バックミラー越しの思い
その為、毎日夜遅くまで練習しなくてはならないブラスバンド部のような忙しい部活は私には向いていない。
うちの学校は文化系の部活と言えば、ブラスバンド部の他に演劇部と美術部、手芸部、パソコン部、化学部がある。
考えてみたら思ったよりもバリエーションが少ないよな、うちの学校って。
それよりもこの中で選ぶとしたら何部が良いか。
まず、美術部、演劇部、手芸部は対象から外れるな。
何故なら毎日活動がある部活だからである。
それらを踏まえて消去法で残ったのは、パソコン部と化学部である。
今必要な情報は主な活動内容と活動頻度である。
さて、どこから情報を仕入れるべきか。
そう考えていた時
「相瀬?」
と後ろの方から声が聞こえた。
振り返ると南先生が立っていた。
「あ、先生。
おはようございます」
そう言ってペコリと頭を下げると
「ん!
おはよう!」
と先生は笑顔で言った。
「どうした?
窓なんか眺めて。
外、何か面白いものあった?」
「え?
あぁいえ…先生の部活の人達朝早くから練習に来て頑張っているんですね」
「いやいや…まぁあいつらは好きで野球やってるだけだから。
それよりも、来てたんだったら職員室に入って声を掛けてくれたら良かったのに」
自分の部活を褒められて満更でもない笑みを浮かべた後、先生はそう言った。
「いえ…少々予定よりも早く到着してしまったので、あまり早過ぎるとご迷惑かと思って少し時間を潰していました」
「そっか。
ちょっとなら気にしなくて良かったのに」
チラリと腕時計を見ると時間は8時2分前だった。
どうやらここで大凡5分程ぼんやりしていたらしい。
時間が経つのは早い。
「それより…塾の準備して来た?」
「はい、お言葉に甘えさせて頂こうと思ってバッチリ用意して来ました!」
「よし!
じゃあ宿題の方の質問受け付けるから職員室に行こう!」
そう言って先生は職員室のドアを開けた。
「失礼致します」
一礼をして室内に入る。
先生の机の方へ移動する。
「いいよ、椅子座って。
俺の席だから」
そう言って先生は私に椅子を譲ってくれる。
優しい♡
大好き♡
「ありがとうございます!」
お言葉に甘えて私は先生の椅子に腰掛けた。
お…同じ椅子!!!
お…おおお同じ所に…おおおお尻を乗せられるだなんて!!!
夢のようだ♡
や…ヤバい!!!
これがもし漫画だったら鼻血が勢いよくほとばしっている瞬間であろう。
せ…せせ先生の温もり♡
今日は最高だ!!!
やだ…こんな事を考えて…。
私変態みたいじゃない…。
「…瀬!?
…相瀬!」
…え!?
「…相瀬!
聞いてる?」
は!!
ヤバい!
ずっと呼ばれていたのだろうか?
つい妄想に耽ってぼんやりしてしまっていたようだ。
「は…はい!
すみません!」
「どうした?
ぼんやりしてたぞ?」
「すみません、その…職員室の椅子に座るのが初めてだったので、少し緊張してしまいました」
本音を言えず咄嗟の嘘をつく私。
「なんだ、そうか。
ごめんな、ここしか使える場所なかったからさ」
「いえいえ、良いんです!
寧ろ時間と場所をわざわざ作って頂いてありがとうございました!」
「いえいえ。
じゃあほら、時間が限られているんだから早くやろう」
「はい!」
私は鞄から筆記用具と宿題のプリントを出した。
「ここなんですけど…」
と敢えてやらずに空けといた文章問題と図形の問題を指さした。
これなら他のただの計算問題よりは難しいし、怪しまれずに済みそうだからだ。
「これはまず家から学校までの距離が2000mでX分間毎分40mの速さで歩き、残りのy分を毎分70mで…」
と先生が別紙に図を描いて説明してくれる。
「まずハジキは分かるよな?
距離を求める時は、速さ×時間で、速さを求める時は距離÷時間…って言うやつ」
「はい!」
「じゃあX分間歩いた分とy分走った分を足したものが全部の距離になるって事になるから、それをさっきのハジキに当てはめて考えると…」
以下省略…
「…という事だからこれを等式に表すと40X+70y=2000となる」
「あぁ、なるほど!
とても分かりやすくて理解が出来ました!」
「ん!
そっか、それなら良かった。
え〜と…じゃあ次の問題は…」
先生は淡々と解説をし、私はそれを聞いていた。
先生をガン見しながら。
「…よし!
じゃあこの問題で最後かな?」
「はい!」
「よーし!
チャッチャとやっちゃおう!」
そう言って再び先生は解説を始める。
立ちながら中腰で説明をしてくれているせいか、ずっと同じ姿勢を続けているのが辛くなったのだろう。
先生が机によし掛かるように前のめりの姿勢になった。
ち…近い!!!
やややや…ヤバい!!!
先生の吐息が聞こえる。
滅茶苦茶嬉しいんだけど、何か凄く恥ずかしい感じがする!!
どうしよう!?
いやいや…どうしようもこうしようも、今滅茶苦茶幸せな一瞬だよ!!
このまま誰か時を止めておくれ!!!
せせせ先生の匂いしないかな!?
思わず私は息を吸った。
ははは…鼻息が荒くないかな!?私!!
そ…そんなに激しく呼吸してるつもりはないけど、も…ももももし鼻息が荒くなっちゃってたら、ど…どうしよう!?
恥ずかしいな…。
ば…バレないようにこっそりやらなくては!!!
さり気なく私はまた息を吸い込んだ。
ビックリする程先生は匂いがしなかった。
先生ってまさかの無臭男ですかーーーっっっ!??
汗の匂いどころか洗濯洗剤の匂い一つしなかった。
体臭がキツいよりは断然いいけど、匂いが無さ過ぎるのもちょっと寂しい…。
この手のタイプは抱きついたりでもして直接匂いを嗅がない限り、匂いがしないタイプなのだろう。
だが私にはそんな瞬間は恐らく一生来ないのだろうな。
私は密かに絶望感を抱きながらも、今のこの瞬間を精一杯満喫すべきだと自分に言い聞かせた。
「…とこんな感じだ。
今の説明で分かった?」
私が匂いに集中している間にどうやら説明は終わっていたようだ。
わざわざ人に時間を作って貰っておいて、まさか聞いてなかっただなんて言えない。
だから
「はい!
凄く分かり易い説明でした!
ありがとうございます」
無難にそう返事した。
今後は真面目に勉強しなきゃいけない時ほど、先生に説明を受けちゃ駄目だな、私は。
どうしても違う事を意識し過ぎてしまって勉強どころではなくなってしまう。
「ん!
それなら良かった!」
「ありがとうございました」
私がペコリとお辞儀をすると
「ん!
じゃあこれで相瀬は宿題終わりか?」
「はい、とりあえず数学と英語は終わりました」
「早いな!
あと何残ってんのよ?」
「今のところ理科のプリントと国語の漢字の宿題と社会科のプリントが残ってます。
地道に1教科ずつ終わらせて行く方向でやって行こうと思ってます」
「そっか!
頑張れよ!」
「はい!」
先生は腕時計を見て
「よし!
じゃあ今25分だから丁度いい時間だし行こう!
俺ちょっと野球部の連中に練習を先始めてる様に言ってくるから、先に駐車場の所に行って待ってて」
「はい」
「よし!
じゃ、よーいスタート!
って言ったけど走るなよ?」
先生はそう言って笑った。
そして私は職員室を後にし、先生の指示通り駐車場へ向かった。
スリッパを元の位置に戻し、外履に履き替える。
玄関を出て駐車場で待機し、1〜2分程後に先生が戻ってくる。
「お待たせしました。
じゃ車に乗って」
そう言って先生は自分の車に鍵を差し込み鍵を開け、運転席に乗り込んだ。
先生の車はシルバー色で、これと言った特別な特徴の無い、どこにでもあるようなごくごく普通の車だった。
運転席から助手席の鍵を開けて
「良いよ乗って」
そう言った。
考えてみたらこの時代はまだ車内の鍵はオートロックじゃなかったんだもんな。
普段交通機関以外の車に乗る事なんて滅多にないから、しみじみとアナログ時代のレトロ感を感じた。
「ではお邪魔します」
そう言って私も車に乗り込んだ。
車内は片付いていてこれと言った汚れは見当たらない綺麗な状態だった。
これと言った特徴のある匂いもなく、ごく普通の車特有の匂いしかしなかった。
消臭剤などを置いていないところから、恐らく芳香剤の類はあまり好きでない人なのかもしれない。
もしもそうだとしたら私も同感するところである。
私もあまりキツい香りは好きでは無いので、先生が同じタイプで良かったなと感じた。
「ん!どうぞ。
シートベルトちゃんと締めてな!」
「はい」
私はドア付近にあるシートベルトを引き、留め具に固定した。
カチッという音を立ててベルトが締まる。
「締めた?」
「はい!
バッチリです!」
そう言うと
「よし!
じゃあ動くよ!」
先生はキーを回しエンジンをかけた。
"ピーッ ピーッ ピーッ"という音が鳴り、車がバックして行き駐車場から出る。
私はバックミラーで先生の真剣な表情を見つめる。
駐車場から出た所でバックミラー越しに先生と目が合う。
恥ずかしい…。
私はすかさず目を逸らしてしまった。
ずっと先生を見ていた事を気付かれたかもしれない。
「どうした?
俯いて」
ど…どどどどうしたもこうしたも…いいい…今、目が合ったじゃ無いですか!!!
嬉しいけど凄く気まずいんですよ!それは!!!
はっ…!!
もしかして先生ってもの凄く鈍感!?
それとも実は凄くしたたかで、気付いててわざと聞いてるとか!?
どどど…どちらにしても何て答えたら良いのだ!?
こういう場合は!!!
「いえ…その…他人の車に乗るの初めてなものですから…緊張してしまって」
とりあえず適当に理由をつける。
「…ごめん。
…乗せない方が良かったかな…?」
何で!?
何故そうなる!?
そういう意味じゃない!!!
どうしよう!?
決してそういうつもりじゃあ無い!
何とか誤解を解かなくては!!!
「いえ!!
そんな意味じゃ無いんです!
本当に!!!
寧ろ親切にして頂いて感謝をしているくらいでして…。
その…私は元々人見知りをする性格でして…ただそれだけなのです…。
乗せて頂いて本当に嬉しいので、ありがとうございます!」
何かあまり上手く説明出来ていないが、やっと絞り出した解答がこんな感じだ。
我ながら情けない事だ…。
「あ…ごめん。
別に俺怒ってる訳じゃ無いから。
何か俺の聞き方もぶっきら棒だったかもしれないから何かごめんな。
嫌じゃないんだったら全然良いんだ。
お役に立てたようで良かったと思ってるし…」
気まずい雰囲気になった為、逆に先生が気を遣い始める。
「いえ…その…。
ありがとうございます」
「うん…。
それなら良かった」
「……」
「……」
暫しの沈黙が流れた後、その空気を断ち切る様に先生が話題を変えてくれる。
「…そういえば行き先だけど、緑町のどの辺だったっけ?
あの道の右とかこの道を左って感じの説明で良いから教えてくれる?」
照れ臭くて先生の方を見れなくて、私はちらりとバックミラーを見ると、また先生と目が合った。
今度は先生がニコッと笑いかけてくれた。
だけどどこを見て良いか分からなくて、私はまた目を逸らしてしまった。
好き♡
先生、大好き♡
好き過ぎて直視出来ない。
とか言いつつもさっきは散々ガン見してたけど…。
とりあえずこの気持ち分かって。
「…ええと…この道をもう少し真っ直ぐ行って…で…もう一個向こうの信号の所を右でお願いします」
タクシーの人にナビをするかの様に言う。
「ん!
了解!」
丁度信号が赤になり、車が停止する。
「…そう言えば、お前夏休みは部活無いのか?」
先生がまた話題を変えてくれる。
きっと私の緊張を解こうとしてくれているのだろう。
先生は本当に優しい人ですね。
もうすぐ降りる人なんか緊張してようが何であろうが、放って置くこともできただろうに。
きっと二度と乗せる事も無いだろうしさ。
「あぁ…私はまだ部活には所属してなくて」
「何か入らないのか?」
「何に入って良いか分からなくて…」
「何でよ?
やりたい事とか何か無いのか?」
「こんな事を言うと何の面白味もないかもしれないんですが、あくまでも習い事の塾を優先しなくてはならないので、あんまり毎日遅くまで活動しなくてはならない様な忙しい部活動は中々難しくて…」
「そっか。
まぁ…人それぞれ事情があるもんな。
優先しなきゃいけないものがあるんだったら仕方ないもんな!」
「部活の活動頻度があまり高くない部活でしたら可能かもしれないので、何か考えたいなぁとは思っているんですが、何か良いお知恵はありませんか?」
信号が青に変わりまた車が動き出す。
「う〜ん…。
俺は野球部の事は分かるけど、他の部活の事はなぁ…。
だけど文化系の部活だったらスポーツ系よりは時間も短いだろうし、頻度もそんなに高くないんじゃないかなぁ?」




