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 リンネは大人になりたかった。鏡には乳臭いと言われ、ライトには平べったい胸とからかわれる。年齢的にはこの世界で結婚が許される歳になっているのだが、発育が悪い。誰もが認める大人になればそんなこともなくなるだろうと思っていた。

 一番大人になりたいと思うのは、飲み会の時だ。

 その日の晩も、飲み会が行われていた。


「きっついわねー、この酒」


「きくなあ。喉がかぁーって熱くなる」


「私はこれぐらいが丁度いいですけどね」


「グリム、あんたいつもそうやってハイペースで飲んで一番に脱落するんだ。自重しなよ」


 焚き火を囲んで、黒の勇者とライトとグリムは前の街で貰った酒を飲んでいる。

 リンネだけはお茶である。


「わ、私も一口飲んでみたいなー」


「駄目」


 黒の勇者が、切って捨てるように言う。


「リンネはまだ子供だから駄目」


「そんなあ。成人ですよ」


「いいじゃないですか勇者様。リンネも成人とそう遜色ない歳です」


「遜色ないも何も、成人なんだけど……」


「ダメなものはダーメ。私の育った世界の基準に照らし合わせればリンネはまだ子供なの。今はお茶で我慢しな。どうせ、後々付き合いで山ほど飲まされるんだ」


 そう言って、黒の勇者は大きく喉を鳴らして酒を飲む。

 リンネは項垂れて、お茶を飲んだ。


「早く大人になりたいなあ」


「ほー。リンネ嬢は早く大人になりたいのか」


「ええ。背も低いし、胸も小さいし、お酒も飲めないし、子供って得なことが何もありません」


「リンネ嬢が望むなら俺が大人にしてやらんこともないが」


 ライトは、そう言って褐色の顎をさする。

 リンネは、耳を立てて表情を綻ばせた。


「本当ですか?」


「ああ。立派なレディにしてやるよ」


「お願いします!」


「それじゃあ一緒に寝所に行こうな」


 そう言って立ち上がったライトの首根っこを、黒の勇者が勢い良く引っ張った。

 ライトが呻き声を上げ、喉を抑えてしゃがみ込む。


「ライト……あんたこんな幼気な子供にまで手ぇ出す気?」


「いいんじゃないかな。本人が望んでるんだし」


「望む方向性が違うわ! あんたのは下劣な奴でしょ!」


「ほう、下劣。勇者殿は何を考えているのかな。俺はただ、マッサージをしてやろうと思っただけだ」


「どんなマッサージなのかしらね。本当、男ってサイッテー」


「私も男なんですけどね、勇者様」


 そう言いつつ、グリムはペース良く酒を飲んでいる。


「疑念を抱かれたなら不服だなあ。俺は本音で喋っているというのに」


 ライトはそう言って、座り込む。

 腰を浮かせていたリンネは、戸惑うばかりだ。


「あの……」


「からかわれたのよ、リンネ」


「……ライトさん、嫌いです」


「理不尽だ」


 そう言って、ライトは鼻を鳴らした。

 リンネは、腰を下ろした。


「早く大人になりたいなあ」


「私は子供に戻りたいわ」


 黒の勇者はそう言って肩をすくめた。


「どうしてですか? 子供になっても得なことなんてないですよ?」


「可愛がってもらえる。大人になったら仕事をするだけよ。私達みたいな未婚者は特にね」


「じゃあ人生って楽しい時期なんてないんじゃないですか」


「今がその楽しい時期なのよ、リンネはね。本来なら、友達と遊んでる頃でしょう」


「納得がいきません。私も勇者一行のパーティーメンバーなんだから大人として扱ってほしいです」


「大人、ねえ……」


 黒の勇者は苦笑して、リンネの隣に並んだ。

 そして、リンネの肩を抱くと、頬に頬を擦り付けた。

 リンネは、胸が高鳴るのを感じた。


「リンネは可愛いなあ」


「……もう、そうやって誤魔化して」


「リンネはゆっくりと大人になりなさい。カナさんはそれをゆっくりと見守っているから」


「ゆっくりと……」


(それじゃあ駄目なんですよ、カナさん)


 リンネは、思う。


(この戦いで誰かが欠けたら、私はもうその人と飲めないんだもの)


 早く大人になりたい。黒の勇者のように勇ましくて格好良い大人になりたい。

 リンネは星空を見上げ、そう念じた。

 流れ星は見えそうにない。


「ライトー。ペース遅くない? もっと飲みなよこのロリコン」


「勇者殿は絡み酒で困る」


「旅を始めてわかったけど何処行っても同じね。私を口説こうなんて奴はいないのよ」


「スマートフォンの彼がいただろう」


「あれは幼馴染だからノーカウント。異性と認識されてません」


「俺が口説いてやろうか?」


 一瞬、静寂が場を包んだ。

 勇者は勢い良くライトの背を叩いた。肌と肌がぶつかり合う派手な音が周囲に響きわかる。


「ばーっか。からかうなよおい」


 ライトは焚き火に髪の毛を少し焼かれながら地面に突っ伏していた。


「今日は勇者殿はもう駄目だな。グリム、ペースを落とせ」


「そうですね。程々にしておきましょう」


「なんだよー。私の酒が飲めないってのかおめーら」


 ライトはゆっくりと起き上がる。


「敵襲の可能性があるからな」


「なんだよー。男なんて皆よー。私の酒から逃げるんだからなあおい」


「カナさん! 私、飲めます!」


「お子様は黙ってお茶」


「はーい……」


 大人になれば黒の勇者に付き合うこともできただろう。

 なんで大人になれないんだろう。そんなことを思う。


 翌日、リンネは関節の痛みを覚えて目が覚めた。

 ゆっくりと体を起こすと、いつもより高い位置に目線があった。服がきつい。胸に圧迫感があるし、腹が出てしまっている。

 髪の毛も爪もなんだか長い。顔が完全に隠れてしまっているし、爪は伸びすぎて先が丸まっている。


 そして、仲間の三人が、異様なものを見る目でリンネを見ていた。

 髪を両サイドにかき分けて、リンネは小首を傾げる。


「どうなされましたか?」


「いや、どうしたも何も……」


「……リンネ、なの……?」


「何分目を離してた? これは想定外だぞ、勇者殿」


「あの……?」


 黒の勇者は、無言で鏡をリンネに差し出した。

 それを、覗く。

 髪の長い鼻筋の通った綺麗な大人の女性がそこにはいた。リンネと同じ亜人らしい。リンネと同じ狐耳が頭から生えている。


(私と同じっていうか、もしかして……)


 リンネは口の形を変えたり、目の細さを変えてみたりする。鏡の中女性は忠実にリンネの仕草を真似した。


(これ……私……?)


「えええええええええええええええええええ?」


 リンネの絶叫が、周囲に響き渡った。

 とりあえず状況を把握する必要があった。

 勇者はリンネの髪を切り整え、グリムが爪の伸びた部分を剣で削ぎ落としていく。

 ライトは顎をさすって考え込んだ。


「聖核の気配から、リンネ嬢であることに間違いはない。リンネ嬢の聖核は尋常な量ではない。それが奇跡を起こしたのかもしれんな」


「奇跡……?」


 リンネは、呟く。実感が遅れてついてくる。喜びに、体が震えた。


「私、大人になったってことですか?」


 身を乗り出して、大声で言う。


「動かない」


 黒の勇者に、首根っこをひっつかまれて位置を整えられる。


「近くの村にでもよろう。服がなくてはどうにもならんだろう」


「私の服を当面は貸そうかな。村じゃあ服屋もないでしょう」


「胸のサイズが足りんだろう」


「殺すわよ」


「客観的事実を述べている」


「殺すわ」


 低い声で言いつつ、黒の勇者は黙々とリンネの髪の毛を整えてくれる。

 大人になった。その実感が、リンネを喜ばせた。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 そのうち、作業が全て終わり、神奈はリンネに着替えを手渡した。


「……まあ、確かに胸はきついかもしれないわね」


 事実を認めざるをえない。リンネの胸は神奈より大きい。

 顔の良さなんてハリウッド俳優が出てきたかと思うぐらいだ。

 自分が勝ってるところがまるでない。神奈は面白くない。


(器が小さいな、私って)


「お借りします」


 そう言って、頭を下げてリンネはテントの中で着替え始める。


(そういうお淑やかな態度でも私負けてるな? 勝ってる部分あるのかな?)


 思わず自問自答する。


(あー、こういうのって深く考えたら駄目な奴だ。やめとこ、やめとこ)


 そう言って、意識を他にやる。

 リンネが、恐る恐る出てきた。

 美しく成長したが、紛れもないリンネだ。


「……背丈、伸びしろあったのね」


 神奈は、思わず呟くように言う。

 リンネと神奈は、丁度目線が合う位置に頭があった。


「はい、そうみたいです」


 リンネは上機嫌だ。くすぐったげに笑う。


「皆、荷物をしまって馬に乗るわよ。準備して」


「はい」


「おう」


「はあい」


 それぞれ、荷物を整える。

 それが終わると、馬に乗って進み始めた。

 リンネは、神奈の後ろに乗って、その腰に手を回している。


(胸でっか!)


 神奈は心の中で呟く。


(何食ったらこんなに大きくなるの、生まれ? 生まれなの? ああ……男だったら楽しかっただろうな)


 旅に出てから何度思ったかわからぬことを思う。

 ちなみに、神奈は平均よりも胸が小さい。

 モデル体型なのだと自分を誤魔化しているが、ついつい、溜息が出る。


「どうしましたか? カナさん」


「カナさんは今、人生について考え込んでるのよ」


「勇者殿の人生はシンプルだ。魔王を討伐さえすればいい。後は知らん」


「後のこともカナさんにとっては大事だからね、考え込むのよカナさんは」


 昔、こんな時期があった。

 若いだけでちやほやとされて、誰からも好印象を持たれる時期があった。

 もう、終わった話だ。

 誤魔化そうとしても、老いは隠せない。

 リンネはその、輝かしい時代の中にある。

 それが、神奈の胸に小さな諦めのようなものを生み出した。


「人生って……複雑う……」


 思わず、ぼやくようにそう言っていた神奈だった。

 北壁は近づきつつある。

 北壁といっても、どんなものかは神奈には想像がつかない。


「北壁の上を飛んで移動されたら、防御の弱い城とか攻められたりしない?」


「協定で禁止されている」


 ライトが、淡々と言う。


「北壁は武力で攻め取るものだと。だから奴らも魔剣だの遺跡だの搦め手を使って我々の進行を邪魔しているわけだ」


「なるほどねえ。話が通じる奴なんだ」


「自分達が同じことをされては困るからだろうな。奴らには奴らの町があり、奴らの故郷がある」


 ライトの言葉に、神奈は戸惑った。

 それでは、魔王を倒してめでたしめでたしとはいかないのではないだろうか、と。


「勇者殿にも感じるものがあったか。物語のように正義の逆が悪とは限らないという教訓だな」


「……私達は、相手の故郷を踏み躙るの?」


「魔王を廃して魔物との共存を考える。虐殺のようなことは考えてはいない。神も魔王を倒せと勇者殿をよこしたのだろう?」


「まあ、そうね」


「難しいことは上に任せておくことだ。我々は手先に過ぎんのでな」


 そうと言われても、考え込んでしまうものだ。


(それにしても……)


 神奈は思う。


(胸でっかいなあ……)


 結局はそこに落着する神奈だった。

 結局、次の町でリンネは新しい服を買った。リンネだけではない。神奈達もだ。

 北壁が近づくに連れて、寒さが増しつつある。冬用の服を買う必要があった。

 各々、服の注文を終えて、合流する。


「カナさん~」


 先に人混みの中に立っていたリンネが、情けない声を上げる。


「どうしたの?」


「なんか、道行く人の手つきが不自然で。胸、何回か触られたっていうか」


「痴漢ね」


「……恥ずかしいです」


「ひっ捕まえて大声あげてやりなさいな。自衛の手段は必要よ」


「人の胸を掴むなんて、非常識です」


 リンネは頬を赤くして憤慨している。


「大人になったんだから、自分で対処しないとね。貴女は大人になった。魅力的に映る年齢になった。だから邪な輩から身を守る術も覚えなくてはならない」


「……大人って案外大変ですね」


「皆は少しずつ大人になっていくけど、貴女は急にだったからね。戸惑うのもわかるわ」


「はい……」


「大人からもう一つ。大人になったんだから、私生活ではカナさんカナさんと頼らない。自立しなくちゃね」


「ええっ」


 突き放すような物言いに、リンネは不平の声を上げる。


「カナさんのほうが年上じゃないですか」


「年上がいつまでも助けてくれると思わないこと」


 リンネは、外見は大人になったが中身は子供のままだ。仕草や態度が子供のままで、それがアンバランスに映る。それが、神奈には正すべきもののように思えた。


「しっかりしなさい。ね?」


「はい……」


 リンネは項垂れた。

 少し言い過ぎたかな、と神奈は思う。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 リンネはその日、王に会いに行く黒の勇者達と別行動を取って、街の中を歩いた。

 自分がどんな風に見られるか、興味があった。

 それに、黒の勇者から突き放されているという感覚があって、その寂しさを紛らわせたかった。


(胸おっきいなあ……)


 思わず、自分の胸を見て沈み込む。

 性的な目で見てくる相手には、これが魅力的に映るのだろう。そう思うと、憂鬱だった。


「そこの綺麗なお嬢さん」


 誰かが呼び止められたようだ。リンネは気にせず、前に進む。


「そこの狐耳の亜人の美女さん!」


 狐耳の亜人。そんな人、リンネ以外にもいるのだろうか。そう思って、リンネは周囲を眺める。リンネしかいない。


「そう、そこできょろきょろしてるお嬢さん」


 リンネは、ここに至って自分のことだと察した。


「なんですか?」


 相手は果物の露店の店員だ。

 興味深げにリンネを見ている。


「観光かい?」


「そんな感じです」


「リンゴ一個あげるよ。持ってきな」


「え、悪いですよ」


「一個と言わず二個でもいい。その代わり、贔屓にしてくれよな」


「それじゃあ、一個……」


 すぐ旅に出て、来れなくなることは言わないことにした。

 リンゴを齧りながら、先を進む。


「そこの狐耳の亜人の方」


「はい」


 今度は自分のことだろう。呼ばれて、リンネは振り向いた。


「私のご主人様が貴女とどうしても話したいと仰っています。どうか、同行して頂けないでしょうか」


「えっ。それって、もしかして高貴な方とか?」


「はい、そうなります」


「えっと、遠慮しておきます。私、旅人なので」


「おっと、旅人さんだったのか。それなら俺が案内するぜ」


 新たに若者が割って入ってくる。


「おい、今この方は私と話している。平民の分際で邪魔立てするな」


「平民でないのなら文句はないのだな」


 逞しい中年男性が割って入って来た。


「この方は私が案内する。目をつけた俺が先だ」


 騒がしい言い争いが始まった。

 リンネはたまらず、空を飛んでその場を後にした。

 地上では、男達が人混みをかきわけてついてくる。


(これはたまらないや)


 慌てて、速度を上げた。そして一旦、街の外に出た。

 呼吸を整える。

 今、何が起こった? 沢山の男が、リンネを取り合って争い合っていた?

 子供の世界では有り得ないことだ。

 それが、大人の世界では起こる。


(私、どうやって世界と接すれば良いんだろう……)


 リンネは考え込む。

 こうなると、子供時代のほうが良かった。男も女も気にせず遊べた。


(カナさんはどう接してるんだろう……)


「しっかりしなさい、ね?」


 黒の勇者の言葉が脳裏に蘇る。

 リンネは少しだけ、涙腺が緩むのを感じた。


「それにしても、私、モテモテだなあ……ははっ」


 現実逃避気味にぼやくと、乾いた笑いが口から出た。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 リンネはその晩、食事に参加しなかった。召使に聞くと、部屋に篭りきりだという。

 街で何かあったかな、と神奈は考えた。

 考えたが、救い船は出さぬことにした。

 リンネも大人だ。自分で解決しなければならないだろう。


 晩餐は豪勢な豚の丸焼きで、ハーブの詰まったそれに神奈は舌鼓を打った。


(リンネ、どうしてるかな……)


 甘いとわかっていながらも、リンネのことが気になる。

 神奈は結局、晩御飯の一部を取り分けてもらって、リンネに届けることにした。


 リンネは暗い部屋の中、ベッドで膝を抱えて座り込んでいた。


「何閉じこもってるの、リンネ。ご飯ぐらいは食べないと体に毒よ」


「色々と考えてました。この体になって、良いことはあったか」


「……答えは?」


「モテモテになりました」


「そう。なら良かったじゃない」


「少し、男の人が怖くなりました」


 リンネの横に座り、豚肉を摘んでリンネの口元へと移動させる。

 リンネは、それを頬張って、表情を緩めた。


「カナさん、私の騎士になってくれませんか?」


「リンネの騎士?」


「いつでも私を守ってくれる、私の騎士に」


 そう言って、リンネは目を閉じる。

 神奈は硬直していた。

 神奈は、リンネに口づけされていた。

 リンネが顔を離して、目を開く。


「……駄目ですか? カナさんが心配している、老後のことも面倒が見れますが」


「……しっかりしなさいって言ったでしょ」


 神奈は、苦笑するしかない。


「貴女は大人。男の人の視線にもそのうち慣れるわ。一人で立って、自立しなければならない。巫女として安穏と生活していればこうはなってなかったかもしれないけれど、貴女は自分でこの道を選んだ。なら、適応しなければならないんだわ」


「……カナさんはやっぱり、格好いいなあ」


「そう?」


「自立できてる人は格好いいです」


「そ」


 神奈は興味がなかったので、そっけなく答えた。


「今だけ、子供のリンネでいさせてもらっちゃ駄目ですか? カナさんに抱きついて、怖かったよって吐き出しちゃ駄目ですか?」


「駄目よ。貴女は大人になったんだから。一人でやらなくちゃ駄目」


「そう……ですか……」


 リンネは、涙で目を濡らす。


「こら、泣かない」


「泣いてません」


「涙が出てるじゃない」


「汗が流れたんです」


 そう言って、リンネは涙を拭う。

 そして、微笑んだ。


「そうですね。リンネも大人です。カナさんにいつまでも頼りきりではいけません」


「そうよ。これからは対等の仲間として過ごして。そして、一緒に酒盛りでもしましょう」


「そうですね。酒盛り、しましょう、しましょう」


「お、飲む? それじゃあライトの部屋に集合しましょう」


「はい!」


 リンネは、上機嫌に返事をした。

 ライトに充てがわれた部屋で酒宴が開かれる。


「今日は城の衛兵がいるから潰れるまで飲んでもいいわよー」


 神奈は上機嫌に言う。


「美人と月を見ながら酒。わるかないな」


 ライトはそう言って、既に一杯飲み始めている。


「私と飲む時はどう思ってるの?」


「月をみながら酒もわるかないなって」


「正直でよろしい。ぶちのめすわ」


「まあまあ、勇者様。それにしても、リンネは美しくなったな。旦那となる男はさぞ羨ましがられるだろう」


「リンガードの巫女は生涯未婚ですよ」


 そう言って、リンネは酒を勢い良く喉元に流し込み、吹き出した。

 カーペットが濡れる。

 可愛らしいな、と神奈は思う。


「強い酒なんだからちびちび行きなさい」


「はい……リンガードの巫女は生涯未婚だから誰にでもチャンスがあるのです」


「お、早速男をもて遊ぶすべを覚え始めたか、リンネ嬢は」


「そんなとこです」


 仲間内では強気になるらしいい。それもまた、可愛らしい。

 子供のリンネを、大人のリンネが超えていない。


「ピークは過ぎたら一瞬よ~」


 神奈は、脅かすように言う。


「同年代の仲間達が結婚して子供を産み育てるようになる。そんな中、一人取り残される恐怖を感じながら、徐々に老いていく」


 場が静まった。

 神奈は構わず、何かに取り憑かれるように喋り続ける。


「肌や髪の艶はなくなる。ほうれい線が浮かび上がってくる。目尻が弛む。それが過ぎると次は本格的な老い。白髪が増える。身長が縮む。足腰が弱くなる」


 場は少しの音もしない。これはあれだ、葬式のムードだ。


「若い頃は持て囃してくれた人々もその頃になると離れていく。一人きりで寂しく過ごす。そして思うの。どうしてこうなったんだろうって」


 神奈は喋り続ける。それは神奈の不安だ。神奈の思い描く未来図だ。


「そして同年代の子が孫達に囲まれて目尻を下げている頃に一人きりで孤独に死んでいくんだわ……」


「勇者様。あんまり生々しい話はそれぐらいに……」


「独身でも友達はいるだろ」


「友達は家庭に取られるのよ」


「……怖いです」


 リンネは、呟くように言って、酒を飲んだ。


「けど、私は、亜人の子供達を見守る、お婆ちゃんになりたいです」


 リンネが喋り始める。


「その中から、次の巫女を見出し、聖核を譲る。そうやって少しばかりの何かを残して、死んでいきたいです」


「……大人だなあ、リンネは」


 神奈は、思わず呟いていた。

 自立できていないのは、どちらだろう。神奈は表面上は決断力があるが、芯の部分では傾いてしまっている。


「だから、私は大きくなるのは怖くない。けど……」


 リンネは、苦笑する。


「ちょっと焦ったかなって気は、しないでもないです」


「だね」


 神奈も苦笑するしかない。そして、酒を一口飲んだ。


「私はあんたがゆっくりと大人になるのを見たかった。もう少し、私の可愛いリンネでいてほしかった」


「今でも、リンネは貴女の可愛いリンネです」


「大人になれば付き合いも変わるのよ」


 その晩、四人は盛大に飲んだ。酔い潰れるまで飲んだ。

 ライトを数発殴ったような覚えがあるが、酒の席のことだと思って忘れることにした。

 そして、翌日、目が覚めた時のことだった。


 一同、リンネに注目していた。

 胸が、平べったい。背丈も縮んでいる。子供のリンネが、寝入っていた。


「おい、リンネ嬢」


 ライトが、リンネの尻尾を掴んで揺さぶる。リンネは唸るが、目覚めそうにない。


「……そっとしておいてあげましょう。長い夢を見ているんだろうから」


 そう言って、神奈は苦笑すると、リンネの髪を撫でた。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 結局、リンネは大人ではなくなってしまった。

 しかし、時間は前へ進み続ける。いつかリンネは大人になる。

 その時までに、準備をしようと思った。

 大人になることは怖くない。老いることも怖くはない。ただ、それ相応に振る舞えるようになるには人生経験が必要だ。

 それまでは、この温もりに包まれていようと思う。

 リンネは抱きつく。黒の勇者の腰に。

 二人を乗せた馬は、ゆっくりと進んでいった。


 そのうち、空から白いものが降り始めた。


「これはもしかして……?」


「そう、雪よ」


 黒の勇者は、手を開いて白い粒を受け止める。


「こうやって、色々な経験を積んで、ゆっくり大人になりなさい、リンネ」


「はい」


 初めての雪に心踊らせながら、リンネは黒の勇者の腰にしがみついていた。

 初めて見る降る雪は、まるで舞台で作られたかのように、綺麗だった。








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