31. 湯上り小話
寒い地方のお風呂が熱いとよく聞く。それは単純に、外の気温が低く温度の低いお湯だとすぐ湯冷めしちゃうからだって、そんな風に思った。実際にどんな理由があるかはわからないけれど、ちょうどその寒い地方で熱いお湯に浸かっていたあたしが思ったのだから、あながち間違いじゃないのかもしれない。
たっぷりと恋人らしくいちゃつきながら混浴を楽しみ、お夕食の時間を気にしてお風呂を出た。急いで身体を拭きながら時間を確認すると、十七時四十分を過ぎたところ。思ったよりは余裕があり、それでも時間が有り余っているとは言えない時刻だった。なにせお夕食は十八時からだもの。
そうは言っても、時間に余裕があるとわかって一安心したのも事実。急がせていた手を緩めて恋人との会話を楽しませてもらうことにした。
「時間、よかったわね」
「だね。もっとぎりぎりかと思った」
「ふふ、あなたが物足りないって言ったから?」
「……そうです」
「んふふ、そっかー」
お風呂で温まった身体も、長時間冷たい空気にさらされていればすぐに冷えてしまう。話をしながらも全身の水気だけはさっさと取り去ってしまった。
「ええと、それはそれとして。日結花ちゃん化粧水貸してくれる?」
「ん?ええ、どうぞ」
「ありがとう」
あたしよりも手早くお着替えをして、既に半袖のインナーとパンツを履いた恋人さん。さっきまでの全裸に慣れて物悲しいようなほっとするような、なんとも言えない気分になった。
化粧水を手渡しながら見つめていると、視線に気づいたのかこてりと首を傾げて聞いてくる。
「どうかしたの?」
「う、ううん。なんでも」
「?それならいいけど。日結花ちゃんも早く服着た方がいいよ。風邪ひいちゃうから」
「……なら、抱きしめてくれてもいいのよ?」
言っておいて、自分で何を言っているのかよくわからなくなった。バスタオルで胸元から下まで隠しているとはいえ全裸は全裸。対して相手は下着姿。普通男女逆でしょ、こういうの。
「ええ……。いやまあいいけど」
「あ……え、えへへ。あったかい」
「お互いお風呂出たばかりだからね」
「……郁弥さん、ドキドキしてる」
「……そりゃ、僕も男だし。日結花ちゃんだって」
「……うん」
「……」
「……」
ぎゅっと彼の身体に包まれて、とくとくと心臓の鼓動が伝わってきて。すごく夢心地な気分になった。
「……さ、そろそろ服着よう?」
「ん………えへへ。ありがと」
言葉少なく、そそくさと服を着ていく。キャミソールはさっきまで着ていたのと同色で白。ショーツの方は色違いで薄青のもの。同じくフレアショーツなので、これがずいぶんと可愛い。自分で言うのもなんだけど、我ながら可愛い下着を選んだものだと思う。
ちらりと横を見れば、ぱぱっと化粧水を顔につけて浴衣を着ている郁弥さんの姿が目に映った。横から化粧水を取って自分にもつけて、とりあえずの保湿としておく。どうせまたお風呂に入るので、他のお手入れは今はしない。ちなみにどうして郁弥さんがあたしと同じものを使っているかと言うと、特に意味はない。どっちかの家にお泊まりするとき化粧品の話になって、じゃああたしの共用で使っていきましょとなっただけ。そんななので、実は彼の家にはあたしの使う化粧品が色々置いてあったりもする。いわゆる"女の気配がする"というやつ。ドラマとか映画でよく見るやつね。なにげに優越感を持ったのは内緒。
「あ、そうだ郁弥さん」
「うん?――っと、まだ下着?寒くない?」
少し時間を置いてふわふわとした気持ちも薄れ、話したいこと、というか見てほしいことがあって声をかけた。
もっと照れたりするかと思ったけど、あたしの予想と方向性が違い過ぎてちょっぴり不満。でもそれはお風呂であたしも彼もいっぱい見て見られたからと納得はいく。それに、第一声が心配っていうのも彼らしくて嬉しいから不満も何もなくなった。
「どう?可愛いでしょ?」
「……なるほど。さっきは恥ずかしくてまともに見られなかったからか」
「そんなとこ。どうどう?可愛い?好き?」
こんなとき、こうやって正面から感想を聞けるのがこの人のいいところの一つだと思う。郁弥さんが恋人でよかったーって。だって、こんなやり取りしてる恋人同士ってあんまり聞かないでしょ?
「……うん。可愛いよ。いいよね水色。ピンクの方が日結花ちゃんには似合ってたけど、水色も好きだな。すごく可愛い」
「えへ、えへへぇ」
じーっと見られてほんのり頬が熱いのと、さっきのパンツもしっかり見てくれていたのと、にっこり笑顔でいっぱい褒めてくれたのと。嬉しくて恥ずかしくて幸せで顔がとろけちゃった。
「いくやさーん!」
「お、っと。どうかしたかいお姫様?」
「えへへー、抱きしめてほしいなぁー」
「お任せを」
なんて言いながら、わざわざ浴衣の帯を緩めて服であたしを包んでくれた。まだまだ湯冷めはしていないけど、それ以上に暖かくて人肌の温もりも相まって心地よさ抜群だった。
「郁弥さん好きー」
「僕も好きだよ。好きだから服着ようね」
「……ねえ、冷めたわ。冷めちゃったわよ?いいの?あたし冷めちゃったわ」
いつもだったらもうちょっと好き好き言い合う頭の緩いやり取りが続くのだけど、今日はちょっと違った。さらっと流されて、まるであたしだけ一人で浮かれているみたいで恥ずかしくなった。
「今も抱きしめたままなんだからそんなこと言わないでよ。日結花ちゃんだって離れようとしないし、本当に冷めた?」
ごねて適当言ってたら、普通にばれててなんとも言えない。なにより郁弥さんからのあたしへの心配がひしひしと伝わってくるせいで何も言い返せない。
そろそろ、真面目に服着ましょうか。
「……いいわ。そこまで言うなら服着てあげる。感謝しなさいよね」
「あはは、うん。ありがとう」
「ただし、このままお着替えするから」
「……ん?」
「くすぐったいのは我慢するのよ?」
「……りょうかい」
恋人の腕が少し緩んだところで隙間から手を伸ばし、浴衣を手に取る。狭い空間で身体を動かして浴衣の袖に手を通す。羽織って前を閉じて押さえて帯をくるりと回して。前から後ろに通して身体の前で蝶々(ちょうちょ)結びをすれば完成。後ろで浴衣を持って待っている人にぶつかったり当たったりしたような気がするのは気のせい。
浴衣の着方なんてそんな細かく考えなくていいのよ。深く考えるから時間も手間もかかるのであって、シンプルにやればすぐ終わるの。覚えておくのは衿を右、左の順番にすることくらい。
「……終わった?」
「ん、たぶん大丈夫。もういいわよ」
「へい」
適当な返事をする恋人を置いて、脱衣所にあるちっちゃな鏡で浴衣を確認する。見た目問題なく、ちゃんと衿も上手くできていた。
これがちゃんとできていないと胸元が見え隠れして大変って聞くものね。あたしはそんな経験ないけど。胸が大きいと着るのが手間って聞いたわ。
すっと視線を落として"それ"とは無縁なことに一人寂しさを感じる。いくらこの世の誰よりも素敵な恋人がいて、その恋人が自分の"それ"を含めて好きだと言ってくれているとしても、やっぱり胸のサイズには思うものがある。便利だと思う反面、寂しさもある。
「……はぁ」
「ため息なんてついて、どうかした?」
「……郁弥さん」
ついつい、世の無常さに想いを馳せていたら横から声が届いた。返事代わりに名前を呼ぶと、"うん"と頷いて微笑む。好き。
「郁弥さん。かっこいいわ」
「え、あ、ありがとう」
浴衣に丹前まで着た恋人さんはかっこよかった。髪の毛はオールバックから普段通りに眼鏡君も元通り。なのにそれがまたどうしてか浴衣と相まって知的な雰囲気を醸し出している。ぽやぽや郁弥さんからぽやきら郁弥さんになっていた。
「日結花ちゃんも可愛いよ。髪の毛濡れてるから早く乾かしてあげないとね」
「ふふ、そうね。お部屋に戻りましょ」
彼の短い髪と違って、こっちは自然乾燥だととてもじゃないけど乾かない。ここにドライヤーはないので、乾かすのはお部屋に戻ってからになる。今は髪が垂れないようにヘアゴムで軽くまとめてお団子にしておいた。
忘れ物がないかだけチェックして脱衣所を後にする。手を繋いで二人仲良く、外気の冷たさなんて感じないくらいに心も身体もぽかぽかだった。……ううん、やっぱり冷たいわ。特に足。早く足袋を履くわよ。




