突然の訃報
冬休みもあっという間に終わり3学期に入った。
こんな事を考えるのは少し気が早いが1年って本当にあっという間だった。
某ゲームのエンディングの様に
"思えば…勉強ばかりしていた様な気がする"
と言う一言がピッタリだった1年だった。
そして私の頭の中でバッドエンディングのテーマ曲が流れる。
結構1年間色々頑張ってたんだけどな…。
いやいや…そもそも私の学生生活まだ始まったばかりで終わってないし!
と自分で自分にツッコミを入れる。
そういえば、あと3ヶ月後くらいには2年生なんだなぁ。
とは言っても別に何かが変わると言う訳でも無いのだが。
とは言えこうして1年1年を意識して過ごせると言うのは凄く良い事だなと思った。
社会人になると職業によっては仕事に追われているうちに曜日感覚しか無くなり、日付など気にもしなくなったりするケースも良くある。
友人も彼氏もいない私からすると年末のクリスマスも正月も関係ないし、寧ろ世間が正月だのバレンタインだのとイベントに力を注ぐお陰で仕事が殺人的に忙しくなる一方だったのだ。
寧ろイベントなんか無くなってしまえ!
とさえ思っていた程だ。
だから仕事と家の往復を繰り返しているうちに、気付いたら年が明けている事など珍しくも無かった。
年明け直後の出勤時に会社の人に
「明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします」
と挨拶されてからやっと年が明けた事に気付くというのはザラだった。
だからこそ学生時代のうちに色々なイベントを楽しんでおくべきなのだろうが、如何せん一緒に過ごせる様な相手もいないので、私とイベントはどんどん縁が遠くなる一方なのだ。
はぁ〜…我ながら寂しい人生だよなぁと思う。
だけどそんな未来を変える為にこの時代に戻って来たのだから今世こそ未来に期待が出来るように頑張ろう!
ショゲている場合ではない。
そう自分を鼓舞する。
色々妄想している間に授業が始まった。
5時間目は学級会だった。
議題は3月には引っ越してしまう方々のお別れ会について、だった。
そっか…親が転勤族だったり色々な事情から3月〜4月の季節は引っ越しが多くなるシーズンだった。
私もかつては転校生に憧れた事がある。
単純に転校生になってみたかった。
今となっては何故そう思ったのかよく分からないが、きっと日々のマンネリから子供なりに刺激を求めた結果なのかもしれない。
だけど
"今も転校生になりたいか?"
と聞かれたら今なら
"いやだ"
と答える。
もしも引っ越してしまえばあの人にはもう二度と逢えなくなるからだ。
それだけは最も避けたい事態である。
まぁ家の毒親は転勤族でもなんでも無いのでそんな悩みは皆無だが。
さて学級会の話の流れは
"お別れ会は何をするか?"
"何をしたいか"
と言う所で挙手を求めている、と言った所だ。
皆んな積極的で
「はい!
はい!
ハンカチ落としやりたいです!」
ハンカチ落としか…。
懐かしいな。
高校時代に部活の先輩後輩含めたメンバーで部室でハンカチ落としをして滑って転んで部室の障子を破った事があったな…。
あの時は部活の顧問にめちゃくちゃ怒られた。
苦い思い出だ…。
「はい!
フルーツバスケットをやりたいです!」
これまた懐かしいな!
そもそもそのゲームのルールすら忘れた。
「はい!
皆んなで合唱したいです」
いいね!
どれも手間もお金もかからなくて!
素晴らしい!!
いいよ、いいよ皆んな♪
早く決めて早く帰ろう!
放課後残るの嫌だし。
「他に何か意見がある人いませんか?」
学級代表が言う。
もう提案が出尽くしたのか皆んな静かだ。
「特に無ければフルーツバスケットとハンカチ落としと合唱に決まります。
良いですか?」
学級代表の言葉に
「良いでーす!」
と皆んなで声を揃える。
スムーズに時間内に決まったようだった。
スムーズ過ぎて時間に余裕が出来たようで山岡は学級代表とチェンジをして違う議題に入った。
「まだ時間がありそうなので今この時間を使って色々説明してしまいます。
今年卒業する6年生を送る会で何か演し物をやるんですが、1年生は合唱する事に決まりました。
歌う歌は思い出のアルバムを歌います。
その歌の歌詞のプリントを今全員に配るので次の音楽の授業の時に皆んなで練習しましょう。
しっかり覚えるように!」
プリントの歌詞に目を通すとどうやら知っている歌のようだった。
曲名を聞いた時はあまりピンと来なくて分からなかったが歌詞を見て歌った事のある曲だとやっと認識できた。
そっか、思い出のアルバムと言う曲だったんだね。
最後の歌詞の
"もうすぐ皆んなは一年生"
の所を横線で修正されていて
"もうすぐ皆んなは中学生"
と書き換えられていた。
「皆んなプリント行き渡った?
貰って無い人いる?」
山岡の声に皆んなシーンとなる。
状況からして問題ないようだ。
「まず説明をすると歌詞の最後の所横線引っ張って直してあると思うんだけど、1年生と歌うよりも今6年生の子達は皆んな春には中学生になるので、中学生と歌った方が気分が出るので今回だけはその歌詞で歌いましょう!」
ま、どっちでもいいけどね。
小学校ってたまによく分からないアレンジあるよね。
まぁ教員も一応時間使って少しは考えたものなのだろうから文句は言うまいね。
そうこうしているうちにチャイムが鳴った。
やった〜下校時間だ♪
帰ろ帰ろ!
最後の授業が終わる時のこのチャイムって心の解放感があってたまらなく良いよね!
3学期は6年生を送る会とやらの練習と6年生へのメッセージを書いたメッセージカードなどを作る授業が割合的に多かった気がする。
何の面識もない人に
"大変お世話になりました"
とか
"ありがとうございました"
などと言うメッセージを適当に書く恒例行事も無事終わったのであった。
―春休み―
休みは短いけど宿題が無い事が1番嬉しい!
学校はそうなんだけど塾の宿題は相変わらずだった。
塾の先生が大喜びで沢山宿題を渡してくるのだ。
う〜ん…時代が時代だから特にしたい事が無いとは言えたまにはちょっと休みたいかも。
そう思った瞬間去年の春頃に爺さんが
"休みたいとか辞めたいとか言い出しやがったらただじゃすまねぇからな"
と言っていたのを思い出して身震いをする。
1番になるだなんて大口叩いてしまったしなぁ。
あの時色々と必死だったとは言えもう色々と後には退けないんだよね…。
溜め息をつきながら塾の宿題に取り掛かる。
そして週が明けて私は2年生になった。
2年生はクラス分けが無いので2年生の教室の方のB組に入る。
朝のチャイムが鳴って授業が始まるも遅れて入ってきた男子が1名。
教室のドア先の教員同士の会話からどうやら1年B組に行ってしまったうっかり屋らしい。
クラスに1人はあるあるなキミは確か…山岡オババに年齢聞いて怒られてた地雷屋君だね?
そういえばある時には山岡の機嫌が悪い時にわざわざ教科書を忘れて来て後ろに立たされていたね。
今年も1発目からキメてきたね?キミ。
2年生始めの始業式はこうして始まった。
地雷屋君こと小野寺君も去年の学習を少しはしているためか特に地雷を踏む事も無く平凡に学校生活は過ぎ去って行った。
そして季節が夏に変わっていた頃授業中に突然教室のドアをノックする音が聞こえた。
驚きながら山岡が
「皆んなちょっと待っててね」
そう言いながらドアを開けて廊下に出る。
廊下で誰かと話しているようだ。
話し声は聞こえるが内容までは聞こえない。
何か違う学年か隣のクラスとでもトラブルでもあったのだろう。
そんな事を考えながらボンヤリしていると廊下から戻ってきた山岡が
「相瀬さん!」
と私を呼んだ。
え!?
私!?
驚きながら
「はい」
と返事をする。
「お母さんが来ているから荷物纏めて今日はもう帰りなさい」
と山岡が言った。
「はい」
何か家で重大な事でもあったのだろうか?
…でも過去に同じ事があったかどうか思い出せない。
狐にでもつままれた気分で机の中の教科書一式を纏めてランドセルに入れる。
クラスの皆んなも何が起こったのか分からない模様ですかさず
「どうしたの?
どうしたの?」
と聞いてくるし、山岡にも聞いている。
どうしたものか私の方が知りたいものだ。
だから
「さぁ?
分かんない」
としか答えようも無かった。
山岡はクラスの皆んなに
「はい!はい!
今は人の事はいいので皆んなは授業に集中して下さい。
今は授業中です、休み時間ではありません!
皆んなは黒板の方を見て!」
そう言って授業を続けた。
私は帰り支度を終えて山岡に軽く挨拶をし廊下に出た。
毒母が待っていた。
「学校出てから話すからとりあえず玄関行こう」
と毒母はそう言って歩き出した。
静まり返った廊下で私達の足音だけが木霊していた。
外へ出て毒母と歩きながら話す。
祖父が亡くなったらしい。
やっと思い出した!
祖父は癌で亡くなったのだった。
こんな重要な事を私はすっかり忘れていた。
会社の健康診断で癌が発見されたらしいが、発見された時にはもう既に手遅れだったらしい。
だから本人の希望により治療を諦めて痛み止めなどを病院で貰いながら自宅で短い余生を過ごしていたらしい。
周りの大人達が何も言わなかったので分からなかったが、その頃自宅でターミナルを迎える事を決めた頃から会社を畳む準備も始めてたとの話を聞いた事があった。
毒両親はその会社の後片付けやらお得意様への最後の挨拶やらで何だかんだいつも家にいなかった為、今日まで何も気付かなかった。
爺さんの家なんてあまり行かないし、祖父から
"子供には余計な事は言うな"
と固く口止めもされていたらしい。
祖父曰く馬鹿息子に経営は無理だし自分の親族達も皆んな歳だからそれぞれが色々な持病を発症していたりなどの悩みから店を畳む事を決めたらしい。
うちの親族、癌家系なんだよね。
私も将来癌で死ぬんだろうなきっと…。
漠然とそう思った。
家に帰って入学式の時に着た正装っぽい黒めの服に着替えさせられ葬式に参列する。
葬式には次々と知らない親戚達が現れ、挨拶を交わす。
今日はお通夜。
皆んなおつまみとビールを飲みながら数十年ぶりに会った者同士世間話を始めてる。
聞いていてもつまらない話ばかりだ。
内容の殆どが日々の仕事の愚痴だったり、自分の人生の苦労話や自慢話である。
線香だけあげて適当に時間を潰したら近所だし帰らせて貰おう。
祖父が亡くなったのは凄くショックだが普段あまり関わりのない生活を送っていたせいなのか、何となくあまり悲しい感情は沸き起こっては来なかった。
勿論塾の費用を出して頂いていた事には凄く感謝をしている。
だけど今後どうするのだろうか?
塾の費用はどうなるのだろうか?
私はこっそり毒親に聞いた。
毒父は
「子供が余計な事考えなくて良い。
俺は勉強ダメだったからお前は頑張れよ」
そう言った。
普段ならあまり期待されると嫌なのだが、今回に関しては期待されているお陰でお金を出して貰えそうだから感謝をしたい。
私は未来を変える為に過去へ戻って来た。
だけど努力じゃ人の寿命は変えられない。
寧ろ可能だったとしても命は変えてはいけない様な気さえする。
こればかりはどうしようも無いことなのだ。
だけど祖父にはもう少し長く生きていて欲しかった。
せめて私が成人するまでは。
だが…人の命は変えられない。
どうしようも無いのだ。
そう自分に言い聞かせた。
数日後無事に葬式も終わりいつもの日常に戻った。
祖父が亡くなった事以外は何も変わらない普通の日常を送っているうちに気付いたら年も変わっていた。
私はもうすぐ3年生になる。
来年はクラス替えだ。
とは言っても誰と誰が同じクラスになって…とかは何となく覚えている。
ここまでずっと大体は過去の私の歴史通りなので3年生になっても大した変わらないであろう。
―春休み明け―
教室前に貼られたクラス表を見て私は驚いた。
過去の通りだと私は3年B組だった筈。
だけど3年B組に私の名前は無かった。
何度も見直したがやはり私の名前は無い。
A組の方のクラス表を見に行った。
すると…あった!!!
何故かよく分からない所で未来は変わっていた。
昔何処かでクラス分け事情を聞いた事がある。
ピアノを弾ける人は同じクラスにならないし、他にも成績順なども考慮されており偏りがクラスによって出ない様考えられていると。
私は過去と同じくピアノは弾けない。
楽譜すら読めない。
勿論生まれつきの身体能力も中身が大人に変わった所で変わる訳ではない。
違う所があるとしたら勉強だ。
たかが勉強、されど勉強。
勉強一つで未来がこうして何かしらの変化をもたらしたと言う事が事実となったのであった。
あとは私の努力が無駄でない事を信じてこのまま未来へ突き進みたい。
何はともあれ今日から新学期。
また1年平和に頑張って生きて行こう。
目立たず、主張せず、大人しく!
これを目標にして頑張ろう。