51 二度とこない明日のために
そのシルエットは美しい、逆光で影になる姿は見とれかねないまでに絵になって、ケチの付けようが見つからない。それほどまでの変容。
それだけにあらず。なかみのほうも僕に対する陰険な思考の方向が逆転したというレベルにとどまっていない、人格が丸ごと昇華したかと思わせる人当たりの良さ。
人一人を本人の了承なく、自我を守る防壁など気にもせず、僕はあんなに簡単にかえてしまった。
今の女士官は気立ての優しい美人であると男も女も万人が好きになるだろう。それははっきり言って戦争には向かない資質。非情な決断を下せそうになくこのまま士官をやっていけば致命的な支障がでるにちがいない。
こうなることを彼女がはたしてのぞんだだろうか。
僕は不用意なことをしたのだろう。そうなら責任を免れることはできない。それでもしやと聞いて見る。
「ねえ、士官さん、この後のことの命令は受けているの」
「畏れ多いことですが、連絡秘書官として使徒さまがたの御世話をしきるよう副官よりおおせつかっています。秘書官とお呼び下さい」
ああそうか、やはりあの半目の副官はわかってて、彼女を有責の僕に押し付けたのだろう。僕は文句を言える立場にない。
僕らは僕らが知らない何処の神の使徒。丸はずれではないのだろうけど、便宜的に領主らの勘違いに違いないものにのってしまった結果でこうなった。
今の僕には、ほどよい具合に彼女をもとにもどす自信がない。というか、加減するの今は無理。
カイジョに気の重い説明がいる。カイジョも秘書官の世話の対象のようだし・・・年がはなれた面倒見のよいお姉さんポジションはどうか、それだその線でしのごう。
『これからいっしょにいることになる士官のお姉さんは』
僕はカイジョの顔色をうかがい即座に言い換えるが、ぐだぐだだ。
『いや、お、おばはんは、僕らの身の回りの世話が担当の秘書官さん』
『えーひどーい、さすがにおばはんはかわいそうでしょ、私のようにぴちぴちしていないけど、お兄ちゃんが好きそうなステキな大人の女性ね、私達につけられた監視の鈴でしょうけど』
うう、痛いです、カイジョがぎゅと背中つまむのが痛いです。
秘書官ということで、ヒショでいいな、ヒショは唯一この世界で僕にひどいこと強いてきたけど、たぶん、あれはそうだ、領主も副官も笑っていたから僕の新人魔法士官としての通過儀礼のようなもの。それがすぎただけ。
マインドコントロールどころでない別の人格にかわってたようなのは、仕返しや罰ではない。事故、そう僕の力の暴走事故。不相応に大きな力を僕に持たせたいずこかの神的存在の過失。僕のせいだが僕のせいでない。
だからぼくがヒショに優しくあたるのは偽善だが偽善でない、そういうこととしておこう。
都合の良い解釈、当たらずとも遠からずは僕の障害の十八番だ。問題はそこからも始まる、全て当たっていると、当たっていることの方しか見えなくなることにある。決めつけて、現実との折り合いがつかなくなり、挙げ句の果てパニック。そうなる折り目のなんと深く不快なことか。
今のからだになってまだ数日では、まだ脳の神経伝達がそのようにネットワーク化されていない。今がチャンス、今のうちが障害を克服するチャンスだ。繰り返し、そう思う、繰り返し、そう願う。転生で興奮の勢いが尽きる前に、どうかなんとか・・・
ヒショに先導されて通路から出る途中、空気ががらりと一新するのを感じた。
見えなくても僕でもわかる境があり、人の営みの諸々が雑ざる馴染みの臭いが消えた。気温がいくぶん下がり、そして乾いてどこかピリピリとして金臭く、空気の流れは静止していてもが淀まず、澄んで濃密に感じられた。
そして目の前に、飛空船から眼下に望んだ、いや望んだような地上の光景が広がっていた。
円壁の向こう側までおよそ100mほどだが、その壁に沿って一抱えまでの大きさの大小の石を平らに埋め込んだ路面の環が一周のびていた。その遠目には石の列に見えていた幅は出てきた出てきた通路より幅広で、その環より内側に平らで細かい砂の地肌の露出があった。そして中心、円心の位置に一様に黒く細部のわからない輪郭しかわからない巨大な石碑が上を突いて周りを睥睨するがごとく起立していた。
だが、見下ろせる庭ならあるはずのものがなかった。飛空船から望みようがない下から見上げる空はそこにはなかった。
石碑の突いている上は空ではなかった。それが突いているのは、突き刺さっているのは、砂地と感じを同じくする天井。地面のほうの地肌と対をなして、強い日射しがあたればかくあるような明るさで、白く輝いていた。石碑はそれを支える大黒の柱にも見えた。
ほかに何もない。城館のうち壁は出てきた門のところを唯一の通路として、ここから見える範囲、ほかには窓などの開口も一切なく、通路のと同じ緻密で硬い灰色の石材らしい壁、壁、壁が全く角や弦なく弧をなして一周していた。
予想だにしなかった奇妙で空虚で中庭と言うにはあまりにも殺風景な光景は一瞥でたりるがインパクトがありすぎる、すぐ背後の門の番人が二人のほかには人の気配は僕らだけだ。中域という翻訳は正しく誤訳ではなかった。
あの飛空船から見えた中庭というのは、何だったのだろうか、フェイクか、フェイクといっても・・・
「これはなんとも見えていたとおりのようなのですが・・・領主殿はいずれに」
「不可解に思っておられるようですが、さすがです、問題ありません。使徒さまは空船から見おろされたのだと思いますが、領主館の屋上からもこの天井をなすものをすかして地面の投影が見えるように模造しています。我が主人、辺境伯閣下は先の方です、こちらへ」
そうヒショは言うと、石の環状路を右回りに歩み始めた。
『ねえ、領主がここで待っているっていわなかった』
『秘書官がそこまで案内してくれるそうだけど、あの柱のような黒い石碑でちょうど隠れる向こう側かも』
『あれ、すごく黒いね、まるで光を吸い込んでいるみたい』
『うん』
「秘書官さん、あの黒い石碑なんですか」
「あれは〇〇の〇石です、あれがここ唯一の柱、モノポールにして中心軸です」
翻訳されなかったところがある。日本語には相当する概念がないのか。近似的なもので該当するものはないかな。
「えっ、ええとよく聞こえませんでした、もう一度お願いします」
「畏れながら、何と言いますか遠神さまの秘蹟の一つです、使徒さま」
遠神、ニワカとの会話でもでてきた、神様。ほかの神の名はきいていないからここの信仰の唯一神の可能性が高い。うっかりな返事はできない。
「神の手はあまねく広く遠く支配なさる、使徒の私どももすべてははかりかねています」
すらすらとそんな弁明もどきが口からでてしまう。なんでだろう。
いやそれこそ嘘だ。つじつまあわせだ。僕はつじつまあわせに、自分すらだましてきた。嘘は嘘を呼び、嘘の継続で自分すらその嘘を信じこむようになり、結果は現実との衝突。そうして僕は傷ついて、人と当たらず障らず、逃げの毎日を送るようになっていた。
だから、なんでだろうと言うのも嘘だ、つじつまあわせのいつもの嘘言なのだ。使徒という嘘が引き金で・・・
『どうしたの』
『い、いやなんでもない、あの石碑についてきいてみたら、日本語に訳せないものらしいみたいなんだ、なんかの中心軸で、この世界の神がらみのものらしい、秘蹟の一つだって』
『ふーん、神様か。それよりねえ、石碑の向こう側に領主見えてこないね、へんねお兄ちゃん』
それは僕もおかしいと感じていた。はじめ石碑の影で見えなかった部分にも出入り口はないし、なら、石碑をまんなかに同じ向きに同じ速度で領主が動いているとでもいうのか。そう思いつつもヒショが環状路をまわる足をとめないのでそれについて行くが、ヒショに提案してみる。
「秘書官さん」
「はい、なんでしょう」
「領主殿がみえませんが、少し止まるか、足を速めるかして見ませんか」
「いえ、このまますぐそこ、門のちょうど反対側まで進みましょう。そこが説明のよい場所になりますわ」
?、どう言うことだろう。
「では、はいってきた門の方をみながら、このままお進みください」
どういうことと思いつつも進むと、石碑の径を越えれば見えてくるはずの門がいっこうに見えてこない。
「秘書官さん、ちょっと戻ってもらっていいですか」
環状路を戻れば姿が石碑の影から姿を現す門。そして進めば、姿を消したままの門。天井の変化ない続き、環状路と内側の砂地の変化ない続き、漆黒の石碑の変化ない続き、そして門の姿以外、壁の変化ない続き。
『不思議、トリックみたい』と、カイジョ。
まあ確かにこれくらいなら、目の錯覚をうまく突いた奇術でなんとかなりそうだ。そしてこの世界には魔法がある。視覚を欺くことの難度は低い。
「さほど、驚かれないのですね」
「いえそう言うわけではありませんが、神の秘蹟でしょう」
「・・・はい遠神さまの秘蹟です。使徒さま、進みましょう、先はまだ長いのです」
先へ先へと進んでも門が再び姿を現すことはなかった。それどころか、天井、壁、環状路、砂地、石碑のどこも見ても一様で変化がなく、どれほど回ってきたかも、さだかでない。路面の不規則な石の並びだけが前に進んでいることを教えてくれる。
『魔法とかトリックで隠された門を何度も通り過ぎているのかな』
『それにしてもおかしい、うまく隠されすぎている』
『道に傾斜があるわけでもないし、ほんとに変』
『あとどれくらい歩くのか、聞いて見てよお兄ちゃん』
「秘書官さん、あとどれくらい回らなければならないのでしょうか、それに同じ回るなら、石碑のそばを回る方が早くありませんか」
「そうですね。この速度ならあと分15か20くらいだと思います。砂地のところは流砂です。路を外れるとすぐに底無しとなります。とても歩いては近づけません。それに見えていてもあれは近づくことがかなわないですよ」
「流砂の上に橋のようなものをのばすとか」
「とどきませんでした。そうですね、事実は聞くより一見です。見ていて下さい」
ヒショはそういうとしゃがんで路面から拳大の石を引き剥がす。驚くのはその握力よりも、引き剥がされたあとが全くできないことだ。この環状路の石畳もただの石畳ではないということか。
ヒショが石碑に向かって投石する。全力で投げたとわかるしなやかな体の線。そして山なりに飛んでいくはずの石が、極端な曲射、10mも飛ばず急にストーンと落ちて流砂の中に消える。
「ふう、おわかりですか、石碑は遠いです、そこまでたどり着けたものはこれまでありません、漆黒なのは、光すらとどかないほど遠いゆえと。ゆえに遠神さまの碑石であり、遠神さまの秘蹟に違いありません」
「なるほど、納得しました」
してないけど、神の名を出されたので引き下がる。今の僕はまだこだわりを捨てることができる。
そして僕はヒショのデモについてカイジョに説明する。カイジョは路面の内端にしゃがみ込むと、砂地に指をつっ込んで・・・
『ほんとだ、みてお兄ちゃん』というと、手のひらにすくった砂をぎゅっと握ってみせる。
粉のように細かい粒がさらさら、さらさらと流れる、カイジョの華奢な指の隙間から、さらさら、さらさらと流れる。流れ落ちた砂は積もらずわずかな石畳のすきまに流れ込むように消えていく。
確かに”流砂”だ。でもなんかこの流砂、流砂すぎる。僕が知っていると思う流砂とはずれがある。ニワカの翻訳はどんなに自然でもしょせん意訳で必ずしも正確とは限らないのだろう。これは流砂のように見える、なにか別でわからないものだ。
僕は継ぎ目のいっさいない天井を見回す、継ぎ目のいっさいない壁を見回す、なら、天井も壁も、そう見えるだけのなにかわからないものか。足したに確かに踏みしめている路面も、ヒショが石を剥がしたあとは、はじめから剥がした石がなかったごとくだ。
ここはとんでもなく異様だ、見た目にだまされていた。実体は見た目とはすべてが違うのではないか、ここはなんだ、侮っていた。僕はいったいどこにいるのだろう。僕のいるところはどこだろう。僕という存在に必要な見当識がもたない。ここは隔絶されすぎている。ここのどこからも、僕の感覚がにわかにその異様を訴えてくる。僕は存在しているのか、はたして存在できているのか、その疑念が首をもたげてくる。
ヒショの声が遠く聞こえる、
「使徒さま、使徒さま、しっかりなさいませ、貴方さまがそれでは確立された深度がもちこたえられません」
カイジョの声も遠く聞こえる。
『お兄ちゃん、大丈夫、ここなんだか怖いよ』
視野が周囲から昏く狭窄してくる。見える世界が遠くなって行く。この感覚には覚えがある。ある薬をのんでいた、その時に覚えのある発作の感覚に近い。だめだ、これにのみ込まれてはだめだ。いまの僕の脳には障害がない。折り目もまだない、そのはず。落ち着け落ち着けき餅つけ、
落ち着け、落ち着け。誰かが僕を見ている、僕を見てくれている、見てくれていることで僕は確かな存在になれる。僕はいつのまにか閉じている瞼を開く。
『起きたのお兄ちゃん、大丈夫だよ、お兄ちゃん、私がいるから、こわいけど私がお兄ちゃんを見守っているから』
僕はいつの間にかカイジョに膝枕されていた。実にリア充な気分。ああ、これだ、この感覚、僕はひとりではない。障害が刻みこまれた脳ではかなうことのなかった人との関わり。僕はまだ壊れていない。壊れていないのだ。
『ありがとう、楽になったよ、カイジョ』
『ん、カイジョってだれ、もしかして知らない女と違いしてない』
痛い、痛い、カイジョが僕の頭をぐりぐりしてくる痛みが、とてつもなく快い。
『ん、笑ってる、痛くされて喜ぶなんて、お兄ちゃんはとんだ変態さんだよ』
僕は心の中でひそかにカイジョと呼んでいた、そうなった経緯を白状、いや説明した。
『ふーん、そうだったんだ、眠っている翻訳機ちゃんはニワカちゃんなんだ。私のことカイジョって呼んでくれていいよ、へんな名前だけど、お兄ちゃんなら許すよ、もっともっと呼んでいいよ』
どんどん、妹化するカイジョ。ほんとうの妹みたいだ。でもそこまで兄に激甘の妹なんて実際にはまずいないと思う。やりすぎだよ、悪乗りしてないかカイジョ。でもありがとう、ほんとうにありがとう。もう二度とこない明日のために、もう二度とこない今日をだいじに生きるよ、頑張ろう、もう二度とこない日々のために。
カイジョとリア充ごっこの束の間にも、ヒショとこれはそうだ領主声、領主との会話が耳に入ってくる。いつの間に追いついたのだろう。それとも領主が先の方からもどってきたのか。
「それでここはどこか」
「閣下、深度2000角地点付近と思われます」
「朝より6時間耐久してなんとか30度角ほど長征したと思うたが、かなわんな、1000度角も引き戻されてしまったか」
「使徒さまが本物であるということでしょう、それほどまでに」
「やれやれ、賢女も心をひかれるはずだ、女子会の目論見どおりだろう。いやよい、自分の義務は心得ている、だが、賢女の体があれではの、そして世界の終わりがすべてをご破算にしてしまう」
「そうならないように、閣下もまことにご尽力なされておられる。使徒さまのご来訪も、遠神さまの御心にかなうゆえでしょう」
「そこまで思い上がってはおらんが、偶然も信じておらん。女子会卵母補のそなたが先任の使徒殿の尻尾を噛み、そのように見目だけに限らず麗しくかわることになったこともな、それも意味のあることであろうよ。さてその使徒殿が目を覚まされたようだ。1000度角分の深度が無に帰さぬうちにお願いに参るとしよう」




