開演には気づかない
「セドリック、いい加減に結婚して身を固めてちょうだい」
ここのところ毎日のように聞く言葉。
たしかに私も30になった。この歳で婚約者もいないというのは珍しいかもしれないが、私は次男だし仕事もある。
別段結婚に必要性を感じていない。
それなのに、母上は顔を合わせる度にこれだ。
「釣書を持ってきたからここから選んでちょうだい。あなたみたいな人でも文句を言わず今すぐにでも結婚に踏み切ってくれそうな人を揃えたから」
どさり、と重そうな音がして目を向ければ、いくつもの山が出来上がっていた。
「後で見るよ」
「い、ま、よ」
にこりと圧をかけられて言葉が出なくなる。
この人は推しが強いのだ。きっと口で何を言っても負けるに違いない。
10年近く前に以前の婚約者には婚約を解消された。
何があった訳でもないが、仕事と私どっちが大切なんです?と聞かれて仕事と即答したのがいけなかったらしい。
婚約者を気にかけた方がいい、とは思うが仕事は投げだせないのだから仕方ないだろうに。
にこにこと手を広げて静止している母上は正直いって怖いとさえ思う。
感情のない人形のようだ。
そこから読み取れるのは怒りだが。
誰でもいい、というのが本音だが流石にそれを言うのは火に油。
母上が少し視線を逸らしたすきに、取りやすいところにあった1冊を手に取った。
「この方にします」
中身も見ずに母上に手渡せば中を確認して満足気に笑った。
「あら、この方ね。ええ、ええ、いいと思うわ。明日にでも結婚を承諾してくれそうだし、以前挨拶した時の少しの会話の中でも知識量が多くて頭の回転も早そうだわって思っていたのよ。あなた、意外に見る目があったのね。早速進めましょう。1週間後にはきっと奥さんが出来ているわね」
そんなすぐに結婚出来るわけがないだろう。
いくらなんでも1週間で婚約が決定するとは思えない。
それが通り越して結婚とは浮かれすぎでは無いだろうか。
残った大量の釣書と共に母上が消えて行った。
あくまで、静かにお淑やかに。
だが、後ろ姿はまるでスキップでもしているかのようだった。
誰かもわからないが相手の令嬢、なのかも不明だがとにかく悪いことをしてしまった。
私は正直評判がよくない。
仕事の評価は素晴らしいものをいただいているが女性関係に関しては落第だとよく言われる。
まあ、結婚してくれると言うならそれなりの関係は気づいていこう。
家のことは任せることになるだろうし、跡取りもできれば必要だろうから。
話は本当にすぐに進んだ。
数日のうちに決定し、そのまま顔合わせ。
というか顔合わせも何もそのまま一緒に暮らせと言うのだから驚きだ。
近くにある別邸が私たち2人の屋敷になり、すでに引越し準備も終わっている。
顔を合わせたクレア嬢は普通の令嬢だった。
レイヴィス伯爵家は良くも悪くもなくどこの派閥でもない中立。それなりに仕事もできる伯爵だが飛び抜けて才能があるとも言えない。
外見においても、人を容姿だけで判断する訳では無いが特別目を引くような家系でもない。
すでに婚約済みという状況で、一緒にこれから暮らし明日にでも結婚してもいいとお互いの家が言っている。
一体どういうことだ……、貴族の家同士の結婚がそれでいいはずが無い。
そうは思ってもすでに決まったこと。結婚は少しだけ先になったが私たちは今日から共に住むことになっていて、クレア嬢の引越し荷物もすでに運び込まれたあと。
私が言えることは何も無い。
クレア嬢本人も普通の容姿で、清潔感のあるところは印象がよかった。
この婚約の話に肯定も否定も見せないがいきなりの話であることに変わりはないのだろう。
完全に話についていけているわけではないようで、時折不思議そうな顔をしていた。
表情も仕草も崩れることは無かったところは貴族令嬢としてしっかりしているようだ。
あとはお若い2人で、なんて言葉で追い出された私たちは庭園を散策することにした。
うちの庭園は母上がかなり拘っている自慢にできるものだ。
エスコートは貴族として当然の嗜み。
クレア嬢に手を出せばその細い腕が静かな動作で触れた。
素直に庭園に感動しているクレア嬢を連れて、風景に溶け込むように建っていたガゼボに腰を下ろした。
さすがに、テキトーに釣書を掴んだら貴女だった、とは言えない。
しかし、期待させても行けないし正直に伝えるべきだろう。
嫌だと言うなら、この話を無かったことにしたいというのなら今抗議してもらったほうがいい。
「あなたには悪いことをしました。急に結婚だなんて困ったでしょうに。私は仕事で帰れないことも構ってやることもなかなか出来ないと思うのだが、その分貴方は好きにすごしてくれて構わない。何不自由ない生活は約束しましょう」
大事な話だからとしっかりと目を見て、真剣に、嫌うならここで嫌ってくれと。そう思いながら我ながら最低とも言えるような話をした。
年頃のご令嬢には酷だろうことくらいわかっている。
もし、それでもいいと、仕方がないと言ってくれるのなら、私は不自由ない生活を約束しよう。
好きな物を買って好きな人間に囲まれて好きなことをして、私のことはおまけとでも思ってくれればいい。
冷たい視線と張り手くらいはくるだろうかと思っていたのに、クレア嬢は綺麗な笑顔を浮かべただけだった。
先程よりも嬉しそうにさえ見えるのは私の願望だろうか。
「わかりましたわ、セドリック様。これからよろしくお願い致しますね」
自由に好きにしていい、という約束で我慢してくれるということだろう、と勝手な解釈をして。
お互いの利害の一致ということで、これからの2人の生活はうまく行きそうだ。
誰に言っても良い顔はされないだろうが、ひとまず周りの急かす結婚にたどり着いたのだから文句はないだろう。
これで明日から心置き無く仕事に没頭できる。
また最低な男だと誰かから怒られそうだな……って思ってはいますが、彼がヒーローです。




