27. 脱衣所にて
冬。屋内だから暖かいと言い切るのは間違っていると思う。理由は単純に、今この瞬間あたしがそれを現実に味わっているから。
場所は山形県。季節は冬。十二月の半ば、外ではガス灯に照らされた雪が光を反射してきらめいている。
あたしと郁弥さんの新婚旅行ならぬ初恋旅行は、山形県の銀山温泉だった。
銀山温泉の旅館、銀泉花の中は外ほどとはいかなくとも寒かった。部屋はまだしも廊下や階段は普通に寒い。年季の入った木造建築なだけはある。
部屋を出て、下り階段の左横にある登り階段を上り、場所は三階のお風呂入口前。階段は螺旋状になっていて、あたしたちの部屋からちょうど百八十度回る形で三階に上がった。三階は左手にお風呂、右手にお部屋と、この階にも泊まることはできるらしい。
三階から見える景色は二階と違っていそうで気にはなるも、今はお風呂の方が大事なので流し見するだけに留めておいた。お風呂は貸切風呂が二つある。三階左手をさらに直角に左へ曲がり、奥側にすりガラスの引き戸、手前に障子の引き戸と聞いていた通り並んでいた。また、これも聞いていた通りドアの枠に札がかけられていた。
"空いてます"と"貸切中"。
手前が空き、奥が貸切中の札になっていて、奥のドア横上には説明として"左の板を貸切中にして下さい"との文章があった。札にはそれぞれシャワーのありなしも書かれているので、一目でどちらがどちらかわかるようになっている。
幸運なことに、手前にある障子戸のお風呂はシャワーありとなっていた。もう片方が貸切中なので、運がよかったとしか言いようがない。
お隣の恋人さんと目を合わせて頷いた。
「これが天運って言うのよ」
「ほー」
「……ばかにしてる?」
「ううん、可愛いなぁって思ってる」
「ならよろしい」
頭のとろけそうな話をしつつ、"空いてます"の札をひっくり返して"貸切中"にする。内心かなりわくわくしながら障子戸を開け、もう一つ出てきたガラス戸も開ける。そして震えた。
「さっむ」
「うわ、さっむ」
後ろでドアを閉める恋人を待ち、閉め切ったところで抱きついた。
「抱きしめて」
「いいけど、ここにいたらずっと寒いままだよ?」
それを聞き、惜しみながら体温を手放した。すぐに冷気が全身を襲ってきたので、急ぎスリッパを脱ぐ。どうやらここでスリッパは脱がなくちゃいけないようなので、ちゃんとルールに則ってスリッパは脱がせてもらった。
ついでに靴下も脱ぐみたいだけど、あたしはタイツなのでやめておいた。
「ひぅ」
「うぁ、さすがに冷たいっ」
「郁弥さん郁弥さん!」
「はいはい!」
「抱っこして!」
「無理!!」
「なんで!?」
「階段狭いからね!早く行って!」
床の木板が意味わかんないくらい冷たくて変な声が出ちゃった。タイツ越しなのに冷たすぎる。
いい感じに抱っこして連れていってもらおうと思ったら普通に拒否されて背中を押されたので、ドアを抜けて左側に続く階段を急いでゆっくり上っていく。滑るから危ないしゆっくりとね、と注意書きがあったので急いでゆっくり上がる。矛盾はしていない。
階段は四段ほどと短く、そこから右に曲がると左手前方に通路が続いていた。道先では明かりが漏れ出していて、ドアは開きっぱなしになっていた。
どうやらここが脱衣所らしい。
「ち、ちめたい……」
「お、今の可愛い」
「この床マットが冷たくて噛んだの!なんであなたはそんな余裕あるのよ!?」
「僕はそこ踏んでないからね」
「むぅぅ!」
開けっ放しのドアは入ってすぐのところに床マットが敷かれていて、真横、というか入口から右隣がお風呂への入口になっているらしい。引き戸の上の方に"床が滑りやすいのでお気をつけください"と注意書きがあった。
脱衣所はそれなりに広く、形で言うと長方形。一番手前が外からの入口で、入ってすぐ右にお風呂への扉。真っ直ぐ行くと脱衣かごがあって、途中お風呂のドアに沿うように小さいながら洗面所もある。人が四人か五人は並んで立てる幅があった。奥行きはもっとあるので、二人で入るのには十分すぎる脱衣所だった。
「……」
「……」
脱衣かごに服を入れたエコバッグを置き、なんとなく気まずくてちらちらと恋人と目を合わせたり逸らしたりする。
何を隠そう、これからするのはお風呂に入るという行為。場所の名前からもわかる通り、脱衣をする。脱衣。服を脱ぐこと。
別に彼、郁弥さんに裸を見せることへ抵抗があるわけじゃない。裸くらい見せたことはあるし見たこともあるし……。ただ、そのときは家のお風呂でお互いちゃんと見たりとかはしていないわけで。言ってしまうと、ちゃんと意識して全裸を見るのは初めて、になるのかもしれない。
色々こんがらがってきたけど、要は大真面目に全裸なんてあたしも郁弥さんも見せたことないのよね。ちら見せくらいなのよ。ちら見せくらい。
「よし、脱ぐか」
「だ、大胆ね」
「恥ずかしがっていても寒いだけだし、時間もそうないからね」
「……………ん」
「今かなり悩んだ?」
「だって……ううん、いいわ。あたしもお着替えする。あっち向いてて」
「ええ……。いやまあいいけど」
彼の言うことももっともなので、そそくさと服を脱ぎ始めた。隣の恋人さんには壁の方を向いてもらった。あたしは別にお風呂側の壁を見たりせず、普通に脱衣かごの方を見る。隣からの不満そうな声はなく、困りがちなのは郁弥さんによくあることなので気にしない。
一瞬どこから脱ぐか迷って、ちらりと横に視線を向けた。そこにはぱっぱと脱いでさくさくかごに服を入れている恋人さんがいたので、あたしも急いで脱ぎ始める。
「あれ、そういえば郁弥さん」
「うん?」
「あなたって上何枚着てる?」
「三枚だね。あと外だとコート着てたから四枚」
「ふーん……」
「どうかした――って、ぐ、う、な、いや。うん。うん、そりゃそうだよね」
「んぅ?何が――あぁ、そう。ふふ」
ヘンテコに動揺を重ねている人がいたので、くいくいとインナーらしき服を引っ張ってあげた。
くるりと振り向く瞬間を目撃してしまったからの引っ張りだけど、あたしが呼んだらちゃんとこっちを向いてくれるのが本当にいじらしい。乙女心がものすごくくすぐられる。
こちらをうかがいながらゆっくり振り向き、あたしと目を合わせてくる。というか、目線があたしの顔に固定されて動かない。これはもう確定ね。
「んふふー」
自然と口元が笑みの形を作ってしまう。あたしの恋人さんが何考えてるか全部わかっちゃって困る。
そもそも、あたしがさっき気になったのは防寒についてだった。今日のあたしの服装はキャミソールにニットにコートに。下はショーツにタイツにスカートに。これで終わり。下はともかく、上はよく考えたら薄着にもほどがある。個々の防寒性能が高いからあんまり寒さは感じなかったけれど、これなら一つ脱ぐだけで寒くなるのも当然かもしれない。
比べて郁弥さんは、聞いた通り三枚と一般的な感じ。自分のが少ないか多いかの確認でちょっと聞いてみたんだけど、そんなことはもうどうでもよくなった。
「ねえねえ、なになに?なんで顔赤いの?」
服装的に今のあたしは下がスカートとタイツ、上はキャミソールだけとなっているので、こう、部分的にほんの少し胸元が見える。
彼視点、なかなかに絶妙な雰囲気があると思うのよね。あと、やっぱり下着姿とかあんまり見せる機会がなかったのもあると思う。今はいてるショーツに合わせたシンプルな白キャミでも照れちゃうんだから、郁弥さんの初心さが愛おしい。まあ、"あたしだから"っていうのがあるかもだけど。
「わ、わかってて言ってるよね。好きな子の見慣れない格好見たらそりゃ照れるよ。もういいよね。色々恥ずかしいし。あと寒い」
「ふふふー、仕方ないわねー」
ついでっぽく言われた寒いの一言が割と本気そうなのもあって開放してあげた。見つめ合っているのも楽しいけど、あたしも寒いのは変わらないし。
キャミソールは残して、スカートに取りかかる。すっと引っ張りながら脱いで、タイツも同じく引きながら脱いで、あとは上も下も下着だけ。見た目キャミソールは下着っぽくないけれど、実際下に何も着ていないので下着でいい。
「郁弥さん郁弥さん。見て見て!」
「はいは――いやいや!喜んで見せようとしないで!?」
「えへへ、どうよ。可愛いでしょ?」
「可愛いけど……。可愛いけど」
「さ、も、もういいからお風呂先行ってていいわよ」
「うん?あぁ、うん。あはは、先入ってるね」
疑問から納得に表情を変えて、身体洗う用のタオルを肩に引っ提げて歩いていった。やけに堂々とした態度がむかっとくる。当たり前のように全裸を誇示してくるのは卑怯だと思う。
せっかくの可愛い下着を見せられたのはよかったけど、それ以上に微塵も隠す様子のない全裸を見せつけられたのは痛かった。恥ずかし度が上がって、寒いはずなのに暑くすら感じる。
「……寒い」
暑いとか熱いとか、やっぱり気のせいだったわ。めちゃくちゃ寒いもん。
キャミソール一枚だと肩とか腕とか全部出てるし防寒どころじゃない。隣から恋人がいなくなったのもあって心的にも寒しくなった。
ふるりと肩を震わせて、それからキャミソールとフレアなショーツも脱ぎ去って急ぎ浴室に踏み入れた。
タオルは小さいのしかないので、上手い具合に身体を隠しながらね。あたしはまだ郁弥さんほど大胆にはなれないわ。




