22. 観光途中の話
銀山温泉の旅館通りを抜け、目的地はカレーパン屋さん。朝食から後、何も口に入れていないので空腹度もかなり高くなっている。
ここまでずっと歩いてきた銀山川の左手通路、つまり銀泉花さんの玄関がある道から外れて、歩道は右手へと移った。理由は単純に左側の先に道がないから。橋を渡って見てみれば、完全に雪で埋まってしまっていた。そもそも通路が作られている様子がなく、川の石垣も消えて山肌が見えている。面白いことに、落雪防止用なのか山肌に段差ができるように金属の板?梯子?のようなものが差し込まれていた。実際にその上に雪が積もっているので、効果はあるらしい。
「郁弥さん。あれ――って、なに見てるの?」
なかなかに興味深い光景だったので恋人と共有しようと思ったら、当の恋人はお土産屋さんのショーウィンドウをぼんやりと眺めていた。
「なにって、お酒?」
「……あなた、お酒弱いじゃない」
「まあね。ただ地酒はいけるんじゃないかと」
「別に買うのはいいけど、ちゃんと度数見て買ってね?」
「うん」
あたしの恋人さんは、定期的にお酒を飲みたがる。この字面だけだと物凄い語弊が生じるので言い直すと、たまにお酒を飲んでみたくなることがあるそう。
お酒には弱いのに、月に一回くらいは飲んでみたくなるらしいわ。あたしも飲める年になって飲んでみはしたけど、別に飲みたいとかそんなことはなかった。むしろお酒に弱いせいで敬遠しているくらい。本当に度数の低い、それこそ甘酒とかなら全然いいんだけどね。
「ていうか買ったらあたしも飲むことになるんだから、買うなら買うで後で一緒に選ぶわよ?」
「それもそうだね。後にしようか」
当然のようにふんふんと頷く郁弥さんだけど、冷静に考えると別に一緒に飲む必要なんてない。そこはお酒であろうと一人で飲ませたくないというか、あたしも一緒にちょっぴりくらい飲んでみたいというか、そんないろんな気持ちがが理由だったりはする。
ただ、そこを何も気にせず平然と受け入れる彼も色々とおかしいの。やっぱり郁弥さんってあたしの恋人ね。
「ええと、何か用があったんだよね?」
「あ、そうそう。ほら見て」
指さしたのはショーウィンドウからちょうど反対側の山肌。山肌といってもほとんど雪で見えないけれど。
「あれは……雪だね」
「そうだけどそうじゃない」
「あの謎の突起のこと?」
「それそれ。あと、こっち来て雪の量増えたと思わない?」
「あぁ、確かに」
視線を少しずらせば、川岸に乗るような形で雪の層が出来上がっていた。屋根の雪と比べても二倍以上は厚さがあるので、雪かきをしていない分が積もっているのだと思う。
「雪かきしないだけであんなに積もるんだね」
「ねー。いっぱい川に落ちてもいるし、やっぱり冷たいのかな」
「……もしや川が?」
「そ。川が」
「そりゃ冷たいでしょ。触れてみる?」
「え、どうやって?」
「僕が日結花ちゃんを抱えて、こう、上手い具合に」
曖昧なニュアンスに加えて、よくわからないジェスチャーが加わる。わかるのはなんとなく腕で抱え込むような体勢ということくらい。
「……ねえ、適当なこと言ってるでしょ」
「あ、わかった?」
「もう!雪ぶつけるわよ!」
「ふ、いくらでも――うわ本気でやらないで!冷たい!」
おふざけにはおふざけを返すべく、その辺の雪に手を伸ばして軽く握り恋人の首筋に持っていった。素早く行ったため彼に逃げる術はなく、結果ぴょんと跳ねることになった。可愛い。
「んふふー、どう?冷たかった?」
「冷たいよ……。というか傘から外れたせいで雪も冷たい」
「あらごめんなさい」
「謝るのに入れてはくれないんだね」
「ん、たたんじゃったし」
「ええ……」
なかなかに困った顔をする郁弥さんがいつも通りとっても可愛いのはいいとして、少し雪を浴びたくなった。タイミングよくあたしの恋人が傘から出てくれたおかげでさくっと傘をたためた。あたしが追い出したとか、あたしのせいで傘のカバー範囲から出たとか、そういうのは知らない。
「そのカメラ、濡れても大丈夫なんでしょ?」
「え?あぁ、うん。少しはね。さすがに川に落としたらまずいけど、雪に降られるくらいなら全然平気。さっきも雪の中タイマーセットしてたでしょ?」
「ええ、そうね」
「あんな感じなら大丈夫だよ」
「そ。なら安心ね」
「あ、傘はささない感じ?」
「もちろん」
にっこりと笑いかけてあげたら、かくりと首の角度が下がってしょんぼりした。やっぱり可愛い。雪塗れの郁弥さんっていいわね。好きよ。
「郁弥さん」
「うん?」
「好き」
「うぁ、え、い、いきなりだね。僕も君が好きだけど……」
背景真っ白に頬の朱色がいいコントラストとなっている。冬に映える恋人の姿にとっても癒され満たされる。自分の顔がちょっぴり熱いのはご愛嬌といったところ。
「えへへ、伝えたくなったから」
「そ、そっか。ならいいや、うん」
傘をたたんだせいで、ふわふわと柔らかく冷たい雪が直接顔や手に触れているというのに、さっきよりも断然今の方が暑さを感じる。だけど、この熱の心地よさはそう簡単に手放せるものじゃないと思う。
だって、好きな人と一緒にいるからこそ味わえるものだもん。
「それじゃあダーリン」
「なんだいは……はにぃ……」
「……んー」
今のはちょっと悩ましい。こう、なんていうのかしら。郁弥さんが珍しく恥ずかしがって言い淀んでいたのが胸にキュンってきた。羞恥心があってもちゃんと言ってくれるのがこの人の素敵ポイントなんだけど、それはそれとして胸キュン度が高かった。
でも、なんでまた今さら"ハニー"程度で恥ずかしがるのかが疑問。だから悩ましい。
「とりあえず、なんで恥ずかしがっているの?」
色々考えていても仕方ないので、正直に聞いてみた。そうしたら、まあ簡単な答えが返ってきて納得がいく。
「それは、まだその、さっき"好き"って言われたのを引きずっているから……」
「……んぅ」
そう、すごく簡単なことだった。あたしが不意打ちで"好き"って言ったからまだ照れが抜けきってなかっただけ。それだけ。ただそれだけなのに、直接本人からそのことを言われたらあたしまで恥ずかしくなってくる。頬どころか全身が熱い。
「あーっと、日結花ちゃん」
「な、なに?」
「……手、繋ごうか」
向こうもまだ恥ずかしさが残っているはずなのに、彼側からそっと手が差し出された。舞い降りる雪が手のひらに乗って、するりと溶けていくのが見える。
恋人の顔を見ると恥ずかしそうに、だけど薄っすら微笑みを浮かべていた。髪の毛にちょこんと冬のかけらが乗っかっていて可愛らしい。なんだか、いつまでも恥ずかしがっている自分がおかしくなってきた。
「ふふ、ええ、せっかくだものね。繋ぎましょ」
彼の頭の雪粒はそのままに、差し出された手に自分の手を重ねる。
お互いに手袋をしていないので外気に直接触れている手はすぐに冷たくなってしまう。そのはずなのに、繋いだ手は離す前よりはるかに温かく感じた。




