36. 一歩上な食べさせ合い
小休止という名の甘えん坊タイムに入って数分。あたしが靴下履いてないとか、郁弥さんが靴下履いてないとか。足痛くない冷えてないとか。触れたりくすぐったりしながらの時間が過ぎた。
「ところでダーリン」
「なんだいハニー」
「全然違う話してもいい?」
「いいよー」
今の体勢は彼の膝の上、というより足の間にあたしが収まっている。背中をだらりと恋人の胸に預けて、後ろからぎゅっと抱きしめてもらって、これ以上ないくらいにいちゃいちゃ率が高い体勢だった。あったかいし幸せだし、もう満足。
「郁弥さんさー」
「うん」
「ヒートテックのズボン着てたでしょ?」
「うん。着てきたね」
ふわふわと身体を揺らすと、頬が恋人の頬に当たってむにりと柔らかな感触が広がる。そのままくっつけているとじわじわ体温が伝わって心地よさが上がっていく。同時にぎゅーっと抱きしめる力がちょっとだけ強まって密着度合いも上がった。あったかい。
「あれってレギンスでしょ?」
「うん?……あー、うん。そうだね」
一瞬戸惑った様子の郁弥さん。すぐに察してくれた。ファッション用語はあたしとのお買い物で教えてあげたり、一緒になって調べたりで一通り身につけているあたしの恋人さん。男性物より女性物に詳しくなっちゃったのは気にするほどのことじゃない。他の人の前でその知識をひけらかさなければいいの。下着とかスカートとかその辺のね。
「なんでタイツって名前で売ってるの?」
「ええー。僕に聞かれても。お店に聞いてくださいな――あ」
「んぅ?」
なんか思い出した感ある声。それ以上に自分の声が甘々でびっくりした。いえ、いつもこんなものね。郁弥さんに甘えてるときはこんなものだわ。大丈夫。いつも通りよ。
「ええと、どっかで聞いたんだけど、レギンスもタイツの一種だって話。今はタイツが足先まで包むものとして言われてるけど、元々はレギンスとかスパッツとかも含めてタイツって言葉だった……とか」
「ふーん。たしかにそうかも。それなら納得。でも紛らわしいわねー。全部そのままだったら楽なのに」
「ふふ、そうだねぇ」
ぽやぽやと話を続けて、ほどほどなところで食事を再開する。目の前に鎮座する中華スープを少しずつ胃に流し込んでいく。お腹は結構いっぱい。なのに味は美味しい。美味しいけど、だからといってそれが簡単にお腹に入るかと言ったらそれは違う。人間、限界ってものがあるのよ。
「――ふふん」
「ん?どうかした?ドヤ顔可愛いけど」
「あらありがとう。好きよ」
「僕も好きだよ」
「ほんと?」
「うん。大好き」
「誰が?」
「日結花ちゃんが」
「そ。あたしも郁弥さんが大好き」
茶番はさておき。軽くバードキスをして、ちゅっちゅと唇を合わせておいた。
ここからが本題。
「あたし、気づいちゃったのよ」
「何に?」
「お腹いっぱいのときにご飯を食べる方法」
「ほほう」
「気になる?」
「気になる気になる」
「それじゃあ教えてあげましょう」
場所はもう元に戻って、お互いの座椅子にぺたりと座った状態。くっついている状態は恋人の極致みたいな感じだったけど、隣に座ってちょっぴり身体触れてるのは愛情の深みみたいな。よくわかんないわね。
「キスをするのよ」
「……うん?」
「だから、ちゅーするの」
「いや、うん。それは聞こえたけど。キスがご飯にどう繋がるのか僕には理解できない」
「理解力の低下が見られるわ。大丈夫?」
「日結花ちゃん思考力の低下が見られるよ。大丈夫?」
「……」
「……」
「「……ふふっ」」
「ふふ、まあいいわ。わかりやすく説明するわね?」
「あはは、う、うん。お願い」
じっとりと見つめ合って、それから二人揃って花を咲かせた。
とにもかくにも、言いたいことを伝えるためにさらさらと言葉を紡いでいく。キスをするのと食事をするの。それもお腹いっぱいのときにやる。それはつまり、口移しということになる。
「――わかった?」
「わかった、けども。え、口移し?本気?」
「もちろん。嫌なの?」
「僕は気にしないけど…むしろ日結花ちゃんこそ気にならないの?」
「ふふ、あたしがあなたと口移しでキスすることに躊躇するとでも思っているの?」
「……まあ、しないか」
「そ。わかってるじゃない」
軽い苦笑に、あたしへの理解と優しさが詰まっていた。食べさせ合いっこならいくらでもしてきたけど、なにげに口移しは初めてになる。――あれ、チョコレートとかで前にしたこと……ない、かな。たぶんない。記憶にないし、ないと思う。
「やるならやるでいいけどさ。どうするの?僕も日結花ちゃんもまだ中華スープ残ってるよ?」
「そう、ね」
机を見れば。半分以上残された二人分の中華スープが。とろりとした片栗粉満載の餡かけフカヒレスープはお腹に溜まること間違いなし。
「というか、日結花ちゃん野菜何も食べてないんだね……」
「あら、キノコは食べたわよ。一切れだけど」
「そうですか」
「そういうあなたは……ふむ、残りはスープだけってところね」
「そうなんだよ。だからこの口移しに僕のメリットはない」
「あたしとちゅーできるのは?」
「ぐ、それを入れちゃったらメリットしかなくなるから卑怯だ」
「んふふー、だってほんとのことだもん」
あたしが郁弥さんとちゅーしたいっていうのは、また別のお話。今は彼があたしとちゅーしたいって部分が大事なの。
難しい顔してる恋人さんの視線があたしの口元に向けられているのに気づいて、ぺろりと舌で唇を撫でる。ぱっと目が合って逸らしてももう遅い。全部しっかり見させてもらったわ。
「じゃあ、あたしの野菜たちを郁弥さんの口へ放り込む仕事を始めましょうか」
「なんて理不尽なんだ。恋人の純情を弄ぶ小悪魔ちゃんめ」
「ふふ、小悪魔でいいの?」
「え、どうだろう。天使かな」
"そういう意味で言ったんじゃないのだけど"と伝えながら、はむりとチンゲン菜を半分ほど口に入れる。歯と唇で挟んで、お隣に向けて目で合図する。
「んー」
「ええ……そんなポッキーゲームみたいなことされても」
「んんぅー」
「わかってるよ……ん……む……」
反対側から唇が寄せられて、しゃくりと野菜に歯が食い込む音が聞こえた。
目は開けたままなので、とても近い距離に好きな人の顔があってドキドキと胸が高鳴る。そのままするりと動いて、唇と唇が合わさった。中華スープの味が口の中いっぱいに広がって、舌でチンゲン菜を追いやればしゃくしゃくとゆっくり顎が動いて咀嚼が進んでいく。ごくりと飲み込んだのが合わせた唇を通して伝わってきた。
目は合わせたまま、じっと見つめ合ったまま唇を重ねて、つぅっと舌を伸ばすと相手のそれに触れてぴくりと跳ねた。
「「っ」」
二人同時に、ぱっと距離を取って顔を背ける。
ほんの出来心でちょこっと触れただけなのに、ものすっごく変な気持ちになった。嬉しいような気持ちいいような、とろけた気分。でも何かいけないことしてるような背徳感もすごくて、まだ全然ドキドキが収まらない。これは、よくない。ほんとによくない。
「い、郁弥さん!」
「な、なに?」
「……もう一回やるわよ」
「あぁうん。もうしな――ん?え?」
「だから、もう一回やるの」
「……舌入れるのなしなら」
「そ、そんなのわかってるわよ!えっち!」
「えっちなのは日結花ちゃんかと」
「違うもん。別にあたしは普通だし」
逸らした顔を突き合わせて、そっちがこっちがと言い合う。何回か繰り返して、すぐに笑顔に変わった。だって、もう全部顔に出ちゃってるんだもん。
「ふふふ、もう、郁弥さんってば顔すっごく赤くなってる!」
「あはは、日結花ちゃんの方こそ顔真っ赤だよ?」
「お互い様ね」
「だね」
「それじゃ、続きしましょ?」
「いいよ。しようか」
にこりと微笑んで続きに付き合ってくれる郁弥さんはやっぱり優しい。あたしのこと大好きで、あたしもこの人のこと大好きで、こんな恥ずかしいやり取りだっていくらでもできちゃうくらいに好き。お部屋のお食事でよかったなぁって、今になってしみじみ思う。
スープを口に含みながら、今度はこぼさないようにそっと柔らかく口づけを交わす。優しいちゅーに照れくさくなって目をつむっちゃったのはあたしたちだけの秘密ね。




