生きてみせる!
婆さん家から帰って来た翌日からずっと幹本はうちに居座っている。
いっそあのまま2人とも戻って来なければ良かったのに、何故この人達はこんな狭いボロアパートの一室にわざわざ戻って来たのだろうか?
ある日幹本が毒母に
「オイ、ガキ2人どうにかなんねぇのか?」
「あぁん?そんな事言ったってしょうがないじゃん。
ババァが面倒見てくんないんだからさ。
こっちだって好きで置いてんじゃねぇんだよ!」
「お前どうにかしろよ。
邪魔くせぇ。」
「だからそっちの家にいた方が良かったのに!
少なくともここよりは広かったんだしさぁ」
「あぁ?しょうがねぇだろ!?ここ最近毎日のように大家の野郎が数ヶ月分くらい滞納してる家賃の取り立てに来やがってしつこいんだからよぉ」
やはりまともな人間じゃなかったか。
毒母の周りはロクな人間が集まらない。
毒母の人間性が低いからどこへ行っても毒母に寄って来るのは同じく人間性の低い者たちばかりなんだろうな…。
類は友を呼ぶのだろうか。
「オイ、ガキ」
突然幹本がこちらに話かけてきた。
「オイ、そっちの小さい方のガキだ」
「……」
私は無言で見返す。
「さっきから生意気なツラでこっち見やがって!
ガキのくせに喧嘩売ってんのかてめぇ…」
「……」
こういうクズはなるべくなら相手にしたくない。
「オイ!!!返事すれや!!」
幹本は近くのローテーブルをひっくり返しこちらに近づいてくる。
「……」
「喋れねぇのかてめぇはよ!?
生意気な目つきで人の方ジロジロ見やがって!」
「……」
なおも無言の私に痺れを切らした幹本は私の胸ぐらを掴んで壁に押し付けた。
姉は震えながらそれを隣で見ている。
「チッ…。
オイお前ら、お前らクソガキは俺ら大人がいないと生きていけねぇんだから今日から俺らの言う事聞けよ!!」
別に私達はアンタに養ってもらってる訳じゃない。
何がしたいんだろうか?
この人間のクズは。
「お前らクソガキを俺らがこの部屋に住まわせてやってるんだから感謝しろ。
だからてめぇらを養ってやってる俺らに今後気を遣えよ。
当たり前だよなぁ?
俺らがいないとお前らは住む場所も無いんだからな。
お前らにはその布団が敷いてあるスペースに住まわせてやる権利は与えてやるから、そこから一歩も出るんじゃねぇぞ!?」
「……」
何を言っているんだろうか?
このクズは。
突っ込みどころ満載なのだが。
まず1つ目はここは毒母が家賃を払っている部屋なのであってお前が家賃を払ってる訳ではないと言う所。
2つ目に私達はアンタに養ってもらっている訳でもない。
3つ目に何故お前にうちの事を決める権限が!?
4つ目に自分の賃貸の家賃もまともに払えてない奴に一人前の事を言われる筋合いは無い。
5つ目にそもそもここお前の家じゃないんだが…。
お前が勝手に上がり込んできて居座ってるだけだろうよ。
数々の突っ込みどころが思い浮かんだ所だが、こう言う人には極力逆らわない方が身のためだ。
そう思ってしまうのは毒父も似たような人間だったからだ。
こういうクズに正論をかざした所で無意味である。
そもそも人としてのモラルが全く無いのだから。
寧ろ逆ギレされてこちらが更に被害を被るだけである。
触らぬ神に祟りなしである。
下手な正義感は持たぬ方がいいのだ。
正しい事が必ずしも正しいとは限らない。
世の中不条理なものである。
幹本に家での妙な制限をつけられてから数時間後、姉がトイレに行った。
すると幹本が
「オイ、誰がそこの布団スペースから出て良いって言ったのよ!?」
「あ…ちょっとトイレ我慢してたから…」
と顔を青ざめながらビクビクそう答える。
「日本語分かんなかったのかよ、テメェ!!
テメェらが居ていいのはそこの布団スペースだけであってそれ以外は使用禁止だろうが!!」
幹本が怒鳴りながら姉を殴りつける。
「すいません…。
ゔぅ…あぁ…。
すいません…」
泣きじゃくりながら姉が謝る。
「いいか?金輪際トイレも何もかも全部テメェらは使用禁止だからな!
規則を守れねぇ悪い子供は然るべき罰を与えねぇとな…」
「あの…」
トイレを使えないのは今後死活問題だ。
私は幹本に聞いてみることにした。
「トイレ我慢できなくなったらどうしたらいいですか?」
私の質問を聞いて毒母が幹本に
「えぇ!トイレがあんのにそこらへんで漏らされた方が私は嫌だよ!!
私絶対掃除しないからね!!」
「あぁ?じゃそこのゴミ箱にでもしてな」
幹本がゴミ箱をこちらに蹴って寄越す。
この男正気じゃない。
どう考えてもトイレで済ませた方が良いに決まっている。
寧ろ部屋にトイレがあるのにも関わらず、わざわざゴミ箱でトイレを済ませる理由が理解出来ない。
部屋の中が糞尿臭くなるだけだし、衛生的にも良くない。
そんな事をしても誰も特をしないと言うのに。
そもそも糞尿臭い部屋で自分も毎日生活するのに、この人は嫌じゃないのだろうか?
子供に対する嫌がらせにしても度を超えている。
完全に頭がイッてるな。
私達はその日からトイレはゴミ箱で済ませる事になり、ご飯は1日に1回幹本と毒母の食べ残しを僅かに与えられる地獄の生活が始まった。
姉は幹本に殴られて二の腕と顔に痣を作ってから一切口も開かず、幹本に逆らいもしなかった。
私もそうしていた。
以前は日中は2人とも居なかったから我慢する事が出来ていたのに今はそうもいかなくなっている。
何故なら幹本がうちに越してきた日から幹本は仕事へも行かずに1日中部屋に籠っている。
仕事はどうしたのだろうか?
毒母は毎朝出かけて行く。
なのに幹本だけがあの日からずっと仕事にも行かずに毎日部屋でグータラして日中過ごしている。
察するに何かやらかして退職をしたか、クビになったか…。
そんな所だろう。
日中テレビを見てビールを飲みながら煙草を吸い適当な物を食べ、眠くなったら昼寝をしている。
実に羨ましい限りの人生だ。
私も現代で一度は毎日そんな風に過ごしてみたかったものである。
完全に毒母のヒモである。
毒母はこんな男の何が良いのだろうか?
私は理解に苦しんだ。
まるでわざわざ誰も選ばないようなクズを厳選して連れて来ているかのようだ。
正にクズ発見器である。
ある日の夜、毒母が仕事から帰って来て自分が飲もうと冷やしていたビールが無くなってる事に文句を言った。
「いや〜…。
ビール飲もうと思ったら1本も無いんだけど!
飲んだんだったらちゃんと予備買ってきてよ」
毒母が冷蔵庫を覗き込みながら言う。
「あぁん?しょうがねぇだろ。
もう飲んじまったんだし、今日は気温が高くて部屋ん中も暑かったんだからよぉ」
「私だってビール飲みたかったんだわ」
「チッ…ガタガタガタガタ、たかがビールごときでうるせぇな。
そんなに飲みたきゃテメェで買ってくりゃ良いだろうが!」
「はぁ…。
本当腹立つわぁ」
溜息を吐きながら毒母が幹本を睨む。
その時
「オイ、何見てやがんだ!?テメェ!
俺のこと馬鹿にしてんのかテメェ!?あぁん!?」
幹本がこちらに怒鳴る。
そりゃ見るよ。
こんな1ルームで空気の悪くなる会話をしている人達がいるのに見ない方がかえっておかしいと思う。
「……」
「また人を馬鹿にするように黙ったままジロジロ見やがって!!
こいつの顔見たら段々腹たってきた!!
オイ、テメェ人を気分悪くさせたんだから責任取れよ!!」
そう言い私の髪を鷲掴みして部屋を引きずり回す幹本。
痛い!!!
中身が大人になって大抵の痛みに耐えられるようになったとしても、頭皮は年齢に関係なく鍛える事が出来ないので思いっきり引っ張られれば痛い。
「こんな状況になってやがんのに声ひとつあげやしねぇ。
薄気味悪いクソガキが!!」
そうしているうちに幹本の足が私達がトイレをしているゴミ箱に当たってひっくり返った。
中の糞尿が幹本の足にかかる。
「うぉ!?
くっせー!!
汚ねぇ!!」
幹本が大慌てで騒ぎ出す。
自業自得である。
内心ザマァ見ろと思ったのも束の間で怒り狂った幹本が私達を蹴り上げる。
「テメェらがこんな所に余計な物を置いておいたせいで俺がこんな目に遭ったんだ!!
責任取りやがれ!!
よくも!
殺してやる!!
死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね!!!」
そう言って私を力一杯踏みつける。
痛い!!!
苦しいなんてもんじゃ無い。
声すら出ない程涙がチョチョ切れる。
息が…息が出来ない…。
それから私の記憶は途絶えた…。
"ガッシャーン"
大きな音に驚いて私は目を覚ます。
目の前には…以下同文。
…戻って来てしまった。
と言うことは毒父が警察に捕まった未来の先と同じように、毒父が死んだ後の未来でもおそらく私は死んだのだろう。
この経験があの夜占い師の婆さんが私に"ループのような人生"と言っていた意味を教えてくれたような気がする。
私の人生は大抵誰かに殺される事が多い。
分岐を間違えば死に至る人生、という事なのだろう。
どの分岐を選んでどんな人生になろうとも死んでしまってはその先へは行けない。
だから私はまず自分が殺されない人生を探すしかないと言う事だ。
そう考えるとまだ過去へ遡る以前の現代では、私はあまり幸せではないとはいえ一応生きてはいた。
つまり現代への道筋は強ち間違いでも無かったのかもしれない。
理想を言えばDVを受けずに普通に生きられる事が1番理想的な人生だと思う。
だけどそもそもこの時代にDV防止法が無い以上、DV防止法が出来るのを私達は待つしかないのだ。
その日まではとにかくこのDVに耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて、私は必ず生きてみせる。
あの人に生きて逢うために…。
まずは生きなければあの人にもう一度逢う事すら叶わない。
だから私はなんとしても生きなければならない!!
私はこの日何もしなかった…。
もう何もしなかった。
変えられないと分かったから。
変えてはいけないと知ってしまったから。
だから私はもう何もしなかった。
どの未来でも毒母にも毒父にも良い思い出が無かったのでどちらが不幸に陥っていたとしても、もうどうでもいい。
私が生きられればそれで良い。
私が死ななければあとはもうどうでもいい。
今後何が起ころうとも私が殺されなければどうでもいいと思う事にした。
私は透明になりたい。
できるだけ透明に…。
目立たずひっそり生きるの。
私を守る為に。
自分の道徳や正義を貫くよりも生きることの方が大切だから。
だから私は目立たず、逆らわず、主張せず生きなければならない。
だから私は誰も庇わない、泣かない、騒がない。
私は何も見ていない。
何も聞いていない。
何も喋らずこの場をすり抜ける。
私は部屋の隅で耳を塞いだ。
目も瞑った。
ただ黙って嵐が過ぎ去るのを待った。
そしてその翌日、昨日の騒ぎが嘘だったかのように普通の朝が来た。




