、そう言うと思ってたよ」
自惚れにならなくてよかった、なんて続けながらこちらに向けて歩いてくる。
食い気味になってしまったのは今の話的にどうしようもなかったこととして、さっきはそこまで頭が回ってなかった。そうなのよ。郁弥さんがあたしの写真撮ったなら、別にあたしが郁弥さんの写真撮ったっていいのよ。文句を言われる筋合いはないわ。そもそも彼が文句言ってくるわけないっていうのは別としてね。
ついつい楽しくなってきて頬を緩めながら恋人さんとすれ違う。いっぱい撮るわよ、と伝えようと思ったら先に言葉を投げかけられた。
「僕も好きだよ」
「っ」
す、っと通りすがりざまに囁いてきた。とくりと心臓が跳ねる。
もうね。ほんとにね。はぁぁ、って感じ。言葉が出ないわ。聞こえてたならちゃんと聞こえてるって言ってよ!もう!どれだけあたしをドキドキさせれば気が済むのよ!ばか!好き!大好きっ!!
「すぅ……はぁぁぁ…………」
深く息を吐いて、カメラの後ろに回って前を見る。楽しそうに小さく手を振る郁弥さんがいた。
あの人、絶対にわかってやったわね。不意打ち禁止っていっつも言ってるのに……。嬉しかったから許してあげるけど。あぁ、本当に。今もドキドキしてるし、それ以上に聞こえたかどうかも微妙なはずの小声に返事をくれたのが嬉しくて仕方ない。
「写真、撮るわよ!」
「おーけー。僕もたくさん撮っちゃったし、満足するまで付き合うよ」
嬉しいお言葉をもらってしまったので、早々に撮影を始める。傘もなく雪を浴びているせいで、それなりに身体が冷えてきた。だからといってやめたりしないけど、それでも一回の撮影時間が長引くのはあんまりよくない。定期的にハグしたりくっついたりして温めないと。
カメラマンとモデルの立場を変えて、撮影は続いていく。撮る側になって思ったのは、これが結構楽しいということ。全体像を写すのもいいけれど、人をアップして撮るのもかなりいい。フラッシュの有無でものすごい変わるので、それもまた入ってくる。あとポーズ。
好きな人にあたし好みなポージングをしてもらうのが最高に楽しい。仕草とかお願いしたポーズでキュンキュンきちゃう。
「郁弥さん郁弥さん。橋に寄りかかる感じでお願い」
「えー。それ僕の浴衣びしょびしょになるんだけど」
「丹前着てるし大丈夫でしょ?あと腰当てるところは手で払っちゃいなさい」
「へい……」
しょんぼりして寒そうに雪を川に落とす郁弥さんが可愛い。たださすがに手が冷たくなって可哀想なので、鞄からミニタオルを取り出して持っていってあげた。
「わ、いつの間に」
「ふふん、忍者みたいだった?」
「うん。全然気づかなかった」
「そ。それよりはい、タオル」
「おー、ありがとう。助かるよ」
「あとほら、ちょっと両手貸して?」
「え?うん――うぁ」
なんの疑いもなく両手を差し出してくる恋人さん。ぱっと手で彼の両手を挟み込むようにし、お椀型の器にさせた手の中に吐息を吹き込んだ。はぁーっと吹き込み、手をすり合わせたり吐息を入れたりを繰り返すこと数回。顔をあげてにこりと微笑む。
「どう?あったかくなったでしょ?」
「え、う、ええと、う、うん。ありがとう」
「うふふ、郁弥さん顔赤くなってるー」
「うぐ、そ、そりゃ赤くもなるよ!」
頬を朱色に染めて動揺している恋人を置いて、さっさとカメラの下に戻る。今回に限ってはあたしに動揺はない。最初からするって決めてたし、これくらいじゃ顔を赤くしたりしない。
男の人目線だと結構羞恥心あったというか、照れくさかったのかなーとは思うけどね。喜んでくれて何よりだわ。
「はいじゃあ撮るわね」
「ちょ、ちょっと待って。心の準備が――」
――ぱしゃり。
慌てて声を張るモデルさんを無視して、フラッシュは焚かれた。
カメラに写っていた写真はライトに照らされ鮮明で、雪の白に映える綺麗な紅葉を両頬に貼り付けた恋人さんが橋の上に立っていた。カメラ目線なのに表情から慌てている様子がはっきりと伝わってきて、見ているだけで笑顔になる。
顔をあげ、頬を赤らめたまま不満そうにじと目で見てくる郁弥さんに手を振る。
あたしの恋人さんは、世界一かっこよくて可愛いモデルさんだった。




