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「それで、連れ帰ってきたわけか」


 一通りの説明を受けたライナスが、嘆息混じりに呟くのに、オーレンが眉をつりあげた。


「まさか、そのままにしとくわけにもいかないだろ」


 それにライナスは穏やかな苦笑を返した。


「別に責めているわけじゃない。ただ、これからどうしたものかと思っただけだ」


 すこし離れた場所で、リディオに濡らした手巾で顔や手足の汚れをおとされているこどもへ二人は目をやった。


「名前は? 聞いたのか?」

「――口開かねえんだよ、あのガキ。なに聞いても」


 今は固く身を縮こまらせ、リディオのするがままになっているが、連れてくるまでは大変だったのだ。

 なにを問いかけても、口を開こうとしない。ただ、涙に濡れた瞳で警戒するようにこちらをうかがうだけだった。

 埒があかず、リディオと相談し、とりあえず隊へ連れていくことにしたが、嫌がって動こうとしない。かといって、知らぬふりで置いていくこともできかねた。

 しかたなく、オーレンが暴れる小柄な身体をその肩に担ぎあげてここまで運んできたのだ。


 うんともすんとも言わない、と苦虫を潰したような表情でオーレンが首を横に振る。


「おまえたちが、脅かしたんじゃないのか?」


 ライナスがからかう声を投げれば、オーレンはますます渋面を作った。


「だったら、あんたが聞けばいいだろ」

「そうしてみるとするか」


 そのままこどもの方へ歩きだしたライナスのあとを、オーレンもしぶしぶ追った。


「汚れはとれたのか?」

「長」


 まずは、細い腕を擦っていたリディオへとライナスが声をかける。顔をあげたリディオとは反対に、急に上から降ってきた大人の声に小さな身体が大きく波打った。

 それに目を留め、オーレンは変わらずかと息を吐く。

 だが、当のライナスは構う風もなく、リディオの傍らに腰をおろした。どうだ、とリディオに顔をむけるのに、彼は肩を竦めた。


「顔や手についた汚れはどうにかなりますけどね。服は洗って繕わないとどうにもなりません」


 わかりきったことを言うリディオにライナスは軽く笑って、ようよう視線をこどもへと移した。

 おそらくは十一・二だろう。若干痩せてはいるが、貧弱な感じはしない。着ているものも汚れて無惨なことにはなっているものの、物自体は粗末なものではなかった。

 ライナスは座ってなお並ばない目線に、さらに上体を屈めた。覗きこむように、萌黄色の瞳と目をあわせる。


「きみは、あの村の子かい?」


 ライナスは琥珀色の目が冷たく見えないよう、わずかに細め、口元とともに微笑みを刻んだ。たったそれだけで驚くほど柔らかくなった表情に、こどもの警戒の色が揺らいだ。

 ん? と緩やかに促せば、小さな頭が躊躇いがちに縦に動いた。


「そうか……それは、とても怖い思いをしたね」


 そう、大きな手を伸ばし、優しく赤褐色の頭を撫でる。

 そんな仕草にもやはり怯えた感触が伝わった。ただ、逃げそぶりはすでになく、じわりと再び涙の滲んだ双眸がライナスたちを見定めるようにうかがっている。


「きみの名前は?」


「――ア、レク」


 あくまで優柔に問うライナスに、短い沈黙の後、か細い声が返った。

 オーレンとリディオが軽く目を瞠った。

 なにを聞いてもひき結ばれたまま開かなかった唇が、こうもあっさり名を告げたことにいささか複雑な面持ちになる。一方で、二人の子を持つライナスはさすがにこどものあしらいに慣れている、とも頷きあう。


「アレクっていうのか、いい名前だ。おじさんはライナスというんだ。こっちがリディオで、うしろにいるのがオーレンだ」

 彼らが手荒なことをしたようで悪かったね。


 紹介に加えられたその一言に、すかさずオーレンがなにも好きでやったわけではない、と反論しようとする。が、ライナスの背に密かに回された左手が『黙っていろ』と伝えてくるのに、むっつりと押し黙った。


「こいつらも悪気があったわけではないんだ。許してやってくれ」


 アレクと名乗ったこどもの視線が、恐る恐るオーレンとリディオを巡り、最後に再びかすかに頭が上下する。ライナスは嬉しそうに礼を言うと、アレクの頭から手を離した。

 その手をどこか寂しげに見たアレクの様子に、ふとオーレンは気づいた。


「おじさんたちは隊商の用心棒なんかをしているんだ。この山を越えようと偶然とおりかかったんだが……」


 ライナスがいったん言葉を切る。アレクを注意深く見つめながら、迷うようなそぶりを見せた。それでも、低くおとした声音が問う。


「きみたちの村は襲われたらしいが、アレクのほかに誰か……助かった人は?」


 じっとライナスの顔に視線を注いでいたアレクの瞳が大きく揺らいだ。ついでかすかに横に振られた頭は、否定を意味するのか、不明を意味するのか、判じかねる。ただ、アレクが自分のほかに生存者を確認していないことだけはたしかだった。


「そうか」


 ライナスもそれ以上の詳しいことを訊ねようとはしなかった。アレクの頭をぽんぽんと慰めるように軽く叩き、立ちあがる。


「まだ、エカルドの兵がうろついているかもしれない。下手に動くと鉢合わせする可能性がある。今日はここで野宿だ」

 この子の世話をしてやってくれ。


 オーレンとリディオへ交互に視線をよこすのに、二人はいささか顔を顰めた。村でこどもの扱いには慣れているとはいえ、重い現実を背負ったアレクの世話は少々オーレンたちの手に余る。

 そんな心中を察したらしいライナスだったが、苦笑気味に「頼んだぞ」と言い置いて歩み去っていく。

 若干の苦々しさとともにその背を見送ったオーレンは、アレクに目を移し、小さく首を傾げた。

 さきほどまでは怯えた風を見せてはいたが、比較的おちついていたアレクが今はせわしなく顔をあたりにさ迷わせている。一瞬、ライナスがいなくなったせいかと考えるが、それにしては彼の背中を目が追う様子がない。


「どうした?」


 声をかけてみるが、耳に届いていないのか、こちらに意識をむけることもしない。なにかにひどく心乱されていることだけが見てとれる。

 なにかあるのかと周囲を探るが、仲間たちにも異変を感じとったようなそぶりはなかった。風がでてきたのか、森の木々がざわりと騒ぐが、それだけだ。


「?」


 不可解に思いつつも、オーレンは今度はなにも言わず、アレクの心が静まるのを待った。下手に手をだして暴れられるのは、もう遠慮したかったのである。






 翌朝、オーレンはザックとともに隊を離れた。

 雑嚢を背負い、腰にはいつもの長剣ではなく、一般的に護身用として用いられる短剣をさしている。昨日のぼってきた山道を、二人はあたりをそれとなく警戒しながらくだっていた。


「結局、あの子はなにか話したのか?」


 ザックが興味深げに問うのに、オーレンは肩を竦めた。


「なにも」

「なにも? じゃあ、ライナスが聞きだしたこと以外はなにもわからんってことか」

「ああ。自分から話そうって気になるまでは無理に聞くなって、長も言うし。ほかにわかることって言えば、弓の腕はそこそこだってことぐらいだ」


 あれから、おちつくのを待って食事などの世話をしたが、アレクはオーレンたちに心を許そうとはしなかった。

 パンと干し肉やチーズをわけた食事も、オーレンたちが食べるのを見て、ようよう口に運んだ。どこかに兵が潜んでいるかもわからず、火を焚くことはできない中早々に休んだが、アレクは一定の距離を置いて毛布に丸まっていた。

 それでも、みはりの交代のたび動く人の気配に、警戒も露わにしていたのをオーレンは気づいていた。眠ったかと思えば、幼い声が悪夢にうなされていたのも、知っている。


「――あの村を襲ったのは、トルディアーナなのかな?」

「そりぁ、わからんさ。だから、こうやって探りにいくってわけだ。だが、あのエカルド兵たちとなんらかの関係があることは、間違いないだろう」


 言いながら、ザックの黒い瞳が隣に並ぶ、頭半分低いオーレンを見下ろした。


「おまえ、もし昨日の兵たちと行き会っても、逃げたり食ってかかったり、変な行動とるんじゃあないぞ?」

「するかよっ」


 そこまで莫迦じゃない、と睨みあげるようにして憤慨するオーレンを、それでもザックは信用していない顔だ。


「あと、村でもオレに任せて余計な口は聞くな。オレとおまえは、親子で、旅の途中だ」

 わかってるな?


 再度、念を押してくるザックに、オーレンは不機嫌そうに無言で頷いた。



 隣の村は大人の足で一時ほどのところにあった。高みから見通すそこもアレクの村同様に小さな村で、人々は互いに協力しながら日々の暮らしを営んでいるのがうかがえる。

 村のあちこちで互いに反響するように、金属と金属がぶつかりあう高い音が鳴っている。どうやら、ここもまた鋳鉄を中心とした村であるらしかった。


「このあたりに、鉄鉱脈があるんじゃないかって、リディオが言ってたけど」

「ああ、そうかもしれんな。だが、そんなに優良な鉱山じゃ、ないんだろうよ」


 採掘が多く望める鉱山であれば、この山の麓にはもっと発展した町ができあがっているはずだ。鉱夫やそれこそ鍛冶師や買いつけの商人が集り、こんな小さな村ではおさまらない。


「ここの村のやつらも、おそらく鍛冶師としての腕を身につけたあと、大きな街へ出稼ぎにいくんだろうさ」


 自分たちの境遇を重ねるのか、ザックがどこか懐かしむような顔になった。しかし、すぐさまそんな甘さもかき消える。


「よし、いくか」


 促す低い声に、オーレンは雑嚢を背負い直し、ザックのあとに続いた。

 村へと続く坂道をくだっていく途中、こちらに気づいた何人かが顔をよせあうのがわかる。山の中の寒村だ、人がくるのが珍しいのだろう。

 警戒するようなまなざしがむけられる中、ザックは構う風もなく村へと足を踏みいれた。手近な畑で作業していた男を見つけると、気さくに挨拶を投げかける。


「こんにちは。大変申し訳ないんだが、どこかで水を汲ませてもらうわけには、いきませんか?」


 にこにこと愛想よく笑うザックの隣で、オーレンは小さく頭をさげた。見知らぬ人間の登場にどこか気を張っていた男は、そんな二人の様子に作業の手を休めゆっくりとちかよってくる。


「あんたら、旅人かい?」

「ええ。商いのために、せがれを連れてロウハンを越える最中でね。最近は通行証がないと街道をいけないから困っちまいますよ」

 兵はうろうろしてるし、いいことなしだ。


 世間話の体で旅の途中を装うザックに、男は『ついてこい』と目顔で示す。


「兵って……あんたたちも、会ったのか?」

「いえ、こっちもこっそり国境を越えようとしてる身でしょう? 見つかったらやっかいだと思って隠れましたが、なにやらこっちの兵が騒がしいですな。――なにか、あったんですかね?」


 井戸へと案内する男の背についてゆったりと歩を進めながら、なにげない調子で問いかける。男はとくにそれを不審と感じた様子もなく、ああ、と呟いた。


「あんたたち、この道をいくつもりなら気をつけた方がいい」

「はい? それはまた、どうして?」


 わけがわからない、と首を傾げるザックに、男がちらりとオーレンたちを顧みた。注意を促しながらも、その先を話すべきかを迷うまなざしとかちあう。


「……なにか、あったんです、か?」


 咄嗟にオーレンは眉をよせ、途切れがちに言葉を口にのせた。極力不安がって見えるよう、声をおとす。

 うまくいったかどうか自信はなかったが、男はそんなオーレンに情を刺激されてくれたらしい。


「あんまり、言いふらすようなことじゃないんだが――」


 陰りを帯びた声音が、訥々と言葉を綴りだす。


「どうも、この先の村の連中に、エカルドに反意を持ってトルディアーナに通じたやつが、いたらしい」

「トルディアーナに?」

「ああ。だからって、どんなことをしてたかは、知らねぇんだが。そんな噂聞いたこともなかったしな。ただ、この村と環境は同じようなもんだったのに、暮らしぶりは悪くなかったって話も聞く」


 そのへんも関係してたのかもしれない、と続けた男は、足を止め前方を指さした。


「ほら、あそこが井戸だ」

「あ、すみませんね」


 ザックが謝意を示して頭をさげる。しかし、次にあげられた双眸は、うかがうように男へとむけられた。遠慮がちに、口を開く。


「あの、それで、さきほどの話なんですが…気をつけた方がいいってのは? 口振りからすると、その村に、なにかあったみたいですけど……」

「ああ、それかい」


 小さく嘆息をおとし、男が東の方向――アレクの村のあった方を見遣った。オーレンとザックもつられるようにそちらの空を仰ぐ。


「あの村につい一昨日だか昨日だかに、軍の手がはいったらしい。あんたらも、あの付近に迂闊に近づくと仲間と思われて掴まるかもしれん」

「えっ、じゃあ、あのうろついている兵は……」


 顔いっぱいに驚きを浮かべ、男へ目線を戻したザックに、男が重々しく首肯した。


「ああ、どうも残党狩りらしい。この村にも昨日の朝早くに四人連れの兵がきた。聞くところによると、村長だった男のこどもが森へ逃げこんだんだと。重要な情報を持ってるとかで、えらい剣幕でうちの村長を問いつめてた。匿ってるんじゃないかってな」

 なんでも赤毛のガキらしいが。


 互いに瞳を見交わしたオーレンたちに、


「こどもも可哀想だが、しかたない。あんたらも無事に山を越えたきゃ、見かけても下手な情け心はかけない方がいい」


 男は警告するように低く告げてくる。


「水は好きに汲んでくれ」


 言い置いて背をむけた男に、「あのっ」と、オーレンは慌てたように声をかけた。


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