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旅の終わり

「リンネの聖核が崩壊しつつある……」


 マシロはリンネの傷口に触れて、目を伏せた。

 リンネの体には、グリムの焦げた防寒具がかけられている。

 神奈もリンネの傷口に触れる。手遅れなのだということが伝わってきて、やるせない思いになる。


(ああ、どうしてこうも、私は……)


「血を、流しすぎた」


 マシロが、淡々と言う。


「手遅れなのか?」


 グリムが、リンネの手を握り、震える声で言った。

 マシロは、答えない。

 グリムの瞳から、涙がこぼれ始める。


「必ず守ると誓った。それなのになんだ、俺は。いつも与えられるばかりで、彼女に何も与えられなかった……」


 リンネの手を頬に当て、グリムは涙を流した。


「泣かないで……」


 リンネが、薄っすらと目を開けた。その瞳は、焦点があっていない。


「リンネ!」


「リンネ! 神奈よ、わかる?」


「私達全員、精一杯頑張った。その結果がこれ。私は、後悔していない……」


 リンネの目が、閉じていく。


「私……生まれ変わるよ。次のリンガードの巫女を、祝福してあげて」


「嫌だ!」


 グリムは、叫ぶ。彼らしくなく、子供のように、駄々をこねる。


「お前じゃなければ、嫌なんだ!」


「わが……ままだなあ、もう……」


 リンネが、ゆっくりと目を閉じていく。

 そして、呟いて、目を完全に閉じた。


「頼んだよ」


「駄目だ、リンネ! 起きろ、リンネ! 亜人の国を作るのだろう? 俺達、まだ道半ばじゃないか! 寝るなよ、リンネ……寝るな……」


 リンネは反応しない。

 グリムの声は徐々に嗚咽へと変わっていった。

 そして、グリムは子供のように泣いた。

 誰も何もできず、やるせなさを覚えながら、ただ傷口を癒やし、無力な自分を噛み締めていた。


 気配を感じて、神奈は振り返る。

 魔王が立っていた。


「……やる気?」


「そんな体力も残ってはいない。ただ、過去にリンガードの巫女に与えられたものを、思い出しただけだ」


 そう言って、魔王は手を握り込んで、開く。

 そこには、光り輝く結晶が現れた。

 それが、リンネの中に吸い込まれていく。


「聖核だ。何か、多少の足しにはなるかもしれん」


「……リンネ」


 神奈も、リンネの手を握る。

 そして、心臓に耳を当てた。

 脈打っている。

 徐々に、脈が力強くなっていく。


「脈が強くなってる!」


「聖核が、血となり肉となったか……過去のように」


 魔王は呟くと、その場に座り込んだ。

 グリムがリンネに抱きつき、大声で泣く。


「リンネ……リンネ……リンネ……!」


「役目は終えた。斬れ」


 神奈は、魔王の前に立った。

 覇者の剣を握る。そして、それを鞘に納めた。


「貴方を倒してハッピーエンドだとは、私はとても思えない」


「しかし、世界はそうできている。神のお墨付きだ」


「貴方が人を好きになれば、魔核の増殖は抑えられるのでしょう?」


「……一度道を誤ったものは、そうそう元には戻れん」


「例え魔核が増殖しても、私が削ればいい」


 魔王は、黙り込んだ。


「貴方は魔族の長なのでしょう? ならば、最後まで責任を持ちなさい。可能性を手繰りなさい」


「……若造の癖に一人前の口を利く」


「これでもわたしゃアラサーだ」


「それを言ったら私は百歳超えだよ」


 そう言って、魔王は苦笑した。


「リンネを助けてくれたこと、礼を言うわ」


「斬ったのも私だ。礼には及ばない。しかし、見事な覚悟だった。嫌われることも厭わず、世界のために命を懸ける。そうあれたなら、私もこうはなっていなかったかもしれない」


「謙遜することはないわ。貴方が人を憎むのは自然なことよ。けど、それが変わったなら」


 神奈は魔王に手を差し出す。


「人と魔族は共存できるかもしれない……」


 魔王は、躊躇うように手を伸ばす。それを、神奈は無理やり握った。


「変えましょう。世界を、ここから」


「グリム、五月蝿い!」


 リンネが怒鳴って、体を起こす。

 そして、驚いたように瞬きした。


「あれ、私、生きてる……」


 自分に抱きついて泣きじゃくるグリムを、リンネは苦笑して抱きしめた。

 それを見て、神奈も、魔王も、微笑んだ。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 神奈の報告により、サミットが開かれた。

 サミットの会場はバンゲイド。二十国の王が一堂に会する一大イベントだ。

 神奈はリンネと共に、リンガードの国王の控室を尋ねた。


「巫女殿は役に立ちましたかな」


「決め手になりましたよ」


 リンネの背を軽く叩くと、彼女はくすぐったげに微笑んだ。


「それで、なんの用ですかな」


「亜人の国を作りたいのです」


 リンネが、口を開いた。

 リンガードの王は、しばし考え込んだ様子だった。


「突然のことで、驚かれると思うでしょう。恩知らずと思われるかもしれません。けど、私は差別されている亜人を目にしてきた。放置してはおけぬのです」


 リンガードの王は、答えない。


「後押ししては頂けないでしょうか……」


「……広く、国を見てきたのだな」


 リンガードの王は、しみじみとした口調で言う。


「はい」


「お主達の気持ち、わからんでもない。魔王軍を降伏させた褒美としてその案を聞こう」


 リンネの表情が華やいだ。


「ありがとうございます、王!」


 次は神奈は、グリムと共にランドニアの王の控室へと行った。


「おお、黒翼の勇者よ! ランドニアの雷光は信じていましたよ。貴女が結果を出す人間だと!」


「……なんで王子もいるんです?」


「護衛にと無理やりついてきた。反対したのだが」


 ランドニアの王は渋い顔だ。まだ息子を教育しきれていないらしい。


「話があります」


 グリムが、前に出た。


「グリム。お前はランドニアの誇る英雄だ。なんでも言うがいい」


「リンガードの巫女と共に、亜人の国を作りたいのです」


 ランドニアの王は絶句したようだった。


「烈火の騎士、お前は人だ。何故そこまで亜人に肩入れする」


 王子が、戸惑うように言う。


「私は旅の中で、色々なものを見て、色々なことを決めた。これも、そのうちの一つなのです」


 ランドニアの王は、しばし考え込んでいたが、そのうち諦めたように言った。


「……魔王軍を降伏させた祝儀は必要であろうな」


「父上!」


「どの道、彼らには逆らえぬのだ。魔王軍を五人で討伐した。そんな実力者に我々が何を言えよう。勇者殿。我々は貴女に協力します」


 そうして、ランドニアの王との謁見は済んだのだった。


「マシロはバンゲイドの王と会う? もう代替わりしているけれど」


 マシロは首を横に振った。


「僕はそれより、母さんに生存を報告したい」


 神奈は、その言葉の意味を察して、表情を曇らせた。


「行くの……?」


「ああ、僕は行く。建国にも、政治にも、興味がないんだ。僕は役目を終えた。短い間だったけど、楽しかったよ、カナ」


「貴方には助けられたわ。グリム達には挨拶をしなくてもいいの?」


「湿っぽいのは嫌いだ。また会おうと言っておいて」


 そう言うと、マシロは空を飛んで去って行った。


「……寂しいか、勇者殿」


「正直、寂しい」


 神奈は、物陰から現れたライトに答える。


「けど、感傷に浸ってはいられないわ。まだ私達の旅は終わっていない」


「そうさな。各国の王の前で吃驚箱を開ける作業が残っている」


「貴方は、その後行くの?」


「……帰る場所は南にある。お前とはお別れだ」


「そっか」


 神奈は少し黙り込んだ。

 この長い旅の思い出が、一気に脳内に蘇ってきたのだ。

 その傍には、常にライトがいた。ライトに助けられた旅だった。


「寂しくなるか?」


 ライトの言葉に、頷きそうになる。しかし、堪える。

 それは、自分達らしくない。


「まさか」


 神奈は、笑った。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 二十国の王が一堂に会した。

 神奈が、立ち上がって発言する。


「この度は私のような若輩者の呼びかけに集まってもらってありがとうございます。私はこの旅で、歴史の真実を知りました。だから、それを皆さんにお伝えする必要があります」


「歴史の真実、とな」


「ロストパラダイスはもう過去のことだ。魔王を倒したかどうかという結果だけが重視される」


 そう言ったのは、バンゲイドの国王だ。

 その言葉に、同意するように、数人が頷く。


「しかし、皆さんには聞いてほしいのです。同じことが起こらぬように」


 そして、神奈は語り始めた。初代勇者の旅とその結末を。


「それでは話が違ってくる」


 そう語ったのは、リンガードの王だ。


「魔族を作ったのは、我々と同義ではないか」


 皆、考え込むように黙り込む中で、バンゲイドの王だけが口を開いた。


「しかし、魔核は脅威だ。魔王は滅ぼさなければならない。魔族も、生かしてはおけない」


「私は、魔族との共存をしようと思っています。そして、北壁の北に、亜人と魔族が住まう新国家を建国しようと思います」


「それでは脅威が拭えんではないか! 魔王に誑かされたか!」


 バンゲイドの王が叫ぶ。


「それは気になる発言じゃな」


 そう言ったのは、女性だ。


「むしろ亜人が魔族を牽制して平和になると考えるのが妥当ではないかのう? なあ、皆の衆」


 各国の王が考え込むように黙り込む。


「その国はリンガードの巫女を代表に据え、魔王を監視し、皆さんの国と良好な関係を築こうと思っています。賛同頂けないでしょうか」


「魔王が滅べば次はリンガードの巫女か……」


「不安の種は一度に尽きぬものだな……」


「馬鹿げている! 魔族との共存など!」


 バンゲイドの王は今にも王冠をテーブルに叩きつけそうだ。


「一日で決めろというのも早急な話です。各々、話を持ち帰って考えませんか」


 そう語ったのはランドニアの王だ。


「黒の勇者達は成果を出した。北壁に百年来の平和をもたらした。我々は同じ過ちを繰り返さぬように、考える必要があるのです。国の代表として」


「そうじゃな」


「結論は先延ばしにすることにしよう。魔王が掌を返さぬとも限らん」


「様子を見る期間が必要だ」


 口々に言うが、結論を出しかねているのだろう。

 こうして、最初のサミットは終わった。


 皆が解散していく中、神奈は自分の意見を後押ししてくれた女王に声をかけた。


「ありがとうございます。後押しをしていただいて」


「亜人が栄えるのは大いに結構。私としては反対する理由がないよ。なんなら今度国に遊びに来るがいい。歓迎するぞ、勇者殿。しかしな」


 彼女は、不安げな表情になった。


「昨日までの敵だった魔族と共に暮らす。そんな生活を望む亜人が果たして何人おるかのう。私は疑問に思っておるよ」


 神奈は、返事が出来なかった。それも尤もだと思ったからだ。


「それと同様に、各国も魔族をまだ危険視しておる。直に生活を見てきたお主達とは違うのだ。人は知らぬ物に怯える。それはさがのようなものだ」


「……勉強になります」


「頬の傷は勲章じゃな、勇者殿」


 そう言って、女王は妖しく微笑んだ。


「ではな、今度は時間を取るゆえ、手柄話でも聞かせてくれ」


 そう言って、彼女は去って行った。

 部屋には、神奈一人が残された。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 二回目のサミットが行われたのは、それから半年後のことだ。

 魔王の魔核の排出が止まった。それは大きな切り札となるはずだった。

 それを聞いて、各国の王は胸を撫で下ろした様子だった。


「ならば、魔王に働いた無礼も少しは薄れているということだな」


 リンガードの王が、しみじみとした口調で言う。


「不躾ながら、魔王という呼称はやめにしませんか? 初代勇者と呼ぶべきです」


「そうじゃな」


 神奈の指摘に、リンガードの王は怒ることもなく納得した。


「なあ、皆の者」


 女王が口を開く。


「攻める理由がないではないか。英雄達が国を持って監視してくれると言うならば、我々は従おうではないか」


「しかし、我らが孫、ひ孫の世代になればどうなる」


 反対するのは、やはりバンゲイドの王だ。


「黒の勇者は衰え、死んでいく。その後に魔王だけが残る。そうなれば人類は終わりぞ」


「初代勇者だ。バンゲイドの王」


 疲れたようにそう指摘するのはランドニアの王だ。


「協力関係を保てばいい」


「協力関係などいつまでも続くものではない」


「それは、そなたの国が他国の侵略を目論んでおるからかな」


 会場がざわめいた。


「侵略国家バンゲイド。その悪評はロストパラダイスの時代を超えて伝わっておる。案外、初代勇者を幽閉したのものお主の国ではないのか」


「それは侮辱だぞ、グランドウの王」


 バンゲイドの王は焦ったように言う。


「しかし、事実だ」


 グランドウの王は飄々としている。


「では、どうだろう」


 女王が、再び口を開く。


「各国から政治家を一人、新たな国に送るというのは。監視役として役立つだろうし、輸出業にも役立つ。それからの連絡が絶えた時は信頼関係が終わった時だ」


 会場が再びざわつく。


「数十年、様子を見ますかな」


「魔王討伐はその後でもいい」


「皆さん、流されてはいけない!」


 バンゲイドの王は反発する。

 しかし、場の流れの主導を掴んだのは黒の勇者と縁がある他の国の人々だった。

 これから、三回サミットが行われた。

 結果として、亜人の国は建国を許された。

 初代国王はリンネ。

 ここに、神奈の旅は終わりを見せたのだった。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 最後のサミットが終わった時、それはライトとの別れの時でもあった。


「それでは、行くよ」


 ライトは、淡々とした口調で言う。


「案外役立ったわね、あんた」


 神奈はからかうように言う。


「まあな。だから言っただろう。俺はただの余り物ではないと」


「まあね。信じがたい素行だけどね」


「国に帰れば武勇伝を語るだけで一生楽して過ごせるだろう。勇者殿のおかげだ」


「そうね。あんたはそれでいいんだと思う」


「北の果てと南の果て。遠いことよな」


「……そうね」


 沈黙が漂った。


「いかないで、と言うような柄ではないよな」


「ええ、貴方がいなくたって私の人生になんの支障もないんだもの」


「そうだろうな。俺の人生は、違う」


 思いもしない言葉に、神奈は目を見開いた。

 心臓が高鳴っていた。


「お前は騒がしいからな。いたら毎日が賑やかになるだろう。食事の時、計算をしている時、寝る時……。いつだって賑やかしくなるだろう」


 神奈は、返事が上手く思いつかずに黙り込む。

 それを見て、ライトは、苦笑して言った。


「ではな。今生の別れだ」


「ライト!」


 ライトは立ち止まる。

 神奈は、考えた。この場に適切な言葉を必死に考えた。

 けど、照れが邪魔をした。


「また会おう!」


「無理だ」


「けど、私達はいつだって会える」


「遠すぎる」


「けど!」


「……ああ、またな」


 ライトが苦笑したのが、背中越しにもわかる口調だった。

 彼は手を降って、去って行った。

 神奈は、心に空洞ができたような思いでいた。

 こうして、神奈の旅は終わった。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 ある日、神奈は夢を見た。

 一面真っ白な世界。そこに神奈はいた。


「話が違うな……」


 空間に声が響いた。

 神の声だ。


「重々承知の上です。私は自分の正しいと思う道を決めました」


「魔王は滅ぼせと言ったはずだ」


「私は貴方の手駒ではありません」


「願いはいらんのか」


「与えられずとも、自分で掴み取ってみせます」


「そうか……ならば、そなたは勇者ではない」


 神奈の腰の覇者の剣が、宙に浮いた。そして、霧のように消滅してしまった。


「後悔するぞ、神奈よ」


「その時は、その時です。私はまた、自分の意志で決めるでしょう」


 神奈は苦笑した。

 そして、目が覚めた。

 北国にも、夏の暖かい日差しが差していた。


「今日も農業頑張るか」


 予定とは違う結果になったが、スローライフな生活も中々悪くない。

 渉外担当はクリムゾン。魔族代表は初代勇者。亜人代表兼国王はリンネ。そんな感じで上手く回っている。


 北壁は解体されなかった。

 セーヌには嫌味を言われた。


「カナさん、私が結婚するのはお嫌ですか」


 そんなことはないと苦笑して答えたのだが、結果的には結婚を邪魔してしまった形となる。

 ディートリヒは退屈げに北壁中央部タウロスを守り続けているらしい。


 そして、神奈は農業に身をやつす。魔族は最初は神奈を恐れていたが、今では慕ってくれるようになった。


「こんな生活も悪くないねえ」


「そだなあ」


 農業仲間と言葉を交わす。


「あれは、告白だったのかなあ……」


 ライトと、最後に交わした言葉を思い出す。

 しかし、もう過去のことだ。


「カナさーん」


 リンネが、空を飛んできた。


「あ、またサボってる」


 神奈はからかうように言う。

 リンネは不服そうに頬を膨らませて神奈の傍に降り立った。


「ちゃんと仕事はしてますよ。今は見廻りです」


「そう。で、なんの用?」


「手紙です」


「誰から?」


「誰からだと思います?」


 リンネの意味ありげな微笑みで、神奈は感づいた。


「……あの捻くれ者も、たまには素直になることがあるみたいね」


「返事、必ず書いてくださいね」


「わかった」


 リンネは手紙を手渡すと、空を飛んで去っていった。

 神奈は微笑むと、手紙をポケットにしまった。

 長い冒険が終わった。失ったものは色々ある。けれども、神奈は今の自分に満足していた。

 ストレートでも順調でもないけれど、こんな人生もある。そう思った。

 平和に飽きたならまた旅に出よう。それが、許される世界なのだから。


オマケとして、番外編を一本書こうと思っています。

よろしければお付き合いください。

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