55 鬼火の夜(ウイスプズ ナイト)
自他の境界を下げる、と言っても自分の中を分かつ境界を下げるのは、思いのほか、ままならなかった。いや、ほんとうは、いっぱいいっぱいと気づかないふりをしていた。
下げるのをもうひとりの僕が下げさせなかった。記憶の僕との境界を下げなかった。それでも半分は下げた。僕の分は下げた。
もうひとりの僕の思いが、背を向けた僕の思いが、流れ込んでくる。
冗談じゃない。
病んだ記憶パートの甦りで自家中毒だなんて。
だれが地獄の日々の記憶を欲しがるだろうか。それから離れて自由な僕がいてこそ、今の素晴らしさが際立つ、今を大切に生きる。
二度と昔の自分に出戻らないために。
だから融合はしない、できない。
光が当たる部分が今の僕。
闇が当たる部分が辛い記憶の過去の僕。
世界の解釈に対称性をもとめるものなら、光が当たる日当たりの部分あれば、闇が当たる陰あたりの部分もあっても良いのかもしれない。
だけど光と闇が合して灰色・・・灰色の人生なんてごめんだ。
過去と離別し、今と未来を行こう。
昼と夜とがいっしょの時はあり得ない。それでも、それでも過去の僕が今と未来へのつながりを求めるのなら、せめて今と未来を眺め、辛さが風化してからにしてくれないか。
それなら灰色もノーブルなグレイに成り上がれるかもしれん。
今はだめだ、今は無理だ。僕ら合すれば、まだリアルすぎる記憶の辛さて、ブラックリア充に堕ちかねない。
目隠し鬼さん、手の鳴る方へ、恨みと責任転嫁の無限地獄の方へ。
そんな方へ僕が導かれてしまえば、不思議な力を手にする僕が何をしでかすか、障害という目隠しがとれて鬼は何をしでかすか。自分のこれだけの苦悩、親や縁者を泣こうがしかたがないほどの自分の苦悩、だからしかたがないというループ。そこからふと我に帰れなくなれば、僕かかわりの全てが残酷な結末で行き詰まるだろう。
超過する闇と光は等しくなかろうが破滅でしかない。
なら、なら光の方、すぐそこまできている天空の劫火は任せる。そのあとで闇は僕、せめて僕を、僕を助けてくれ。
わかっている。それでも、いっときも待てない僕がいる。
賽の河原の僕。少しずつ、また少しずつ凌ぐ、そして凌げなくなり、また崩れ落ちるの繰り返し。
徒労、徒労、徒労はもうたくさんだ。
だから、僕にリア充の夢を見させてくれ。だから、辛い繰り返しから、仮初めでも目をそむけていられるように。自分を信じられない自分を裏切れるように。自分を信じる自分を裏切れるように。
冷たい汗がからだじゅうにまとわりついている。夢から醒めても、夢のなかみをリアルに持ち込んでしまっている。いや、そうではない、夢ではない、あれは僕だ、僕のなかにいて、当然の僕。ついに僕に追いついてきた、前世の記憶。
罪悪感が込み上がる。
すまない、やはり今は一つになれない、ごめん。やはり、それどころではない。僕が起きた理由、起こされた理由。
揺れ、揺れている、地震か、いや、空気も震えている。領主館の分厚い壁の中まで透過する長い周期のもの。これは遠い、爆発?! 耳つまる圧迫感が次つぎと押し寄せる、まるで、そう、津波のように。
夜明けの前、闇深まる刻限、静まりかえっていた館内に、俄にざわつきが充ちてくる。安らかでない喧噪が聞こえてくる。どこかで遠くで鐘の音が鳴っている。
何が起こるかわからない、何が起こっているかわからない。僕は一瞬迷ったが、すぐに眠りこけるカイジョを揺り起こし仕度もそこそこにニワカの車椅子を押して出る。直感が人の出始めた暗い廻廊を南の窓のあるところに急がせる。
強い東風の嵐。窓の縁まで冷たい雨が打ちつけていた。視界はきかない。濃い雨脚に見え隠れする街明かりもかぼそい。騒ぐ雨音に織り交ぜて聞こえてくるのは、急を告げるかん高い鐘の音の打ち鳴らしと目覚めることを強いられた街の気配。
南の丘の稜線は当然見えない。ましてやその向こうの燃え上がる泥炭の平原の火煙も見えない。もしかして鎮火してしまったのだろうか、見えるのは闇、塗り込められた闇だけが彼方に見えている。
いや違う、黄色い光が瞬間、雷光よりもさらに短く瞬間、網膜に焼きついた気がする。それが錯覚でないことを確信したのは、詰めた息を何度も繰り返したあとだった。
カイジョが出かけたあくびをのみ込む。
彼方から来る、闇の彼方から無数の黄色い光球が来る。大小の光球が生じては横風の雨に没しながら、巨大な波頭のように立ち上がり押し寄せ、街並みを飲み越え来る。
雨中だろうが火の手が上がるのが見える。
そして、あの揺れ、揺れがまたきた、より強くとどいてきた。
領主舘が震えている。空気が震えている。光球が前の広場を飛び越え突っ込んできた、どん、どんと着弾の衝撃。舘の堅固な外壁を打ち、はじけていく。臭う、燃える硫黄のような臭い、それに雑ざるこれは腐臭?
安寧の夜明けは来る前に手の届かない彼方に去ったと知った。
「コルプス攻勢の余波です、使徒さま」
後ろで声がする。振り返らずとも、聞き覚えたのとは違う硬い強ばる声でも誰の声かはわかる。
「これで余波?」
「使徒さま、敵のウイスブ(鬼火)分裂反応兵器が泥炭に投下されているようです。泥炭の燃焼が促進されます。火防壁に直接影響はなくても燃料にする泥炭が消費されて、ウイスプのスタンピード(暴走)が繰り返し来ます。今のはその第二波です、第一波より増殖しています」
「火には火ですか。それで泥炭は持つのですか」
「コルプスとて破滅しかない状況です。後先見越して全力をつぎこんでくるでしょう。ウイスプの瘴気は喉鼻と肺を焼きます。使徒さまも不用意に外に出られぬようお願いします」
瘴気? 硫化水素ガスのようなものか。
賢女ちゃんが薄い体を僕と窓の間にもぐり込ませてくる。渦巻くつむじが僕のすぐ目の下にくる。
「□□□□□カウンターウイスプ、用意」
なにやら翻訳しきれない文言を唱える。華奢な右手を上に挙げる。
街の火災が地から雨中に浮かび上がる。群れなす紅い暗い火球に分じる。
「温度低いウイスプの飽和迎撃で泥炭着火温度未満にさげます」
袖からのびる挙げた右手を前に、さっと前方につき出す。
「行け」
火球が猛烈に分裂を繰り返しさらに暗くなりながら飛んでいく。
おいおい、賢女って相談役、助言役みたいな役職ではなかったのか。
「火には火をでしたね、使徒さま」
賢女ちゃんが振り返り言う。見上げるこの角度、あざとい。見える顔の半分がまなこ。飛び去る光球が映っている。壮絶に綺麗、見入ってしまう人外の美、妖精がいる、怖い怖い妖精が僕に笑みを見せている。
でもこの子なんか、絶対勘違いしている。温度は上がる。合体すれば、エネルギーの足し算で逆にさらに上がるはずだ。怖くてとても言い出せない。
横から窓の外をのぞき込むカイジョが問う。
『攻撃受けてたの?』
賢女ちゃんからの受け売りで説明する。
『ふーん、スタンピードなんだ』
普通の女子はそんな言葉は知らないから、なにげにこの世界になじんでいるし、やはりおたく、いや、なろう女子だ。
『またくるんでしょ、これ膠着状態になるんじゃないの、その子、魔法少女なんかなんでしょ、その子に任せてもうひと眠りしようよ』
『と言われてもね、深夜早朝、ちっこい未成年が奮起しているのに、捨ててはおけない』
『じゃあ、こうする。設定、範囲は東南から南西の方向、分裂を拒絶、実行リソースは顕現済みウイスプ限定』
『そんな雑な拒絶も成立できるのか』
『黒や茶のGkbrをけしかけられたことに比べたらこれくらいなんてことないわよ。やっちゃっていい?』
『ああ、ごめん』
『ふんっ、じつはもうやっちゃってましたぁ。あふぅ、そこの椅子で寝る』
「私のウイスプちゃんが、コルプスのウイスプたんも消えていく」
呆然とする賢女ちゃん。
ぼっとする僕。
「ああ、ごめん、相方が勝手なことをした」
分裂拒絶は怖い。細胞の分裂も停止する。血液のもとの幹細胞、皮膚粘膜のもとの幹細胞とかがすべて更新されていかないわけで、破れていく血まみれの袋、考えるだに悲惨、長引けば恐ろしいことになる。いやそのまえにいろいろ不具合がでて、数日ももたないかもしれない。恐ろしい。カイジョも怖い怖い魔女っ子さまだ。
物言わぬニワカ、きみだけだ、安らかな寝顔で僕を癒やしてくれるのは。
賢女ちゃんは前線を遠見できているとわかった。きいて見れば、なんでも小さくなったこの体からあふれている意識の部分だけを分離幽体化して、飛ばせるようになったとのこと。
「私に隠し事してみます? それとも私と隠し事してみます? ないしょですよ、うふふ」と、絡んでくる。
やばい、この子、盗視者だ。タイミングよく僕のところに現れるとは思ってはいたが、ご都合主義ではなくてそういう裏があるのか。
でもそんなことが可能なら、僕の過去の記憶も、記憶の哀れな僕も分離できるのではないのか。この素敵もすぎる異世界に羽ばたくことができるのではないのか。
『冗談じゃない、ひきこもりをなんだって思ってるんだ、これだからリア充は』
速攻で怒って拒否られた。
『ああ、ごめん、僕』って、自分にまで謝ってどうする。
おねむのカイジョのそばに腰をおとすうち、いつの間にか僕も眠っていたようだ、気がつけば、風雨は弱まり、あたりが明るくなっていた。
四角い窓枠のうちに見える外の景色は、雨上がりが近い朝早い景色。
丘を隠していた低い濃い雲も切れ切れになり、のぞく秋色の稜線の向こうでは、くずつく空と界のわかりにくい蒸気まじりっぽい白煙の帯びが幾筋も立ち上って雲中に消えていく。
あれから、スタンピードはこなかった。どうやらウィスプちゃんもウイスプたんも無事絶滅してくれて、眠いカイジョのやっつけ仕事、分裂的反応拒絶もリソースが枯渇して終了したはずだ、そうでないと困る。いやそうでもないか。どうせ残りあとわずか8日で全ては終わりなのだ。
それは僕らの転生理由らしい、領主館と街の住人と避難民の救済の期限でもある。どうする。切羽詰まった状況に放り込まれたが、ただの見せ駒で終わりなくない。それだけの力が与えられているはずだ。
カイジョもふるってみせたけど、常識の箍が外れまくって、神の力とまでは行かなくても、これはもう、魔法ではない、神通力だ。使徒との誤解を甘受しているが、亜神を名乗ってもいいのではないか。
頼られたいなら、遠き神の使いを装うより、今を恵賜う現人の亜神のほうがよいのではないか。
僕らは路線を変える方が良いかもしれない。
領主はコルプス侵攻そっちのけで、無限廻廊っぽい中庭に出入りしている。魔法士官達を指揮して、避難先となる領域の拡張とその定着に今さらのように励んでいる。昨日は最前線まで案内されて幻竜とやらの脅威まで見させられた。
それはそれで有能なのだろうけど、どうも領主には辺境伯としての威信が足りない、僕の前だけかもしれないけど、はじめから下手に出てきた。それにひき換え、前世の芸能タレントの某黒おばばさまよろしく、年齢不詳の女会の主、大卵母の方がよほど強面手で眼力も迫力もある。
領主よ、世も終わる究極の乱世、侵略の矢面に男が立たないでどうする。未成年逆行の賢女ちゃんの方がよほど肉食だ。大奥所属と判明した賢女ちゃん相手にでれでれ好々爺していては捕食関係が逆転だ。
後継者がいないわけではなさそうだが、それと紹介は受けていない。ここでは当たり前すぎて説明がないのだろうが、ここの領有に僕の知る家族の形はないようだ。そして交雑する血筋をおさえているのは、女会か。ああそうか、本当に女会に牛耳られているのか。
女会が領主の血統を計画的に支配しているとしても、超新星爆発は予想外の突発事。なら現状どうなのだろう。カイジョと反対側で半分抱きついて僕の腕によだを垂らしてくれちゃってる、自称始祖エルF。眠っている限り、邪気のない幼気ぶり返しの少女にしか見えないこの子、この子しか思い浮かばない。となると両親の帝統とか皇統とかにも、当地の女会の毒牙が・・・
そう考えると賢女ちゃんの思うがまま的な振る舞いが許されているのも納得が行く。天空の劫火のせいで、この地がエルFとあればお約束で定番、目くらましの深い森の都に変わることはないのがちょっと残念だったりする。
賢女ちゃんが僕らの早い朝食に同席してきて、コーヒーっぽいものをすすりながら、捕虜のコルプス高官の接見にも同席することを提案してきた。
「襲撃してきた飛空船ごと、工作体さんが返り討ちしたの」
「工作体さん?」
「そう工作体さん。使徒さまたちも昨日のって出撃した飛空船の船橋」
工作体さん、なんだろう。飛空船と合体した橙色のハイテク車のことを言ってるらしい。それにしても、機械にさん付けとは。
ウイスプちゃんとか、ウイスプたんとか言ってるくらいののりか?
「ぜひとも、度一は接見に立ち会いをお願いしたいの、ねぇだめぇ」
どうやら同席の押しギブ&テイク売りらしいが、彼女の狙いはなんだろう。
侵攻してきたコルプスについて無知も同然だし、ことわる理由はないのだが、なにこの親密。一夜をともにして夜明けのコーヒーを飲む仲といえなくもないけど。
カイジョに接見同席について伝えると、
『この子なんか、たくらんでる』とにべもない。
まあ、当然そうだろう。リア充になって発見したことがある。女子のお願い、押し売りを受け入たら、そうしてくれて嬉しいよの返礼までが必要経費のワンセットだ。薔薇とげ、の常識問題だ。
カイジョの言葉を訳してそのまま返すと、
「ふふ、使徒さまとのなら、早く托卵でみたいです」
ニワカさま、翻訳、おかしいです。
「げふん、げふん、それで捕らえたというコルプス高官について教えてほしいのですけど」
「なんと、襲撃の首謀者は、コルプス侯爵にして現主席補佐官閣下、してその実体はあのコルプス暗部の長だったのです、驚きですよねえ。工作体さん、大手柄です」
賢女ちゃんは鼻息をあらすぎ。
「暗部って、”テロ”とかの秘密工作機関か」
「”テロ”とかって何ですか、陰に隠れていろいろ卑怯な悪さをすること?」
「まあ、そんなところだけど、加害側、コルプス侯爵領、被害者側、無名辺境伯領を立証しても、この侵略は止まらないと思う」
「はい、中域の避難先の確保が勝利条件なのはわかっています。ですが停戦にもちこめる案、妙案が賢女めにあるのです。使徒さま、人類種文明への高度脅威種ってご存知ですか」
自分で妙案がって、カイジョのいうとおりだ。同じ穴のムジナ、いやいや、女子には女子ならでは女子の達見だ。さすがです、カイジョさん、GJ。
『ん、なんか言った??』
いや、なんでもありませんよ。褒めただけ褒めただけですよ。
賢女ちゃんの先導で僕らは領主館の地下階にはじめて降りる。最下層が地下3だろうかひと言でいうと、糧食を中心に満杯の倉庫状態だった。考えて見れば、帝都からここに戻るまでの日数はあったのだから、避難準備がなされていて当然だ。でもこれだけあっても万人の被災者には数日分にすぎないだろう。そしてとても足らないその奥のさらに奥の方の場所に、その群体が封じられていた。
近づくものを威嚇阻止する門番が二体、見るからに屈強でゴーレムとかいうものにちがいないものと、前世の某聖堂でも有名な有翼のガーゴイルの対が、あろうことか、ハンドルを回してロックを開閉する重々しい扉の方を向きかまえていた。




