9
その日の夕暮れ近く、ライナスはアレクと数人の隊員を連れ、ある一軒の屋敷を訪ねた。
オーレンの姿はない。皆、一様に硬い顔つきで屋敷の門を潜っていく。
その屋敷は麓の町からわずかに東へいったところにあった。
山を背にする形で構えられた館は、土地だけは広かったが、建物としてはさほど大きなものではない。貴族の住まいとしては小規模といえたが、あくまで上流階級においてはという話だ。このあたり一帯の中では、煉瓦造りの二階建ての屋敷は一際めだつ存在ではあった。
しかし、ライナスたちが足を踏みいれた前庭は、ただただ広いばかりでろくな手入れがされていない。かろうじて玄関までの道のりは、綺麗に嵌められた石畳や刈り揃えられた生垣によって、体裁を保っている程度だ。遠くに目をやれば、そこは野原か森かといった有様だった。――もしかしたら、彼らに理解できないだけで、意図された景観なのかもしれなかったが。
隊員たちが見るともなしにあたりに視線を投げかける。その中でライナスだけはじっと前を睨み据え、彼のうしろに続くアレクは憂いも深く足元を見つめていた。
たどりついた正面の両開きの扉が、彼らが足を止めるのを計ったように開いた。
「おまえたちか、こどもを連れてきたっていうのは」
神経質そうな響きを持つ声が、唐突に浴びせられる。とともに薄暗い扉のうちから姿を現した男が、値踏みするようにライナスたちを眺め回した。
痩せぎすの身体を、似合っているとは言い難い、見るからに高そうな衣服で包んだ男だった。
年のころはライナスと同じくらいか、若干上だろう。厚くもない胸を張り、黒い目に見下す――というよりは、汚いものでも見るかのような風合をのぞかせている。
この男こそが、このあたりを領地とするルドーという貴族であった。
一通り目を走らせ、ルドーは鼻を鳴らした。顎をしゃくり、ライナスのうしろに隠れるように立つアレクを示す。
「で、そいつか?」
「――ああ」
短く発して、ライナスは無表情で背後のアレクを自分の前へと押しやった。
アレクは身体を震わせ、しかし逆らうことも諦めたのか、導かれるままにルドーの前に立つ。
「これが、例のこどもか?」
ルドーがうしろに控えた二人の衛兵に声を投げる。それに互いに顔を見合わせ、一人が自信なさげに口を開いた。
「……おそらく、このこども、かと。デイルは赤毛で緑の目をした、十歳すぎたくらいのこどもだと言っていましたから」
ルドーは再び鼻を鳴らすと、俯いたままのアレクの顎を掴んだ。小さく声をあげたアレクに構わず、その顔を強引に仰むける。
アレクは一瞬瞳に怯えの影を走らせたが、自らを奮いたたせるように、自分を見下ろす顔を睨みつけた。
「ふんっ、たしかに生意気な緑の目だな」
アレクの態度が気に障ったのだろう。言い捨て、乱暴にアレクから手を離す。
その勢いによろめいたアレクの背が、とんとライナスにぶつかった。
それにもライナスは頓着するそぶりはない。静かに細い両肩を前に押しやる。
「では、たしかに」
淡々と告げ、肩越しにうしろにたたずむ隊員たちにライナスは頷きかけた。そのまま、踵を返そうとした彼を、待て、とルドーが高く呼び止める。
「おまえたち、このこどもからなにを聞いた?」
「なにも」
感情を映さない瞳が、ルドーを見据える。
だが、ライナスを見返すまなざしに宿った疑心は、彼の言うことなどまるで信用していない。探る目つきが、アレクとライナスを交互に射た。
「デイルからの報告によれば、おまえたちはこのこどもを匿ってたはずだな。あいつらに渡さず、連れて逃げたとか……なのに、今になってここへ連れてきたのは、どうしてだ。え?」
すでになにもかもをアレクから聞きだし、その上で用済みのこどもを置いていこうとしているのではないか。
ルドーがそう考えていることが、だれの目にもあきらかだ。
察しているだろうライナスは、けれど眉一つ動かさない。
「この子を連れているとこちらが危ないと判断したのでね」
「なに?」
「こちらの気遣いをよそに、無謀なことを繰り返してくれる。そのたびに振り回されて、危うい目にあう。幼い子をあんたたちのような輩に預けるのは、正直気に喰わない。が、しかたがない。こちらとしても、会ったばかりのこどもと大事な仲間の命を量りにかけるわけにはいかないのでね」
それにあんたたちはしつこそうだ。
言い置いてライナスは今度こそ、ルドーたちに背をむけた。いくぞ、と目顔で隊員たちを促す。
俯いて立ちつくすアレクをそのままに、門への道をひき返しはじめたライナスたちの背後で、かちりと鍔の鳴る音がした。
「おまえたち、このまま――」
「もうすぐ、日が暮れるな」
帰すと思うのか。
そう、扉のうちに控えた兵たちに号令を発さんとしたルドーを、ライナスが淡々と遮る。静かな、しかし他を圧するその声が、ルドーの喉を塞いだ。
ライナスが片脚を半歩退かせて、身体ごとルドーへむき直る。ここへきてからはじめて動いた表情は、口元に薄らと笑みを浮べていた。
「その前に我々を帰した方がいい」
「……どういう、意味だ」
唸るような問いに、ライナスは『どうということはない』と町の方を顎で示す。
「あちらに我々の仲間がいる。わたしたちが日が沈むまでに戻らなかったら、彼らが迎えにくる、それだけの話だ」
山へ兵力が割かれている今、ここにはたしてどれだけの人間がいるのかは、知らないが。
揶揄するように告げるライナスに、ルドーの顔が憤怒の色に染まっていく。
実際、この屋敷のうちには最低限の護衛しか残っていなかった。ルドーのような力の弱い田舎貴族では、抱えていられる兵も多くはないのだ。
「き、さま…っ」
噛み締めた歯の間から怒りが零れる。けれど、不利を悟るだけの理性は残るらしい。震えるルドーの手は合図を振りおろすことはなかった。
それを察して、ライナスは外套を翻す。今度こそ振り返ることもなく遠くなっていく影を憎々しく眺めやりながら、ルドーがうしろの兵に吐き捨てた。
「このこどもを、どっかに放りこんでおけっ。逃がすんじゃないぞ。あと、人をやってデイルを呼び戻すんだっ」
そうして兵が荒い手つきで腕を掴むまで、アレクはただ黙然と扉の前にあった。
逃げだす気など起こさぬよう、手をうしろに括られたアレクが、重い足どりで山道を進んでいた。
思うように動かぬ身体は、些細な道の変化にも足をとられる。前につんのめりそうになるたび、両脇に控えた兵が乱暴に襟首や肩を掴む。その都度走る痛みに、アレクは顔を顰めた。
「あとどのくらいかかる。かなりきたぞ」
面倒な色を隠しもしない声を、媚びるような声音が懸命に宥めるのが、背後から聞こえてくる。
「もっと早く歩かせろっ」と飛んでくる怒号に、背を強く押され、アレクはたたらを踏んだ。
「まったく。術士が世界の愛し子などと、もてはやされるほどのものか。大したこともできないじゃないか」
馬上から降る蔑みに、アレクは強く唇を噛み締めた。
――だったら、その力をあてにしている自分たちはどうだというのだ。挙句、薄汚い欲望のために村の人たちを皆殺しにした、自分たちは。
そう、心のうちをぶちまけそうになるのを、じっと堪える。今の状況を思えば、騒ぎなど起こせない。
わかってはいても、アレクの胸中の不快感と憎悪は増す一方だった。
ルドーという男が、昨日アレクにむかってまず口にしたのが、
「おまえが術士だというなら、ここへ金をだしてみせろ」
そんな居丈高な命令であった。
アレクは言われたことの意味が掴めず、思わず男を見上げていた。信じて疑わない、というより、言うとおりにしないアレクにいらだつ目に、アレクは己が身の上を忘れ、唖然となった。
できるはずがない。
術士の力とは、無からなにかを生みだすものではないのだ。そこにあるものを借りた力にすぎない。当然、自然の流れに逆らうことはおこなえない。
それは術士である者にとっては、立って歩くように、言葉を操るように、当然の認識だった。人間が空を飛ぶことができないのと同じように、なにもない卓上に金の塊をだすことなど不可能なのだ。
そのあたりは理解していたデイルに、金を入手するには坑道まででむくしかないと説明されたルドーは、ひどく嫌な顔をした。山の道のりはけして楽なものではない。さらに山に掘られた横穴にはいるなど、彼にとっては地を這うにも等しい行為だったのだ。
けれど、金を掘りだす作業をデイルや兵たちだけに任せるほど、ルドーは彼らを信用してもいなかった。だからこそ、こうして文句を言いながらも山道を馬で進んでいる。
思いだしたように投げかけられる罵声と、理不尽な暴力に、アレクは耐えて足を運んだ。口元をひき結び、前方を睨みつける。
しかし、一歩踏みだすごとに、怒りとは別の不安が、澱のように積もっていくのだ。胸を塞ぐそれに、アレクは息苦しささえ覚える。ふと気を抜けば、圧しかかる重苦しさに泣きだしてしまいそうだった。
ただ、そんなアレクへ、時折励ますよう触れる気配がある。その存在に背を押されるようにして、アレクは秘密の鉱脈との距離を縮めていった。
もとは道があったのだろう地面も、かなり前に廃坑となった今は獣道のような名残があるだけだ。
かろうじて馬でいける道のりを、男たちは村をすぎたあたりから目印をつけながら進んでいった。
そうしてたどりついた先の、黒々と口を開ける穴を目にして、ルドーを始めとした一行は喜色を滲ませた声をあげた。
「ここか……」
歓声、とまでいかないのは、ここに本当に金があるのかという疑念があるからだろう。朝から歩きづめの疲れもあったかもしれない。
しかし、逸る気持ちは抑えがたいのか、ルドーはぶつくさと文句を言っていた疲労もなんのその、兵たちに準備をさせた。松明に次々に火がつけられ、中の様子が探られる。
「どうも、中は相当に枝分かれしているようです。どちらに進んでいったらいいのか…」
皆目検討もつかない、とあげられた報告に、ルドーは鼻を鳴らした。
「だったら、このこどもに案内をさせればいいだけの話だ」
顎をしゃくり、目顔で連れていけと告げる。
わずかに嫌がるそぶりを見せたアレクを、ひきずるようにして穴に連れていく。彼らを先頭としてルドー、デイルが続き、あとに道具を手に手に兵たちが従った。
坑道の中は狭かった。
横幅はなんとか人が三人並べるほどだが、天井が低く圧迫感がある。背の高いものは気をつけていないと、剥きだしになった岩に頭をぶつけそうだ。
灯りがなければ、前もうしろもわからぬ真っ暗闇に、地を踏む音が反響する。じめじめと湿った空気が淀み、どこからか風が抜けるのか松明の炎が時折強く揺らめいた。
「気味の悪いところだ……」
ルドーが呟く。それすらも大きく響く坑内に、最初は囁きあうように声を交わしていた者たちも、ほどなく沈黙した。
ちらちらとうしろを返り見る者も、すでに望めぬ入り口に本能的な恐怖を覚える。返る足音に追われているような感覚で、前に続く灯りだけを頼りに懸命に足を動かす。
分岐点のたび、アレクへ低く脅しつけるような確認が繰り返され、やがていきついた分かれ道で一行の動きが止まった。
「なんだ? どうした?」
いらだつような、怯えるような声音で、ルドーが口早に問う。
アレクがゆっくりと見返った。
「ここが、最後。あとは左手の奥が……」
「この奥に金があるんだな!?」
言い止したアレクの肩を押しのけるように、ルドーが左側の穴へ身をのりだす。
松明をかざしてなお奥の見えぬ先に、それでも興奮したまなざしを投げたルドーが、アレクに目を戻した。
「机の上に金をだすことはできなくても、土の中にある金をとりだすことはできるはずだな?」
とっととやってもらおうか。
そう、見下ろした居丈高な目を、アレクが無言で振り仰ぐ。
「……れが」
炎を映し赤く輝く双眸が、不躾にルドーを見返し、震える唇が小さく声を零した。
「なに?」
不快さと怪訝さに細められたルドーの目を、それまでたいして抗う風もなく従っていたこどもが、大きな瞳に怒りを湛え、睨めつける。
「……だれが、あんたたちのために、力なんか使うもんかっ。金が欲しいんでしょ? なら、あとは勝手に掘ればいい!」
「! きさまっっ」
アレクの口から迸った感情が、暗闇にわんわんとこだまする。それが収まるのも待たず、激昂したルドーがアレクの細い身体を力任せに張り倒した。
避けることもできず、だんっ、と穴の横壁に叩きつけられたアレクは、ずるずると崩れおちる。その胸倉を掴みあげたのは、デイルだった。
「っのガキ、ルドーさまになんて口ききやがるっ。もっと痛い目みないと、自分の立場がわからねぇらしいな」
強く揺さぶられ、だがアレクは痛みに歪む顔を縦に振ろうとはしない。
「立場? どうせ、殺すつもりなんでしょ? みんなみたいに!」
泣くような、笑うような、乱れた声が叫ぶ。
がんとして受けつけないアレクに、ルドーが鋭く舌を打った。払う仕草で手を振る。
「もういいっ、そいつを始末しろ、デイル!」
使えないやつに用はない。
吐き捨て、うしろで唖然と立ちつくす兵たちに、「いけっ」と左側の穴を示す。
我に返ったように奥へ進みだした兵に続いて、ルドーがいらだたしげに靴を鳴らした。
「領主を蔑ろにする領民など、たどる末路は一つだけだ。揃いも揃って莫迦な親子だっ」
捨て台詞を最後に、足音と松明の灯りが坑道の奥へと消えていく。
それを見届けて、デイルはゆっくりと立ちあがった。左手に持つ灯りを、壁によりかかるように倒れたアレクへかざし、口元に爬虫類じみた笑みを浮べる。
「おとなしくしてれば、もうすこし長生きできたものを。おまえのおかげで、俺もとんだ迷惑だ」
空いた右手を、腰にさげた剣へ伸ばす。かちり、と音とともに鞘から顔をだした刀身が、松明を映して煌く。
「恨むんなら、自分たちを恨むんだな」
その一言を最後に、デイルが慣れない動作で剣を抜き放つ――
「……っ」
反射的にアレクが目を閉じた瞬間、がっ、と鈍い音がした――が、衝撃はこない。代わりに続いた重い響きに、アレクは薄く瞳を開けた。
目の前に、崩れおちた黒い塊が転がっている。
「――大丈夫か?」
ひどくやられたみたいだな。
静かにおとされた囁きに、アレクが顔をあげる。そこにはデイルの手から松明を拾いあげるオーレンと、奥の様子をうかがうリディオ、二人の姿があった。