Once upon a time.
『I (don't) need you.』の続編になります。先にそちらを読むことをおすすめします。
カウンターの端。それがカフェに来た時の私たちの特等席。
2人で飲んだ後は駅に隣接するコーヒーチェーンでのんびりするのが定番であり、今日も私たちは慣れたように各々のドリンクを片手にいつもの席に着いた。
彼も少しあやうい手つきでドリンクを置き、席に着く。
コーヒーチェーンの中でも品のよいそこでは、ドビュッシーのアラベスクが品よく流れていた。
「やっぱり酔ってるじゃん」
「飲めるようには一応なったから」
サワー一杯で目つきがあやしくなってるやつが何言ってるんだろう。
カフェモカうま、とちびりちびりと飲む彼に私はため息をついた。
「飲む」と言ってもこれまで私だけお酒を飲んでおり、彼はコーラを飲んでいた。
しかし、社会人との交流が増え、「飲みにケーション」を少しずつ覚えつつある彼は、「飲めるようになったから俺も飲む」と宣言し、青リンゴサワーを注文したのだ。
乾杯、とかち合わせるグラスがお酒用のジョッキグラスになったとき、時の流れを感じた。
でも。
「りこ?」
私を呼ぶ声は今も変わらない。
「何?」
「んー、いや、」と彼は言ったっきり、黙ってカップを見つめていた。
何? ともう一度訪ねると、しばらく唸った後、かちん、とカップを置いた。
「俺、バイト先の先輩に告られた」
「……そっか」
別に驚くことじゃなかった。
彼は来年から警察官になる。国公立大学出身の公務員で運動系サークルの部長で、183センチの高身長。なかなかの好物件だ。
「俺告白された!」という嬉しそうなメールは数知れず。
これまでも女の子に告白された数は片手では足りない。
私の返事が少し遅れたのは彼の真剣な目だった。
カフェオレを見つめる視線の先には、きっと告白された先輩でも見えているのだろう。
「俺、オッケーした」
「そっか。よかったじゃん」
5年以上告白されても今までなかなか付き合わなかったやつが付き合うことになった割にはあまり嬉しそうじゃない表情に私の声も上がりきらず、中途半端な返し方しかできない。
うん、そうなんだけどさ、と言いながら彼の手はまたうろうろとテーブルの上をさまよい、カップをまた弄び始めた。
「よかった話だよね?これ」
「んー、まぁ」
「何?」
「でもさ」
「でも?」
「大学1、2年の頃お前が好きだった」
……
急にアラベスクや店内のざわつきが意識の隅に追いやられた。
「……そっか」
どのくらいたったのだろうか。ひび割れたような喉からやっと出た言葉だった。
いつの間にか品の良いアラベスクから品の良いシューベルトのピアノソナタが流れていた。
いやにピアノの音が私の心を攻め立ててるように響いていた。
「確かに俺は好きだったんだ」と彼はもう一度言った。
「うん。ありがと」
うん、と彼は言ったきり、ゆっくりとカップの縁を撫でていた。
私も自分の空っぽのカップを見つめた。
まだ、品の良いピアノソナタが流れていた。
終わりのない音楽だった。
私はその先の見えない場所に立ち、ひたすら耐えるしかなかった。
何かを失った悲しみに。
……何に?