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 地面へと広げられた地図を、二十人余りの男たちがぐるりととり囲んでいた。その中心にあるライナスが、つっと地図の上を指でなぞった。


「話によると、このあたり一帯は国境の警備が相当厳しくなっているらしい」


 コルアンからまっすぐ北に伸びた主要街道がある平原の部分に、無骨な指が円を描く。


「このまま街道沿いに進んで、まともに検問所からトルディアーナの国境を越えようとすれば、正式な通行証が必要になる」

「論外だな」


 ライナスの説明に、苦い声が返る。それに同意する皆の表情も同様だ。

 もともと国籍を持たない彼らに、通行証など発行されるはずもない。とはいえ、村がトルディアーナ側にある以上、国境を越えないわけにはいかない。


「だが、検問所を避けたところで平原から国境を越えようとするのも危険だろう。いつでも兵がいるわけではないだろうが、もしいきあたったりしたらやっかいだ」


 ただでさえ、国境を不法に越えようとしているのだ。それが武装した身元不明の集団ともなれば、下手をすれば即争い沙汰になりかねない。軍に顔や名の売れた傭兵部隊ならまだしも、この人数では身を偽った敵の偵察部隊と思われる可能性もある。


「こちらに術士じゅつしでもいれば、多少の難があっても楽な平原を選ぶところだが……」

「山越えか?」


 問うというよりは、確認のように別からあがったそれに、ライナスが頷く。


「それしかないだろう。時間と労力は必要になるが、ロウハンの西端を越えていこう」


 ぐるりと地図を囲む者たちへライナスが顔を巡らせる。一瞬の静寂が男たちを包んだ。否を唱える声はあがらない。

 ライナスが「決定だ」と軽く地図を弾く。それを合図に、ざわめきが輪へと戻ってきた。

 ライナスを中心とした年嵩の者たちが、さっそく地図を見ながら道の検討にはいった。あとの者は暮色の迫りはじめた中、夜営の準備にとりかかる。

 オーレンはリディオとともに、薪にする枝を探しに林へと足を踏みいれた。

 秋になり広葉樹がおとした葉が厚く積もる中から、枯れ枝を適当に拾いあげていく。


「なぁ、リディオ」


 長すぎる枝を手折りつつ、前方をいくリディオへ声を投げる。


「ん、なによ?」


 屈み気味に小枝を拾う背は振りむきもしない。それを気にすることもなく、オーレンは先を続けた。


「術士って、そんなにすごいのか?」

「は?」


 唐突になにを言いだすのかと、怪訝そうな顔がこちらを見返った。


「いや…さっき、長が言ってたろ。術士でもいたら平原側をいくって。そんな場面で使えるくらいすげぇことができるのかと思ってさ」


 オーレンがまた一本、手にした枝をばきりと折る。


 術士とは、人の身でありながら、自然界の力を借りることのできる存在とされていた。

 使うことのできる力は個人により異なり、その源は世界の構成要素とされる風・水・火・地のいずれかだ。人数は決して多いわけではなかったが、特別希有な存在ではないという。


 だが、村にはその恵みを受けた者はおらず、オーレンは術士を見たことすらない。もしかしたら、旅の途中で見かけたことや身近に接したことがあるのかもしれないが、彼らは見かけでは区別ができなかった。

 ただオーレンが知っているのは、彼らがこの世に誕生し産声をあげた時、最初に頬を伝った涙が結晶と化した水晶を、例外なく持っているということだけだ。

 自然にある力を借りる、ということがどういうことなのか、よくわからないでいた。


「術士が雨をふらせたり、風を呼んだりすることができるって話は聞くけどな」

「うーん、俺も見かけたことぐらいしかないけど、聞いた話によれば結構色々とできるらしいね。人によっては自分の持つ力の源である要素を介して、遠く離れた場所のことまで目で見たようにわかるとか」

「人によってって、風のヤツなら風のヤツ、水のヤツなら水のヤツで使える力は同じじゃないのかよ?」


 枝拾いを再開したリディオに、自身も手は動かしながら、オーレンはさらに問いを重ねた。


「そうだねぇ……例えば、俺もオーレンも歩くこともできるし、走ることだってできる。その点では同じ能力を持ってることになるけど、誰にだって走る速さや歩ける距離には差があるだろ?」

「そりゃな。身体つきも違えば、鍛え方も違うからな」


 実際、リディオはけして低い方ではないが中肉中背で均整のとれた体格であるのに対し、オーレンは歳のわりに背が高くやせぎすだ。鍛えられた身体はしなやかだが、手足が長くどこか細い印象を与える。それでも身体能力的には、オーレンの方がほとんどのことにおいてわずかに勝っていた。


「それと同じことでしょ。持っている力の差もあれば、鍛錬で強化される力もある。だから、術士っていっても様々ってこと。オーレンが言うみたいなことしかできない人もいるだろうし、俺たちでは想像もつかないことができる人もいる」

「へぇ」

「だから、どこの国でも軍隊において術士は優遇されるんだ。人の力ではどんなに訓練をつんでもなしえないことが彼らにはできる。戦いの場においてそれは有利に働くからね」


 ただ、志願ならともかく、徴兵も術士は優先的におこなわれるから、力のあることが一概にいいこととは言えないだろうけど。


 そう小さく肩を竦めてみせたリディオに、オーレンは感心の目をむけた。

 リディオとオーレンは二つ違うだけだ。住んでいた環境も同じで、目や耳にしてきたことに大した違いがあるわけでもない。にもかかわらず、リディオは驚くほどオーレンの知らないことを知っていた。

 それだけではない。

 オーレンとは違う視点を持っているリディオは、ものごとには色々な角度があるのだと教えてくれる。現に術士についても、オーレンは力があって便利だという程度の認識しかなかったのだ。

 村にいたころから今もまだ、リディオはオーレンにとっては兄のような存在であった。


「リディオは、なんでも知ってんだな」


 オーレンが素直に口を開けば、リディオは一瞬きょとんとした顔つきになる。が、すぐにそれは笑いへと変わった。


「そんなわけないでしょ。ただ、おまえよりほんのすこし長く生きて、おまえが気にも留めないことに目をむけて耳を傾けてるだけ」


 からりと言って、リディオはそうこうする間にも腕にいっぱいになった枝を抱え直した。同じように腕のふさがったオーレンを見て、林の外へと顎をしゃくる。


「いったん戻ろう。遅くなると夕飯もそれだけ遅くなる」


 二人の拾った分では夜をすごすには足りない。だが、火をおこして鍋をかけることくらいはできる量はある。

 夕飯の言葉に空腹を刺激され、オーレンは炊きだしの当番が待つ野営地へとそそくさと踵を返した。











 トルディアーナ側に兵が配備されたということは、エカルド側もめだつ動きではないにしろ警備が厳しくなっているはずだ。


 そう判断したライナスは、国境にあと一日と迫るまでそのまま街道を進んだ。

 エカルド側も人の出入りを警戒するのであれば、早い段階で街道をはずれた方がいいのではないか。訝る隊員たちに、ライナスは思案するように首を左右にした。

 この人数で街道を外れた道をいく方がめだちかねない、と言うのだ。


 実際、コルアン以降大きな町はなく、概ねが平原と農耕地という田園風景があたりには広がっている。ここを三十人近い集団がいけば人目をひき、不信感を抱かせるだろう。

 一方、街道沿いには小さいながらに町や村もあり、人どおりも完全に絶えるということはない。旅の一団や隊商の姿もあり、隊もさほどの警戒を抱かれることもなかった。


 しかし、さすがに国境に近づくにつれ、いきかう人影は目に見えて減っていった。とおりすぎる村の空気は張りつめた色をしていて、時折荷車に家財道具をつんだ家族連れとすれ違う。

 それらすべてが争いの足音となって、オーレンたちに響いた。

 そうしてそれらに背を押されるように、彼らは街道をはずれ、大陸屈指の峻峰が嶺を連ねるロウハンへと踏みいったのである。




 山道、というよりはすこし幅の広い獣道といった観の道を、オーレンたちは進んでいた。

 針葉樹が多く、秋の深いこの時期も鬱蒼と茂った木によって、あたりは薄暗い。朝もけして早くはない時間帯であったが、陽光の遮られた森の中は寒く、吐く息がかすかに白く濁った。

 小石混じりの土と枯れ葉を踏みしだいて歩きながら、一行の後尾近くにいたオーレンはふと顔をあげた。

 木々の放つどこか甘い芳香の中に、なにか違う匂いを嗅いだ気がしたのだ。

 歩が鈍り、あたりに視線を巡らせるオーレンに、隣から声がかかった。


「オーレン? どうかした?」


 訝しさとともに早く歩けと急かすそれを、けれどオーレンは気にする様子もない。風の流れに匂いを探るように鼻をうごめかし、逆に「なぁ、リディオ」と問いを返した。


「なんか、変な匂い…焦げたような匂いがしねぇか?」

「焦げたような匂い?」

「ああ」


 どこからくるのかと、空気に溶けるかすかなそれをたどろうとするオーレンにつられ、リディオも木々のむこうへと目を凝らす。


「おい、おまえら」


 揃って歩調が緩慢になった年少組に、うしろの隊員から叱声が飛ばんとした時、ふいに一行へ緊張が走った。

 先頭をいっていたライナスが皆の注意をひくように、片手を挙げたのだ。

 隊の進みがぴたりと止まる。長靴と小石が擦れあう音すらだれもあげない。じっとあたりをうかがうライナスを全員が注視していた。

 オーレンも匂いのことなど忘れたように、一挙手一踏足も見逃すまいと長の背に目を張りつかせる。


 その時、遠くに聞こえる鳥の声以外静けさの中にあった森に、異質な音が響いた。

 獣のたてる音ではない。人の声だ。

 ただの会話する声ではない、怒号に近い色をしたそれに、隊の緊迫感が一気に高まった。


 険しい顔をしたライナスが振り返り、手を閃かせる。散開を意味するそれに、それぞれが静かに道をはずれた。岩陰に、灌木にと身を隠し、気配を殺す。

 時折森に反響する声は徐々に近づいてきており、今は荒い足音さえ耳に届く。

 それから察するに相手は三・四人ほどの集団らしかった。何者かはわからないが、随分といらついているようだ。


 リディオともう一人の仲間とともに茂みの影に身を伏せたオーレンは、わずかにのぞく隙間から音のする方へと目を凝らした。その視界に人影が映った時、オーレンは息を呑んだ。

 山の上の方から姿を見せたのは、四人の男たちだった。それぞれが長い外套に身を包み、剣を脇にさしている。暗い色な上、遠目にはわかりづらいが、どうやら外套は血に汚れるらしい。ぎらぎらした目を走らせる彼らからは、それが返り血であることはあきらかだった。

 どくどくと急速に脈打ち始めた心臓を、オーレンは宥めようとする。左腕が無意識に腰に佩かれた長剣へと伸びた。

 男たちはオーレンたち見守る中、口々に悪態をつきながら土を蹴散らしていく。


「っそ、どこいきやがったッ」

「ロウハンの奥の方へ逃れたか? だとしたら、面倒なことになる」

「いや、奥は山に慣れたやつらにも危険な場所だぞ。踏破できるとしたらこのあたりしかない」


 オーレンの背に、ひやりとしたものが走る。

 彼らはなにを探しているのだろうか。会話から聞けば、まるで自分たちを探しているようにも思える。

 外套からのぞく衣服はオーレンの見るかぎり、エカルドの正規兵のそれに思える。不審な集団があるとの情報を得たエカルドの軍がさしむけた隊かもしれない。


 一方で、それは違うだろう、と言う声も胸のうちにあがる。

 自分たちを探しているにしては、彼らは殺気だちすぎている。威嚇という点では役割を果たすかもしれないが、偵察部隊としては意味をなさない。

 おまけに着衣が血に汚れているのは、すでにどこかで剣を振るってきた証だ。別のなにかを探している可能性の方が高い。


 ただ、なんにしても今見つかればただではすまないのはたしかだ。男たちが立ち去るのを、隊の者たちは息をつめ見守った。

 やがて、足音が遠ざかり、彼らの声も聞こえなくなったころ、ライナスが大木の陰から姿を現した。それを合図として、隊の面々が彼のまわりへと集まっていく。


「なんだ、あれは?」


 男たちの去った方へ目をやり、ザックが首を傾げる。

 ライナスもいまだ警戒を解かずあたりをうかがいながら、わからない、と呟いた。


「随分と殺気だっていたが、なにを探しているんだろうな」

「そういやぁ――おい、オーレン!」


 思いだしたように飛んできた声に、輪の外側でなりゆきを見つめていたオーレンはきょとんとした顔つきになる。ちょっとこい、と手招きをされてライナスたちの方へとむかった。


「なんだよ?」

「おまえさっき、焦げたような匂いがするとか言ってたろ?」


 なぜ呼ばれたのかと不思議に思っていたオーレンだったが、その言葉に『ああ』と得心がいく。すでに頭になかったが、そのことと男たちがなにか関係あるのではないか、とザックは言っているのだ。


「ああ。多分、なんかが燃えた匂いだ」

「本当か? どこの方角から匂ったか、わかるか?」


 ライナスに問われ、オーレンは小さく眉をよせた。周囲へ視線を巡らせ、あの一瞬の記憶を手繰る。


「――はっきりとは、わからねえ。けど、あっちの方からきてたんだと、思う」


 道の先、森の奥を指さす。

 はっきりとしないオーレンに、ライナスは腕を組んで考えこむ風だ。オーレンは目の前にあるその顔を強いまなざしで見つめていた。

 口ではたしかなことは言わなかったが、オーレンはなぜだかそれに確信があった。勘、と言った方がいいかもしれない。

 ライナスはしばらく黙考していたが、意を決したようにオーレンを見返した。


「オーレン。様子を探って、こられるか?」

「! おいっ、ライナス」


 オーレンが反応を示すより先に、隣に立っていたザックがぎょっとして声をあげた。それを目で制して、ライナスはオーレンへと続けた。


「匂いを感じたというのがおまえだけなら、おまえがいった方がたしかだろう」

「だが、まだこいつは……」

 経験が浅い。


 みなまで口にだしはしなかったが、ザックの表情はそう物語っている。ほか数名が彼の躊躇いに同意を返した。

 彼らはけしてオーレンを侮っているわけではない。剣の腕はもちろん、身体能力の高さは皆が認めるところだ。

 けれど、オーレンはその若さゆえに力に任せて突き進む面がある。それを恐れ、また、村で生まれ育った息子同様の彼を心配してもいるのだ。

 だが、それらを受けてもライナスは意見を覆しはしなかった。


「だからこそ、だ。それにこの中で一番すばしっこいのは、オーレンだからな。偵察にはちょうどいい。もっとも、オーレンができないと言うなら、」

「やれる!」


 ライナスの言を遮り、オーレンが声を荒げた。挑むようにライナスを睨みつけるのに、ライナスが得たりと笑む。


「よし」


 軽く頷くと、すぐさまひき締まった顔が離れた場所に立つリディオへと移った。


「オーレン一人ではなにかあった時に困ることもあるだろう。リディオも一緒にいってくれ」

「わかりました」

「いいか、オーレン。無茶はするんじゃない。なにかあってもなくても、日がのぼりきるまでには一度戻ってくるんだ」

 言い聞かせる低い口調に、オーレンは返答の代わりに深く首肯した。


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