48 ねえ、私におしえて、いけないこと
昏睡状態に等しいニワカを真ん中にはさんで、僕とカイジョで支えてすわる。その少し苦しい姿勢でも、僕の気は晴れて、窓からの風が心地良い。
天の気も高く晴れている。風景はくっきりとして、見晴らしもまことによい。
峰々の中腹は赤や黄橙の錦を纏い、麓で深緑のところもある森が途切れ途切れの濃い林となっている。
それらの手前には水田ではないがのどかな田園風景が広がっている。
失敗がよほど恥ずかしかったのか、おとなしくしているカイジョが『いなか』と呟く。
麦か陸稲の類いのような、腰丈ほどの作物の刈り取りの最中らしく、あちこちに人の出が見える。
道がそう離れず沿ってのびている川は蕩々と流れている。濁りはなく、手ですくえば黒ずんでいてもじゅうぶん澄み切った水だろう。
すすむ方向は、山間の湖に北から回り込んでさらに峠を越えてよりは略南が続いている。
城砦のようにも見える集合住宅らしきものを休まず通過する。領主と違い警戒の色を隠そうとしない半目の副官に聞くと「孵化の巣」という答えがひと言返ってきた。たしかニワカからも聞いたことがある名だけどこれがそうか、それらしい臭いはないが、養鶏かなにか、畜産がらみの共同農場の建屋だろうか。
そこを越えてから、路面の状況はよい方に一変し、車上の騒音だけでなく制振しきれない揺れが減ってニワカを支えるのも楽になる。
そんな農場っぽいものをもう一つ過ぎると、川幅が広がり始め、緩やかな流れが静かな水面に変わり、やがて両岸は行く手でひとつに合していて、川の終わる湖がそこにあった。
その岸辺いったいが向こうまで、終着の領都だった。
今更だが副官に領都の名前を聞くと、なんでかため息をつかれて「無名領の領都は無名」と返される。
うーん、ノーネームという名なのか、それとも本当に名前がないのか、尻尾人文化がよくわからない。ニワカなら問いただせば教えてくれそうだが、相手が副官や領主だのお偉いさんだと、それで禁忌に触れたらと思うと、リスクは冒せない。
2-3階までの雑多の町家が軒を連ね、それらの中央はに岸に面した広場、その向こう側は周囲より2、3階分高い塔の部分が少なくとも2つはある、白に近い灰色のそびえる円壁で仕切られていた。
その壁のすぐ手前にあの投降船が鎮座していて、近づくと橙色塗装の謎の車が合体した船橋から壁の上まで中空に細い橋がわたされているのが見えた。そこの一廓だけが遠目にもすごくハイテク、違和感ましましな光景。
『あれまさか飛ぶの?』カイジョの声の疑問符ももっともなことだった。
一度つけられた折れ目は、くせになってまたすぐ折れる。
僕は、発展途上の投薬を受け付けなかった。処方薬を受け入れないことも無かったのだが、その当時の治療は僕に会わなかったのかもしれない、良くなった気がしないのに手が震えて何とも不快なぎこちなさに、もがいてもがいて、もがいたことが、心に大きくシミついている。
新薬も出ていたらしいが、そのときの苦しみが薬に背を向けさせて、息をしてもしきれない苦しさの記憶は、なにかの大病に効果ある薬や治療まで拒否し続けた結果なのかもしれない。
そんな僕だから、頑張れる気になれても一筋縄ではいかない。
でも今はチャンスだと思う。
僕の心は何度も折られたが、この体の脳は今はまだ正常のはずだ。僕は聞いたことがある、脳の神経伝達が組み替えられるまで何週間かかかると言う。正常な脳が折られた僕の心の模様に変わってしまうとしても、あと残すところわずか10日らしい期限が先に来るだろう。
その時、生き残り策が結実していなければ、なにをかも、どんな努力も灰と化す。生き残れば、そして脳が障害されていない状態を保てるなら、僕の心も次第に折れにくい状態に、前世の古傷は古傷に鎮めることができるのではないか。
たぶん地の底にもぐることになる生活は想像を絶する地獄かもしれないけれど、心の中に地獄を抱えこんでいなければ、引きこもりほどは苦しくないのではないだろうか。
それくらいの報酬はあってよいですね。だれとは知らないけれど、僕をここに寄越したからには、それくらいは最低限、お願いしてもバチはあたらないはず・・・ですよね。
そうして僕はリア充になって、天使枠のニワカと同胞枠のカイジョと大人のお付き合いして行きたい・・・
僕はカイジョにどう思われているのだろう。
たぶん僕の見かけはカイジョ的には不快ではないはずだ。知らず交尾をしかけてくるくらいだから、脈あり、期待していいよね。
出会いの最初のイベント的にはどうかと思うけど、けっこう、ドジ、ポンコツかも、僕と釣り合うにはその天然持ちでもカイジョは上玉すぎると思う。倒れたニワカをすぐ助けようと即断して動いた、面倒見のよさそうなところもポイント高い。
そんなカイジョの中の僕に対する好感度下げたくない。
だからカイジョのことはさておけない。でも僕にもさっぱりわからないことだらけの状況をどう説明したものか、困りに困る僕は知りたいカイジョに『それで、何を知りたい』に丸投げすることにすると決めた。
説明ではなく、問いごとに、わかる範囲で正直な答えで隠しごと無しで相手をしようと決めた。そうは言っても僕のことだから、まあ、できるだけだけど。
『さっきより固まってる、もしもし、もしもーし、大丈夫かなこの人』
またか、とはいってもどこで沈思黙考のスイッチが入るのか僕自身わからない。それをこの脳に癖づけるわけにはいかないんだが・・・
『あっああごめん、ちょっと考え事してたから。それ、飛んでるところを見たから、そのまさかだよ』
『・・・リアル飛空船・・・リアル異世界・・・そして私、リアル有尾人になってる・・・落ち着け落ち着け私』
『自分の名前とか覚えてるかな、僕も3日前に転生したばかりで、自分の名前すら覚えてなかった』
『私は自分の名前くらいは覚えてるけど、記憶がないのですか』
『変に思うかもしれないけど、僕の名前はないというか、ここでは名前を言うのはいろいろ禁忌のようなんだ・・・そういう文化かな。それもあって記憶から名前まで消されたのかもしれないけど、キミは違うんだ』
『郷に入っては私も郷に従います、お互い個人名なしっていうことね。それでこれどういう状況なのでしょう』
『わけありの経緯で、異世界の神様の臨時の使徒役をしている、キミもとりあえず、僕の同僚ということで、それふうにしていてくれれば、なんとかなると思う』
『ふーん、ふうだけならいいですけど、この女だれです? 目が覚めそうにないけど』
『こうなる前は僕を助けてくれた子、眠れる天使として今も僕専用の通訳のスキルのようなものが稼働中。この子の面倒を見てくれれば助かる、ほら僕は男だし』
『わかりました、いろいろ全くわからないということがわかりましたけど、とりあえずそういうことにしてかまいませんけど、大変だし私には難しいです』
『理解がはやくて助かる、もちろん僕はキミを助ける。疑問なこともひとつずつ聞いてくれれば、知っているところは隠さないから』
『なら、ここどういう異世界ですか、神さまがいて魔法があったりするのですか?』
『神さまも魔法も魔法の道具も魔法の場所も、肯定できるものがある』
『・・・あるんですか。それで転生って、理由、目的がある方の転生?、世界を救えとか』
食いつき見せるカイジョ、これってラノベ脳、ゲーム脳持ち?
『まいった、ど直球のあたりだよ』
『お話しやゲームの定番では魔王を倒すとかですけど』
『いやそんな相手はいないと思う』
『ならなんでしょう、災害?』
『そう、大災害、天変の極み』
『どんな?』
『天から劫火が降ってくる』
『最後の審判的な、使徒は例外、忖度、お目こぼしの神様がらみのもの?』
『いや、自然現象で、それから救うため奔走する使徒が僕らの役だと思う』
『・・・劫火って本当でしょうか』
『僕に直接確認の手段はないけれど、この世界の為政者は公式に認めているし、神さまもそういうふうに話している』
『そうですか・・・でも私、大それてないこともできないと思います』
『僕だって、キミとそう違いないけど魔法に近いことができる、たぶん、キミもできるんじゃないかな。まじでやばいから、あとで教えるまで試そうとしたら、いけないよ』
『地雷ふんじゃったんですか』
するどい!、その話題はこの子が転生してきた責任の方に行きそうで、つい日和ってしまう僕。
『・・・劫火は10日後』
『えっ、10日後! 待ったなしじゃないですか』
『ああ、生き残りをかけて避難壕争奪の戦火が』
『10日しかないんですか、それで避難壕にはいれば、私たちも大丈夫なのですか』
『それを大丈夫なレベルにまでするのも、僕らの役割だと思う』
『その役、果たせなければ私たち終わり、なの、なのですね。よく平気な顔していられますね、私無理です』
『うーん、何というか、僕一度☓んで転生みたいだからね』
『私、☓んで転生じゃないから、ここあの世じゃないから、リアルだから、怖いです、怖くてたまらないです、泣いちゃいそうです、帰れない予感がしてたまらないです・・・』
『泣かないで・・・僕も最初はとても怖かった。キミは☓んでないなら戻れる道があるかもしれない』
僕はたぶん☓んでるから無理だろう・・・この現実に腹をくくるしかない。
壁は壁なのだが、大きな建物の壁面とわかる、ニワカと日本語で話し込んでいるうちに車は建物のなかの駐車場のところに入って行った。
『着いたみたいだから、あとでまた話そう、戦火のことも考えといて』
ふう、若い子とこんなに長く話せるなんて、それもため口で、ニワカ以外は初めてだ。話題があれでもそんないやじゃない。満点にほど遠くても僕にしては上等だ。
カイジョの見かけはニワカより年下だけど、中の人はカイジョより精神年齢が上かもしれない。僕が話しを続けていられるほど、その疑惑が強くなる。歳上、もしかして中年おばちゃんだとしても、むしろ、その方が僕には楽で嬉しいかも。ネカマさんみたいのでなければ、おばあちゃんでも大歓迎。
まあ、本当に見かけどおり厨房くらいの実年齢の頭の回転の早いラノベ女子とかで、滅亡世界の尻尾女子に転生でアドレナリン大分泌に、吊り橋効果で、僕にひっついているのだろうが、それでも悪い気分じゃない。
リア充っていつもこんなんかな、リア充になれれば毎日こんな贅沢を満喫できるのかな。きついけど生き残りたいな。
連絡が行っていないはずはなかった。それでも手配が可能とは思わなかったリクライニング車椅子がニワカのために準備されて、待ち人達とともに待ち受けていた。
僕とカイジョがニワカを車椅子に移す間に、あの子、出迎えの眼福母子カップルの美ロリの方が、車からおりたばかりの領主に駆け寄って、挨拶とばかり、親密なチュウをする。領主は愛好をくずして、今のは孫娘が可愛くて可愛くて仕方がないって感じだな。
それにしても、美ロリ、なんてあざといんだろう、それが嫌みになっていないところが凄ーだ。もう呼び名は美ロリのままでいいかもしれない。
どちらというと優等生、委員長タイプのカイジョと好対照。天然で自分のペースに巻き込むヒロインタイプか。ずけずけと僕のガードを突破して踏み込んでくる苦手なタイプだ。
ニワカが賢女と呼んだが、それが役職だとすると幼若可憐な見かけにだまされてはならない。領主をしてあれだから、僕なんか押し切られて手玉にされてしまうだろう。
幼若化したと聞いたがそれでなおこれだから、その前はさぞかし・・・
わっ、その顔が眼前で僕を見上げている、これもあざとい、全くあざとい角度、この角度では大きな緑の目が顔の半分以上をしめる感じ。魅入られる。いったいいつのまに。
「ご挨拶は初めてですね、使徒さま」
鈴を転がすような甘い声とはこのことか、耳をくすぐられる。ちょっと考え込んだ隙に踏み込まれたか。失敗したけど、うーん、失敗が御褒美な感じは、この子の天性がさせるものだろう。
あざといカーテシーも天然ではしかたがないか、許す、許す、許すしかないだろう、痛いからカイジョ、僕の背中をつまむのは勘弁してくれないかな。
『だれこの女の子』
『僕が転生する契機をくれたのがこの子です、僕の場合、☓から救ってくれた恩人、こう見えてもとても賢いらしい』
『私が転生したのもこの子のせい?』
『それは違う・・・』
『ふうん、まあいいわ、でれっとしてないで紹介してくれます』
にこやかなんだが、なんだろう、僕が踏み込んだとたん、じゅっと蒸発してしまうんじゃないか、太刀打ちできない熱い応酬の予感が二人の間に・・・
「こちらこそ、初めまして賢女殿。この子も使徒ですが言葉は解しませんので、ご高配をお願いします」
「まあ、それはご不自由なこと、大変ですね。当領で賢女を務めさせていただいております。今はこんななりですが、女子会の特別筆頭血統種ですから、そちらこそご配慮お願いいたしますとお伝えくださいませ」
見た目に相応しくない、ものいいをしてくるけど、特別筆頭血統種ってなんだろう。領主がこちらを何とも言えない目で見てるけど、嫉妬目じゃないよね、僕と並んでまな板の上のコイ的な・・・憐れむ目だったりして。
そんなことはないよね。考えすぎだよね。
リア充のことはよくわからないけれど。
「それからご挨拶できない事情がありますが、我らがお守りする眠れる天使さま・・・です、見えます?」
「この世の理の外にしてなお顕現しておられるのですか、うふふ、わかりますわ、使徒さまの思いびとでしょう、当たりました? 私、それでもかまいませんから、つれなくしないでくださいましね」
ええと、ピンとこないが、10才くらいの少女の言う言葉ではないのはわかる。なんだか、逆先物買いで言質を押しつけられた気分・・・だてに賢女やってませんという釘さしだろう、これは。
『ねえ、この子、なんだかへんなんですけど』
『うん同感、見た目より5歳くらい上が実年齢らしいから』
『えっ、まさかの合法ロリ女、でももし15歳としても合法ではない、いや異世界だから合法?・・・』
痛い、痛いって僕はキミのお刺身のツマじゃないから、考えながらつままないでくれる。
なんか僕、カイジョにいいようにされてないか。
眼福母に城といって差し障りのない館内の賓客むけらしい宿泊処に案内される。高い天井、厚い敷物、華美でない、年月が風格に変わる内装が半端でない。そういう贅を尽くした部屋の造り、僕でもわかる本物の高級宿だ。
彼女はひとあし先にそこに滞在中で、尻尾人帝国の何か軍事技術の研究関連の高級官僚で、皇族の身分であると自ら僕たちに自己紹介した。
副官と思ったのは勘違いだった。これも本人の言だが、あの投降船の指揮権は、この領を通り越して彼女にある。それほどおえらい御姫様らしい、ドギマギする僕をからかっているのだろう、どう、私にも興味お持ちかしら、ふふっと笑われてしまった。
能吏の立ち振る舞いに見本があるとするなら彼女がそうだろう、凛として美しい。前を行く彼女のうなじから背筋にかけて思わず見とれてしまう。
部屋の割り当てはカイジョに即断で僕たち3人で一室にされた。男女同室だよ、いいの密室で、それでいいのカイジョ、僕を監視かな、そうされる覚えはないのだけど。
そう言えば、ニワカと副官が僕と眼福母の関連で何かプチ口論してたような・・・
そして長旅が終わりと来ればお約束、お待ちかねの入浴イベント。
僕、目隠しされて、ニワカを運び役・・・濡れて匂い立つはだかニワカを横抱きに浴槽から抱きあげて、直立起立。その僕の周りで濡れて匂うカイジョが、僕の想像ではバスタオル捲いただけのカイジョが、ニワカの濡れを拭き取ってまわっている。
僕の自制は限界だ。リア充になるのって想像以上に大変なんだ。
残り湯、使わせてもらっていいよね。
心身すっきりしたところで、晩餐の前に士官室で顔通しするというので呼ばれて、フラグかと思ったら案の定だった。休む間もろくにない。成り行きを仕組んだやつ、いたら出てこい!
「閣下、南部方面隊から至急報です。概要を読み上げます。
”時刻一六〇〇、最南の境界狭間の高強度振動を観測。切迫崩壊と判断される。コルプスが☓重兵投入で突破をしかけている確度高し。予想される接続前線は小最m500、大最m2000。求む交戦の可否指示”
規模から威力偵察ではなく、強襲と思われますが。交戦を許可なさいますか」
「きたか、そこでの交戦は遅滞戦闘も最小とさせよ。侵攻軍情報収拾を優先、予想侵攻経路内の孵化の巣の避難を主導、時刻二〇〇〇までに領都防衛陣まで後退を完了させよ。それでよいかな、副官」
「御意、残すところの日短い状況では適切な御指示かと」
副官が領主の決定の足らないところを補完しながら、集まった士官達に細部の指示を飛ばしはじめる。その流れに素人門外漢の僕がはいる余地は今はない。が、いざとなれば容赦なく参戦を強いてくるだろう。相手は短い戦争に生き残りを賭けて余裕がない。凄惨極める総力戦を仕掛けてこないはずがない。
同行のカイジョに戦争だと伝えたら、また僕はギュっと強くつままれた。でも痛くない、でも、そこから彼女の震えが伝わってくる。
『ねえ、私におしえて、いけないこと、お兄ちゃん』




