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37. 食後の休憩

 中華スープにお吸い物まで食べ終え、旅館のお夕食はついにデザートへたどり着いた。水菓子に水まんじゅうとウサギさんカットのりんご。水まんじゅうは頑張って食べて、残りは本当にりんごだけ。お皿に入っている小さなフォークを手に取り、しゃくりとかじる。ほどよい甘みは満腹のお腹にもそれほど影響はなさそう。これならなんとか、というレベルだけれど。


「ねえ郁弥さん」

「うん」


 あたしよりも先に食べ終えて、座椅子の背もたれでぐったりしている恋人さんに声をかける。

 中華スープのほとんどはお隣でぐてりとしている人の胃に流し込んでしまったので、結局のところ彼が二人分食べたことになる。羞恥心と"口移し"という行為そのものへのドキドキ感に押されて忘れていたけれど、二人分のスープを飲み干した恋人さんは我に返ってもう限界になっちゃったとかなんとか。それでも水まんじゅうとりんごまで食べ切ったのは、やっぱり男の子って感じがする。


「今何時?」

「あー、待ってて……」


 のそりと身体を動かして、床に置いてあった携帯を手に取る。それからすぐ、あたしを見て口を開いた。


「十八時五十分」

「ふーん。五十分くらいご飯食べてたのね」

「みたいだねー。あーんしたり口移ししたりしてたからねー」

「ふんふん」


 もう一度、しゃくりと。

 

「郁弥さーん」

「なにー?」

「りんご食べる?」

「嫌です」

「そ」


 三度(みたび)、しゃくりと。少しずつかじっているので、なかなか減らない。それでも二切れあったうち一つは食べ終え、残りは皮付きのウサギさんりんごだけになった。ゆっくり食べれば問題なく食べられる。


「あー、そうだ日結花ちゃん」

「んー?」


 もぐもぐしながらの返事。ぼけーっと天井を見上げている恋人を視界に収めながらさくさくと食べ進める。ごちそうさまがあたしを待っている。


「このあと外に出るけど、服装どうする?」

「んんー……ふぅ、ごちそうさまでしたっ」

「あ、食べ終わった?」

「ええ、ちょうどね。お腹はいっぱいだけど、なんか思ったほど限界って感じじゃないかも」


 完食してから思った。他の旅館とかだと、もっと単純に量が多かったような気がする。なんならバイキング形式のホテルの方が食べ過ぎちゃった経験があるくらい。そう考えると、これから動くのもあるしちょうどよかったかも。うん、美味しかった。


「……僕に餌付けをしたからなのではなかろうか」

「あら、なんの話?」

「……まあいいけどさ。十分くらいは経ったし、僕も少しは落ち着いてきたから」

「ふふ、そ?男の人だものね。あたしより胃が大きいのも当然よ」

「それを言われちゃどうしようもないな。ごもっともです。ちょっとお手洗い行ってきていいですか」

「どうぞー」


 のそりと、ではなく機敏な動作でおトイレに向かう郁弥さんを見送って、今度はこちらが背もたれに身体を預けた。さすがにちょっとだけ休憩がほしい。五分あれば大丈夫だとは思う。

 小休止小休止……。なんてことを考えてぼんやりしていたら、ノックに続いて声が聞こえてくる。


「失礼いたします」

「はーい」


 ダーリンはおトイレにこもっているので、仲居さんはあたし一人で迎え入れた。迎え入れとは言っても、座ったままなのでただ返事をしただけだけど。


「お食事はお済みですか?」

「はい、ちょうど食べ終えたところで。とっても美味しかったです。ごちそうさまでした!」

「ふふ、それならよかったです。お皿、お下げしますね」

「お願いします」


 もう残っているものはないので、お盆ごと持っていってもらう。てきぱきと二つのお盆を重ねて、お皿をその上に置いてとぽやんと見ていたら、いつの間にか作業が終わっていた。


「お客様、お布団はどうなされますか?この後、すぐに敷くこともできますが……」

「え、んー……」


 どうしようかな。郁弥さんいないからあたしが決めちゃっていいんだけど。ていうかあたしが決めるんだけど。


「今から十分後くらいでお願いできますか?」

「わかりました。十分後、十九時五分頃にもう一度伺いますね」

「はーい、お願いしますー」

「それでは、失礼します」


 そそそーっとお部屋を出ていく仲居さんを見送り、正していた姿勢を崩す。力を抜いて背もたれに身体を預ける。

 十分後にお布団を敷きに来てもらうことになった。時間に理由はない。なんとなく、それくらいでいいかなーという考えで。食後休憩はしたいけど、これからお外に出ることを考えたらできるだけ早い方がいいし。

 とりあえず、先に歯磨きしちゃおうかな。



 お手洗いに歯磨きと、恋人との服の相談も含めて部屋を出る前にやっておきたいことを済ませ、お布団も敷いてもらって準備が完了した。


「ねー郁弥さーん」

「ふぁい」

「準備まだー?」

「はひあきちゅー」

「じゃぱにーずらんげーじぷりーず」

「むー……」


 舌足らずな人って可愛いと思うのよね。あたしの恋人限定だけど。

 洗面台に向かう恋人を横目に、浴衣に橙色の丹前たんぜんを羽織って座椅子で足をぷらぷらさせる。足は足袋に包まれて圧迫感があるものの、ほどほどにあったかい。

 お布団は縦に敷かれて、押入れに平行する形で部屋の入口近くが枕元になっている。お布団の並びが、こう、なんか見ててとっても気分良くなる。

 座椅子と机は床の間側に寄せてしまったので、あたしは今そこに座ってぷらぷらしている。玄関すぐの前室ぜんしつとこちらの部屋を繋ぐ障子戸を開けてしまっているせいか、外の冷たい空気がどんどん入ってきて肌寒い。これからもっと寒いところに行くと思うと肩が震えた。行かないって選択肢はないけど。


「や、日結花ちゃん」

「にゃぅ!?」

「え、っと……どうかした?」


 つい自分の肩を抱きしめてたらぽんって!肩ぽんって!!いきなりすぎてびっくりした!!


「ど、どうかしたじゃないわ。びっくりさせないでよ」

「あー、そっか。ごめんね。寒い?手でも繋ぐ?」

「……やだ」


 しゃがんで話しかけてくる恋人さんに首を振る。少しだけ寂しそうな顔してくるのがこの人は本当にずるいところ。そういうところも大好きだけど。


「そっか。ならいいけど」

「そうじゃないわ。ちゃんと……抱きしめて」

「……なるほど。任せて」


 微笑んで、そっと身を寄せてくる。膝をついてぎゅーって。優しく包み込んでくれた。


「んぅ」

「どう?満足した?」

「……ううん、もうちょっと」


 頬と頬を合わせると、それだけ肌が触れて体温が伝わってくる。温かくて心地よくて、幸せで。ずっとこの温もりと一緒にいたいなって思っちゃう。


「了解です、お姫様」


 冗談めかして言う郁弥さん。あたしの恋人。大好きな人。

 ほっぺたを目一杯くっつけて、ぎゅーっと頬でキスをするように抱きしめ返した。その分返ってくる優しい抱擁は、彼が今言った通りあたしを"お姫様"として扱ってくれているんだってよく伝わってくる。

 こんなにも大事にされて、あたたかい気持ちでいっぱいにしてもらって、幸せにしてもらって。たぶんきっと、なんとなくだけど。これが"愛してもらう"って感覚なんだと思う。


「もういいかな」

「……もうちょっと」


 あたしの我儘を聞いても、くすくす軽く笑うだけで"いいよ"って言ってくれる。この人との巡り合わせをくれた神様に――ううん、掴み取った昔のあたしに感謝しないとね。

 自然とこぼれた笑い声に、ぽやぽやした声音で尋ねてくる恋人をもう一度抱きしめて、ころころ笑いながらなんでもないと伝えた。

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