19. ようやくの到着
ふわふわとくゆる冬の靄。白雪が映える景色の中にひっそりと見える湯気。
銀山温泉に踏み入れてすぐ、川沿いを臨むように湯気が立っていた。元はどんな色をしていたのか、雪に濡れて黒くなった木板で囲われた足湯がある。屋根もなく、ただそのままあるだけの足湯がそこにはあった。
車一台通れる程度の道幅に、左手は古風な木造の建物、右手は足湯と、通路はなかなかな狭さをしている。そもそも自動車がそう何度も往復しないと考えればおかしくもないのかもしれない。
「足湯だって」
「ん、入りたいの?」
「……どうだろう。雪の中というのも乙なものがあるけど迷うな」
「ふーん」
ダーリンの答えを聞いてあたしも考えてみる。
前提として、まず外は今とっても寒い。雪も降ってるから、濡れることもある。それに、座る部分がびちゃびちゃなのでその辺もかなり濡れる。傘があるとはいえ、服が濡れるのはちょっと避けたいところ。
せめて屋根があればね。変わったんだけどね。
「あたしは遠慮したいわね。濡れちゃうのやだし」
「……そうなんだよねぇ。せめて座るところさえ濡れていなければ」
「あ、ふふっ」
「うん?」
まったく同じところに悩んでいて笑っちゃった。不思議そうな顔の郁弥さんも好きだけど、さっさと答えてあげなくちゃ。
「あたしも同じこと考えてたなーって。座ったら服が濡れちゃうの確定じゃない?」
「あぁ、なるほど。あはは、やっぱりそこは気になるよね」
そんなような話をぽつぽつと続けて。
足湯を抜けた先すぐにある橋の前で全員が止まった。橋は川を渡る形で右側に伸びていて、渡った先には"蕎麦処・酒処"と書かれた看板のある建物。一見して旅館のようにも見えるのに、建物の大きさとか看板とかを見てお食事処だとわかる。
事前調べで見た銀山温泉のご飯屋さんがあれだと思う。そして、それに対面するように建てられているのが銀泉花さん。今日あたしたちが泊まる旅館がここ。写真で見たとき以上に実物は立派で趣がある。
「ね、郁弥さん」
「なに?」
「このちっちゃい神社?お寺?って本物よね?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました」
「な、なに?」
「実は僕も気になって調べておいたんだ」
「そうなの?じゃあ教えて?」
「もう銀泉花に入るし後でね」
「むぅ、仕方ないわね」
前の人が続々と旅館の中に入っていったため、あたしたちもついていく。もったいぶった話は途中で止め、頑丈な木で作られたドアをくぐった。当然扉は自動ではなく手動。横にがらがらと押し引きして開くタイプ。今回は前の人が開けていたからあたしは触れなかったけれど、あとで外に出るときは開けてみようと思う。古い建物に触れる機会なんてそうそうないので、これも少し楽しみ。
「「おー」」
旅館の中を見て、つい声をあげてしまった。お隣の恋人さんと声が揃って、二人してはにかむ。
郁弥さんがいつものようにかっこよくて好きなのはいいとして、すごいのは建物の内側。
銀泉花さんの木扉を通って、まず目に入ったのは大きく広がったエントランス。靴を脱ぐための土間は外から続いたままのコンクリート製。もしかしたら頑丈な石か何かかもしれない。その土間には右を見ると傘やレインコートがたくさん置いてある。おそらく宿泊客用で、借りられると思う。左側にはあたしの彼氏さんが――。
「ふむ……」
「どうかした?」
「うふふ、いいえ、なんにもー」
ぽやっとした顔で問いかけてくる恋人に笑いかけておいた。横顔が素敵で自然と目を留めてしまったのは秘密。
奥にちらりと見えたのが靴置きだった。土間から先は一段、二段となっていて、段差を小さくするための配慮かと思うと感心する。二段目にスリッパが置いてあるので、さっさと靴を脱いで上がらせてもらった。
"靴はそのままで大丈夫ですので"という言葉を銀泉花さんの人に言われたので、靴は靴置きに置かずそのままにしておく。スリッパを履き、歩くのは板張りの床。普通のフローリングと違って一本一本がかなり太い。幅の広い木の板が今の時代高級品だっていうのをどこかで聞いたことがある。昔に建てられたものだというのに、床はピカピカに磨かれていた。天井に取り付けられた暖色系の明かりを反射するほど、汚れ一つなく綺麗にお手入れされている。
よく見てみれば、柱も太いし天井はテレビで見たことあるような構造してるしで、あたしの家とは大違い。いや、考えなくても違うのは当たり前なんだけど。だってここ、大正時代に建てられたんでしょ?
「こちらで少しお待ちくださいね」
「「はい」」
玄関からすぐ、左手にフロントらしきこぢんまりとした場所があった。その受付の手前の従業員通路っぽい場所の上に猟銃的なあれが飾られていて普通にちょっとびっくりしちゃった。ちょっと郁弥さんの服つまんじゃった。変に微笑まれた。羞恥心。
先に入った人が受付をしているので、あたしたち含め待ち組はフロントから少し進んだ右手にある大きな机に案内された。この机がまたずいぶんと大きくて、とんでもなくお値段が張ると思うと羞恥心も少しは飛んでいった。
椅子に座って待ちながら、そっと郁弥さんと手を繋ぐ。
「……えへへ」
「ふふ」
何も言わず笑い返してくれた。嬉し恥ずかしい。
いつも通りべたべたくっつきながら少し。他の人の受付も終わって、ここに残っているのもあたしたちだけとなった。通路を抜けて歩いていく夫婦っぽい二人組を横目に、フロントで受付を進めていく。
もちろん銀泉花の人とお話するのは恋人さん。あたし、予約とかしてないもの。一緒に見たり調べたりしたけど、予約は郁弥さんがやってくれたのよ。
名前がどうとか時間がどうとか軽く話をして、チェックインは無事終了。部屋まで案内してくれるとのことで、受付をしてくれた人についていく。フロントに沿って歩いて、右側にはさっきまで座っていた高級机椅子セットが見えた。そこを左に曲がると、これまた艶のある木で作られた階段が壁沿いに続いている。そして階段から右手奥には女湯があるとのこと。男湯はテーブルのあった場所の近く、つまり階段下にいるあたしたちとちょうど反対側辺りに入口があった。
一階にある二つのお風呂は大浴場で、いわゆる普通の内湯。後で入るので今は気にしないでおく。
階段は段差もそう大きくなく、何より手摺が重厚な木でできているため触るとなんとも安心する。
二階に上がって目の前、部屋の向きとしては街側。あたしたちが泊まる部屋がそこだった。何に驚いたかって、鍵がひどく古めかしかったこと。古めかしいと言っても悪い意味じゃなくて、今じゃ使われていないような青銅か何かの南京錠に木製ドアへ取り付けられた金属の輪っか?がある。ここまでお堅い雰囲気な鍵は見たことがなかった。
ドラマとか映画でたまに見るやつね。実物は初めて見たわ。
「鍵はこちらになりますので、お出かけの際はフロントにお持ちください」
「「わかりました」」
二人でふんふん頷いて、食事の時間の話とか二十二時にはフロントしまっちゃいますのでとか、注意事項やらなんやらを聞いていく。お茶を入れてくれたので、それがあったかくて身体が温まる。
細かな説明を終え、宿の人が部屋の襖を閉め、それからドアをがらがらと引いて閉める音が聞こえてきた。
「「……ふぅ」」
「ん?んふふ、なによ郁弥さん。疲れた?」
「あはは、日結花ちゃんの方こそ。お疲れ様な息じゃなかった?」
「ふふ、あはっ、はー疲れた!疲れたわね!やっと着いたわー」
「ふふっ、そうだね。結局十四時半近くなっちゃってるし、ここまで来るのに七時間は長いよ」
「じゃあ今日はもうお外出ない?」
「答えわかってて聞いてるよね?」
「んふふ、もちろん」
「ちょっとだけ休んだらすぐ行こう」
「うふふ、りょうかーい」
荷物を部屋の端に置いて、コートだけ脱いでその辺に置いておく。部屋の真ん中を陣取る机と座椅子は向かい合わせになる形で用意されていて、机の上にはさっき仲居さん?が入れてくれた旅館あるあるのお茶と和菓子のセットがあった。
「郁弥さん郁弥さん」
「はいはい」
「部屋の中見回りましょ?ついでに写真も撮りましょ?ね?」
「おー、いいね。賛成」
そんなわけで、長い時間かけてやってきた山形県銀山温泉の旅館、銀泉花さんの室内探索が始まることとなった。
あたしたちが二人っきりで初めての夜(他意はない)を過ごす部屋だもの。せっかくの古き良き建物だし、ここも観光地みたいなものよね。写真撮っていいって許可はもらったし、たくさん撮らせてもらおうじゃない。主に郁弥さんのカメラでね。




