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「リディオ」


 慎重に周囲に目を走らせていたオーレンは、手招きしながら押し殺した声で相棒の名を呼んだ。すぐさま応じて隣に並んだリディオに、疎らになってきた木々のむこうを指さした。


「あれ、見えるか?」

「……なに?」


 よく見通せないのか、オーレンの指し示す方向へリディオが目を眇める。


「集落……?」


 やがて漏れた呟きが、だれへともなしに問う色を宿したのは、自身もそれを疑っているからだろう。


「やっぱ、そう思うか? ちょっと遠いし、どうもあのへんから下りになってるみたいでわかりにくいが」

「ああ、なにか建物みたいな影が見える」


 あれかな、と加えたリディオに、オーレンはゆっくりと足を踏みだした。


「いってみよう」

「そうだね」


 あたりを警戒しながらも、リディオがオーレンに続く。

 周囲には人影も、生き物の気配もない。鳥の囀りさえ聞こえず、静まりかえった山は異様さを感じさせた。

 二人は見えない獲物に近づいていくかのごとく気配を殺し、慎重な足どりでそちらへと歩を進めた。木々の隙間からかろうじて見えていた景色が鮮明になるにつれ、彼らの表情は一層ひき締まっていく。


 さきほどは風に香る程度であった焦げ臭さが、今では鼻につくほどだ。

 さらに、オーレンの鋭敏な感覚はその中にまぎれようのない血臭を捉え、彼は眼光を険しくした。

 のぼりきる手前で、リディオが立ち止まるよう手をあげてくる。オーレンは浅く頷くと、近くにあった木の幹へと背を貼りつかせた。

 全身の神経をあたりへ張り巡らせる。互いに捉えるもののないことを瞳を見交わして確認したあと、二人はいつでも剣を抜ける心づもりをして、木の陰から飛びだした。


 なだらかな眼下に広がったのは――まさに廃墟と呼ぶに相応しい光景だった。


 彼らが目印にしてきた建物らしき陰影が、焼け残った煤けた煉瓦壁だと気づいた時、半ば予想はできたことだ。それでもその壁のむこうに続く、村のありさまはひどいものだった。

 山を切り開き、狭い土地で肩をよせあうように建っていたのだろう家々は黒く崩れおち、所々ではいまだ火が燻っている。かろうじて焼けずに残っている家さえも、人がいるという様子はうかがえなかった。

 麦の種を蒔いたばかりだろうささやかな畑は乱暴に踏み荒らされている。

 騒動に逃げだしたのか、馬か牛が三・四匹遠くで枯れ残った緑を食むのが、ひどく場違いだ。


「……んだ、これ」


 呆然とそれらを見回していたオーレンが、あるところで視線を止めた。かと思うと、リディオが止める間もなく、家の建ち並ぶ方へと駆けくだっていく。


「なっ、おい!」


 呼び止める声を背で跳ね返したオーレンに、リディオが小さく舌打ちする。目的のものしか見えていないオーレンに代わって、あたりを警戒しながらリディオがそのうしろ姿を追った。

 村のはずれに近い一軒へと、オーレンは自身を急かすように足を動かした。

 だが、近づいていくにつれ、オーレンの走りは力を失っていった。躊躇うような足どりになったそれは、家の数歩手前で完全に止まってしまう。


「あぁ……ひどい、な」


 声もなく地面へと目をおとしたオーレンの横で、低く声が呟く。視界の端に映った並んだ肩がすっと動き、オーレンの視線を遮るようにそれへと屈みこんだ。


「まだ、こどもだ。かわいそうに」


 ほんの七・八歳だろうこどもが、家の前に横たわっていた。抱きあげてみるまでもなく、すでにこと切れていることを、恐怖に見開かれた幼い両眼が教えていた。首元から破れた服は血に染まり、どす黒い。


「だれがこんなことを……」


 幼い瞼を掌で覆うようにして閉ざしたリディオが、立ちあがった。

 淡々とした中にも憤りの燻る声音に、オーレンがようやっと顔をあげる。いつのまにか震えだしていた手を、ぐっと握り締めた。

 今回の仕事で、戦場跡を通過したことがないわけではない。焼き払われた街も目にしてきた。

 けれども、生まれてからのほとんどを閉ざされた村ですごしてきたオーレンには、いまだ慣れるということのない光景だ。目に映るすべてが生々しく凄惨で、一層きつくなった臭気が嘔吐感を誘う。

 ただ、慣れないという以上に、オーレンの胸を穿つ恐怖があった。


 山間の寒村、身をよせあうように暮す人々、あどけない――妹と同じような年ころのこども。

 そのすべては、今はまだ山稜のむこうにある村をオーレンに想起させてならないのだ。もし……


「――ン、オーレンっ」


 覗きこむ、深い空の輝きに強く名を呼ばれ、オーレンははっと思考の淵から意識をひき戻した。


「大丈夫? 顔色がよくないけど?」

「あ、ああ……なんでも、ない」


 なにを捕らわれているんだ、とまとわりつく思いの残滓を頭を振って払う。


「そうは言うけどね」

「大丈夫だって」


 リディオの解けない憂いに、オーレンは目の前にあった顔を肩を掴んで押しのけた。いきがった声は、自身の耳にも強がりそのものに聞こえ、わずかに顔を顰める。

 それでもオーレンはなにごともなかった風を装って、村の様子をうかがった。

 戻ろう、とリディオが言いだす前に、家が軒を連ねていたであろうあたりへと足をむけた。リディオがわざとらしい溜息を吐いて続くのが気配でわかる。

 さきほどは上から倒れている人影を見つけ、息があるかもしれないと駆けつけた。

 だが、あのこどもだけではない、見回す村内に命の灯火はなにも感じられなかった。

 道のところどころで人が倒れ、覗く家の中に動かない影が折り重なっている。いまだに煙がたなびく様は、この殺戮と破壊が起こってから時が浅いことを伝えていた。


「――さっきの連中の仕業、と思うか?」


 こみあげてくるものを懸命に飲みくだしながら、背後に問う。静かに土を踏む足音に『さあ、ね』と感情の読めない声が重なった。


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。仮にそうだとしたら、なんでこの村を自国の兵が襲うのかって話だしね。トルディアーナだって可能性も捨てきれない。ここは鍛冶師の村だったみたいだし」

 近くに鉄鉱脈でもあるのかもしれない。


 リディオが独り言のように言うのを耳にして、オーレンは怪訝な顔つきで彼を見返った。


「なに、言ってるんだ?」


 たしかに、その村は鍛冶や鋳物を生業の中心としていたのだろう。家々にはそれらの道具が転がり、金属を溶かしていただろう炉も見受けられる。

 それはオーレンにもわかる。なぜ脈絡もなく、リディオがそんなことを言いだしたのかがわからないのだ。


「なにって……オーレン、俺たちが山から国境を越えようとしてるのは、なんでよ?」

「んなの、平原の国境は兵がうろついてて越えられないからだろ?」

「そう。なら、それが意味することは?」

「? 普通で考えれば、戦いが近いってことだ」


 なにをあたりまえのことを、とますます訝るオーレンに、リディオもまた当然といった表情で続けた。


「戦争が近いということは、それだけ武器が必要になるってことだ――どちらの国にとってもね」

「! そういうことか……」


 ようやっとリディオの意図を呑みこんだオーレンが緩く顎をひいた。

 剣や槍はもちろん、矢じりや盾、はては蹄鉄にいたるまで鉄で作られる武具は数多い。それらを鍛えあげる者たちはもちろん、鉄そのものも戦いにおいては重要な要素だ。

 おまけにここはトルディアーナとの国境が遠くない。

 それらを踏まえ、トルディアーナ側の軍に襲われた可能性もあると、リディオは示唆したのだ。


「だとしても、ここまでやるか……?」

「それはわからない。でも、戦いなんて慈悲もない残酷なものでしょ。もしかしたら、賊に襲われたのかもしれないし」


 肩を竦めたリディオに、オーレンは低く唸って足元を見下ろした。

 リディオの言うとおりだ。

 だが、こんな年端もいかぬこどもまで、と憤る気持ちは抑えようもなかった。

 崩れかけた壁に凭れるようにして息絶えた少女の近くへ、オーレンは片膝をついた。切り裂かれ、ひどく乱れた胸部とは裏腹に、首から上はただ眠っているようにしか見えない。


 そっとその頬へ手を伸ばした時、オーレンの耳が空気を裂く音を捉えた。

 それがなにかを確認する間もなく、反射的に腕をひき、大きく上体を仰け反らせる。そんなオーレンと少女の間隙を鋭く縫ったなにかが、かっと乾いた土を穿つ。


 矢だ。


 枝を削っただけの簡単なものだったが、おそらく当たっていたらただではすまなかっただろう。

 さっとそれに目を走らせたオーレンは、すぐさま飛んできた方向へ首を巡らせた。腰に吊るした長剣の柄に手をかける。

 この矢では距離を飛ばせないはずだ。これを射た者はそう遠くにはいない。

 そう考えて視線を投げるオーレンへ、矢をひき抜いたリディオが囁いた。


「これは……先に、なにか塗られてるね」

 おそらくは、毒。


 鋭利に削られた矢の先だけが、濡れたように黒いのだ。この状況で考えられるとすれば、痺れを呼ぶか、死にいたらせるかの毒だろう。

 身を低くして隣へと並んだリディオがそんな説明をしてよこすのに、オーレンは目元を険しくした。

 警戒の色を強くした二人が研ぎ澄ませた神経に、かすかな音がひっかかる。

 地を駆ける乾いた足音だ。足音には違いないのだが――それは、やけに軽かった。

 オーレンの胸中に疑念が湧いた瞬間、視界をなにかがよぎる。建物のむこうを駆けていく、小さな影は――。


「っ、こどもかッ」


 吐き捨てるように口にした時にはすでに、オーレンの足は地面を蹴っていた。俊敏な動きで逃げる背を追った。

 しなやかでいて力強い走りは歳若い狼さながらで、双方のけして短くはなかった距離は瞬く間に縮まっていく。前をいくこどもらしき人影も身軽な動きではあったが、体格の違いからもその差は歴然としていた。

 手近な森へ飛びこもうとした小柄な身体へ、


「っの、ガキ!」


 オーレンはさせじと手を伸ばす。片手に収まる細い腕を、勢いよく掴んだ。

 小さな身体が急激にかかった負荷に耐えきれず、うしろへ倒れこむ。地面に転がった塊を、オーレンは息も荒く見下ろした


「オレたちを、狙ってくるとは、どういうつもりだ?」


 さすがに険を含んだ声が、問う。

 こんな見も知らぬこどもに狙われる覚えなど、オーレンにはない。弓を肩から背へと回している様子からして、このこどもの仕業でないとも思えない。

 けれども、肝心のこどもはぺたりと地面に座りこんだ状態のまま、下をむいたっきり一言も発しようとしない。


「おいっ」


 苛ついたオーレンが、膝を折る。肩を掴み上体を押しあげ顔をのぞきこもうとして、ふいにこちらを見上げた瞳とまなざしがぶつかった。

 赤茶っぽい髪の奥から、萌黄色の怒りがオーレンを射る。

 そのきつさに、オーレンは一瞬息を飲んだ。それとは別に、猛る輝きとは対照的な両目の淵に浮かんだ涙が、オーレンをわずかに動揺させた。

 よく見れば、そのこどもの形はひどいものだった。肩あたりまである赤褐色の髪はざんばらに乱れ、顔や服といわず全身が土で汚れている。服が破れ、手足に血すら滲んでいた。おそらく、おもいきり地面に倒れ伏すかなにかしたのだ。

 なにより、こんな場所に普通こどもが一人でいることは考えにくい。


「おまえ……」


 だとしたら、考えられることは一つだ。


「この村の、こどもか?」


 途端、びくりと揺れた身体が、答えの正否を物語る。

 オーレンは戸惑ったように手の力を緩めながら、追いついてきたリディオとゆっくりと顔を見合わせた。


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