30. 改めての混浴
場の空気、雰囲気に流されてしまうことは多々あると思う。その中でも大きな比重を占めているのは"誰と"になると思う。もちろん場所が大事とか、雰囲気が大事とか、お互いの気持ちが大事とか、いろんなことが絡み合ってにはなると思うけど。あたしとしては、誰と一緒にいるかが大事だと……思う。個人的にはね。
つまりの話、あたしが大好きな人(当然恋人的な意味で)を相手にして時間も場所も全部忘れてキスにのめり込んじゃったのも仕方ないんじゃないかってこと。
「「……はぁ」」
自分に言い訳しながらため息ついたら、タイミング同じに隣から重い息が聞こえてきた。
すーっとお風呂の水面から視線を移し、お隣の恋人さんを見る。目が合った。すぐ逸らされた。ていうかあたしも逸らした。顔熱い。
「……日結花ちゃん」
「ひゃぃ……。き、聞かなかったことにして!」
「う、うん」
「それで?な、なに?」
二人してぎこちなさが半端じゃないことになってる。目を合わせるだけで恥ずかしいのは久しぶり。
「ええと、なんだろう。なんていうか、さっきのことだけど……」
「さっき……。ええ、さっきね。それが?」
できるだけ動揺を抑えて聞き返す。未だに尾を引くドキドキを抑えようと胸に手を置くと、それがまた別の意味で心臓を跳ねさせた。
ほんのちょっと長めに普段とは違うキスをしただけなのに、こんないろんな意味でいっぱいいっぱいになるなんて思ってもみなかった。自覚すればするほど羞恥が大きくなってきて、それとなく身体を隠すように腕を動かした。
「その、嫌だった?」
「そんなの――」
まったく見当違いのことを言われて、すぐに隣との距離を詰める。羞恥心とかはまだたくさんあるけれど、そういうのはいったん忘れた。郁弥さんの赤みの強い顔を見て、肩を掴んで無理やり目を合わせて言葉を続ける。いろんな感情がごちゃ混ぜになっているのを彼の瞳から感じた。
「――嫌なわけないに決まってるじゃないの、ばか」
あたしの声を、言葉を聞いて、ぱっと瞳が輝く。迷いとか罪悪感とか、そういう類の気持ちがなくなったんだと思う。
本当に、どこまでも真っ直ぐでわかりやすい人。表情からもわかるし、目の色からもわかっちゃう。まったくまったく。ほんとにもう。おばかさんなんだから。
「ちゅ」
「っ!ど、どうして今!?」
「ふふ、べっつにー。なんとなくよ、なんとなく」
かるーくちゅっとね。触れ合うくらいのちゅーしちゃった。ちょびっと恥ずかしい。
さっきあれだけちゅっちゅちゅっちゅと、あたしたち基準ではかなり濃厚なキスを交わしたっていうのにね。こんなほんの一瞬触れるくらいのキスで顔真っ赤にしてあせあせしちゃって。もー可愛いんだから。
「ね、郁弥さん。それよりね?」
「うぅん……うん、うん。いいよ。なに?」
まだまだ納得がいっていないようで小さくうなりながらも、一度ぎゅっと目をつむって返事をくれた。そうそう、切り替えは大事よ。
にこりと笑いかけ、浴槽の木枠?手すり?に置いている彼の手に自分の手を重ねる。
お風呂で色々と夢中になって、もともとお湯が熱いこともあってかゆだりそうになってしまったので、今は二人して足湯みたいに木の枠に腰かけていた。さっき距離を詰めたこともあって、ちょうどすぐ横に手が置かれていて助かった。だいたいいつもそうだけど、今も手を繋ぎたかったところだから。
「郁弥さん、浮かれてたでしょ?」
「それは……。まあ、うん」
上目に見つめれば、どこか気まずそうに瞳が揺れる。重ねた手はしっかり手のひらを合わせて恋人結びにしてくれた。完璧な対応に自然と頬も緩む。
「やっぱりねー。だってすっごく積極的なんだもん。びっくりしちゃった」
「日結花ちゃんも結構攻めてきていたと思うけどね」
「ま、まあねー。あたしもその……したくなっちゃったから」
「ぬぐっ……」
「なによその変なうめき声」
「いやなんでも。惚れ直しただけだから気にしないで」
「ほ、惚れ直しただなんて。もう、ばか。好き」
なんか誤魔化された気もするけど、嬉しい気持ちでいっぱいだからどうでもいいや。郁弥さんも調子戻ってきたみたいだし、混浴しましょ混浴。
ぐいぐいと手を引きながら"もうちょっとお風呂入りましょ"と声をかけてお湯に身体を沈める。今度は気持ちも落ち着いていて、のんびりぼんやりと温泉に浸かる。
「なんかさ」
「んー」
「さっきお互いの髪の毛洗ったよね?」
「うん。あたしは流しただけだけど」
「どんな気分だった?」
「んー?あたしがあなたに洗われて、ってこと?」
「うん、そう」
相変わらずお湯熱いなぁって考えてたら聞かれた。ついさっきの気分を思い返してみれば。
「気持ちよかった」
「そっかぁ」
「ちょっとくすぐったいのもあったけど」
「ごめんね?」
「ふふ、別に謝るほどのことじゃないわよ。それよりあなたはどうなの?あたしに髪の毛洗ってもらって」
「気持ちよかったよ」
「そ。ならいいわ」
爪もちゃんと切ってるし心配とかはしてなかったけれど、やっぱりそう言われると嬉しいものがある。
美容師の人もこんな気持ちだったりするのかなぁ、なんて。でもま、あの人たちはお仕事だものね。好きな人とどうこうって言うのは違うかも。
「人に髪の毛洗ってもらうのって気持ちいいよね」
「ふふ、そうね」
「……あ」
不意に声をあげる恋人がいたので、首を緩く動かして隣を見る。こちらを見ている瞳とばっちり目が合った。ぱちぱちと瞬く瞳に"どうしたの?"と首を傾げて問いかける。
「ええと、今時間ってどうなのかなぁと」
「……ふむ」
時間か。時間って言ったらあれよね。ご飯の時間のこと。ここに来たのが五時くらいで、お夕食の時間が六時。もともと一時間もないのはわかってたわ。で、問題はそこから。髪洗ったり身体洗ったりは言ってもそんな時間かかってないと思うの。お風呂入って、いちゃいちゃし始めてからが問題。時間のことなんて頭の中にかけらも残ってなかったし、なんなら今言われるまで考えてもいなかった。どれだけ経っているかなんて見当もつかないわ。
「もう出る?」
さすがにお夕飯に遅れるのはよくないし、ご飯のこと考えたらお腹空いてきたし。出るなら出るで悪くない気はする。いちゃいちゃとか混浴とか、そういう意味合いでの楽しみなら……うん、もうお腹いっぱいだもん。
「うーん……」
あたしが一人満足感に浸っていたところで、郁弥さんは珍しく口をもにょもにょとさせて眉を下げて悩んでいた。
「どうしたの?もうちょっとあたしとお風呂入っていたい?」
するーりと腰を浮かしてお湯の浮力のままに彼の近くへ移動する。手は繋いだまま、ぐっと距離を詰めた。流れで恋人の肩に頭を寄りかからせた。自然と、違和感なくね。
「……うん」
「あ、あら」
こくりと頷いて、さわさわと頭を撫でてくる。まさか本当にもうちょっとあたしと一緒にお風呂に入っていたいかで悩んでいたとは思わなくて、こちらの調子が崩れる。
首を動かして恋人さんの顔を見たら、そこには少し恥ずかしそうに、だけど柔らかな微笑みが浮かんでいた。
「僕、日結花ちゃんのこと好きだからね」
「……んぅ、そんなの知ってるわよ」
しっとりと湿った手で撫でられて、いつもとはちょっと違った感触がする。湿ってるどころか濡れてるくらいなんだけど、あんまりそれも気にならない。それよりも、突然の告白に心臓が跳ねた。"好き"とか言われるのももう慣れてきたと思ったのに、全然そんなことなかった。こんなの絶対慣れるわけない。
「好きな子とお風呂入るの幸せだなぁって、今さらながらすっごく思っちゃったみたいでさ。時間が危ないような気もしなくはないんだけど……もうちょっとだけいいかな」
「ん……仕方ないわね。このままでいてくれるなら、許してあげる」
「うん。ありがとう」
ふいっと目の前の笑顔から顔を逸らした。身体の力を抜いて、彼に支えられるままにする。
相変わらず温泉のお湯は熱くて、それ以上に今は頬とか耳が熱くて。気恥ずかしいのを抑えながら、やんわりと撫でてくる優しい手の温もりにこっそりと口元をほころばせた。




