23. カレーパンとため息
「あ、地図あるわね」
「ん?あぁ、本当だ」
歩き出してすぐ止まる、もうこれを何度繰り返したか。銀山温泉のこの短い通路でこんなにも立ち話を続けているのはあたしたちくらいだと思う。
ただ、見つけたしまったものは仕方がない。壁に銀山温泉全域の地図があるから悪い。
「んー、やっぱり狭いわね」
「そうだねぇ。そこの"ゆきやまさんのカリーパン"屋さん過ぎたらほとんど行き止まりみたいだし」
「雪がないときはもうちょっと行けるのかしら」
「一応さっき言った山の神神社には行けるらしいから、冬以外ならもう少し範囲は広がると思うよ。予想だけどね」
「ふーん」
じーっと二人並んで地図とにらめっこ。旅館の数に目をやって、それから視線をずらして横を見る。地図から壁をそのまま左に進むと緑色の暖簾が目につく。名称"おもかげ湯"、そして貸切風呂の文字が暖簾に掲げられていた。
「郁弥さん」
「はい」
「あたしが今なに考えてるかわかる?」
「寒いとか」
「違うわ」
「冷たいとか」
「違うわよ」
「お腹空いたなぁとか」
「ちが――くはないけど、違う」
「カレーパン食べたいな」
「それはあなたの考えてることでしょ?」
「まあね」
「あなた、わかってて色々言ってるわね」
「うん」
「雪アタックするわよ」
「それは勘弁してください。そっちの"おもかげ湯"のことでしょ?」
「ええ、わかってるじゃない」
苦笑する恋人の肩に自分の肩を軽くぶつける。ゆらゆら揺れてほんの少し押し返してくるのが嬉しい。
カップル的イチャラブ度の高いやり取りは置いておいて、わざわざこんな話をしようと思った理由がある。それはまあ単純なことで、彼が聞いてきたように温泉のことを考えていた。特に"貸切"という部分。
「この温泉、貸切ですって」
「みたいだね。受付はこの先の"ゆきやまさん通り"だってさ」
暖簾のかかった入口を過ぎて壁際、受付場所の地図や時間表記が描かれた板が設置されていた。それによると、どうやらこの"おもかげ湯"以外にも"かじか湯、和楽足湯、しろがね湯"の三つがあるらしい。足湯についてははっきり見てきたところなので、場所はよくわかる。
「これ、足湯以外に他の温泉なんてあった?」
「うーん、"しろがね湯"は言われてみればあったような気もするけど、"かじか湯"はちょっとわからないな」
「そう……」
郁弥さんは一つ見つけていたみたい。どれもここに来る途中にあるはずなので、見ていてもおかしくはない。どちらにせよ、今はそちらを気にする必要はないので無視しておく。
「それより――」
「あー、タイム」
「――ん、なに?」
言葉を被せられたので、さっと切り替えた。お隣をじーっと見ていると困りがちに眉が下がる。あたしの郁弥さんが可愛い。
「貸切風呂入りたいとか、そんな話だよね?」
「うん」
「却下ね」
「えー」
「だって銀泉花さんのお風呂入るでしょ?」
「当たり前じゃない」
「貸切風呂二つに普通のお風呂一つだよ?こっちでも入るとさすがに湯疲れしちゃうよ」
「それは、そうかもしれないわね」
そういえばそうだった。旅館のお風呂だけで三つもあることを忘れていた。もう午後だと考えたら、いくらなんでもお風呂疲れしちゃいそう。
「銀泉花さんのお風呂は一緒に入るんだよね?」
「え?え、ええ。そう、そのつもり、だけど……」
「どうしてそこで動揺するのかはわからないけど、僕もそのつもりだったからお風呂はそっちで済ませよう?」
「う、うん。そうね。わかった」
あたしだってなんで自分がこんなドキドキしてるのかわかんないわよ。なにこれ、混浴でお風呂入ることくらい最初からわかってたはずなのに、今さらすごい恥ずかしくなってきた。
貸切風呂ってわかってたし、"特に一緒に入りましょうね"みたいな話はしてこなかったけど、そりゃ恋人だもん。一緒にお風呂くらい入るわよ。せっかく二人っきりの旅行なんだからそれくらいやるでしょ普通。でも、なんかよく考えたらあたしたちって細かく裸見せあったことないのよね。これだけ一緒にいてなんだけど、全裸でどうこうってあんまり経験ないのよ。
「日結花ちゃん、ここホース通して水で雪溶かしてるみたいだよ」
「え、な、ななな、なに?」
「いや……それは僕のセリフなんだけど」
すっごく怪訝な顔されちゃったじゃない!あたしのばか。考え込みすぎ動揺しすぎ。落ち着いていきましょ。
「こほん、あら本当。お水が出ているわね」
「……うん。ここは柵が高くて雪かきが手間だからだろうね」
「うふふ、そうね。ほら郁弥さん。カレーパン屋さんよ」
露骨な話題逸らしにも気にせず着いてきてくれる郁弥さん、好きよ。"わかりやすいなぁ"とかそんな感じの生温かい視線は気にしちゃだめ。普通に話せばそれでいいの。他のカップルは知らないし、郁弥さんくらい甘い人じゃないとだめだけど、逆に言えばこの人レベルならあたし流のやり方ができるってわけね。なかなか冴えてるんじゃないかしら。
「写真だけ撮るね」
「ん、りょうかーい」
ぱぱっとカメラでお店の外観を撮って、それから二人で店内に入る。お店の入口の横で露店みたいに外にいたままの買い物もできるみたいだけど、今回はやめておいた。外は寒いし。あと、ちらりと見えたソフトクリームの置物?看板があってこんな時期に食べる人がいるのかどうかちょっと気になった。どうでもいいけど。
お店では二人で同じ"ゆきやまさんのカレーパン"を注文した。お店の中には大きなストーブが置かれていて外と比べるとずいぶん暖かい。何人か人がいて、それぞれぽつぽつと話をしていた。あたしたちもそれに倣ってぼんやり適当な話をしながらカレーパンを待ち、揚げたてをいただいた。
軽い食事を終えて、食べてみれば少しは空腹も落ち着いた。二階に上がってもいいとのことだったので、どうせならと上がらせてもらった。
「……ふぅ」
「……はぁ」
靴を脱いで上がった二階は、広々としたお座敷だった。綺麗な畳に磨かれた机。提灯のような和紙で作られていそうな電球と。上がってきた階段からして良い木の雰囲気があった。さすが銀山温泉に居を構えるだけはある。現代とは思えない風情を感じる。
「郁弥さん、ため息?」
「日結花ちゃんこそ」
「あたしは、別に」
「僕も、別になんでもないよ」
「……」
「……」
別に気まずいとかそういうことじゃないのに、なんとなく二人して口を閉じてしまった。見つめ合って、そのまま数秒。
「キスはしないよ?」
「ぷっ、ちょ、ちょっと待ちなさい。あたしがそれを待ち望んでいたとでも言いたいの?」
「いやまあ、うん」
く、悔しい。ちょーっとくらい思ってたから余計に悔しい。だって思っちゃうじゃない。二人っきりで、雰囲気あって、見つめ合って!軽くちゅーとか、思っちゃうでしょ!
「ごめんごめん、いくらなんでも人のお店でそういうのはと思ってね。写真撮ろうよ写真」
「……ん!」
からから笑って正論を言ってくる恋人に、ぐいっと詰め寄って携帯を自撮りモードにする。
「あはは、日結花ちゃんが笑ってない写真なんて珍しいんじゃない?」
「ふん、そんなことないもん」
ぱしゃぱしゃと何枚か写真を撮って、どれを見てもあたしは仏頂面だった。最初の一枚ははっきり頬が膨れているのがわかるくらいに不機嫌度マックスな写真だった。対して郁弥さんは明るい笑顔を浮かべていてかっこよかった。
写真を見て、ぎゅっとくっついている隣の本人を見て、また写真を見て。
「どうかした?」
「んふふ、なんでもなーい」
何度も写真と本人を見比べて、やっぱりかっこよくて大好きな恋人の腕を抱きしめた。
我ながら単純すぎるとは思うけれど、好きな人と一緒にいるだけで機嫌がよくなるのは仕方のないことだと思う。
ぽやぽやしている郁弥さんの質問には適当に返して、位置を変えてもう何枚か写真を撮っておいた。今度はあたしも笑みを浮かべていて、彼の"やっぱり日結花ちゃんは笑顔がいいね"という言葉にまた嬉しくなった。
ちなみに、カレーパンの味は可もなく不可もなく。美味しいは美味しいけど、思っていたほどじゃなかった。郁弥さんと一緒に食べているという点を加味すると他のどのカレーパンより美味しくなってしまうので、それを抜きにしての感想なのは言うまでもない。




