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38. 夜の雪街へ

「「さむい」」


 部屋を出て寒さを感じ、階段を下りて寒さを感じ、靴を履いて外に出て一番の寒さを感じた。

 旅館を出てまず感じたのが冷えた空気。次に触れたのは寒く、冷たく、あまり風がないからこそふわふわと舞って傘の内側まで入り込んでくる雪の粒。相合傘で一つの傘に二人で入っている、というのも雪が入り込みやすい理由かもしれない。

 そして目に映る街の風景。空は暗く、十九時半ともなれば夜の色が雪雲を染めていた。そんな深い雪空のもとだからこそなのか、柔らかなガス灯の明かりが街中を包み込んでいるようにも見える。

 街の真ん中を通る銀山川に沿って点点てんてんと置かれている明かりがきらめき、並び立つ旅館から漏れる明かりが景色を彩っている。闇に紛れて見えにくい雪の粒も、時折街灯に照らされて真白に輝く。

 綺麗な世界だった。お昼に見た雪色の温泉街とはまったく違う、夜の銀山温泉はどこか幻想的な雪の街に様変わりしていた。


「郁弥さん郁弥さん!」


 右手に三脚付きカメラ、左手に傘と両手が塞がっている恋人の浴衣の袖を引っ張って名前を呼ぶ。

 素敵な景色を見ての興奮とか驚きとかを共有したいってよくあることよね。それが恋人なら尚更よ。


「はい、はい」

「ねえねえ!ちゅーして!」

「脈絡がなさすぎる!?」


 のんびり返事をしていたのが、ぱっと横を見て目を合わせてきた。驚き一色な表情に、自分で何を言ったのか理解が及ぶ。ちょっと間違えちゃったみたい。


「あ、違う。間違えたわ。ごめんなさい」

「ええ……。今の間違いすることある?」

「むぅ、しょうがないじゃない。だって間違えちゃったんだもん」


 難しそうな顔で追及してこられても困る。ほんとに間違えちゃっただけだし。本音がこぼれちゃっただけだし。


「日結花ちゃん、目閉じて?」

「え?なんん!?……ふぁぅ」

「……ふぅ、これでお願いは聞いたね」


 いきなりちゅーされた。目を閉じてって閉じる前にしてきたら言った意味ないじゃない。意味わかんない。ずるい。ちゅーされたのは嬉しかったけど。


「も、もう。いきなりしてこないでよね」

「ふふ、日結花ちゃんが嫌ならしないよ」

「……ばか」


 ふいっと傘を奪い取り、同時に彼の腕に自分のそれを絡める。さっきよりもずっと距離が縮まって、触れ合う身体が心の奥を温める。


「さて、と。とりあえず入口の方から見て回ろうか」

「ん。滑らないように気をつけてね」

「ふふ、日結花ちゃんもね」


 ふんわりと微笑む恋人さんと腕を組みながら歩くこと少し。

 歩道に降り積もった新雪が踏みしめるたびにむぎゅりと沈んで楽しい。いつもより歩幅を短く歩いていても、銀山温泉入口までの道が短いのですぐに着いてしまった。

 つい夢中になってしまい、はっと横を見たらにこやかな郁弥さんが一人。ぽっと顔に熱が灯る。


「な、なにを見ていたのかしら?」

「ううん、なんにも。僕の恋人は可愛いなぁって思ってただけだよ」

「ふ、ふーん。……そ。ならいいわ」


 絶対わかって言ってるけれど、それをつつくとあたしが恥ずかしくなるだけなのでやめておいた。郁弥さんが優しく笑っていてあたしも嬉しくなったというのもないこともない。


「しろがねはしに着いたけど、ここからどうしようか?写真撮る?」

「そうねー」


 温泉街入口の"しろがねはし"に着いた。位置としては街の玄関口側。ガス灯が点灯する前最後に寄ったお土産屋さんの方ね。

 軽く見回すと、数人の観光客があたしたちと同じように温泉街の入口までやってきて写真を撮っていた。服装は見た限り全員浴衣。男の人は郁弥さんと同じくシンプルな色合いをしていて、逆に女の人はあたしみたいな明るい色をしている。空は暗くても街の明かりのおかげで視界が悪いということはない。全然見える。郁弥さんの顔もばっちり見える。かっこいい。


「写真撮るのは撮りたいけど、ちょっと危ないわね。ここ」


 彼の瞳をしっかり見つめて伝えた。周りに若いカップルらしき影はなく、いるのは女の人二人組とか夫婦っぽい二人組とかだけ。遠くに見えるのも男女のカップルではなくてちょっぴり優越感。

 それはともかく、橋の欄干近くが段差になっていて危ない。ぐいっと沈んでいるから気づかないと転んじゃいそう。


「あぁ、確かに。雪が新しいから滑りはしないけど、こうも段差が深いと危ないね」


 言いながら組んでいた腕を解いてきた。無言で抗議の目を向ける。


「そんな目で見ても続けないからね」

「なんでー!」

「危ないし」


 正論ひどい。


「あ、そういえば日結花ちゃん」

「なに?」


 露骨に話を逸らしにかかってくる郁弥さん。付き合ってあげましょうか。もう一回腕組んだり手を繋いだりする方法ならもう浮かんだし。


「さっきリップクリーム塗ったけど、キスしたときどんな感じだった?」

「んん!?え、い、今なんて?聞き間違いじゃなかったらすっごく恥ずかしいこと聞かれた気がするんだけど!?」

「僕ら二人ともリップクリームしてるけど、普段のちゅーと違った?」

「言い方変えてって意味じゃないから!!」


 この人の羞恥心はどこに行っちゃったの?顔見ても全然まったくほんとにいつも通り。顔色一つ変えずにいて、今の話を振ってきたとは到底思えない。


「いや気になったから。ほら、僕ら恋人になってからそこそこキスもしてきたけど、こうも頻繫にしてるのって初めてじゃない?」

「それは、そうかもだけど……」


 こんな話を大真面目な顔でされても困る。ただでさえ一つの傘に二人で入っていて顔と顔の距離が近いのに、そんなこと言われたら唇ばっかりに目が行っちゃう。リップクリームのせいで艶めいてるのもあって、なんだかすごくドキドキする。


「ぁ、んぅ、ち、ちかい……」

「――ちゅ」

「ん……だ、だからいきなりちゅーしちゃだめって言ったのに」


 近かった距離がゼロになって、ぎゅっと閉じた瞼の裏に影が差す。ふるりとした柔らかい感触が唇に広がって頬が熱くなる。


「どう?違う?」

「……わかんない。ちょっとだけ熱いかも」

「そっか」

「あなたはどうなのよ」

「僕?」


 同じことを聞いた。聞き返してくる彼にこくりと頷く。きらきらした瞳が綺麗で、ゆるりと描かれた口元の弧が優しさを感じさせる。好き。


「どうかなぁ。日結花ちゃんだいたいいつもリップしてるし、そうじゃないときも唇ぷるぷるだからよくわからないな。あ、でも、色艶は少し桃色入ってるよね。僕は好きだよ。あと味はほんのり甘い香りしたから、結構ドキドキした。それと、確かにちょっといつもより熱いかもね」


 外が寒いからかな、と軽く笑いながら続けた。

 なんて言えばいいのかしら。この、好きな人からキスの感触とか感想とか聞かされるのってものすごい恥ずかしいのね。あと味とか。ちゅーの味とか。そういうの禁止。寒いのに暑いわ。矛盾してるけどこれが矛盾してないのよ。人の身体って不思議よね。ちなみに、郁弥さんのちゅーの味はよくわかんないけどいっつもかすかに甘いのよ。ほんと意味不明よね。そういうフェロモンでも出してるの?


「こ、この話終わり!はい、写真撮るわよ!」

「あはは、了解」


 三脚の脚を伸ばして立ててと準備を進める恋人の姿を見守る。

 風がない分、冷たい風に吹かれて肌が冷たいとか震えることはない。ただ、純粋に気温が低く空気が冷たいので立っているだけでも十分に寒さは感じる。郁弥さんに抱きしめてもらいたい欲が湧き上がってくる。


「よしできた。日結花ちゃん。今からの写真撮影は結構時間かかると思うけど準備はいい?」

「もちろん。いくらでも付き合ってあげるわ」

「はは、それは頼もしい。っと、日結花ちゃん今何時かわかる?」

「待ってねー」


 肩かけのミニバッグから携帯を取り出す。今のあたしの鞄には二人分の貴重品が入っている。あたしと、郁弥さんと。取り出した携帯は触れてそれっぽいなぁと思ったらやっぱり郁弥さんのだった。


「十九時四十分」

「ありがとう。四十分かー」

「ガス灯消えるのが二十一時よね?」

「うん。だから時間は余裕だね」


 何の問題もなく時間は伝えた。恋人の携帯だから操作できないなんてことは、あたしたちに限ってありえない。お互いの指紋登録してるしパスワードだって隠してないし、ていうか隠す意味ないし。


「じゃあ撮ろうか」

「ん」


 そして、あたしたちの楽しいドキドキ写真撮影会が始まった。ドキドキは寒さで震えてのドキドキが一部含まれていたりするので、そこだけは注意していかなきゃいけない。寒さ対策にハグしたり抱擁したり抱きしめてもらったりしないといけないわ。あぁ大変、早く抱きしめてもらわなくっちゃ。

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