開演には気づかない2
「なあ、セドリック」
殿下が書類から顔を上げた。
「はい」
「お前、結婚が決まったんだろう?」
真剣な顔で言われたのがそれであったから、中途半端に止めたペンを最後まで書類上で走らせてから視線を上げ直した。
「ええ、婚約者として今は2人で住んでいます」
「ちゃんと仲良くやっているんだろうな? 仕事量が減っている様子もないしまた愛想つかされるぞ」
クレア嬢とはうまくやっている。
会話は最低限で顔を合わせることも少ないがたまには食事も同じ時間に取っているしクレア嬢が気に病んでいる様子もない。
使用人ともすでに打ち解けたようで、何かあれば報告するようにとは言ってあるが今のところ問題が上がってくることも無い。
「ええ、うまくやっています。いい方ですよ」
私が仕事を第1にしていても文句も言われない。
ドレスやアクセサリーを強請られることも今のところ無いが最低限は用意しているし、食事も基本的にクレア嬢の好みにあったものになっている。
頻繁に楽しげに出かけているらしいとは聞いているが問題もないだろう。
肯定の言葉を返したのに殿下は納得がいっていないようだ。
学生時代からこの王太子殿下と懇意にさせていただいて仕事の腕も買ってもらっているが、女性関係では信用がまったくないようで、少し悩む様子を見せた後に殿下はそうだ! と笑顔をうかべた。
嫌な予感しかしない。
「今度俺が主催の夜会がある。そのときにお前たちの婚約のお披露目もしよう。フランも気にしていたし丁度いいだろう」
「は、いえ、そんなことまでして頂かなくても……」
時間の無駄なのではと考えてしまう。
もちろん王族であればそのような行事も大切な仕事の一環ではあるが、私は高位貴族といえども次男。
そこまで大々的にやる必要は……。
どうせならその時間に書類を整理していたい。
そう考えているのがバレているのか、殿下がさらに笑みを深くする。
「これも貴族の仕事のうちだし、俺の補佐としてなら十分すぎるほどに重要な仕事だろう?」
「……仰せのままに」
仕事だ、と言われてしまえばもう何も言えない。
ああ、そうと決まれば早く支度を進めなくてはいけない。
夜会まであまり時間はないのだから。
殿下の後押しもあり、いつもならば考えられないような早い時間に仕事を切り上げて家に帰った。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「クレア嬢はどこに?」
「奥様でしたらお部屋におられます」
驚く様子もなく私の早い帰宅を出迎えてくれた使用人たちに尋ねればすぐさま答えが帰ってきた。
荷物を預けてそのまま彼女の部屋の前に向かう。
彼女の部屋は私の自室のすぐ横で、ノックをすれば彼女が連れてきた侍女のチェルが対応してくれた。
「旦那様、おかえりなさいませ」
彼女もまた驚く様子も見せず頭を下げた。
うちの使用人に劣らない動きをしてくれる優秀な女性だ。
「クレア嬢に話があるのですが今時間を頂けますか?」
「少々お待ちくださいませ」
数分して出迎えてくれたクレア嬢は少しだけ意外そうな顔をした。
笑顔で迎え入れてくれたが私の帰りが早いことは不思議に思ったようだ。
ここ数日まともに顔を合わせることさえなかったのだからそれも仕方ない。
「お帰りなさいませ、セドリック様。お迎えができず申し訳ありませんでした」
部屋の外まで出迎えに来てくれたクレア上の手を取ってソファへと近づく。
クレア嬢を先に座らせてから向かい側に私も腰を下ろした。
部屋で寛いでいたところだろうに申し訳ない。
「いえ、急に帰ってきてしまいましたし気にしないでください」
「何かあったのですか?」
昼間から私が家に帰るのは余程のことでもあるのかとクレア嬢は真剣な表情で首を傾げている。
「いえ、少し報告と、新婚なのだからたまには早く帰れと仕事を取られてしまいまして」
はぁ、と思わず漏れたため息にクレア嬢がお茶を用意してくれた。
横には菓子も添えられている。
疲れた時に甘いものは必要だ。
私も仕事の合間に軽くつまむこともある。
ありがたく手をつけさせてもらうことにした。
出されたお茶は香りがよく爽やかに抜けていくような後味で飲みやすい。
仕事の一環として各領地の特産品や品物を見ることも多いが、このお茶は知らないものだ。
けれど質はとてもいいように思う。
ハーブティのようだが出された菓子にも合うし癖が少なく飲むと気分が落ち着いた。
今度どこのものか聞いてみよう。
クレア嬢は黙って私の様子を見ていた。
微笑みながら不躾にならない程度に自然な視線で私が口を開くのを待っている。
ああ、思わず落ち着いてしまったが本題に入るなければ。




