表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/31

番外編 親と子と

時間は少しさかのぼります。

 神奈はスマートフォンを眺めて考え込んでいた。

 今、魔王軍と人類軍の間にはしばしの平和な時が流れている。

 サミットの結果を待たねば黒の勇者も動けない状態だ。

 大半の者が、和睦で終わるだろうと見ている。だが、結果はまだ出ていない。楽観視できない状況だ。


 神奈は憂鬱の中にあった。後回しに後回しにしてきたが、やらねばならぬことがある。

 神奈はスマートフォンの表面をなぞり、その連絡先を見つけて、一つ溜息を吐く。


「憂鬱そうですね」


 リンネが声をかけてきた。

 神奈は顔を上げて、苦笑する。


「そろそろ、親に連絡を取らなくちゃと思ってね」


「そう言えば、神奈さんは前の世界じゃ急に消えた状態なんでしたっけ」


「そ」


 短く、返事する。

 仕事も家族も何もかもを放り出して神奈はこの世界にやって来た。

 その後始末を、まだしていない。


「どう説明したもんだろうね。いきなり娘が消えました。連絡もつきませんでした。仕事先にも連絡を取っていません。親としては大激怒よね」


「ただ、元気な声を聞かせるだけいいんじゃない?」


 呑気なのはマシロだ。


「そんな単純な話ではないのよ」


「そうかなあ……」


「そうよ」


「私はマシロに賛成ですかね」


「リンネもそう思う?」


「元気な声を聞くだけで安心するものです」


「そっかぁ……」


 二人に勧められたが、決意もつかず、スマートフォンを道具袋にしまう。

 そして、再度溜息。

 神奈の憂鬱は晴れない。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



「ああ、やっぱりここにいた」


 そう言ってリンネがやって来たのは、北壁内の修練場だ。

 グリムは北壁の兵士達と、木剣をぶつかりあわせている最中だった。

 上半身が裸で、細身だがしっかりと筋肉がついた体が露わになっている。


「どうした、俺の巫女様」


 グリムは汗をタオルで拭いながら、リンネに近づいてきた。

 その呼び方に、リンネは少し胸が高鳴った。


「いやね、ちょっと話したくて」


「何かあったのか?」


「そう言えば、グリムのお母さんの話って聞いたことなかったなーって」


「ああ……」


 グリムは視線を逸して、苦笑する。


「あまり愉快な話ではない」


 リンネは、黙って視線でグリムに訴えかける。

 グリムは、観念したようにリンネをまっすぐに見た。


「場所を変えよう」


「うん、そうだね」


 グリムはタオルで体を拭くと、上着を着た。

 そして、タオルを籠に投げると、前を歩き始めた。

 やって来たのは、この前二人で月を見た場所だ。


「俺は、母を恨んでいてな」


「どうして?」


「母が父を止めてくれなかったせいで俺は馬鹿にされた。そう思っていた。幼い頃の俺にはその恨みしか拠り所がなかったのだ」


 リンネは、口籠った。

 グリムの少年時代は闇に包まれている。ランドニアの英雄という光の中にいて、彼の足はまだその時代の暗闇に浸かっている。


「母はさぞ苦しんだだろう。夫を失い、周囲からは馬鹿にされ、子供からは憎まれる。それでも絶えずに食事を作ってくれた。俺を養ってくれた」


「……今は、恨んでないんでしょう?」


「ああ、過去のことだ」


 そう言って、グリムは苦笑した。

 リンネは、グリムの背に静かに触れた。


「手紙、出してあげなよ」


「今更、手遅れだ」


「そんなことないよ。親と、子だよ?」


「それでも、埋められぬ溝というものがある」


「あのね、グリム」


 リンネは背伸びをすると、グリムの顔を掴んで、自分の方を向かせた。


「お母さん、きっと苦しんでると思う。それを楽にしてあげられるのは、グリムだけなんだよ」


「……それは巫女としての命令か?」


「大事な友人としての忠告」


「そうか」


 グリムは苦笑する。


「手紙など久々に書くな」


 リンネは、微笑むと、グリムの顔から手を話した。


「しかしだな、リンネ」


 グリムは、からかうような口調で言う。


「今の俺達を誰かが見ていたら、キスでもするのだろうかと思っただろうな」


「馬鹿言わない!」


 リンネは思わず、大声を出した。

 最近、グリムといると調子が狂う。

 まんざらでもない自分がいるのを感じて、わけがわからなくなる。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



「で、この惨状と言うわけか」


 ライトが小声で嫌味っぽく言う。

 部屋の中央のテーブルでは、黒の勇者とグリムが向かい合って座っている。

 黒の勇者はスマートフォンに、グリムは手紙に向かって無表情で考え込んでいる。

 その二人の間に流れる沈黙が、重い空気を場にもたらしていた。


「惨状っていうのは表現としては正しくないのではないですか?」


 リンネは面白くなくて、思わず言い返す。


「なら暗鬱だ」


 無駄に口の回る男だ。リンネは呆れてしまった。


「ぱっぱと終わらせてくれんものかな。雑談もできん」


 ライトが部屋中に響き渡る声で言う。


「そう簡単に終わったら苦労しないわよ」


 黒の勇者は憂鬱げにスマートフォンを見つめている。

 グリムは、返事もしない。


「あー、駄目だ。どっかで飲んでくる」


 そう言って、ライトは部屋を出てしまった。

 リンネは座り込んで、二人の様子を見守る。

 マシロは何処か北壁の中をうろついているのだろう。


 二人共、動かぬままに夕食の時間がやって来た。

 運ばれてきた簡易的な食事を、二人はスマートフォンと手紙に視線を落としながら食べる。


「食事中ぐらいやめろよ」


 ライトが迷惑げに言う。


「あんたと会話する義理もないわ。私は今悩んでいるの」


「その悩んでいますってポーズをやめろと言っている」


 黒の勇者は苛立ったように顔を上げた。


「言ったわね」


「ああ言ったさ。可哀想なヒロインを演出するのはやめろと言うんだ。お前はヒロインという歳でもないだろう」


 リンネは頭を抱えたいような気分になった。この人はどうしてこう捻くれた物言いになるのだろう。


「歳のことまで言ったわね」


「ああ言ったさ」


「叩きのめしてやる……」


「やれるならやってみろ。いつもお前は口だけだろう。戦えば少しはすっきりして頭も回るだろうさ」


「そう。じゃあ今日という今日はやるしかないみたいね」


「いいだろう。雌雄を決しようじゃないか」


 ライトが立ち上がる。


「雌雄はもう決まってるじゃない」


 黒の勇者も立ち上がる。


「言葉の綾だ」


「まあまあ、それぐらいにして」


 マシロは呑気に仲介に入る。


「あんまり考えすぎるのも良くないよ。思ったまま、素直な言葉を伝えればいいんだ」


 黒の勇者は、少し冷静になったようで、腰を下ろした。


「……怒られるのが、怖いのよ」


 神奈は、呟くように言った。


「いくつになっても、親の前では子供のままだわ。私は」


「それでも、いつかは立ち向かわねばなるまい」


 ライトは、ぼやくように言う。


「……そう、ね……」


 沈黙が場に漂った。

 ライトは不味そうに食事を摂ると、部屋を出ていった。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 神奈は、決意を固めた。

 スマートフォンを操作し、親の連絡先へとダイヤルする。

 しばらくのコール音の後、父が電話に出た。


「神奈か? 今、何処にいる?」


 神奈は思い出していた。

 子供時代、神奈が交通事故にあった時。父は、同じように不安の篭った声を出していた。


「お父さん、心配かけてごめんなさい」


「それはいい、何処にいるんだ」


「言えないの。今は、まだ……」


「どうなってるんだ。仕事も放り出して。行方不明だなんて。大人のやることじゃないぞ」


「はい……」


 沈黙が漂う。

 父は、喉元に言葉が詰まっているような様子だった。


「ご飯は、食べているのか?」


「しっかり食べてる」


「良く、眠れているか?」


「眠れてる」


「そうか……」


 父はまたしばし、黙り込んだ。

 神奈は、審判を待つ被告人の気持ちだった。


「何はともあれ、お前が元気なら、良かった」


 神奈は、その一言で、体が軽くなるのを感じた。

 知らず知らずのうちに抱えていた罪悪感。それが浄化されるような思いだった。


「いつか、帰ってくるんだよな……?」


 帰ることは出来ない。ここと父の住む地は地続きではない。

 けれども、神奈は微笑んだ。


「うん。約束する。だから、待ってて」


 神奈は、目に滲んだ涙を拭った。

 それは、優しい嘘だった。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 補給隊が北壁から去っていく。それを、グリムは見送っていた。

 その隣に、リンネが並ぶ。


「手紙、送ったんだ?」


「どうにかな」


「気分はどう?」


「懺悔して爽やかな気持ちだ」


「なら、この行動は正しかったんだよ」


「そうだな」


 グリムは苦笑する。

 そして、リンネをまっすぐに見た。


「君と会って、俺の世界は変わった」


 リンネは、心音が高くなるのを感じた。


「そんな、大げさな」


「いや、俺は君のおかげで生への執着を得て、君のおかげで母と和解できた。君は俺を変えてくれた人だ」


「買いかぶり過ぎだよ」


「いつか、俺の母と会ってくれないだろうか」


「……いいよ。グリムのお母さんとなら、仲良くなれそうな気がする」


「そうか」


 グリムは微笑んだ。


(なんか外堀を徐々に埋められている気がする……)


 一抹の不安を覚えたリンネだった。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 そして、一行の間にはいつもの空気が戻ってきた。

 神奈もグリムも上機嫌だ。

 それはそれでライトは不服らしく、こんなことを言う。


「そんなに脳天気になるもんかね」


「あんたは鬱屈してても上機嫌になっても不満なのね。私はどんな顔をしていればいいのかしら」


「まあそうさな。一理ある」


 珍しく、ライトは引き下がった。今の穏やかな空気を大事にしたいのかもしれない。


「私、ずっと引け目を持ってた。けど、今、とても自由な気持ち。魔王との決戦に、万全な気持ちで望めるわ」


「そこまで、親の比重は強いかね」


「ええ、そうよ。ライトなんて、親泣かせなんだろうけれど」


「これでも立派な息子をやってたつもりだぜ。親には育ててもらった。その恩は返したつもりだ」


「薄情なんだ」


「そうさな。お前に言わせればそうなんだろう。俺に言わせれば、お前は親離れできていない」


「そうかな」


「そうさ」


「そうなのかなー……」


 神奈は考え込む。そう言われてしまえば、それまでだ。


「私の親はあの人しかいないし、あの人の子供は私かいない。その絆が、私には大事なんだ」


「そうですね。子供にとって親は、その人しかいない。だから、大事なのです」


「そういうもんかねえ……」


 ライトは、しばし考え込んだようだった。


「声を聞いて、やっぱり良かった。また、話そうと思う」


「そうですね。私も、また手紙を書こうと思います」


「めでたしめでたし、だね」


 リンネが微笑んだ。

 一つの仕事を片付け、勇者一行は最後の決戦の準備をまた一つ済ませた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ