魔王決戦
吹雪が止むのを待って、北に、ただ北にと進んだ。
寒くて震える夜を何度も過ごした。
けれども、それは寂しい夜ではなかった。
傍には常に、仲間がいた。
「果てしないな」
焚き火の番をしながら、グリムが言う。
「そうだね、こんなに広大な土地があるだなんて、思いもしなかった」
リンネも、同意する。他の三人は、既に寝入っている。
「魔王軍の残党はまだまだいる。それが出てこないということは、本拠地に固まっているということだ」
「……決戦になるのかな」
「どうだろう。雑兵では勝ち目がないのは前の戦いでわかっている」
「そうだね。本当に、そうだ」
「魔王の首を取れば、今度こそ、戦いは終わる」
「平和的解決といきたかったけど……そうはならなかったね。どうしてこうなるかなあ」
「魔核は危険なものだ。それを排除するのは、人類の平和のためだ」
「わかってはいるけれどね」
「次で、最後だ」
「うん。次で最後。そう思えば、多少は気分も楽になる」
沈黙が二人の間に漂った。
リンネはそっと、グリムにもたれかかる。
「ずっと旅をしていたかった」
「国を作るという話は何処へ行った?」
「そのつもりはある。けれども、ずっと終わらない旅の最中にいたかった。そんな気持ちもある」
「……旅は、終わる。けど、俺は傍にいる。最後まで」
「……うん」
二人で、手を繋ぐ。寒さを誤魔化すように。
明朝、五人で再度出発する。
「それにしても寒い」
ライトがぼやく。
「火、いる?」
「いい、いい。お前は余計なことはするな」
マシロの呑気な言葉に、ライトはやや慌てた様子だった。
「絶好の冒険日和だ」
黒の勇者が、清々しげに言う。
確かに、今日は晴れ渡っていた。
「方向は間違ってないんだな、勇者殿」
「うん、間違ってないよ。今日中に、つく」
その一言に、グリムは息を呑んだ。他の三人も、同じようだった。
「大量の魔核が集まっている。そして、凄く巨大な魔核がある」
「それは、グリーン将軍よりも?」
グリムは、不安になって尋ねた。
「わからない」
黒の勇者は、前だけを見て淡々と言う。
「不鮮明なんだ、そこだけ。まるで何かの結界があるかのように……」
「結界?」
ライトが怪訝そうに言う。
「何故自ら結界に篭もる」
「結界の中に逃げてるんだったりして」
「お前は気楽でいいな、マシロ」
ライトは脱力したようにマシロを眺めていたが、そのうち無邪気な表情に毒気を抜かれたのか前を向いた。
「なんにせよ、俺の道案内もこれで終わりか……」
「そうね。長い役割ご苦労様」
「ここで抜けていいか?」
「貴方の能力も中々変えが効かないから、駄目」
「……人類の命運を五人で背負う。中々に重たい仕事だ」
「元々、そういう仕事だったじゃない」
「そうさな」
ライトは苦笑して、それきり黙り込んだ。
そのうち、それは見えてきた。
人をも飲み込むような巨大な芋虫が列をなしているのが、まず見えてきた。
その中央に、道がある。
黒の勇者は、覇者の剣を抜いた。
グリムは、光の盾を構え、片手剣を抜いた。
マシロとライトは、両手剣を構える。
リンネは、空中に百をも超える氷の矢を浮かべた。
その時、空を飛んでくる影があった。
クリムゾンだ。
一同、臨戦態勢を維持する。
そして、戦闘が始まるか否かという距離で、クリムゾンが大声で叫んだ。
「私に戦闘の意志はありません」
「どうします?」
リンネが小声で黒の勇者に問う。
「話だけでも聞いてみましょう」
そう言って、黒の勇者は構えを解いた。
クリムゾンが、黒の勇者の前に立った。
「人類軍の動きは既に察知しています。魔王様の首を取らなければ終わらないだろうこともわかっています」
「戦う意志は、ないと?」
「魔王様は、受けて立とうという心積もりです。城へと案内します。お進みください」
「貴方はそれでいいの? クリムゾン」
黒の勇者が、憂いを込めた瞳でクリムゾンを見る。
「私よりも魔王様の力の方が強い。我々は魔王様の勝利を確信しています。それに私は、もしもの時のことを託されているのです」
「なるほど、わかったわ」
黒の勇者は、覇者の剣を手に持ったまま、歩み始めた。クリムゾンに案内されて。
芋虫の群れの中央を進む。
奥は、緊急避難所になっていた。テントが並び、あちこちで食事の火を起こす煙が上がる。
「勇者だ……」
「あれが、勇者……」
怯えるような声が小さく響く。
黒の勇者はその中で、前だけを見て歩いていた。
その時のことだった。
黒の勇者に体当りする魔族の青年がいた。
手には、ナイフを持っている。その刃は、黒の勇者の腹部に突き刺さっていた。
グリムは咄嗟に、青年を斬りつけた。その刃を止めたのは、他ならぬ黒の勇者だった。
「魔王様に仇なす敵……許さん!」
「何をやっている! 皆の者、この男をひっ捕まえよ!」
クリムゾンが、慌てた様子で指示を出す。
人型の魔族達が集まってきて、魔族の青年を抱えて下がっていった。
「すまない、カナ。意図したことではないのだ」
クリムゾンの謝罪に、黒の勇者は首を横に振った。
「怒りをぶつけるのも尤もな話だわ」
彼女は傷口に手を当てている。そこから、白い光が溢れている。
リンネも、マシロも、それに加わった。
「進みましょう」
黒の勇者の言葉に、クリムゾンは頷いて、前へと進む。
「大丈夫ですか、勇者様」
「平気よ、これぐらい」
(常人なら致命傷になる傷なんですけどね、それ)
グリムはやや呆れながら、彼女の後に続いた。
そして、城が見えてきた。
巨大な門が、一行を飲み込もうとするかのように口を開いている。
グリムは、寒気がした。
ここは、既に魔王の射程内だ。そんな気配を、感じ取ってしまったからかもしれない。
魔王の気配は濃い。グリーン将軍に匹敵するかもわからない。
その濃厚な気配に、グリムは激闘の予感を覚えたのだった。
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そして、真っ暗なその部屋に辿り着いた時、神奈は体が重くなるのを感じた。
不思議な気配がした。
「何、これ。体が重い……けど、懐かしくもある」
「私もです。なんだ、この気配……」
グリムも、神奈と同じ状況のようだ。
「私は変わりないですが……何か懐かしくあります」
「僕も変わりない」
マシロは、不思議そうな表情だ。
「全ての魔核は私から生まれしもの。だから、魔核を大量に取り込んだお前達が懐かしく思うのも止むなきことだろう」
闇の中で、声が響いた。
一同、臨戦態勢に移る。
闇の中に、二つの炎が灯った。
一つは、リンネの灯したもの。もう一つの炎が浮かび上がらせた影は、魔王。
黒いフードを目深に被り、その顔は見えない。しかし、人型のようだ。グリーン将軍のような威圧感はない。
「良くぞ来た、神の使徒よ。我は魔王。生きとし生けるものの循環の輪から外れし者。人の営みから逸脱せし者」
「力が、出ない……?」
神奈は戸惑っていた。覇者の剣を握る手に力が篭もらない。力が湧き上がってくるいつもの感覚がない。
「それもそうだ。この地は、魔核の働きを抑制する結界が張られている。魔核によって力を得たものは、その影響を直に受ける」
「それなら、貴方だって状況は同じはずだわ」
「抑制しきれぬのだよ……」
魔王の声から、感情は推し量れない。その周囲に、炎の玉が六つ浮かぶ。炎の玉の表面に、目が浮かび上がった。
「またあの玉か!」
ライトが、絶望したように言う。
「地上戦は不利だ! 空中に移動しよう!」
マシロが言う。
「グリム!」
リンネに呼ばれて、グリムは片手剣を鞘に収めて彼女の手を掴む。
そして二人は、光の盾を先頭にして天井を突破した。
神奈もその後に続こうとしたが、いつものように速度が出ない。マシロがその手を取って、二人の後へと続く。
ライトは、影に隠れてしまった。
地響きが起き、天井が弾き飛ばされた。
その中で、魔王がゆっくりと浮いてくる。
彼を取り巻く炎の熱気が、今にもこちらまで届いて火傷しそうだ。
「この莫大な魔力……! 奴を結界から出しては駄目だ」
マシロが、いつになく緊迫した様子で言う。
「覇者の剣……私を勝利へと導いて……!」
「リンネ!」
マシロが叫ぶ。
「勝利の鍵を握っているのは聖核の集まりである僕らだ。全力で行くよ!」
「わかってる!」
魔王の体が徐々に変化していく。
「魔核は全ての進化の可能性を秘めたもの。それが私の体を変える……!」
その下半身が巨大な蜘蛛のものになり、その上半身がグリフォンのものになった。
グリフォンの翼がはためき、そこから鋭い羽が飛ばされた。
マシロが風の魔術を使い、その狙いを逸らす。グリムは剣術を駆使して、羽を散らす。
しかし、両者とも、炎の玉が放つ火は避けた。
神奈は、六つの炎の玉に対応するのがやっとだ。
それらが放つ火炎放射は、一撃で神奈を蒸発させる力がある。
いつものように速度が出ない。それが、神奈に歯がゆい思いをさせていた。
「久しいなあ……リンガードの巫女に、そちらのお前はザクソンの弟子の者だろう」
魔王の口から、言葉が紡がれる。
グリムが、戸惑ったような表情になる。
「何故、その名を?」
「知っているからな、ザクソンは。私の旧友だ」
「嘘を、つくな!」
グリムの剣から光波が放たれた。光が、グリフォンの体を包んでいく。
そして、閃光の中から再び姿を現した時、その体は人型になっていた。巨大で、鱗の肌を持っている。
傷ついた様子はない。
「防御用の形態か……」
「嘘などついていないよ、ランドニアの英雄君。ザクソンは紛れも無き私の旧友だ。それに、数代前のリンガードの巫女もな」
ロストパラダイスの時代に生まれた可能性がある嘘。神奈は、それに思いを馳せていた。
しかし、火炎放射を回避するのに必死で、思考に集中できない。
六つの炎の玉は、動きの鈍い神奈に狙いを集中しているようだった。
「昔、人として旅をした……心地良い旅立った……我々は信頼しあった仲間だった……全ては、過去のこと」
魔王が呟くように言う。
「人だった?」
神奈は戸惑い、叫ぶ。
「お前が、人だったと言うのか?」
グリムも叫ぶ。そして、言葉を続けた。
「そんなわけがない! お前は、ただの化物だ!」
「お前も、そうなるのだ!」
魔王は呟き、指に炎を集中させた。そして、光線のように放つ。リンネは辛うじて避けた。
そして、再び魔王の上半身はグリフォンへと変わっていく。
「力が足りない……」
リンネの表情には焦燥が滲んでいる。
「カナさんが完全に封じられている今、私達には、奴に対抗する力が足りない!」
「かと言って、諦められないだろ!」
マシロが叫んで、魔王に剣の切っ先を叩きつける。
しかし、魔王は身じろぎ一つしなかった。
「くそっ」
刃の羽が放たれ、マシロは距離を置く。
「グリム……」
リンネが、呟くように言った。
「私が人でなくなっても、貴方は傍にいてくれる?」
グリムは、呆気に取られたような表情になる。
しかし、すぐに頷いた。
「お前の剣は、常にお前の傍にある」
「そう……信じるわよ。マシロ、カナさん、少し時間を稼いで!」
「賢しいリンガードの巫女よ。何かを思いついたか。それとも、元々奥の手があったのか。ならばお前を狙うだけのことよ!」
魔王が羽ばたこうとする。次の瞬間には、その翼から刃の羽が放たれているのだろう。
その瞬間、マシロが魔王に突進して、上空へと押していた。
「ありがとう、マシロ」
「それで、策とはなんだ?」
「魔核が進化の可能性というならば、聖核も進化の可能性。流れ行くもの……」
「リンネ、お前は……?」
神奈も、意図を察した。
「やめなさい、リンネ! 人に、戻れなくなる!」
リンネと神奈は視線を交わした。
最後の瞬間、リンネは、目に涙を浮かべて苦笑して、口を動かした。
ありがとう。
そう、言っているように見えた。
次の瞬間、リンネの体が輝き始めた。




