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別れ

 夜のテラスで、神奈は黄昏れていた。

 覇者の剣は、腰にある。手から離すと、魔力の供給を失い、元の刀身のない剣と成り果てた。

 ノックの音が聞こえてくる。

 神奈は、振り向いた。


「鍵はしめてないわよ」


 入ってきたのは、ライトだった。


「よう、勇者殿。ご機嫌伺いに来てやったぞ」


 その言葉に、神奈は呆れた。ご機嫌伺い、なんて堅苦しい態度には見えない。


「この世界の貴族はよっぽどくだけてるのね。それとも、貴方だけかしら」


「自分が特別だと思ったことはないが、普通と思ったこともないな」


「なら、貴方だけなんでしょうね」


 神奈は、気だるく笑った。

 ライトは、神奈の横に並んで立った。そして、街を眺め始めた。

 街のあちこちには明かりが灯っている。祭りの最中なのだ。

 巫女の儀式が可能になったことを祝う祭りだ。


「今日はお忍びで祭りに混ざらないのか? 英雄殿」


「そんな気分じゃないのよ」


 そう言って、神奈は両手を手すりの上で組み、そこに頭を乗せる。


「セドリックとフィーを外すって考え、もう変える気はないのか?」


「ないわ」


 神奈の声から、気だるさが一瞬で消えた。


「想いあっている二人を戦場に置くわけにはいかない。これからの道が過酷なものになるのは私だってうっすらと察している。そんな中、カップルを命の危機に晒すわけにはいかないわよ」


「嫉妬じゃないのかねえ」


 そういう側面がないかと聞かれたら否定しきれなそうなので、神奈は拗ねた口調になる。


「違うわよ、五月蝿いわねえ」


「そうかいそうかい。じゃあ、パーティーの組み直しだな。一旦、国へ帰るのも良いかもしれない」


「最初の国へ……?」


「あこは勇者の誕生を待って鍛えた人間ばかりだ。役に立つ奴はそれなりにいる」


「そうね、それもいいかもしれない」


 沈黙が漂った。

 思わず、弱音が零れ出た。


「いつも、そうなのよね」


「なにがだ?」


 ライトはからかうでもなく、真面目に聞いてくれた。


「私はとっつきにくいって言われて、年下の可愛い子が選ばれるの。いつかは私の良さをわかってくれる人がいるかと思ってたんだけど、そんな日は来なかった。多少、不安になるわ」


「あんたは確かに、他者に運命を委ねるようなタイプじゃないからな。かと言って、擦り寄せるタイプでもない」


「けど、女よ」


「知ってるよ」


 ライトは苦笑する。


「あんたの視点は高い位置にある」


 そう言って、ライトは手を掲げて空中に線を引いた。


「前の世界でさぞ成功してたんだろう。そうなると、下が見えなくなる」


 ライトの手が下がっていって、左右に振られた。滅茶苦茶に。


「下を見れば相手なんて腐るほどいるのにな」


「高望みしてるって言いたいの? 自分と同等以下の相手になびく気はないわ」


「男も馬鹿じゃない。セドリックはそれを見透かしていた」


 ライトの言葉に、神奈は心臓を射抜かれたような気持ちになる。


「だから、手近で済ませようとしたわけだな。あんたの言う、年下の可愛い子って奴で」


「手近ならいいって、それって恋って言えるのかしら?」


「おいおいおい、運命の恋なんて信じてるのか? あんたは」


 ライトの言葉が、容赦なく神奈の心に衝撃を与えていく。


「恋愛は妥協なんだよ、お嬢さん。運命の恋がやってくるんじゃなくて、手近な恋を運命だと自分に信じさせるのさ。それが恋の魔法って奴だ」


「……私は、自分のスタンスを崩す気はないわ」


「俺も、あんたの人生に介入する気はない。魔王さえ倒してくれればすむ話だ。婚活はその後にするんだな。各国王族が選り取りみどりだと思え」


「それは、楽しみね」


 神奈は、その光景を想像して少しだけ表情を緩めた。


「セドリックとフィーの今後についてと、全体的な今後の方針については俺も考えるが、あんたも考えておいてくれ」


 そう言って、ライトは去って行った。

 何も考える気にはならなかった。ただ、手すりに寄りかかって、祭り囃子に耳を傾けた。


 翌日、巫女の儀式が行われることになった。

 護衛として、神奈一行も立ち会うことになった。セドリックとフィーも、隊列に混ざっている。

 リンネは白一色の服装で、少し緊張した面持ちで中列に並んでいた。

 そのうち、湖に辿り着いた。

 滝から水が流れ、崖には深い傷跡が残っている。


 どよめきが起こる。


「本当に、龍が討伐されている……!」


「おお、あの傷跡は……」


「あれは、勇者殿の一撃が与えた傷です」


 ライトが、淡々と説明する。


「これは凄い!」


「勇者の一撃として歴史に名を残すでしょうな」


 褒められても、神奈の心は冷えている。

 セドリックも、フィーも、親しく接してくれる仲間だった。

 彼らとの別れは、正直辛かった。

 神奈が黙り込んでいる影響か、沈黙が漂った。


「さあ、巫女様! 儀式を開始しましょう!」


 リンネは頷き、湖の中へと歩いて行く。そして、その腰が浸かったところで、宙に浮いた。

 リンネは両手を開き、その中央に光が集まってくる。それを吸い込むように、リンネは口を大きく開いて呼吸した。


「これは……?」


 神奈が、傍にいた兵士に聞く。


「巫女様に与えられた特権で、周囲の聖核からのエネルギーを分け与えてもらっているのです」


「なるほど、ねえ……」


 聖核。生きとし生けるものが持つ命の中核。魔王に作られた魔核と違い、自然に発生し、流れ行くもの。

 リンネは眩い光を発して、輝いている。

 どこか中空に向けられていたその目が、神奈を見て、微笑みを浮かべた。


「神託を得ました」


 再び、どよめきが起こる。


「私、ミリアリア・エル・リンネは、勇者と旅を共にしなさいと」


「おお……!」


「巫女様が魔王討伐に!」


「待て、街の守りはどうするのだ?」


「護衛が必要ならば、俺達が」


 そう言って、セドリックが一歩前に出る。


「元勇者の護衛です。街の護衛に不足はありますまい」


 セドリックの凛々しい声が、周囲に響く。


(ちょっと待ってくれ)


 というのが神奈の本音だった。あんな可愛らしい少女を連れて過酷な旅になど行けるわけがない。

 しかし、既成事実は着実に作られつつあった。


「巫女様! 我ら一同、無事な帰りを待っております!」


「魔王がいる限り我々に平穏は訪れません。巫女様の手柄話を楽しみにしております!」


 周囲は完全に盛り上がってしまっている。


「……どうしたもんだろう」


 神奈は、ライトにぼやくように耳打ちする。


「リンガードの巫女。護衛としては申し分ないな」


 ライトはどうやら乗り気なようだった。

 どうやらこれは、本格的に味方がいない。

 帰り道、神奈はセドリックと隣り合って歩くことになった。


「置いていくと言われた時は、不満を感じました」


 セドリックは淡々と言う。敬語だった。もう、神奈を遠い存在として認識しているのだろう。


「けれども、フィーとのことを考えると、勇者様の判断は正しいと思えた。そして、我々の代わりに巫女様が仲間になるのならば、それは戦力アップと言えるでしょう」


「……皆勝手に決めてくれちゃって」


「勝手に決めるのは貴女の専売特許ですよ、勇者様」


 そう言って、少し皮肉っぽく笑ったセドリックだった。

 そして彼は、傍に並び歩くフィーに微笑みかけた。


(幸せそうじゃない)


 少し、毒気を抜かれた神奈だった。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



「で、あれはどういうこと?」


 神奈は、リンネの部屋で、彼女とハーブティーを飲んでいた。

 今、王宮は上へ下への大騒ぎだ。


「どういうこと、と言いますと?」


 リンネは狐耳を動かし、とぼけた調子で小首を傾げる。


「神託って、でっちあげでしょ?」


「どうしてそう思います?」


「神には、私の方が近い。神託があるとしたら私にも何かしらあると思うからよ」


 リンネは少し考え込んでいたが、そのうち悪戯がばれた子供のように微笑んだ。


「お見通しですか。流石は神が遣わした勇者様」


「……気楽に微笑んでるわねえ。過酷な旅になるのよ」


「ならばこそ、私の力は役に立つでしょう。この時のために、我々は命を繋いできた。そう思うのです。それにですよ?」


 そう言って、リンネは上目遣いになる。


「自分で道を決めろと申したのは、勇者様です」


「それは、確かに……そうだけど」


 子供には子供の領分がある。そこを超えてもらいたくはない。


「腕試しをしてもらっても構いませんよ」


 神奈は、疑わしげにリンネを眺めていた。

 そして、神奈とリンネは、街外れにあるコロシアムに足を運んだ。

 観衆が、王が、貴族が、客席から不安げな視線を向けてくる。


 覇者の剣の出番は今回はない。

 純粋な魔力合戦。それが今回の腕試し。


「いつでもどうぞ」


 そう、リンネは薄っすらと目を細めて言った。

 神奈は、手を掲げる。

 風の塊が、リンネを吹き飛ばし、軽い土煙を巻き起こした。

 リンネは空中で方向転換すると、上空へと飛んだ。


「おかえしです!」


 風の塊が、神奈を吹き飛ばした。

 そのまま神奈は、空中で体勢を立て直し、壁に着地した。


「まだまだ行きますよ!」


 炎の竜巻が、神奈がさっきまでいたところを包み込んだ。神奈はそれを、壁を駆けて地面に降りて躱す。


「コールドアロー!」


 氷の矢が、百本は現れ様々な軌道を描いて神奈に向かってくる。

 神奈は氷の障壁を使ってそれを阻んだ。


「ファイアコロナ!」


 小さな太陽のような炎の球体が、氷の壁を突破して神奈に襲いかかる。

 それを、神奈は空中に飛んで回避した。

 どよめきが起こる。歓声が起こる。超常の現象の中で、二人は戦っている。


「これで終わりです! アイスプリズン!」


 分厚い氷の枷が現れ、神奈を地面に縛り付けた。

 リンネは、空中で、一つ息を吐いた。

 その油断が、命取りだった。

 氷の枷が、神奈の腕力によって粉々に割れる。

 そして、神奈は一瞬でリンネに接近する。

 二人の中央で風の塊がぶつかり合う。

 徐々に、リンネは押されていく。


 神奈は、覇者の剣を抜いた。

 黒い刃が、風の塊を真っ二つに割る。

 そして、剣の柄が、リンネの腹部を軽く叩いた。


「……負け、ですね」


 リンネが苦笑する。その頬から、涙が溢れ出る。


「……私の負けだわ。覇者の剣はなしってルールだった」


 そう言って、神奈は剣を鞘に戻した。


「それでは?」


 リンネが、狐耳を動かして、表情を輝かせる。

 神奈は、苦笑するしかない。


「みっちりこき使うからね、巫女様」


「リンネ、とお呼びください。勇者様」


「じゃあ、私は神奈でいいよ」


「カナさん!」


 リンネが、抱きついてくる。それを受け止めて、神奈はゆっくりと降下した。

 こうして、新しい仲間ができた。

 長くて覚えづらいフルネームだけれども、リンネと呼ばれて彼女は勇者の傍に立つだろう。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



「それでは良い旅を、勇者様」


 セドリックとフィーが、門まで見送ってくれた。

 神奈は、セドリックの手に紙束を渡す。

 二人は、戸惑ったような表情になった。


「勇者様、これは?」


「小麦粉を使った色々な料理のレシピ。それを使って、在庫処分しておいて」


「勇者様……!」


 二人は、表情を和らげる。


「貴方達の給料は儲けから出しなさい。信頼できると思って任せるのよ。お願いね」


「わかりました! この任、命に変えても!」


「バカ。命を大事にするために置いてくんだからね!」


「はい!」


 そして、神奈一行は馬に乗って旅立った。


「私はアフターフォローはいりませんよ」


 神奈の後ろに座るリンネは、人懐っこく微笑んで言う。


「帰れば巫女の地位がありますゆえ」


「次帰れるのはいつになるやらな」


 ライトが、呆れたように笑う。


「そうだ。魔王に脅しの一つでも入れとこう」


「……強敵送られたら困るから、勘弁してくれ」


 ライトは、ほとほと疲れたように言ったのだった。

 こうして、神奈はセドリック達と別れた。

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