19 星合ふたつ前の近接
「いつまで胸を借りているつもりだ、徴用兵候補。抱いてやる気はないぞ」
「いえ、そんなのじゃないです・・・今は違います」
あたしは身を引くと、まだすこし滲んで見える大尉の顔を見上げた。
「ふん、今は違うと言ってもだな、そうなら、その上目遣いはやめろ、本当にその気がないとしても、絶対にそうは見えんぞ」
「申しあげることがあります」
「なんだ、話せ」
「じつは徴用されるには自分に問題があります、徴用は取り消される方が良いと思います」
「それはできない、というか、そのほうがおまえにもむしろまずい」
「なぜですか、自分の素性は土鉱の間者ですよ、確かに部族から追い出されましたが、形だけで本当はそうではないかもしれないことにさきほど気がつきました。自分は、劣情させられて、そのう、ハニーでありました、その魔法を知らないうちにかけられていました」
「それに気がついたと言うことは、その魔法の性質上、本人には効果は失せるはずだ、本人にはな」
「そうなんですか」
「ああ、今も歩くトラップにしかみえない。ずるいほどの美雛もどきの容姿のまま、触ればおちなん花の風情。耐性なきものはみな貴様に魅せられるだろう」
「はあ、もし本当にそんなに色香の見た目なら、よけいに自分に責任もてません」
「懸念はあろうが徴用には支障がない、むしろ利点がある。それに自分で気がついたのなら、効果を相殺する以上のものだぞ、その魔法は学習されて耐性が獲得され、そして初心者の貴様にも制御可能となる」
「でも」
「その種の魔法については本官は似たものに知らずかけられていた経緯があると言っておこう。本官にかけられたものは非常に強大なもので、かけた本人より告られることで解けるまでに貴様に出会っていたら、貴様もトラップであろうがなかろうがかまわず逃れるすべなく呑み込まれていただろう」
「そ、そうなんですか」
「本官はかけた本人に告げられて、貴様は自分で気がついて、互いの間の桃色の濃霧は晴れたということだ」
「はあ、本当にそんなものですか・・・でも問題はほかにもあります、塔のことです」
「それは、塔の調査官との繋がりのことか」
「はいそうです。あの繋がりは、魔法連携です。自分は、塔の調査官にも間者に、事実上、重二間者に仕立てられていると思います」
「うむ、聞け、徴用候補兵。帝国には徴用魔法と言うのがある」
「徴用魔法ですか」
「そうだ、帝国軍では前線まで普遍にして、なおかつ最も後ろに近く控える強力な対人魔法のひとつと考えて良い」
「対人の魔法ですか」
「貴様がなぜこうして兵候補のうちからあたり前のように本官に自己申告している。それを考えその威力は推し畏れよ」
「そんな魔法は聞いたことがありませんけれど」
「当然だ。帝国の軍務にあれば、本来の思考の埒外に常在する、魔法による擬似の記憶ゆえ、退官退任して魔法が解ければ守秘の事項は記憶から一切が失せてなくなる」
「魔法で拡張された非実在の記憶域で作業するものとでも」
「雛もどきで都より遠い部族出なのにみょうに語彙が深い、貴様、なかなか筋がよいぞ」
「でもそれって常時継続の魔法で、魔力消費の累積が半端ないのでは」
「帝国の魔法資源が潤沢でないはずがないだろう。そして帝国軍は平の兵卒一であろうとも少数精鋭の選良。辺境域ならではだ。尾のない貴様であるが幸運にもその潤沢の末尾となろう」
「少数精鋭ですか、確かに自分は上官殿以外の帝国軍人軍属のお顔を直には拝見していません」
「本官は帝国の飛竜騎手大尉であり、その単騎でここで必要と想定される最大軍事力を行使する権限を持たされている。貴様はここが戦闘室として起動している様、そのレベル高の軍事機密を見ただろう」
「はい見ました」
「短時間相互リンクの魔法構成体を帝都の本省まで射出したが、それは魔力炉の戦闘出力ではない、本官の権限で戦闘出力を戦術級から隣接領越えの戦略級にまで上げることができる」
「自分にはよくわからないことです」
「今はわからなくとも機密の場に居合わせた、それはわかるだろう」
「軍の機密と知りませんでしたがそのとおりです」
「貴様を徴用してしまえば、(当座は)処分の洗脳をせずとも徴用魔法で確実に口を封じることができる」
「いやです、洗脳されて準廃人、そして娼館に払い下げはいやです」
「帝国の領域では帝国の公用魔法が、諸侯や塔、そして諸部族のそれより、絶対的上位にある。貴様が土鉱の間者であれ、塔に仕立てられた重二間者であれ、徴用されれば帝国の軍務が最上位となる、貴様は権威あるものの眷属となろう」
「それをお聞きしてとても協力的な気分になりましたです。ですがもうひとつ問題があることを申告します」
「ああ、夜の分限のことか。それは話さずともよい、むしろするな、不如意にまた顕現されては戦闘室が異物に非常励起して拡張しかねない。先ほどのようにな」
「ですが自分の中から黒いのが。自分は黒い土鉱、なかみは黒鉱ですよ」
「それ以上は口に出してはならない。その件でも貴様は徴用により軍の監視のもとに置こう。それは本官が併任する護民官としての職務と矛盾するものではない。行き倒れであった貴様の身は発見者の塔の調査官の意向で本官に委託され、保護され徴用を提案されている。その事実に偽りのないことに同意するか」
「はい、そのようです、同意します」
「徴用魔法は隷属魔法の枝域に隔離され、その運用には制限がかせられている。尉の官位の本官では拒否するものに強いても無効だ。だが貴様の状況は必要な程度にはあきらかであり、さらに承諾の言質はとれた。そのことに関して異議の申し立てがあるか」
「いいえ、異議ありません、申し立てもないです、大尉、殿」
「宜しい、これで貴様も候補がとれて軍籍に乗る正規の等3特務兵である。徴用魔法の記録にもそのように自動書記された。徴用の事案は終了である、帝国の軍にようこそ、歓迎しよう」
徴用魔法はすごかった。「はい、有り難うございます、大尉殿」と応じたあたしは腹のうちまで正直にされていた。空と鳴いて伴唱があり、それを聞きつけて大尉は簡易な飲食に洗身の指示をくれた。
補助支給食として支給を受けた水袋と棒まがいの箱食は今まで口にしたなによりすぐれものだった。保存された水のはずなのにとても清涼であたしの五臓六腑にしみ渡った。棒食もかじると硬くないのにうま味で頬が痛としてきた。そのようなことは卵から孵ってから覚えている限り初めての体験だった。こんな魔法の食らしいのが普段から支給されるとは、望外の滋養の贅沢とはこのことかと思った。
そしてそれにもまして分10もの間の魔力を全く惜しまない洗身の初めては素晴らしかった。頭の天辺から手足の先までわずかの汚れひとつなく清浄であること、あたしはその快適さの至福を知った。
まっさらで清潔な軍服軍靴にいたってはなにをか言わんやだわ。加えてどうやら劣情の魔法の使い手になれるらしい。このあたしがまさか魔法者の員一になれるなんて 徴用されて、帝国の軍職に就けてなんて幸運なんだろう。何を見返りに求められようとかまわない。
心底そう思った。部族の民としての自分である日常には戻れない。戻る気も起こらない。
帝国軍ではあたり前の普通の待遇なのに、貧しい辺域の部族民にすぎなかったあたしは衝撃を受けていた。
人生の見通しがわずかな刻数のうちに激変したことに今更ながらに気がついた。あたしの忠誠は帝国の軍に買われていた。部族から追い出された除け者が孵化の巣仲間の誰よりも勝ち組になっていた。
でも、でも・・・・・・何だろう、あたしはあたしを誇りきれなかった。仲間に会いたくない、もし仲間を前にしたらどんなに後ろに下がろうとも遠さが足りない、そうに違いなかった。
気がついたらひとりごとが洩れていた。
「あたし、裏切ってない、あたしは裏切りものじゃないから・・・部族の生き残りの保険だなんてそんなのしらないよ、なりたくてそうなったのじゃないから」
同じ暗い青地に兵の簡略な銀の魔力線の軍装で現れ、いささか少しかたく感じる面持ちで緊張して立つ娘。それに魅入らさせられることのないようこころして着衣の様を点検しながら、大尉はあらためて思った。
ほころびはじめの蕾のように純粋に無垢で可憐で、身を清めてさらに酔うほどよい匂いが香しい。トラップにしてもこれは扇情がすぎる、言の葉の修辞ではつくしきれない清楚にして妖艶な容姿。そそられて、くらくらとして、思わず手折りたくなる衝動を感じる。
劣情の魔法をかけられたと申告があったが、それではとうてい説明が足りはしない。
夜の分限が娘の大怪我を治したとして、その際、かけられていた劣情の魔法にそって身体の改変もなされたのであれば、もしそうなら、いや、おそらくその結果がこれだろう。
こちらは夜の分限の実体を知らずというのに、夜の分限は部族民の身体の情報を詳細に把握しているということだ、そしてそれが尾のない部族民にかぎられる理由も自分は知らない。
ここ灰の魔法の塔領を共同統治する分限のことであるのに、許されてきた情報は皆無に近い。娘がからだ内に秘めたる夜の分限、それを徴用魔法でどこまで制御できるかできないか、これを機会に確かめていかねばならい。
それだけではない。娘の土鉱としての情報から、塔に帰任の中途で緊張が高まっていると噂を耳にした、塔と部族と西の領軍の情勢の把握も急がれる。
だがそれより何より要なことがある。
あの匠師が、稀に言葉の端に洩らしてきた天の厄災を今日この夜、ここに顕現した身で口にして、その流れで白と黒の雛子の対に会い、対の通し難き道と共にあれと命じた。そして匠師が去るやいなや、入れ替わるように、対の雛子とすでにお互いを見知っていると主張する娘と出会いがあった。偶然より、よほどほど遠く、遠くまで続く意味があるに違いない。
匠師は、娘の体をなぶった帝都の辺域監察軍の上司を問題にしない至遠至後の高位者。いざとならずともさし置かれるべきは帝国の将の都合の方だ。
この娘が他のものに手出しされることは全く望ましくない。もちろん塔の長の関心ものぞましくない。
だから今のままの娘をここから出すわけにはいかない。少なくとも自分に準じる程度には劣情の魔法の方だけでも急ぎ有効な制御を学ばさねば・・・。
匠師はかぜよみとの縁に好意的だった。それを示唆する言の葉で劣情の魔法が解けてもかぜよみへの思いをこころのうちに残るようはかったのだろうか。
娘にはああは言ったが、かぜよみという心の盾がなければ、自分の方が娘の尾のないトラップに今もまさに巻き込まれているだろう。かぜよみへの思いの行く末をたどりたいがその前になさねばならない諸事がありすぎる・・・承服しがたくてもやむをえない、かぜよみの傷の身は塔の長の、その庇護にまかせる心苦しさを甘受しよう。
ああ、今日という日の午後はなんと戦時に匹敵する濃密であったことか。それを言えば娘とてそれ以上のはずだ・・・・・・
「大尉殿?」
娘の声で、思いに沈みこんでしまっている自分に気がついた。
自分も休息が必要だとわかった。夜は日がわりを跨ごうとして、眠りの休養を求めて良い平時の時刻を越えていた。
「よし、着衣よし。等三特務兵、貴様は兵舎室に向かい当座の自分棚を決めよ。明朝の起床は時刻0600に変更する、身支度を整え時刻0615より控え室前にて待機」
出かけたあくびを呑み込んだ。時刻を復唱する年下の女子の声がなんとなく遠くあった。初めての部下にした娘との距離をそこに感じた。
同刻の頃、別場所の乾燥地帯に広がる、とある高原でのこと、西に連なる高峰からの伏流水で育まれるオアシスを占有する要塞の灯火を絶った屋上天蓋には、天空の一点を指向して、ひとの背丈の倍ほどの星追い駆動の黒色大筒が林立していた。それに内臓されるは幾十もの長大な高解像増感観測管。その真空の出力魔光は、焦点をひとつに集めて重ねられ導かれ、要塞の奥深く暗所に水平に設置された大魔晶盤に拡大した中央部像を落としていた。
四季を通して晴れでも、止むことのない乾いた風のゆらぎを透かして見るせいでゆらめいて、その大きい赤い光の塊は、赤火星は、射程を越えて散逸をはじめた投射大火球の紅い火炎を連想させるものだった。
その茫洋とする輝きのうちにさらに輝きが二つ揺らいでいた。
一つは紅く明るい小さな染みの斑。そして一つは遙かにするどい白熱の輝点。
機材の制御と計測は助手らにまかせ、身じろぎもせず、輝点を見つめ続ける天文博士、そして周囲の軍服たち。
予想の刻の四分の一の歩みが永遠に思えた。もしや予測がはずれてすれ違わず、もしや合の閃光が・・・予言の大禍の激光に目を貫かれぬかと、誰もが恐怖していた。時折の咳ばらいのほか、言葉を発するものはいなかった。灯りが消され、魔晶盤からの乏しい照り返しのなかにもうかがえる顔という顔の色が白く蒼く又は赤く、体が尾の先までこわばっていた、いやな冷たい汗を流していた。
だが、白熱の輝点に変化があった。はじめはあるかなしかのかすかだったが、じりじりとひとつの輝点とは言えなくなった。そのずれが確かなものとなり、やがて間にくびれが観測される輝点二つに離れはじめた。
天文博士が緊張のぬけない上ずった掠れ声で軍のお偉方相手に要約的な解説をはじめた。
「閣下、白輝対の近接の刻が終了しました、離れていく各白輝の軌道を追跡しています。ここから観測可能な刻4半の間、軌道の変位を計測し、その結果で帝都の大天象儀の運行に修正をいれて次の星近接の日時の予測の精度に反映させます」
「・・・修正があるというの? 次の星合の危機は日28後と聞いていますよ」
問いで返した将星の声もどこか掠れていた。
「はい、日28後ですが、刻により赤火星の見える位置は違いますので、それによっては別の適切な観測地を選ばねばなりません。遮蔽がかなわない昼の露天の地に遠征となるやもしれません。それに晴空域の確保が必要である場合に備えて相応の魔力を打ち上げ続ける布陣の手配も必要です」
「次の危機は免れられるとしても、備え拠点の構築にも日数がとうてい足りない。ここで観測できないとなると面倒だわね」
「はい、ですが次でも合体となる危険性があります。が、おそらく今回ほどは近接しないでしょう。それを免れても白輝の対の軌道の変化は予測しがたく、次の次はじつに危うい、紅小斑も近接しますので、三ツ星の軌道が集束して交錯します」
「その大厄はおよそ日64後でしたね」
「あくまでこれまでの予測で今回の星近接でも次の星近接でも変わります」
「合体にいたらせない天の采配はどこにもないのかしら・・・」
「・・・・・・」
その沈黙は視力に優れる魔晶盤制御担当の助手が発したふるえる声で破られた。
「博士、尾が、輝く尾が見えます、白輝の対から互いに向かう尾が先で繋がっています、ああっ、引っ込んでいく、尾が引き戻されていく。ちぎれて間がすきまができた。ほんとうに合体寸前だったんだ、なんてこった、それほどまで近かったんだ。神よ、遠き神よ、恵賜、星夜の下、巣を守り給ふ」
ほかの助手の幾人かの口元も声にならずとも、遠神恵賜、守り給ふ、助け給えと唱和して動いていた。