29. 洗体からの混浴
入浴の機会というものは、日本に住んでいればよくあるものだと思う。自分の家、銭湯、観光地の旅館、などなど。山が多く温泉地も多い日本という国では、それだけお風呂に入る機会にも恵まれている。入るかどうかは本人次第にしても、わざわざ温泉を目当てに旅行をする人がいるくらいにはお風呂文化は盛ん。事実、あたしも温泉旅行と銘打ってここに来た。恋人連れで。
そう、重要なのは"恋人連れ"という点。
どこの温泉もそうとは言わないけれど温泉旅館に泊まる場合、高確率で貸切風呂が存在する。無料なところもあれば有料なところもある。今回泊まる銀山温泉の銀泉花さんは無料な貸切風呂なので、存分に混浴を楽しむことができる。
もう一つ大事なことがあった。"混浴"。これ。
恋人と二人っきりで嬉し楽し恥ずかしな旅行をらぶらぶしながらするのだから、混浴をしないという選択肢は存在しない。一緒にお風呂に入らない恋人は恋人じゃないと、どこかのあたしが言っていた。
小難しく考えるのはこの辺りでやめておこうかしら。これからするのは彼氏さんの洗体なわけだし。ま、ついさっき身体を洗われたからそれをやり返すだけなのだけど。
「しかしあなた、ほんとに身体ばーんってしてるわね」
「ばーん、って。どういう表現?」
「え?んー、こう、ばーんって出てくる、みたいな?」
「もうちょっと簡単にすると?」
「あたしより大きいなぁって」
「あはは。そりゃ男ですから」
楽しいか楽しくないかで言えばかなり楽しい部類のやり取りをしながらボディソープを手に垂らす。タオル?使わないわよそんなの。郁弥さんだって素手だったんだし、あたしも素手でやるわ。直接お肌に触れた方がドキドキ度があるって、それくらいはあたしも知ってるもの。
「背中からやるわね」
「うん」
ここでボディソープを自分の身体や相手の背中に塗りたくって、抱きついて身体(特に胸)を使って洗うとかいうテクニックは持っていないのでやめておく。というか、そんな恥ずかしさの極限みたいなことはできない。考えただけでちょっと顔熱くなったくらいだし、普通に無理。だいたい、そんな洗い方したってしっかり身体洗えないわよ。手のひらとか指の腹でやるから良い塩梅で洗えるのであって、上手くコントロールもできない胸なんかでやったって洗えなんかしない。胸の大きさは関係ないわ。そこは断言できる。特に根拠とかないけど。
「冷たくない?」
「全然平気」
「そ」
背中を手で押してぐいぐいとボディソープを広げていく。背骨に沿って左右へ広く、広く、と。
「……」
こうやって郁弥さんの背中触れてると、やっぱり男の人だなぁって思っちゃう。さっき手を繋いだときだって、あたしより手のひら大きくて指も長くて。いつもあたしを包み込んでくれる安心感が、この背中から広がっているんだと思うと、なんだか嬉しくなっちゃう。
あたし、本当に郁弥さんのこと好きなのね……。
「?日結花ちゃん?」
「んー、なあに?」
「や、手が止まってるから……」
「あぁ、ふふ。ごめんね、あなたの背中が広くて実感しちゃってた」
「え、えっと、何を?」
「あたしが郁弥さんのこと好きだなーってこと」
「それは、ありがとう?でいいのかな」
「うん。それでいいわよ」
困りがちな恋人さんには軽く言葉を返し、止めていた手の動きを再開する。
背中全体を洗い終え、首に触れ、後ろから前へと両手を滑らせる。無防備過ぎる姿に途方もない信頼を感じて変な気持ちになりそうだった。人の首を手のひらで包むなんて、そうそうするもんじゃないわね。いろんな意味で怖くなってくるもの。
胸の奥から込み上げかけた気持ちは抑え込んで、手を動かし肩へと移る。触れて、わかりやすい筋肉の張りについ口元が緩んでしまった。
「やっぱり郁弥さんって筋肉つきやすい?」
この人、服の上から触ってもよく膨れていたのよ。ぴちぴちってわけじゃなくても、シャツとか着ると二の腕がぴったりだったり。サイズ小さいわけでもないから筋肉の影響なのは丸分かりで。筋トレの量もそうでもないって聞いてるのにこれなんだから、体質なんだとは思う。
「うん。言ってなかったっけ?僕、筋肉つきやすいし太りやすいんだよね。骨格からして太い家計なんだよ。骨折とか一度もしたことないくらい」
「ふーん……。だからお腹はぷにぷになのねー」
なんか前にも似たような話を聞いたような覚えがある。でも骨格がどうのは初めてかも。
「ふーん……ふーん…………」
いいわね、筋肉って。あたし全然ないからより興味がある。こう、ちょっとだけ弾力のある固いお肉みたいな。いやまあ筋肉だからお肉ではあるんだけど。自分にないものだから結構触っていて楽しい。
「……もうそろそろいいんじゃないかな」
「あ……うん。ちゃんと洗うわよ?全然筋肉に気を取られたりなんかしてないからね?」
「……うん。日結花ちゃんが楽しいならなんでもいいよ」
後ろから触ってるから表情は見えないけど、郁弥さんが菩薩みたいな顔してるのはわかる。この人、呆れがあっても本気であたしが楽しければ無限に時間使ってもいいって考えちゃう派の人間だから。嬉しいけど、逆にちゃんとしなきゃってなる。
とりあえず左腕の肩から先はさらさらと洗い、手のひらまでたどり着く。手を開き、指と指を擦り合わせるように動かした。
「あははっ、くすぐったいよ」
「ふふー、さっきのお返しよ」
指同士のじゃれあいの途中で、ぬめる指が滑って隙間を埋める。組み合わせ、貝殻みたいに蓋を閉じる。キュンキュンと胸の奥が疼いた。いちゃいちゃ度が高くて脳によくない。頭とろけちゃいそう。
「ふふ」
「えへへぇ」
親指、人差し指、中指、薬指、小指。
一本洗うごとに毎回手を繋がないといけないせいで、片手を洗うだけで異常に時間がかかった。
別に繋ごうとして繋いだわけじゃないのよ。気づいたら手のひらぎゅってしてて離れられなくなってるの。不思議だわ。
おかしな状況を楽しみつつ、左腕から右腕に移る。案の定同じことが起きてあたしは幸せだった。
背中側と両腕はおおよそ終えて、身体の前面をやる前に脇腹へ手をやった。ふにふにぷにぷにと、手を滑らせてつまんで揉んで、これが柔らかくてなかなか楽しい。
「うぐ、精神的ダメージとくすぐったさが同時にっ」
「ふふ、あたしは全部好きだけどねー」
筋肉質な部分もぷにぷにな部分も、全部好き。全部ひっくるめて郁弥さんだもん。全身贅肉とか全身筋肉になったらちょっと考えるけど、現状なら別になんとも。むしろ好き以外にない。とっても好き。
「それは嬉しいけど、君の好きに甘えてると堕落しちゃいそうだからなぁ」
「んふふ、適度に堕落してね、適度に」
「りょうかいです」
「じゃあ、そろそろ前の方も洗わせてもらうわね」
返事は待たず、ささっと後ろから手を回して身体の前面を洗っていく。胸は特に言うこともなくさらっと。胸筋にはちょっぴりときめいたけれど、気持ちはぐっと堪えた。ぷにぷにの可愛いお腹を抜けて、たどり着いた場所はデリケートゾーン。
「……ふむ」
「いや、ふむじゃないから。そこはやらなくていいからね。僕もやらなかったでしょ?」
「それはそうだけど、あたしと違ってあなたのは露出しているじゃない。見てないからよくわかんないけど」
「見てないならやらなくていぃぃい!?」
突然悲鳴のような声をあげた恋人は置いておいて、あたしとしては興味と羞恥と他いろんな気持ちが混じって、言い換えれば変な気分になっていた。
先ほど彼があたしの胸に触ることを躊躇しなかったように、あたしも彼に触ることを躊躇しなかった。触れてしまえば案外"こんなものか"といったもので、さらさらと全体像を文字通り掴みながら洗っていく。知識としては知っていても現物は知らなかったので、目で見ず触っているだけでも結構な衝撃がないこともない。
柔らかいとか柔らかいとか柔らかいとか。ふにふにとした柔らかさ満載で、なだらかな起伏もすべて柔らかいまま。
「思ったより柔らか――ん、これ」
「うおおお!!これ以上はだめ!これ以上どころか本当はそれより前もだめだったけどね!!」
「……そ、そうね。ええ、わかったわ。し、仕方ないからこれで許してあげる」
「……ちょ、ちょっとだけあっち向いててもらえる?」
「ご、ごめんなさい。すぐ向くわ!」
何があったかというか、なにがあったかというか。先にシャワー借りて手と身体についたボディソープだけ洗い流させてもらって、言われた通り振り向く。
なんていうか、あたしも知識としては知ってるのよ。男の人が精神的に興奮すると生理現象として身体に変化が起きるって。直接的な表現は恥ずかしいし控えるけれど、つまりそういうこと。
郁弥さんの瞑想のために他所向いたのはいいんだけど、よく考えたら彼に振り向かれるとあたしがお尻をそのまま見られちゃうってことに繋がるのよね。隠しようにもタオルないし、見られて困る身体じゃないにしても恥ずかしいのは変わらないし。
「……」
なんだか恥ずかしくなってきたので、もう一度振り向いておいた。視線の先にはシャワーで身体の泡を流す恋人さんがいる。
そもそも郁弥さんが見ないでって言ってきただけで従わなきゃいけない理由はなかったわ。
先ほどまで浴びていたシャワーと温泉の蒸気で寒さはあまり感じない。それでも全裸で立ち尽くしていると徐々に寒くなってくる。
と、いうよりも。なんであたしってお風呂入ってないのかしら。
「郁弥さん、先に入るわよ」
「うん、どうぞどうぞー」
洗いっこは終わったし遠慮する必要もないので、先に入らせてもらうことにした。
浴槽は檜らしき木で囲われている。お湯は無色透明。若干暗い色な雰囲気もあるけれど、触れて掬ってみればそうでもなかった。温泉成分の関係でちょっとした色味があるのかもしれない。そういえば、お風呂の入口に温泉成分に関する表があったような気もする。
部屋の角、浴槽の奥側に湯口があって、そこからお湯が流れてきている。これが源泉かけ流しというやつなのかしら。詳しく知らないけど、たぶんそう。
「……んー」
結構熱い。触ってみてすぐわかった。このお湯熱い。普段入るお風呂よりは絶対温度高い。でも匂いは悪くないのよね。硫黄というか、温泉特有のあの感じ。
いっきに入ると熱さで大変そうなので、お湯を手で掬ってー―。
「あれ」
手でぱちゃぱちゃしようとして気づいた。普通はここで湯桶を使う。でもない。浴槽の周りには見当たらない。
振り返り、まだ気を静めて精神統一していた恋人に声をかける。
「ねえ郁弥さん。湯桶ない?」
「ん?あぁ、これかな。はい」
ちょうど彼の身体で隠されていたのか、すぐに渡してくれた。渡されてから、さっき座って洗ってもらっているときに湯桶が目の前にあったような記憶が脳裏をかすめる。もう終わったことなので"ありがと"とだけ伝えて浴槽のお湯を身体にかけていく。
足から順にお腹と胸と、最終的には肩からかけた。それからゆっくり足をお湯に差し入れ、熱さに耐えながら身体を沈めていく。一度肩まで沈めて、すぐゆだってしまいそうだったので少し身体を上げた。お湯に浸かったままなのは胸元まで。あたし的にはこれくらいがちょうどいい。
「郁弥さんまだー」
「今行くよー」
きゅっとシャワーが止まり、軽く髪をかきあげた"あたしの"彼氏さんが眼鏡を拾ってこちらへ向かってくる。
「お待たせ。お湯熱い?」
「結構」
「そっか。……うわ、本当だ。熱いな」
タオルはたたんで何一つ隠さずに歩いてきたから、もう本当に色々見えていた。見えていないものがないくらいに全部見えていた。その辺のこと言いたかった、というか言うつもりだったのに。
「日結花ちゃん?」
「な、にゃに?」
「噛んでるけど……」
「なんでもないから」
軽く湯桶で身体を流して、すぐに隣へ入ってきた恋人の顔を見て何も言えなくなっちゃった。
なんでこんな動揺しているかって、そんな言うほどのことがあるわけじゃない。ただ単に、郁弥さんが髪の毛後ろに流してオールバックみたいにして眼鏡外しているだけ。これだけ。本当にこれだけなのに、もうお風呂の熱さどころじゃないくらい顔が熱くなってドキドキした。
俗に言うギャップ萌えとやらにあたしはやられてしまったらしい。好きな人がいつもと違う雰囲気で(しかも全裸で)いるんだから、それにドキドキするのは当然と言えば当然かもしれない。でも、それにしたって破壊力が大きすぎる。恋に落ちるとは、まさにこのこと。
あ、でも当の昔に恋には落ちてるから違うかも。正しくは愛が深まったってところかしらね。
「なんかあれだね。そう広いお風呂じゃないから四人くらい入ったらいっぱいになっちゃいそうだね」
「そ、そうね。でもあたしたちは二人だし、別にこんな近くじゃなくてもいいんじゃないかしら?」
こんな肩が触れ合っちゃってる距離だとあたしの心臓が持たないから離れてほしい。いやでも離れてほしくない。これで距離取られたらそれはそれで寂しい。……もう、全部郁弥さんに任せましょ。
「あはは、それはそうだけど。僕は日結花ちゃんの隣がいいな。手も繋げるし、嫌なら」
「や、じゃないからっ」
「……うん、ありがとう」
つい食い気味に伝えたらお礼を言われた。優しい笑みが眩しくてくらくらする。まだゆだってるとかじゃない。そこは大丈夫。この感覚はいつも通りに好きすぎて胸がいっぱいみたいなやつだもん。
内心でぽやぽや考えていたら、そっと肩に手を置かれた。びくりと震える。
「んぅ、な、なに?」
「ううん。ただ……」
お風呂のせいか、いつもよりお互い体温が高くて熱い。身体も心も熱くて、見つめる瞳までも熱く感じる。
"ただ"の言葉の続きはなくて、そっと、そっと郁弥さんとの距離がなくなっていく。熱に浮かされたような気持ちのままゆっくりと目を閉じる。
「――ちゅ」
そんな音が耳の奥で響いた。触れて重なったはずの唇はすぐに離れて、目を開ければすぐ近くに大好きな人の顔がある。本当に"それ"があったのかわからないくらいで、燃えるように熱く柔らかな感触だけが唇に残っている。
「もう一回」
自然に声が漏れていた。自分の声とは思えないような甘い声。
言葉が届いたからか、彼もそう思ってくれていたからか、あたしの肩に添えていた手が動いて背中に回される。片手はお湯から出て、もう片方の手はお湯の中に。軽く優しく力が込められて、引き寄せられるままに身体を近づける。あたしも目前の恋人の背に手を回して、お湯に照らされて熱くなった身体に身を寄せた。
「……もういっかい」
触れて、押し付けて、離れて。
「もうい――ん……っ」
言葉に出す前に口をふさがれた。ただ触れるだけのキスじゃなくて、そっと押し合うように、甘嚙みするように。重ねて、交わして、ほんの少しだけ大人の口付けを繰り返す。何度も何度も、お互いの身体を抱きしめて想いのままに愛の交換をした。




