悪夢のループ
"ガッシャーン"
何かが割れる凄まじい音で私は目を覚ました。
え…!?
待って…。
私はさっきまでどうしてた…?
頭がぼんやりする。
確か…私は過去に戻って来た。
そして…毒父が警察に捕まって…。
そうだ…。
この時代にはDV防止法がまだ存在してなくて、
毒父は執行猶予付きで直ぐに出て来た。
逆恨みした毒父に何度も殴られて…
それで…。
記憶が無い…。
あれからの記憶が全くない。
まさか私はあの瞬間死んだの…?
だからまたここに戻って来たって事…?
「俺を馬鹿にしてやがんのか!?キサマ!!」
「痛い…。
お願い…もうやめて…」
目の前には恫喝されてすすり泣く毒母がいる。
先程と全く同じ事が目の前で繰り広げられている。
どうすれば良かったの?
警察もダメ。
このまま放置してもこの先まだ十数年これと同じ事が繰り返されるだけだ。
どうすれば解決できるの…?
警察だけが頼りだったのに…。
何の効果も成さなかった。
十数年DVを受け続ける事でしか命が助かる方法は存在しないのだろうか?
結局私は先程の未来で毒父に殺された。
私はこのまま、またDVに怯えながら生きていかなくてはならないのだろうか?
いっそ誰かがこの人達を消してくれればいいのに…。
"ガシャーン"
灰皿が飛んできた。
どうすればいい…?
分からないまま警察が来た。
"ピンポーン"
インターホンが鳴る。
打つ手が無い。
警察が介入してもその場凌ぎで、根本的な解決には繋がらなかった。
現に私はあの未来で毒父に殺されたのだから。
私は黙って警察を見送るしか無かった。
警察は帰った。
毒母が毒父の命令通りに追い返したからだ。
「ポリ公がまだ外ウロウロしてやがるから今日はもう見逃してやる」
弱い者にはひたすら強く、強い者にはひたすら弱い最低のクズ。
死ねばいいのに…。
生きてる価値の無い穀潰し。
ふと部屋を見渡すと半分以上減ったウイスキーのボトルがテーブルに上がっている。
今日だけでこの量飲んだの!?
もはや酒豪どころでは無い。
異常者だ。
「寝る」
毒父は寝室の布団に入った。
毒母は散らかったガラスの破片や投げつけられたタバコの灰を片付けている。
毒母は
「もう寝なさい」
そう言って私を寝床へ連れてった。
まだ精神が緊張状態にある為か眠れなかった。
それに比べ早くも毒父は鼾をかいて寝ている。
考えられない神経をしているな、と思った。
先程まで散々人に危害を加えておいて痛みも罪悪感も何も無いんだなこの人は。
やはりこんな人は、人にとって害悪にしかならないと思う。
毒母も布団に入った。
ところで今何時だろう?
よく見たら枕元に目覚まし時計がある。
今は夜中の12時過ぎだとわかった。
"コチッ コチッ コチッ"
目覚まし時計の規則正しい音が聞こえている。
しばらくして毒母も寝息を立て出した。
"コチッ コチッ コチッ "
静寂の時の中で目覚まし時計の音だけが木霊している。
"コチッ コチッ コチッ"
やがて時計の音が遠くに聞こえる。
私はいつの間にか眠りについていた。
何だか焦げ臭い様な、変な臭いがする。
気のせいか…?
何となく気になって目を開けた。
うん…?
何か部屋明るくないか?
それに何だか部屋が暑い気がする。
寝る前に部屋の電気は全部消してた筈…
そう思いながらふと隣の部屋を見ると、燃えている!!
は!?
現代の過去でこんな過去無かったはず。
何が起こっているのだろうか?
いや、あれこれ考えている時間はない!!
早く逃げないと!!
ボヤ程度のレベルならば自分で火消しをすれば問題ないが、これはもうそんなレベルを超えている事態だ。
だが玄関はもう火が回っていて通れそうにない。
見渡すと台所の小窓が開いている。
これせいで火がよく燃えたのかもしれない。
いや、今はそんな事はどうでもいい。
早く皆を起こさなくては!!!
とにかく脱出経路はここしかない!!
私は毒母を起こしに行った。
深い眠りに入っているせいなのか、揺すっても叩いても中々起きない!
先に姉を起こしに行くか!!
とにかく早くしないと!
隣の姉の部屋に行き姉を起こした。
姉はビックリした表情で起きた。
「何さ、こんな夜中に…」
ムスッとしながら姉は言う。
「火事!火事!」
私も少しパニックになっている。
姉を引っ張って隣の部屋を見せる。
百聞は一見にしかずだ。
説明するより見せた方がより状況を早く理解する事が出来るだろう。
「……!!!」
あまりの驚きに姉は絶句している。
その次に毒母の寝床にいって毒母を起こす。
何度も
「起きて!早く起きて!!」
と呼びかけながら起こした末、やっとの事で起きた毒母。
「何騒いでんのさ…」
そう言いながら起きた瞬間、
「……!!!」
同じく何が起こっているか把握出来ない様子で絶句している。
毒母は隣で寝ている毒父を起こし始める。
息苦しい…。
部屋の酸素が少なくなってきているのだろう。
マズイ…窓が開いているせいで火の回りが異常に早い!!
早く窓から脱け出さないと本当に皆死んでしまう。
私は台所の窓が開いている事を教えた。
「ママ、早く!!
ここから出られるよ!
早くしないと死んじゃう!!
ママ早く!!!」
パニックになっている姉が脱出を急かす。
毒母はまだ毒父を起こそうとしている。
だが数時間前まで相当量の酒を飲んでいるせいで泥酔状態のまま深い眠りにに入っているせいであろう、何をしても一向に起きない。
"ゴゴゴゴウ…"
不味い!
いつまでもモタモタしていたらあの窓のところさえも火で塞がれて逃げ場が無くなってしまう。
逃げ遅れた事で私達も死んでしまうだろう。
「ママ!!早く!!死んじゃう!!!」
姉も相当焦ってパニックを起こしている様子で、とにかく早く逃げようとずっと毒母の腕を引きながら毒母の横で叫びっ放しである。
姉の声に毒母は毒父を諦めたのか、何かを探し始めた。
どうやらバッグを探していたらしい。
毒母は財布が入ってると思われるバッグを見つけ、持ち出すと急いで開いてる窓へ走った。
私達は無事脱出した。
この部屋は1階なので脱出は問題なくできた。
「あぁ…パパ!パパ!」
毒母が涙声で叫ぶ。
あんなのでも一応この人にとっては大事だったんだね。
「早く隣の住人を起こした方がいいんじゃない!?」
と姉が毒母に言う。
「でも…パパがまだ中に…」
毒母はバッグを抱えたまま一人座り込んでいる。
「となり、ピンポン、おす」
2歳児の喋り方ってこんな感じで良かったのだろうか?
「お姉ちゃん、はやく!」
私の背丈ではインターホンに届かない。
だから姉に代わりに動いてもらうしか無いのだ。
姉は頷いてアパートの住民の部屋のインターホンを鳴らして廻った。
「火事です!火事です!」
姉がそう叫ぶ。
驚きながら住民が次々とそれぞれの部屋から慌てて出て来る。
毒父以外の住民は皆んな無事だろうか?
暫くして、
"ウ〜〜〜!!ウ〜〜〜!"
消防車のサイレンが聞こえる。
住民の誰かが消防車を呼んでくれたらしい。
消防士が
「危険ですから皆さん離れた場所に移動して下さい!!」
そう呼びかける。
皆それに従う。
毒母は放心状態で座り込んだままだった。
「奥さん!奥さんもそこにいたら危ないですので安全な場所に移動して下さい!」
消防士が毒母に声をかける。
「でも…うちの人が…。
うちの人がまだ中にいるんです!!
お願いです!
助けて下さい!」
「分かりました、落ち着いて下さい。
今隊の人間が他に逃げ遅れた住民が居ないか見て廻ってますので、奥さんは避難に努めて下さい。」
「すみません!どうかお願いします!」
毒母が涙目で礼を言いやっと避難場所へ移動する。
火は怖い…。
今まで作り上げた物や集めた物、大切にしていた物、どんな物でも全て一瞬で焼き尽くしてしまう…。
そう…どんな人間もろとも…。
毒父は助からないだろう。
あんなに泥酔で深い眠りに入った状態で部屋が火事…。
一酸化炭素中毒でまず間違いなく…。
炎上する火を淡々と眺めてどのくらい経っただろうか?
毒父は部屋の中から消防士に担がれて出てきて、そのまま担架で運ばれていった。
そしてそれから更に時間が過ぎ、消化活動は終了したらしい。
火事の状態は出火元の部屋は無惨な状態で全焼。
消防士が駆けつけたタイミングが割と早い段階だった為、隣の部屋には少し燃え移った程度で済んだらしい。
毒父以外に担架で運ばれた者もいなく、毒父以外は皆怪我も無かった様子。
翌日搬送先の病院で、毒父は息を引き取ったとの知らせを聞いた。
毒母は泣いていた。
あんなに暴力を振るわれていてもあんな人が好きだったんだね…。
毒母の心理を理解する事は私には永遠に不可能なようだ。
毒父は助け出された時には既に一酸化炭素中毒により呼吸も止まっており、
人工呼吸や心臓マッサージなどの処置を搬送中も施行していたが、既に手遅れであったそうだ。
病院に到着した時にはもう亡くなっていたとの事だった。
私達は住んでいた部屋が全焼したので、しばらくの間母方の婆さんの家で暮らす事になった。
毒父の葬式は父方の方の両親が遺体を引き取りたいとの申し出があり、そちらで葬式をする事になった。
葬式が終わった後、私と姉は母方の婆さんの家に一度戻った。
毒母と毒父の両親との間で何か色々と今後について話し合っていた様子だった。
「子供には聞かせられない話だから」
との事で私達だけ母方の婆さんの家に戻り、過ごしていた。
そして更に後日、警察の人が事情聴取を取りに来た。
「奥さん、火事に遭ったあの日について、どんな様子だったのか少しお話を聞かせてもらえますか?」
「あの日は夜、夫婦喧嘩をしていて近くの住民が警察を呼んだみたいで、うちに警察が来ました。
そしてその後、喧嘩がおさまってうちの人は"寝る"と言って布団に入りました。
その後、私は絨毯に散らばっていたガラスの破片とかタバコの吸い殻を片付けて寝ました。
そして夜中に突然娘に起こされて起きたら部屋の中は既に火の海でした。
隣で寝ていた旦那を起こそうとしたんですが、その日はお酒を大量に飲んでてかなり酔っ払っていたせいか一向に起きませんでした。
その時は…私も…パニックになってしまってて…。」
毒母が泣き始める。
「お辛いところをすみません、話せるだけでいいのでお願いします」
「はい…。
娘は二人とも既に起きてて…。
娘も火事でパニックになってて…"早く逃げないと死んじゃう"って…。
とにかく財布と娘だけでも持って逃げないとって…思って…。
ゔぅ…ゔぅ…」
「分かりました。
お辛いところをすみませんでした。
今日はこの辺で大丈夫なのでまた後日お話を詳しく聞かせて下さい」
「はい…」
次は私の番のようだ。
警察が私の背丈に合わせて屈み、私に話しかける。
「えぇっと…雅ちゃん?」
「はい」
「火事があった日の事を覚えてる事だけでいいからちょっとおじさん達に教えてくれるかな?」
私は頷いた。
「雅ちゃんがお母さんとお姉ちゃんを起こしたの?」
「うん」
「あの火事があった日、雅ちゃんはお母さんと寝てたのかな?」
「うん」
「雅ちゃんが一番先に起きたんだよね?」
「うん」
「どうして起きたのかな?その時間はまだ皆んな寝てるよね?」
「くさかった…」
「臭かった?何か臭いがしたのかな?」
「うん」
「そうなんだ。
どんな臭いだったか教えてくれるかな?
どんな風に臭かった?」
「うぅ〜ん…こげるにおい」
「そうなんだ。
じゃあ、雅ちゃんはなんとなく部屋が焦げ臭い臭いがしたから起きたって事?」
「うん」
「起きたら部屋はどんな様子だった?」
「火、怖かった…」
「そうだよね。
怖かったよね。
と言う事はじゃあ、起きたらもう部屋は火で燃えてたんだ?」
「うん」
「そしてその後どうしたの?」
「ママ、起こした」
「あれ?でも先にお姉ちゃん起こしに行ったんじゃないの?」
「ママ、起きなかった」
「そっかそっか。
ママが起きなかったから先にお姉ちゃん起こしに行ったって事で良いのかな?」
「うん」
「皆んなを雅ちゃんが起こして、起きた後どうしたの」
「窓から逃げた」
「窓は雅ちゃんが開けたの?」
「ううん」
私は首を横に振った。
「そっかそっか。じゃ窓は元々開いてたんだね?」
「うん」
「夏場で暑かったのでいつも台所の小窓は開けてるんです」
と毒母も。
「なるほど」
「その後お姉ちゃんが起きて、お母さん起こして、窓が開いてたからそこから外に出たって事かな?」
「うん」
「そっか。
うん、分かったよ。
沢山お話ししてくれてありがとう」
「うん」
2歳児がどの程度話せるものなのか平均的なものは分からないが、とりあえずは怪しまれてはいないようだ。
私の後に姉が警察と話をしている。
数日後、火事の出火元はタバコによる絨毯への引火。
夫婦喧嘩をした際に散らばったタバコの吸い殻に消え残った火が付いている吸い殻が混ざっていたものと考えられ、
絨毯に散らばった際にそれが燃え移り、母が片付ける際にその吸い殻を見逃した事が原因で起こった火事との事だった。
現代での過去と今、何故こんな違いが起こったのだろうか?
違いがあるとしたら私の存在だ。
だけどこれといって私は何かをした覚えも過去の出来事を変えた覚えもない。
だけど食い違いが今起こっている。
よく考えてみよう。
まず火事の原因は煙草の吸殻による引火だ。
現代の過去でもつい先程の未来でも火事は起こらなかった。
つい先程の未来では私が倒れた後、おそらく救急車を呼んだだろう。
その後皆がどうしていたのか不明だが、救急車を待っている間に毒母が吸殻を見逃さず片付けていた…。
もしくは姉に片付けを頼んで毒母は私に付き添った可能性が考えられる。
どちらにしても吸殻を見逃していないと言うのが前提だ。
そして火事が起こらなかった…と言うか、もしかすると絨毯に穴が開いていた程度で済んだのではないかと推測する。
その程度のものなら2人とも騒がないし、わざわざ言わないだろうし。
寧ろそうとしか考えられない。
そして現代の過去も…火事が起こらなかったと言うことは吸殻を見逃さず片付けたと言う事なのだろう。
見逃していたのなら今の様な惨事になっていただろうから、そう考えるのが一番自然である。
では今…何故見落としが起きたか?
現代の過去と状況は同じはず。
だからやはり現代の過去とは違う私の行動に原因があるのかもしれない。
現代の過去の私は部屋で…おそらく隅っこで震えていただけ…だろうな多分…。
隅っこから動かなかったと考えたら吸殻が飛んできた場所からは割と離れた位置にいたのではないかと考えられる。
それに比べ、今世での私と言えば…散らばってるガラスの破片で、私が死んだ未来の時に、手を切った事を気にして今世では破片から離れた位置に移動した事を思い出した。
そうだ!!
移動した時私は散らばってた吸殻を踏んで不快な思いをした覚えがある!!!
あの時は足についた灰を払うのに夢中で何も考えていなかったが、それが原因なのだろうか?
よく考えよう…。
どんな場所にあったら見逃すのか…。
ザッと見て見えない場所…。
何かの下とか、何かの間とか…か…?
仮に何かの下だったと考えたら近くに何があった?
あの辺にはテーブルとテレビがあった。
だがテーブルの下って見落とす可能性が低いのではないか?
意外にテーブルの下って皆んな掃除すると思う。
いつも使う場所だからテーブルの下が汚れていたりしたら気になるから皆んな掃除をする時に意外に気を付ける場所なのではないだろうか?
そう考えるとテレビの下はそれに比べて汚れていても意外に誰も気にしない。
気にしないようにするのではないだろうか?
何故ならテレビが重いせいでそれが乗っている台をよかせるのにはある意味一仕事のような労力を必要とするからだ。
つい
"大掃除の時にでも…"
などと考え、後回しにしてしまう傾向にある場所である。
考えると恐ろしい事だが、その下に火のついた吸殻がもしも転がって行ってしまったとしたら…。
うちのテレビ台は脚の部分がキャリーになっていて床とは数センチの隙間が空いていた。
だから可能性としては十分にあり得る。
私が吸殻を踏んでしまった事により、足に当たった吸殻がテレビの下に転がって行ってしまったのだとしたら…?
…何という悪運なのだろうか?
私は今日、人を1人殺してしまったのかもしれない…。