8
ぱきりと枝を折り、かろうじて互いの顔を判別できるくらいに焚かれた火の中へ放りこみながら、オーレンはアレクを見遣った。火からすこし離れた場所に、アレクは毛布に包まり、疲れたように眠っている。
川の流れる音が、夜になり一層身体に沁みるように聞こえていた。
時折森の遠くから獣の声がする以外は、ほかに音らしい音もない。近くで仲間の交わす会話も、低いとりとめのない響きとなって耳に届く程度だ。
「――結局、あいつを狙ってるのは、ルドーってやつなんだろ?」
「アレクや、長の話を総合すると、そういうことになるね」
炎のむこうから、囁くようなリディオの声が返る。今は赤く輝く両眼が、ついっとオーレンを捉えた。
なにが言いたいのだ、と問うそれに、オーレンもアレクからリディオへと視線を移した。
「長によればそのルドーとかってのは、このあたりの領主なんだろ? となれば、必然的にそいつは貴族だってことになる」
貴族としての地位がどれくらいなのか。それはこの国の事情に明るくないオーレンにはわからないことだ。
だが、すくなくとも独断でエカルド兵が動かせる程度には、権力を持っていることになる。
「それが?」
「あのテイズって野郎が、自分一人ではどうにも手が打てず、その領主へ金鉱脈の話を売りこんだ。欲に目が眩んだ領主が、村を襲ったってのは、わかる」
人間、欲がからむと、想像を絶する残酷さを発揮することは、オーレン自身よくわかっている。
この旅でも、何度かコルアンの隊商は盗賊やごろつきに襲われた。大陸中が戦乱に浮き足立っているこの時代、そうした犯罪が横行しているのだ。比較的大きな隊であったから、なおさらだろう。
そういった連中は、目的のために容赦など知らない。護衛を連れない隊が皆殺しの憂き目にあったという話は、ざらに転がっているのだ。
だからこそ、エカルド兵が村人をこどもにいたるまで死にいたらしめたことは、許しがたいことだが納得はいく。もともと、領主も彼に囲われた兵も、領民を人とも思っていないような者たちだったのだろう。
「けど……なんで、ああまでアレクに執着するんだ? 金脈の場所が知りたいだけなら、貴族の権力でも金でも使ってほかの術士を探せばいい」
「そりゃ、アレクの口からほかのだれかに鉱脈の場所を話されたくないからでしょ。村の全員の口を塞いだくらいだからね」
それに、とリディオは眠るアレクを一瞥した。
「その領主は金のことを広くほかへ知られたくないのさ。なんといっても、取分が減る。だから、軍にだって別の地系の術士がいるだろうに、アレクを執拗に追う」
「地系の術士、か……」
術士は持つ力によって、有する水晶の色が違う。
アレクのように地系なら黄水晶であり、風は無色か白、火は紅か紫、水には煙水晶と呼ばれる所以の灰味がある。
話には聞いていたが、実際に目にしたそれは、オーレンには他の貴石となにが違うのかわからなかった。アレクに力がなければ、ただのお守りかと思ったかもしれない。
けれど、その価値を知っている者にはただの貴石以上に貴重な品なのだ。
実際、思い返せば村で倒れていたこどもは、ほとんどが首から胸にかけて破れていたり、開いていたりと乱れていた。暗闇の中、おそらく手に持った松明の炎だけではこどもの判別が利かず、水晶を探して兵たちは手当たり次第にそうしたのだ。
「こいつは、自分の力をどう思ってるんだろうな」
オーレンがぽつりとおとしたのに、リディオは肩を竦めた。
「それはわからない。本人以外の、だれにもね」
「そう、だな。けど……疎んじてないと、いいと思う」
火明かりに浮かびあがるあどけない寝顔を見下ろして、オーレンは独り言のように続けた。
「オレには力のことはわからない。けど、こいつのまわりの森の空気は、優しい感じがする。こいつは――アレクは、この土地に愛されてるよ」
思えば、木々はいつもアレクの心に反響するように、枝を揺らしていた。
アレクが術士ゆえに、森はアレクに優しいのか。大地が愛するがゆえに、アレクが術士なのか。
オーレンにはわからない。わからないが、その関係を温かいと思うのだ。
穏やかに目を細めたオーレンに、リディオが静かに相づちを返す。
二人の間におちた沈黙に、気がつけば聞こえていたはずの仲間たちの声も一層疎らになっていた。いくつか焚かれていた炎も、あと二つ三つを残す程度だ。
「オーレン」
「ん?」
「おまえも今夜はもう眠った方がいい。怪我、痛むんでしょ」
さらりと告げられ、オーレンは思わず苦笑した。顔や態度にだしたつもりはなかったが、実際腕の傷が疼いていた。わずかに熱を持ったのか、血の巡りにあわせて熱い脈動を感じるのだ。
「……ばれてたか」
「というよりは、そうなって当然なの。ここは、しばらくは俺が見とくから」
リディオが払う仕草で、横になることを促す。それに押されるように、オーレンは手近にあった毛布を手にとった。
「じゃ、先に。おやすみ」
「ああ」
寒さから身を遮るように、外套の上から毛布を巻きつけ、雑嚢を枕に横になる。
やはり疲れていたのだろう。目を閉じると、そうと意識するほどもなく、オーレンは眠りにおちていった。
激しく肩を揺り動かされ、オーレンは唐突に眠りから放りだされた。
一瞬、なにごとかと瞼を瞬かせる。が、鋭く名を呼ばれるにいたり、オーレンははっと意識を覚醒させた。
毛布を跳ね除け、身を起こす。
時は暁ごろだろうか。あたりはまだ薄暗い。
ただ、周囲はそんな夜明け前の静けさとは裏腹に、どこかざわついていた。
「オーレン」
まだ寝ぼけているのかといらだちまぎれの声がかかる。それに、いや、と首をむければ、あったのはザックの顔だった。
「どうした?」
見回せば、自分の傍にあった火はとうに燃え尽きていた。眠る寸前まではいたリディオの姿がなく、なにより、アレクがいない。毛布だけが、アレクのいた場所にわだかまっていた。
これで、なにもない方がおかしい。
「アレクが、消えた」
「! なんだって?」
連れ去られたのかと身構えれば、察したザックが否定した。
「アレクは自分から離れたんだ」
「自分から……?」
「ああ。見張りをやってたやつが言うには、半時ほど前に起きてあっちへ歩いてくのを見たらしい」
そう指さすのは、山の岩肌が川の方へと迫りだしているあたりだった。隊のいる位置からは死角になり、そのむこうは見通せない。
「用でも足しにいくと思ったんだな。そのまま見送ったが、待てど暮らせど帰ってこない。なにかあったんじゃないかと様子を見にいった時には、もう谷で目の届くところにはアレクはいなかった」
「異常は?」
「ない。騒ぎや水音はおろか、声一つあがらなかった。アレクにしても、寝起きで足元もおぼつかない風だったから、見張りも特に警戒しなかった。ところが、だ。探しはじめてみりゃ、アレクが持ってた弓と矢が消えてやがった」
そこまでこればたどりつく結論は一つしかない。
アレクは意図的に消えたのだ。おそらくは、父親の――村の、報復をしに。
「――っの、莫迦ッ」
灰茶の目を憤りに輝かせ、オーレンはざっと地面を鳴らして立ちあがった。すぐさま駆けだそうとして、だがその手をザックにとられる。
「はなっ、」
「まずは聞けって」
勢いに任せて振り払おうとしたオーレンを、強い力がひき止める。有無を言わさぬまなざしが、オーレンを下から覗きこんだ。
「いいか。ライナスはほかのやつと一緒に一足先に探しに山へはいった。アレクは復讐が目的だから、あのデイルって男か、ルドーとかいう領主のところへいこうとするはずだ」
「領主は屋敷にいるんだろ。屋敷は護りが固い。それに距離があるしな。まず、いかない」
「とは思うが、一応リディオとほかの足の速い連中をいかせた。こどもの足なら、まずこっちが先にいけるはずだ」
「じゃあ、長はあの男のところか?」
「ああ。だが、こっちが問題だ。どこにいるのか、居場所を探れる術士のアレクと違って、おれたちにはわからん。ライナスの読みでは、村の近場に潜んでるだろうとさ。どこにあるかもわからない金脈をほかのやつから見張っとくには、そこが一番やりやすいからな。だから、ライナスは村への道をたどってるはずだ。おまえは、それを追え」
おまえの足ならすぐに追いつける。
そう、背を叩いたザックに、オーレンは軽く眉を顰めた。それでも先んじた仲間を追うべく、オーレンは山の斜面へと足をむける。
「なんで、アレクがいなくなってすぐに起こさなかったんだよ?」
「疲れて正体なく眠ってたのは、おまえだろーが。騒ぎにリディオはすぐに起きたぞ」
「……」
思わず口をついた愚痴へ返ったそれに、オーレンは反論もできず、押し黙る。
わかっている。
アレクの姿がないのを見た瞬間に、自身の失態をオーレンは悟っていた。騒ぎに、ではなく、アレクが動いたのに、もっとも近くにいた自分が気づかなければいけなかったのだ。
だからこそ、胸中を渦巻く激情の半分は、自分に対するものにほかならない。
「起こさなかったのは、おまえがさっきみたいに感情に任せて突っ走っていきかねなかったからだけどな。暗い中、こっちの言うことも聞かず、あてもなく走ってかれちゃ、探さなきゃならないやつの数が増えるだけだ」
どこかからかう色の言葉を背に、オーレンは剥きだしの岩に足をかけ、山肌にへばりつくようにして生える木の幹に手をかけた。痛む右腕にも構わず、力で身体を上へとひっぱりあげる。
無言で次の足場に足を移したオーレンへ、
「必ず捕まえてくるんだぞ。やつらも昨日のことで気がたってる。見つかれば、無傷ではすまんだろう」
強く声がかかった。肩越しにザックを見下ろしたオーレンが浅く頷く。
そうしてオーレンはあっという間に、谷の上へと自らの身体を押しあげた。
『アレクがあの男のもとへいくとしたら、道のあるなしにかかわらず、大地が教えるままに最短距離を進むはずだ。そうなれば、多少なりとも痕跡が残るだろう。術士の力を使って消されたらわからないが、おそらくそこまでは考えてる余裕はない。それを探せ』
森の中、輝く松明を目印にライナスたちを追ったオーレンは、まもなくいきあった長に指示とともに松明を受けとった。
空は東の端から白み始める時間帯だったが、森はいまだ闇の中だ。
『わからなければ、いい。村の大体の方角はわかるな? そちらへむかうんだ』
そう、示された方向へオーレンはひたすらに走っていく。
追いつけるかは微妙なところだった。
谷から村までは普通に歩いても、一時半ぐらいの距離のはずだ。アレクが歩いているなら半時の遅れは縮められるが、そうもいかないだろう。
アレクにも予想がつくはずだ。自分の姿がなくなったことが知れれば、オーレンたちが追ってくるだろうことが。
それに男を弓で狙うなら暗すぎず明るすぎない、うまくいけばまだ寝ている早朝というのは都合がいい。
となれば、オーレンとアレクの脚力と体力の差に賭けるしかない。
オーレンは時折走りを緩めながら、あたりにアレクの形跡を見つけられないかを探した。それでも完全に止まることのない足は、方向を確認しながら村との距離を縮めていく。
やがて、木々の間にも朝の気配が滲みだしたころ、オーレンは目当ての一つを見つけた。
地面に、落ち葉が大きく乱れた跡があったのだ。
息も荒く立ち止まり、オーレンはそれに火をかざす。
下り気味の地面がわずかに削られたように、黒い土を表出させている。まわりとの色合いの違いは、まだそれが地上に晒されて間がないということだろう。
おそらく、アレクはここで転んだのだ。下りの勢いに任せて走り、つもった落ち葉に足をとられたのだろう。
オーレンは顔をあげ、周囲を注意深く見渡した。そうして見つけた、蹴ったてられた落ち葉の痕跡を追っていく。
村に近づいていることは、オーレンにもわかった。それは兵たちの居場所も、さほど遠くないということだ。
用心のために松明の火を消し、今まで以上に慎重に足を運ぶ。兵に見つかってもまずいが、アレクに容易に悟られては逃げられてしまう。
オーレンにとってもどかしい時間が続いた。
今この瞬間にも、すでにアレクは男に弓をひき絞っているかもしれない。そう心が急く一方で、派手に探し回るわけにはいかないのだ。
だからこそ、遠くに小さな人影を見た時に、オーレンはうっかり声をあげそうになった。どれほど『そこで待ってろ』と叫びたかったことか。同時に、間に合ったと安堵する。
ただ、猶予がないのも事実だった。
人影はなにかをうかがう様子をみせている。アレクの目にはもう、討つべき仇の姿が捉えられているに違いない。相手との距離を計りながら、すこしずつ前へ進んでいるのが、オーレンにもあきらかだった。
前方に意識がいっているアレクの背へ、オーレンはできるかぎりの速さで近づいていく。起きだした朝の森は、都合よくオーレンの気配を紛らわせた。
――あと、すこし……。
念じるように、オーレンがそう思った時、近くの木の上で鳥が甲高く鳴き声をあげ、枝葉をざわめかせた。
潅木に身を潜めていたアレクがびくりと肩を震わせて、うしろを振り返る。
それを目に留める前に、オーレンは咄嗟に地面を蹴っていた。
驚きとかすかな怯えに見開かれた瞳が、オーレンの姿にさらに丸くなる。場所も時も忘れたように声をあげそうに開かれた唇を、大きな手が塞いだ。
そのままアレクの身体を抱きこむようにして、オーレンは地面に伏した。潅木の陰に身を潜めて、息を殺す。
「なんだ?」
「鳥が飛びたったらしいな」
すこし離れた場所から、そんな声が聞こえる。どうやら見張りらしいそれらの足音が、遠ざかっていくのを、オーレンはただじっと待っていた。
気配が消えたころ、オーレンはそっと身を起こした。アレクを捉えた腕の力を緩めることなく、灌木の上から顔をのぞかせる。兵の去っていった方角をうかがえば、木々の間に野営地らしきものがあるのがわかる。
距離としては、オーレンの歩幅で二百歩ほどあるだろうか。わずかにひらけた場所に人影と思しき塊が、まだ眠っているのか転がっていた。
空は完全に夜を払拭している。森の中、ぽかりと穴のあいたそこは、日はささないまでも、相手の動きを見通せるくらいには明るい。
だが、幸いオーレンたちの潜む森はまだ、彼らの目を欺くに足る暗さがあった。
オーレンの腕で、アレクが身じろいだ。一瞥すると、顔が苦しげに歪んでいる。
口を強く抑えつけたままだったことに今更ながら気づき、オーレンは手からかすかに力を抜いた。
「……暴れんなよ」
アレクの耳元に、低く囁きかける。楽になった呼吸に強張った表情を解きながら、アレクは諦めたように首を縦にした。
それを確認して、オーレンはアレクの口元から手を離す。とともに、細い肩を抱いてオーレンは急いでその場を離れた。
身を屈め、潅木に隠れるように木々の隙間を縫う。二・三度うしろを確認したが、だれかがこちらに気づいた様子もなかった。
そうして、もときた道を戻り、兵たちから完全に離れたところまできた時、オーレンはようよう大きく息を吐いた。傍らで、アレクが身体を縮め、目を下におとしている。
「……ったく」
オーレンは乱れて額にかかった前髪を、煩そうにかきあげた。溜息と一緒に吐きだされた呟きに、アレクが小さく戦慄いた。
「オレの言いたいことが、わかるか?」
オーレンの視線の先で、赤褐色の髪がかすかに揺れた。
アレクには、自分の行動が隊に迷惑や心配をかけていることがわかっているのだ。
それでいてなお、抑えがたい衝動に突き動かされる。すべてをなくした深い悲しみに、消せない憎しみが胸に燻り続ける。
だが、その痛みを察することと、やり方に賛同できるかは、別の話だ。とはいえ、言葉を尽くしたところで、説得できる自信がオーレンにはなかった。
オーレンは喉の奥で唸った。
「もう、あんなことするなって言ったよな? いいか。おまえの怒りは、わかる。許せないって気持ちもな。けど、おまえ一人がむかってったって、どうにもならねぇんだ」
「――――ぃ」
この手のことは苦手なんだと、頭を掻きながら続きを探すオーレンへ、ぽつりと声がおちる。
首を傾けておとし主であるアレクを見遣れば、ここにはないなにかを睨むように強い瞳を地面に注いでいた。
「なに?」
「――りじゃ、ない。術士の……大地が、あいつらをやっつけるのに、力を貸してくれる」
「……んだと?」
剣呑に光った双眸に、しかしアレクは気づかない。そのまま、自らの科白に力を得たように、語調を荒げた。
「心配してくれてるの、わかってる。だけど、だからって、このままなにもしないなんて……許すことなんて、できない!」
肩に回されたオーレンの手を払うように身を捩り、アレクが激しく頭を振る。
「オーレンには、わからないよっ」
「――わかってないのは、おまえだ」
獣の唸りにも似た、重い声音に、アレクがはっと顔をあげた。刹那、かちあった視線に、本能的な震えがアレクへ走る。
「自分の手で、人の命を左右するってことが、どういうことか。復讐なんて」
「オーレン、止めておけ」
痛いほどの力でアレクの両肩を掴み、言い募ろうとしたオーレンへ、唐突に声が割りこんだ。ついで、彼の腕をとった手に、オーレンとアレクが驚いて顔をあげる。
いつの間にか、そこにはライナスの姿があった。
「……長」
「言ったところで、わからない」
穏やかな口調とは裏腹に、表情に厳しさを映したライナスを、オーレンは信じがたい面持ちで凝視した。