休息
神奈は恋をしたことがない。
結婚相手に望む条件は一つだけ。
自分と同等かそれより上の男であるということ。
仕事に忙殺されている神奈の状況ではそんな男を探す暇もなかった。
「独身のまま死ぬのかなあ」
ある日、ぽつりと呟いた。
「まーたまた勇者殿が面倒臭いことを言い出したぞ」
向かい合って飲んでいたライトが揶揄するように言う。
「なんだか恋も結婚も経験せずに死ぬのは寂しい気もして」
思いついたことを言っただけだ。深い意味はない。
「そんなにいいもんじゃねえよ」
「経験談?」
「まあな」
「結婚してたこと、あるんだ」
「まあ、ある」
「ふーん、どんな子よ」
「箱入り娘だな」
「ライトにそんな箱入り娘を預けるなんて無謀だなあ」
「半年で出て行った。酒飲んで相手してくれないし口は悪いしで愛想が尽きたと」
「そりゃそうなるよ」
「そもそも、勇者殿は結婚する気があったのか?」
核心を突く一言だった。
「……私はね、自立した女になれって言われて育ったの」
「ほう」
「だから、仕事に熱中してれば良いみたいなところはあった。ただ、周囲が当たり前のように結婚して、当たり前のように幸せになってるのを見て、焦り始めるのが少し遅かっただけ」
「恋をして結婚をするのではなく、結婚をしたいから恋をしたいか。倒錯しているな」
「うん。そーなんだ」
沈黙が漂った。
グリムとリンネは仲良く並んで寝入っている。
「結婚も、仕事と割り切れば良いのではないかな」
「仕事?」
「例えば家事全般を担当して使用人を使って家中のことを切り盛りするのも仕事の一つだ」
「仕事かあ。でも、それじゃあ稼ぎを男に頼ることになる。私はそれは嫌だ」
「なら、子供ができたらベビーシッターでも雇えばいい。出産が近くなれば流石に働けないが、それは仕方ない」
「わかってはいるんだけどね」
「わかっちゃいないさ」
「ライトが私の何をわかってるって言うのよー」
「この世界じゃ、多分一番わかってると思うがね」
ライトの一言を否定しようとして、否定できないことに気がついて、神奈は戸惑った。
そうだ、ライトはこの世界で一番、神奈と一緒にいたのだ。
時には一緒に酒を飲み、時には並んで剣を構え、この冒険をここまで共に歩んできた。
この男は、紛れもなく神奈の戦友なのだ。
その事実に気がついて、神奈は黙って酒を飲むことに集中し始めた。
風向きが変わったと思ったのか、ライトは話題を変えた。
「ディートリヒ殿にこの周辺の地図は貰っておく。噛み砕いて説明する役が必要だろう。お前は眠るがいい」
「そうね……頼りにしているわ、ライト」
「ああ、任せろ」
「私の勇者という仕事は、多分貴方の補佐なしには完結しないんだわ」
「そうも持ち上げられると薄気味悪いな」
「ううん。あらためてそうだと実感しただけ。たまには感謝しておくわ」
「まあ、わかった。寝ろ」
そう言われて、神奈の北壁一日目の夜は過ぎていった。
隙間風は冷たいし、外では吹雪いている音がするし、とてつもない悪環境で、布団をかぶって眠った。
二日目のことだった。
ライトはディートリヒ達との会合に付きっきりになり、神奈はグリムとリンネと共に過ごした。
吹雪は、勢いを弱める気配もない。
「私は勇者様の護衛です。何処へなりと付き添いますよ」
剣と盾、鎧に身を固めたグリムは如何にも頼りがいがある。
「私もカナさんの護衛です。何処へなりとも付き添います」
リンネは軽装だ。鎧も重いからという理由でつけていない。まだ恋も知らぬ少女。神奈もこれぐらいの年齢まで戻れればと思う。
どちらも、神奈より一回り下の年齢だ。それが護衛だと周囲に寄り添っている。それが、可愛らしく感じられた。
「グリム、私の前でも俺、でいいのよ。勇者様じゃなくて神奈さんって呼んでも構わない」
「私は私のやり方で忠道を進むだけです。その先に死があろうとも恐れはしません」
「流石に死なれるのは困る……」
生真面目過ぎて危うい子だ。
気を使ってやらなければな、と神奈は思う。
「それぐらいの覚悟でなければ、この先、魔将との戦いには対応できぬでしょう」
「私も……死ぬ覚悟は既にできています」
「最後まで生きる決意こそが必要だと私は思う」
神奈は戒めるように言う。
「人間って、案外死ぬのも生きるのも簡単じゃないから」
「流石カナさんです」
「……生きる決意、ですか」
「そうよ」
(ライトの前とは、勝手が違うな。ごめんね……私も実は、死ぬ覚悟はしてる)
それを思うと、ライトというのは気楽な相談相手だなと思うのだ。
ライトがいなければ、この冒険はなかっただろう。
いや、誰一人欠けても、この冒険はなかった。
それを思うと、仲間を愛しく思うのだ。
神奈は、二人を抱きしめた。
「生き残りましょう。最後まで」
「はいっ」
「……はい」
リンネは輝くような表情で、グリムは苦笑して、神奈の言葉を受け止めた。
その時、部屋に人が入ってきた。
北壁は、人類の最も巨大な建造物だ。
魔物を北の果てへと追いやる巨大な壁は、内部には部屋や狙撃台が配置されており、自由に行き来できるようになっている。
神奈は、二人を離して、客人に対応した。
「グリム殿はおられるか」
「ここに」
グリムが手を挙げると、若い男は顔を輝かせた。
「ああ、誇らしい。ランドニアから勇者様の腹心が現れるとは」
「うーん、なんだかこそばゆいな。本題に移っていただけぬだろうか」
「わかりました。グリム殿、こちらへ」
男に呼ばれて、グリムは歩いて行く。
「良かったね、グリム。皆に認められて」
「グリムは最初から烈火の騎士とか持ち上げられてなかったっけ」
「そっか、カナさんには話していないんですね」
「なになに、なんのこと?」
「秘密です。プライバシーに関わることですから」
「……仲良いのねー、あんた達」
大人組が大人組で秘密の会話をしているように、子供組は子供組で内緒の話をしているということか。
まあ、年齢差もあるしやむないか、と神奈は思う。
「それでは話が違うではないか!」
グリムの大声に、神奈は小さく震えた。
彼は、今にも男に掴みかからんばかりだ。
男は、静かな目でグリムを見ている。申し訳なさそうな視線に見えた。
リンネが、神奈の服の裾を握った。
グリムはしばらくすると、呆然とした表情で二人の元に戻って来た。
「どうしたの、グリム。悪夢を見ているような表情だけれど」
「いいのです、勇者様。少し、驚いただけです。魔将との戦いに影響を及ぼすような内容でもない」
会話の内容について話す気はない。そんな気配が強く感じられたので、神奈もそれで引き下がった。
午後の食事の時間になると、軍人らしき人間が食事を届けにやって来てくれた。
「セーヌ、と申します。北壁中央部タウロス副司令の任についています」
そう言って、女性は小さく頭を下げた。
(偉い人か……)
神奈も、グリムも、リンネも頭を下げる。
「ここで二番目に偉い人ってことでいいのかな」
「そうなりますね。兵士達には、勇者様の休憩を邪魔しないように指示を出しました。くつろげていますでしょうか?」
「おかげさまで」
神奈は微笑む。国に入った時のように、人が押し寄せてきたら対処に疲れていたところだ。
「気遣いに感謝します、セーヌ」
「勿体無い言葉です」
そう言いながら、セーヌは食事を三人に分配していく。スープとパンに干し肉。食事事情はあんまり豊かとは言えなそうだ。
「夕食は、皆の前に姿を現して頂けないでしょうか」
セーヌは、気まずげに微笑んで言う。
「勇者様と接することで、皆の士気も高まりましょう。ディートリヒ様も、そうお願いするでしょう」
「んー。ちょっと気疲れしそうだけれど、かまわないわよ」
「ご迷惑をおかけします」
「ところで、セーヌ。今、会議じゃ?」
セーヌは苦笑する。
「ディートリヒ様は元々一人で全てをこなせる方です。私は勇者様の生活面の補佐に当たれと命令されました。私ならばよく気がつくし適任だろうと」
「副官様直々に接待とは恐れ入るわ……」
「それほど、勇者様は重要人物なのです。敵将の襲撃の気配もありません。しばらくは、安心して生活してください」
「何故、ないと言い切れるのです?」
グリムの疑問に、セーヌは微笑んで応じた。
おっとりした人だな、と神奈は思う。顔から微笑みが絶えない。
テーブルの上に、セーヌが指で線を描く。それに応じて、光の線が現れた。光の線と七つの点が、テーブルの上に浮かび上がった。
(流石は副官、魔術も堪能か)
神奈は感心して、光の線を見ている。
「人類軍側に北壁があるように、魔王軍側にも絶対防衛ラインがあります。これが、その七つの砦。それぞれ、将軍が守っています。一つの砦に集結すればその分、他の砦が手薄になります。なので、前回のように三将も揃うのは稀なことです」
「なるほど、パワーバランスがあるってわけか」
「そうなりますね。人類軍が進むか、北壁に篭もるかは、勇者様の活躍にかかっています」
セーヌがそう言ってテーブルをふくと、光の線と七つの点が消えた。
「私はここに赴任して十年近くになりますが、ここまで人類軍が優勢になった記憶はありません。ディートリヒ様の指揮でギリギリ持ちこたえていたようなものです。私も今回の戦果に胸踊らせている者の一人です」
セーヌはそう語ると、頭を下げた。
「それではこれにて失礼します。ゆっくりとおくつろぎくださいませ。食器は部屋の外に出しておいてくれれば、兵が片付けるでしょう」
扉が閉まった。
「穏やかな人でしたねえ」
リンネが言う。
「そうですね。戦いとはまるで無縁なように思えました」
グリムも、戸惑うように言う。
「……まるで、勇者様みたいでしたね」
グリムの言葉は、神奈にとっては予想外だった。
しかし、言われてみれば似ている。
「仕事に熱中するアラサーって点で共通点があるわね。確かに似ているわ」
「……いえ、おっとりとしたところとか似ているなーと」
「私、友達できるかな?」
「そういう呑気なところです、勇者様」
グリムが苦笑交じりにそう言うったが、神奈は気にせず新天地の友達に期待を膨らませた。
昼食を食べ終わる頃に、ライトが戻って来た。
「七つの砦、それぞれに陣取る敵将の特徴まで頭に叩き込んできた」
「グリーン将軍は、近場ですかね」
そう問うのは、グリムだ。
「近場も近場、一番の近場だ。だから、我々の策としては、各地を転戦し、グリーン将軍を振り回す」
「一番最初に当たっちゃ駄目なの?」
「一番被害の大きい道を何故行くかね。将軍が数匹倒されれば魔王軍側が降参するだろうという仕組みだ」
「なるほどねえ……。ディートリヒとライトが捻り出した策。けど、人的損害の面は考慮されてないんじゃないかしら?」
そう言って、神奈はライトを指差す。
「グリーン将軍が勇者不在の隙にタウロスを攻めればどうなるか」
「ここには北斗隊という選別されたエリートがいる。足止めは可能なようだ」
「……なるほど」
神奈は、考え込んだ。
「グリーンと当たりたいな。タウロスの不安を除去しておきたい」
「私も、グリーン将軍にリベンジをしたいところです」
神奈とグリムの言葉に、ライトは頭を抱えた。
「それじゃあ俺達が策を練った意味がねぇだろうよ」
「現場の声が一番よ。じゃあ、次はグリーン将軍を討伐しましょうか」
「そうですね」
「私は不満はありませんよ」
「……ったく」
ライトはそう言うと、それきり黙り込んでしまった。
(拗ねてら)
神奈は苦笑したが、意見を翻す気はなかった。
どの道当たるなら、早いうちにだ。
そして、夕食の時間がやって来た。
百人以上入れるだろう大広間に、兵が密集する。
勇者一行はそれを見渡せる少し高い段に、位置していた。
セーヌが四人を紹介する。
「覇者の剣であらゆるものを断つ、勇者カナさんです」
喝采が上がる。
「リンガードの巫女、魔術ならお任せ、リンネさんです」
再び、喝采。
「剣聖の弟子、烈火の騎士、グリムさんです」
兵士達のテンションは今にも部屋を破壊せんばかりだ。
「オールラウンダーな参謀役。ライトさんです」
いつの間にやら四人のプロフィールを調べている。流石は副官、抜かりがない。
「それでは、皆さんグラスを持って、乾杯と行きましょう」
応じる百を超える声が重なり、部屋が揺れた。
神奈達にも、それぞれグラスが渡される。
神奈とグリムとライトのグラスには酒が入っているようだが、リンネのグラスは紅茶のようだった。
その時、神奈の持つグラスを、セーヌは取り上げてしまった。
「今、このグラスを運んで来た者。戻ってきなさい」
押されるようにして、一人の男が神奈達の前に出てくる。
「飲みなさい、これを」
セーヌは、凍えるような表情で、男を見下ろしている。
「衛兵。この男に上を向けさせ、口を開かせなさい」
「はっ」
男は暴れる。暴れるが、屈強な衛兵たちには敵わない。
そしてセーヌは、開かれた男の口に、グラスの中身を注ぎ始めた。
「あががががが……」
男は口から空気を吐いて酒の侵入を防いでいたが、その抵抗も数秒のこと。酒が喉を嚥下した音が聞こえた。
そして、男は青くなって泡を吹き始めた。
「離してよし」
衛兵が離れる。男は倒れて、痙攣している。その姿が、魔物へと変わった。
「毒ごときで勇者様がどうにかなったとは思えませんが、今更な策ですね。相手も、焦っていると見える。衛兵、ゴミを片付けなさい」
兵士達が、魔物を運んで行く。
神奈は、セーヌに手を差し出した。
「ありがとう、セーヌ。助かったわ」
「いえ、些細な事です」
セーヌは苦笑して、握手に応じる。
「ところで貴女、独身?」
「……? 独身ですが?」
神奈は内心喜んだ。なんでも話せる友達ができる気がした。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
グリーンは戦っていた。相手は同じく魔物。刃を通さぬ肌を持ち、巨大な剣を持つ者。
炎の魔術と魔術が、両者の中央でぶつかり、はじけ飛ぶ。
そして、息も絶え絶えになりながら、両者はがっしりと組み合った。
グリーンは北壁から撤退した日から、戦い続けている。
相手と、戦い続けている。
これがクリムゾンの策。
勇者は驚くことになるだろう。そう思い、グリーンはほくそ笑んだ。




