12 灰の魔法塔
いまこの時は確かにあの同じ合の明夜だった。
夢を見ていたのか、ほしとぼくの長い夢を見ていたのだろうか。
だが、赤火星が星でなく、赤のしみに見えたのは決して錯覚ではなかった。三つの大月明りはあばたの素顔の子細を曝していた。そして何よりもぼく達はぼろに近い童着でなく、みるからに高そうな白と黒の対の上等な長上着にそろいの履き物の姿だった。
いや、まだこれは夢の中かも。
ほしも同じ疑問を抱いていたのだろうか、ぼく達は手をのばしてふれあった、尾を交わして確かめ合った。それでも夢ではないかと、しまいにはそっと初めての口つけをして確かめ合った。
「うう、恥ずかし・・・でも、やっぱり、私の夢の幻のよるじゃないよ」
「うん、ほしもぼくの夢の幻のほしではないね」
純白の長頭巾の裏地の漆黒で、透き通るような白が際立つはずのほしのきゃしゃな顔は赤く華やいでいた。つぼみのような唇は燃えるような桃の色に染まり、ぼくの不器用な唇との再会を求めていた。気がついたらまた口つけをしていてそれを何度も交わし、いつしか小さな舌を絡め合っていた。尾は尾で絡め合い、歳6なりの淡い、せいいっぱいの官能を求めてお互いの実在を確かめ合っていた。
「・・・んん、よる、あれ、星夜巣は、あれは夢じゃなかった」
「うん、そうだね、ぼく達、長上着のままだし、腕輪もほらっ」
「そして私達、姿は歳6だけど、絶対、この感覚おかしいよ」
「明夜だけど、そうにしても明るすぎるし、遠いものが近くから見る姿に見える、ほしもそうなんだね」
「うん、赤火星のほんとうがあんな姿をしているなんて、それが見えるなんて」
「紅の劫火ごとき雲のなかに星三つ。そのうちの特に熱い小さい二つがすごく近い、近すぎる、互いを追いかける輪が縮んで行っていまにもぶつかりそうだ」
「でも、そうなるのはきっとあと年3か4をすぎたころなの」
「そして天の災禍の破滅の光がここまで届いてふりそそぐことになるんだね、ぼくにもわかったよ、よくわかった、それがほしの予知の夢の未来の時」
「よる、どうしよう、よる、わたしは予知の呪いに負けてみなに知らせることができなかった」
ほしは目にいっぱいの涙を伝わして頬を濡らした。
「こわいよ、わたしこわいよ、また知らせることができないかもしれないよ、よる、どうしよう、そうなったらどうしよう」
ほしの声はふるえていた。すがりついてくる細い体をぼくは抱きしめた。
「ねえ、ほし、ぼくがいるから、前とはちがって、ぼくも知っているから、前とはちがうよ。ほら、すでにほしはぼくに知らせることができているんだよ。前とは違い、みなに知らせることがかなうかもしれない」
「そうかもしれないけど」
「たとえ、容易くなくとも、ほしがせつに望むことならぼくの望み。ぼくは喜んで覚悟してるよ」
「そうかもしれないけど・・・、うん、ごめんそうだよね、私もよるが好き、前の歳6より比べられないくらい年6も7の分も、ずっとずっとよるが好き。ふたりしてならみなへの知らせがかなうかもしれない」
ほしが人二つでなくて、ふたりと言った。なら、もうぼく達は、ぼく達の二つのこころと体はひとつだ。人二つではなくて、ふたり、ほしは心の奥そこからそう思ってくれている。ぼくは自分から求めて、口つけして深くほしの口をもとめた。
そうして身を寄せ合い、かぶせ合っていたぼく達の腹が供物を求めて鳴った
「・・・はあはあ、よる、いくらなんでも何か身になるものと口にしないと、また長上着に食べられて幼くされてしまいそうよ」
「ほしの可愛い唇も舌も何度食べてもすてきだけど、うん、何か食べないとね」
「ぱか」
あれ、ぼくはなんでほしになじられたのだろう。いや、これはなじられたのとはちがうのだろうか。ほしのまた火照る顔の色をみて、そう感じた。
食べるものを求めて夜の外出から戻った。
手指を深く絡めて尾までそっと絡めて、人二つ、いやふたりで寄り添っていた。前の歳6のころではそれほど深くなかったはずの親密を隠すことをまだ知らず、ほしとぼくはふたりの世界にいてそれが自然であり、それがあたり前のように、夜の給餌室の扉を開けた。なにかふたりで手伝って夕の食給か賄い物のあまりがあればわけてもらうつもりだった。
それは偶然の遭遇だったのだろうか、そこには椅子に腰かける巣の長の背とそれに寄り添い酌する副の長の姿があった。こちらに振り向いた副の長と目があい、ほしが身をこわばらせるのを感じた。
「あんたち、いまは大人の時間よ、大人の時間を邪魔しては駄目ね、雛子なら雛子らしく、さっさとしもの用でも済ませて寝所にもどりなさい、水ならそこでも飲めるでしょ、ん? そういえば見なれない姿ね、あんたたち、ええと誰かしら、それとも認証魔壁があるのにどこからか巣に潜り込んだ野良の雛子かしら、それにしてはずいぶんと小ぎれいに見えるし」
「うーん、どうした」
「見覚えない長頭巾の長上着をきた雛子がいるの、巣長、あなたになにか心当たりはないかしら、私にだまっている隠し子が何人もいるとか」
「おれがおまえにか・・・ あれっ? おまえ達は○○○と○○○じゃないか。ありえんものを着てるせいで、瞬一わからんかったぞ」
「ええ、役ただずの白子に、つるんでるでくのぼうなの?」
半酔いの巣長は副長のまえでぼく達を真名を語り、副長はぼく達を愚名で決めつけた。
融通も機転からも遠いそのころのぼくなら、でくのぼうと言われるのは仕方がないと思う。でも昼の外用事ができないからと言って役たたずの白子と決めつけ、春を迎える前から魔法の妖精化で娼妓として売られても仕方がないような、ほしを辱めるものいいを雛子らのまえで放言して、ほしが女子のあいだで、あからさまなはぶかれものになったのは、目の前の副長のせいだと知っていた。そのせいで、にぶいぼく以外の男子もほしに遠くなった。
「ほしは役立たずじゃ、ありません」
思わずそう答えてしまったぼく。ほしは泣きそうな風情でぼくにすがりついてきた。
「でくのぼうが、いっぱしのことをいうわね、役立たずの白子も雛子のうちからつるむ相手に抱きついて手玉にとることだけはお得意なんだ」
「おい、雛子相手になにをむきになっている」
「ほっといてよ、こんな天然牡たらしの役たたずはさっさと娼館に出した方が本人のためにもいいわ」
「また、その話しか、やめとけ、こいつらには先約があるといっただろう」
「その納得いかない先約だかなんだか知らないけど、長頭巾をかぶったままの非礼の理由にはならないわ」
そういうと魔力の手でほしの長頭巾をはらおうと手振りした。
瞬間、副長の魔力がはじかれた、反動で副長の手振りも逆の向きに強くはじかれた。
「痛い!、なんなのこれ」
「ねえ、ほし、今の夜なら、ここで長頭巾をかぶっていなくてもいいはずだよ。そうしたら、話しを聞いてもらえるんじゃないかな。大丈夫、大丈夫だよ、長頭巾をかぶらなくてもぼく達を食べちゃうくらい守ってくれるものを着ているし、ほら、ぼくは長頭巾をはらったよ、それに腕輪あるし」
「うん、よる、でも・・・うん、だいじょぶ、よるがそうおもうなら、たいじょうぶ、私も長頭巾をはらうね」
「おまえら、昼間みたときとは、ずいぶんとかわってないか」
「真名でない知らなかった名で呼び合っているけど、どう言うこと、あんた達、すでに大人にのつきあいはしてはいないよね」
「ぼく達はまだ歳6ですよ、卵や精のことなら、そんな間違いはおこりようないですよ、副長さま」
「ふん、番きどりの手つなぎに、尾まで交えて、このでくのぼうの小童がずいぶんときいた口で生意気いうようになったもんだわ」
「落ち着け、副長、おまえら、その長上着に履き物はどうした、どこで手に入れた」
「やし様にいただきました、いえ、これからいだだくことになるのです。やし様の名前は巣長さまはご存知だと思いますが」
「やし様だと、どこでその名を。いや、言わなくていい、なら約手はすでに果たされたということか」
「いただいたとか、これからいただくとか、言ってることがめちゃくちゃじゃない」
「めちゃくちゃか、確かにそうだな、副長。先約がすでに果たされたのなら、それこそめちゃくちゃもあるやもな」
「あと、これ。ほしも腕輪みせてあげて」
ぼく達は長上着の袖をめくった。
ほしの腕輪は光る白地に黒く、ぼくの腕輪は黒地に光る白で、奇妙な形の魔法の符号が環の表面を巡っていた。衝突して止まることなく、あきることをしらず滑らかに音もなく往来して廻っていた。
「なにそれ、見たこともない精緻な魔法の品、動いているわ、ひょっとして伝説級・・・」
途方もないものだわと副長の目がくいいるように見つめていた。
「まさか、それ、まさか星夜巣の神物か、なんでそれをおまえらが」と驚愕の目の巣長。
「えー、それ神物なの?、星夜巣のものなの?・・・先約は、その絡みっていうわけ・・・」
「ぼく達は対の腕輪をはめています。これは、やし様の置き土産、いやこれから置き土産みたいになるもの」
「ねえ、よる、きちんと言ったほうが良いよ、それだと余計にわからなくなると思う。すみません、あのですね、塩と湖と魔光苔の不思議な洞窟に置き去りにされてそれを腕にはめた時、星夜巣の管理者に登録されたんです。多分そこが星夜巣で、管理者って巣長のようなものですよね、副長さま」
「その説明で余計わからなくなったわよ、どうなの巣長、わかる?、白子の言うとおりなの?」
「うーん、俺にもさっぱりわからん、俺にわかっているのは、雛子がつるんで夜遊びに出かけてかえってきたら、まるで違う、同じおまえらだということだけだ」
「あのう、巣長さま、副長さま」
「なんだ」
「ぼく達もお相伴してよろしいでしょうか、酒精じゃなくて食べるもののほうですけど。すいません、年3、もしかしたら年6のぶん、それくらい、なにも腹の足しにしてませんので」
「はあ、何言っているの」
「副長さま、よるの言ってることは本当です。本当にお腹がすいてるんです。私達、このままだともっと幼くなりそうです、巣長さまもお願いします」
「副長、許してやれ。わけがわからんが、食べながらしっかり話しをきかせてもらおう、長くなりそうだからな」
「ふん、好きになさるがいいわ」
そう答えて給餌室の夜直に食給の追加を伝えながら、副長は思った。
話しが長くなろうが、この雛子たちはもうここにいさせるわけにはいかないわね。私にはわかる、今夜の白子はおそろしい、無自覚、一言で巣長を籠絡してみせた。白子の性根は変わっていない。間違いがおこらぬように、隔離を謀るのも私にはもう無理。やる気をしぼり出させられたでくのぼうクンの健闘を祈るわ、どうせ、巣一つに長の数が3とか、あり得ないし、巣長は同意するでしょう。さっきのでわかったけど、ここの認証魔壁をまかせられた私程度の魔力では通用する気がまったくしない。でくのぼうクンもおそらく同じ、しゃくだけど、魔法の塔の師さまの階梯くらいはありそう。どこへ厄介払いしようが、途上で野垂れ死にだけはないわね。
上へ上へと風を集めて高く高く昇り、上りつめることキロ10、高度にして10000ともなると、氷点の下40よりさらに凍えるとんでもない超寒の烈風がかん高い音をたてて吹きすさぶ天空の凍風獄と知れた。
下界は残暑で汗ばんでいようが、夏一つ前の飛竜騎乗の限界高度記録6500達成の氷点の下15の寒冷なぞ比べくもなく、あまねく生きとし生けるものへのむきだしの殺意に充ちて苛酷そのものだった。
遠目には妖精の羽衣ごとき半透の白い優美な羽雲も中に入り希薄な実体を鑑定ではかると微細な極冷の氷の粒が正体の険呑な波に他ならず、我が体を吊りさげた飛竜頭数3の貴重な翔12が素材の傘凧を揺らし、きらきらと着氷させてなけなしの浮力と安定をそぎ落としにかかるものだった。
見おろすと、伸ばした足の下には何もない。いや、大いなる宙、いや風があった、はるか下の広大なる地表まで、吹かしつづける昇り風の下に幾つもの別の風が舞い、大地の模様はまるで玩具に見えるちまちまとした人跡含めて、気ままに吹く風を重ねて霞みの底で細部の明瞭を欠いていた。彩りも空の色の風に奪われて褪せていた。
しかし水平の向きに視線を移すと一転、凍てついた薄い蒼空の風はあきれるほどに透明で視程が長じ、遠くキロ500を越えて彼方に長々とのびる白い雲海より突き出た最天頂山、万年氷槍の白く輝く頂きすらくっきりと認めることができた。
そして頭上の見上げる傘凧よりさらに上なる天の高みは、もはや薄い雲の存在すら許さず地表にいては想像もつかぬ底無しで、高度6500で望んだときとは別格の果ての無い深き群青だった。その中にひとつぽつんと沈む小さな白い月、厘。そこまでの高さは想像すらする気になれなかった。
余裕は全く無かった。努めて少しでも多く息を吸うため、あと少しでも浮くために、落ちないために下から風をかき集めても集めても高く上がるほどうすさを極めるばかりだった。それでいて横の風は速くするどく翻弄されないようにも薄い雲に捕まらぬようにもさらに高度を極めようにも魔蓄の残りの限りが足りなかった。
西方の強い日輪を中心に薄い雲の氷粒に屈して曲げられた光が、幾つもの円弧の暈と幻日に色七に分色して見とれるほどに見事で、光の学びに不明な輩には魔法に見えるに違いなかったが、それは夕刻が近い徴候でもあった。
終日晴天の読みの夜明けとともに、後援者の賭けの胴元の尾のものの配下に見届けられながら特別にあつらえた世界に機一の傘凧に下から風を当て、朝もやをついて魔法の塔より離陸した。空に躍り出て上昇を続けること時間10。飛竜では届きようもない高度目標10000に近づくほどに難を極め、時間0.3前になりようやくかろうじて少し越えて確かにかろうじて滞空し、確かに胸元の貴重な重層魔晶器にその貴重な証拠の録は得た。
遭わず難なしで地上まで降りるにはここらが潮時、それも限界だった。
この度の挑戦は高度6500の実経験から頭から足の先、尾の先まで極地から取りよせたぶ厚い目だし防寒衣を着ぐるんでいたが、度を越える極寒の烈風により目鼻と指趾と尾先は魔法治癒を繰り返し施術してもきりなく凍りついて、かき集めてもなお肺の臓にうすすぎる風に、自覚した以上に心身はぎりぎりだった。
降りるには上りの風をしぼればよい。理屈はそうだが、風のうすすぎるところでは想定を越えて頭がまわらぬものとわかることはできても、息をするにもやっとの風がさらに薄くなることの危うさまでは、考えが及ばなかった。
あっと思う間すらなく目の前の景色が暗く遠くなって、傘凧から索条で宙づりのまま気を奪われてしまった。
たぶん高度3000を割るところまで落ちたころ、ひゅうひゅうと流れる風の音で気を喪っていたのに気がついた。傘凧はその特別な造作のもくろみのとおりぴんっと張り広がっていて、何もせずとも風をはらんでいた。覆っていた氷と霜はあらかた溶けて消えたようで、風を送らずとも、日10前、試したとおり重ねた翔12の向きよりゆっくりと螺線をたどりながらこの高さでは秒一あたりおよそ5の降下の状態にあった。
凍る空はすでに頭上に去ってあり、重く嵩張るきゅうくつな目だしの顔頭巾を首後ろにはらった。いつの間にか髪どめがはずれていて風と乱舞する広がった髪。うなじと顔の肌にもあたるその風は息をするに濃密で美味しくまだ夏のうちの暑気をとりもどしつつあった。視程に邪魔な霞みはいつもなら厭うものであったが、それすら素晴らしくて低い空の優しい恵を満喫していた。
風魔法による高高度記録10000越え、世界で番一高い、酷寒と酷薄を極める風が吹きすさぶはるかなる高みからの生還者、賭けの対象にされようが世界一の記録保持者の列にならんだ、それが私だ。その栄誉と報酬の傘凧は私のものだ。尾の先の方の感覚は残念だったが尾の元からぷるぷると笑いがこみ上げてくる、挑戦達成の高揚感を許すくらいの贅沢はしてよいだろう。
いい気になっていい気分だった。
キロ15近く東の方向に流されていたが、離陸した魔法の塔の灰じみた色は手前の緑黄赤茶色の目にも彩な継ぎはぎ布のような畑作地が広がるなだらかな丘陵領地の向こうの湖の対岸に見えていて、まだ飛んで届く距離の範囲にあった。気絶えで使わずのままの魔畜の残りで風を吹かせそこに向けての勝利の滑空降下を続けた。
疲労困憊に私の治癒魔法階梯では治しきれない両の手指の凍り傷で傘凧の索条を操るのはひどく難儀だったが、それすら快かった。痺れと痛みと意のままにならぬこわばりをこらえて腹嚢より気付けの魔光の苔火酒の小瓶を取り出し栓を噛み捨てぐびりと喇叭のみした、ぷはー。空の中にひとり、誰の目も耳もここまで届きはしない。塩気を効かせた燻煙の獣脂の塊にも食らいついて、くちゃくちゃと咀嚼した。腹の腑と尾元が熱かった。最高に旨くて、生きていればこそのひとり饗宴を楽しんだ。そしてなせばなった、痛んだ鼻孔のお手入れも、我慢が限界のお小水のお始末も尾をのばしてなんとかした。
はううー、半端でない開放感すごすぎ、快感で癖になりそう。
速度は飛竜に及ぶべくもないが、飛竜には決してたどり着けない遙かなる高みを飛べることを実証ずみの、高価に加えて高度記録で貴を重ねた傘凧も持ち帰れた。この新案の傘凧を使えば風魔法の飛翔の危険性は格段に小さくできる。魔道具化もない素の状態の試作品で全尾未達の高度記録をしてそれを実証できた意義は大きかった。
まばゆい夕日を真正面から浴びて栄える逆光の鮮烈のなかを飛び、もう一踏ん張りと心を奮いたたせた。金の色に輝くさざ波たつ湖面に伸びる塔の黒いかげに近いところまでくれば返り着いたも同然で、天蓋広場は眼下すぐのところにあり、どんどんおおきくなっていって、早朝の閑散としていた離陸時と違い、ずいぶんと賑わっている様子がよく見てとれた。
高度10000の賭けの結果知りたさゆえの人出なのだろうが、私も体をはった冒険より目的を果たして帰還し、錯覚でも成功した先駆者、塔の誉れとして歓待される気分だった。
着地の瞬間の勢いをそごうと、なけなしの最後の一吹きを吹かした。ぶわっと対抗する風が巻き起こり、集まっていた見物の待ち人達の夏の薄生地の長上着や軽やかなスカートの裾をふわっと盛大に翻らせた。日に曝されることの滅多にない生尾と生ももを林立させて、若い同輩達の黄色い悲鳴と男どものよくやったとどっと高まる歓声の中、日の照りでまだ焼けるように熱い石畳の上にへたりこんだ。
精根尽きて立っていられなかった。殊勲の傘凧がかぶさってくるにまかせ本日2度目となる意識を手放してもよい気がして、揺れる気分がぬけぬまま朦朧の虜となっていた。
しかし後援者の魔法塔の長のそばに控えるあの小さな背丈の白と黒の長上着二つの裾袖はなんで微動も揺るぎもしなかった?
視野の片隅にふとそう思ったそんな不思議のある光景が暗く揺らぎ遠くなって行った。
本当にひどい凍りの傷だった。両のまぶたに耳、尾の先半分、手足の先ばかりか、凍気を吸った鼻口喉も階梯高位の治癒魔法持ち達をしてうならせる有様で半死半生が日3続いた。ぴくりと尾反射が出てくるまでさらに日3をようし、そして耐えがたい痛痒みの中から意識が次第に清明となり、声もしゃがれが薄れて滑脱を取りもどすまでにもう日3かかった。
高度10000越えは重層魔晶器にとっても苛酷すぎる環境だったようだ。動作不良の状態でいつの間にか高度の記録は全く消えてしまっていた。それでも撮影の魔晶画が数枚残されていて、そのなかに最天頂山、万年氷槍の頂きが遠く白く輝く一枚があった。その極めつきの幸運が決め手となり掛け金が懸けられた到達の高度は画像より鑑定されて10300、それが公認の記録となった。
帰還して日12、両の足での歩きを取りもどしつつあった私は魔法の塔の長室に呼び出しを受けていた。
「そろそろどうじゃ、わしの妾になる気になったかの」
「冗談は伸ばした鼻のしただけで良いとおもいます、塔の長さま」
「かかかか、めんこいのう、歳たらぬ見てくれもため口も元のとおりじゃの。それでいて才も申し分ないと示してみせた、賭けの手数料をずいぶんともうけさせてもろうたし、次の塔長会合は自慢の仕込みがいろいろあって楽しみじゃ。そちは実に良き上げの玉卵嚢もちじゃのう、囲いたいが、今日はその件ではないぞ」
「あたり前です、算引きできますか、答えの歳の差を考えましょう、気持ち悪すぎで鳥の肌がたちそうです」
「かかか、尾がぴくり、かわゆかったのう、それがなおって元気になったとたん、このへらず口じゃ、どうじゃ、初めての番の尾交はわしとどうじゃ、近頃の若いもんのようにかってに果てることはないぞ」
「どうして未体験が話しの前提、もしや治療にかこつけてむたいな調べを・・・」
「あたり前じゃ、後援者はわしじゃったし、ここの最高位の治療魔法もちのひとりのわしとて、身すべての凍り傷の具合をいろいろと念入りにじっくりとしもの方まで裸にむいていと細やかに調べなけりゃさすがにここまでうまくはいかん。どうじゃ、尾の具合は前より格段によいじゃろう、わしの奉仕じゃ、そこは特別に念入り奉仕じゃよ」
「ええーっ、念入りにじっくりしもまで辱められたあげく特別奉仕・・・ひどい、人事不省をいいことに私のからだで実験、ひどいことされる奉仕をしいられたのは私のほうじゃない」
「心配いらん、大成功じゃ、子孫も代々、そちに似るほどそち以上に尾の魔力素質に恵まれやすいであろうよ。そちもこの魔法の塔の尾のもの、素直にわしを称賛するがよいぞ、遺伝する特質の発展的の変容に成功も成功、それも稀に稀なる大成功したのじゃ」
「ああ、なんてこと、私のからだ弄ばれた、知らぬ間にかってにいじりまわされてお手つきまがいにされてる、どう責任とらせましょう」
「だからほれ、囲うてやるから妾はどうじゃといっておる。そしてわしと初めてをして、具合を確かめさせてはくれんかのう」
「いやです、お断りです、私も相手を選びたいです。もういいです。割りきります、成功したなら既成事実はこっちのものです。貸しです、大きな貸しにしておきます・・・
それでご用件はなんでしょう」
「かかかか、いうものじゃの。わしがそちの初めての相手じゃなかろうが、番うその気にいつかさせて確かめたいものじゃて。
さてと、用件というのはの、このたびの功績でそちを史上最年少の風魔法の上師に特進させる。しぶるものどももそれなりおったが、これでそちは名実とも晴れてわしの門閥門下、やれ、めでたいのう、仮名”かぜよみ”をそのまま通り名とするがよいぞ」
「下師から階位2特進で上師かぜよみ・・・わかりました。うふっ・うふふ、塔の長さま、謹んで有り難くお受けします。が、もちろん、特大の貸しは別ですからね」
「わかっておる。上師かぜよみよ、わしの命で、試作の傘凧と違い、次は魔法を付与した新凧を造るのじゃ。不安定極まる箒にまたがる牝向きの特殊技能を育てなくとも、風さえ吹かせれば安定してとばせる逸品、わが灰の魔法の塔の名に羞じないものをなしてみせよ。それをなせば様子みどももそちの魔技を求めて味方にまわるはずじゃ、期待しておるぞ。
上師ともなればそちの歳であろうと塔に居棟を構えて大方の資材は塔からの調達でかなうことになる。金をはらって私物とする手もある。それから居棟を構えるからには配下の助の尾のものもいるし、それには小童をあててやろう。なに、そちはまだ歳16じゃし、みかけはさらに雛子っぽいからの、年同配より雛子の方が御しやすいじゃろう、ちょうどよいのが人二つおるでの。わけありでそちがそのもの達の面倒をみるのじゃ」
「わけありですか、どんなわけでしょう」
「うむ、ともに歳6にして、なんとすでに対なすと言う通り名を持つ」
「えーと、それは、わけありというには微妙のような、そもそもそんな歳で助の尾のものは無理では。子守を押し付けられただけのような」
「それがの、牝雛が”ほし”、牡雛が”よる”という仮名が通り名で、あえばわかるが歳6じゃが歳6ではありえないのじゃ、他にもいろいろとの、なにせあの星夜巣に仮名を与えられた雛子たちじゃからの、その証拠もあきらかでの」
「なんでまたほんとうに星夜巣ですか、我らの遠敵ですよね?」
「ほんの歳6人二つが孵化の巣から追いだされ、けなげにも彼方の我が塔を目ざした。幾多の危難もあったであろう、それを季節1かけて乗り越え、旅してたどり着いた。頼ってまいったのじゃ、窮鳥懐に入れば猟師も殺さず、そして情けは人のためならずじゃ、遠敵だろうがなかろうが星夜巣の関係の者とあれば、手元に置いて損はないぞ。それに、そちはいと高き空を飛んだがの、時を飛んだと主張して予言まがいに世界の終わりを口にするものを放置はできまい」
「時を飛ぶ?まさかそんなことが実際にあるなんて、信じられない・・・それに世界の終わり?冗談でしょう?」
「いや、そちも証拠を目にすれば終末もまた真である危険を見過ごせぬ筈じゃ。わしもいざとなれば、塔の長の強制令をもってそちごと囲うくらいに、手筈は考えておるぞ」
「上師特進にこんな罠があったなんて・・・手折られた、ていよく謀られた気分だわ」
「洗礼と思いあきらめよ、かぜよみよ、謀りごとも読み、読み切るのじゃ、これからそちが立ち向かうのはそういう世界じゃ、わしはそちから裏切られぬ限り味方して、そちの忠誠を稼ぎ、特大の貸しとやらの相殺にあてるつもりじゃ、それでよいな」
「うう、私、高いですよ、初めてでなくなってもうんと高いです。これから、どんどん高くなりますこと決定ですから」
「かかか、それでこそ、風魔法の新上師かぜよみじゃ。本分を果たして多くをなし、わしが払いきれないほどの高みをめざすのじゃ。
あとは、そちの居棟じゃが、ぴか新任じゃし広くはないが天蓋広場への利便がよい天蓋下一の廓じゃ。場所は塔内地図を念ずれば、そこに記載はすませてある。いまの塔の回りなら、北の向きじゃな。そこに、そちの助の尾にあてた小童どももおるはずじゃ」
どこかうまく言いくるめられた気がぬけなかった。私はちょろいのだろう。でも時を飛ぶ、その話しに魅了されて、歳若くたいした挫折を知らないままできたおめでたい私は世界の終末の方は遠く考えていた。
ふろく [ でくのぼうクンはおかしくない ]
巣長の長い紹介状に、塔の番1偉いひとが目をとおしている間、大窓より彼方に、ぽつんと人のぶら下がった大傘が舞い降りてくるのが見えた。
ぼく達の力はいたずらをする。遠いが近いに見えていたずらなこともみせる。音も聞こえればにおいもそう。苔の火酒らしいのをぐびりと喇叭飲みして、ぷはー、手づかみで燻製脂肪かなにか口に詰め込みすぎてぷくっと膨らんだ頬、褒められた行儀ではないが、そういうことはあるだろう。それでも、あとで歳を知ったけどうら若い娘が、遠い大空の上のこと、普通はばれるはずはないのだろうけど、鼻孔に指つっこんだり、まさかお股の覆いを開けて薄い若草の茂みからあれはないでしょう。よほど気持ちよくても、いくらいい顔になれるからといって、ぼくにはとてもまねができない。そんな雛子まがいな容姿のすごいひとが飛んでた。
「よる、いいこと、見なかったこと、音にも匂いにもきずかなかったことにしないと駄目よ、どうしてもそういうすごいの見たくとかなったら、私がいるから」と囁くほし。
ぼくはほしが言いたいことの意味がわからなかったけれど、そんな場合にまず外れのない文句は決めていて、「うん、ほし、そうだね」と小声で答えた。
「なにをこそこそと話しておる。うーむ、紹介状は読んだ。とんでもない内容じゃが、お前さん達の存在自体がとんでもないのう。じゃが、よくきた、よくぞきてくれた、歓迎しよう。じゃが、星夜巣のことを含めてわしが許すもの以外に次第を知られるでないぞ、ことがことだけにの」
「はい、塔の長さま、よるも私もわかっています。孵化の巣からおい出されるときに、面倒ごとに巻き込まれたくなければ隠すように、なにがあっても私は肌もみせるなと、きつい副長のおばさんからもきつくきつく言われました」
でも、当座の料食に路銀もたせてくれて乗り継いで行けるところまでの馬車の手配とかもしてくれたの副長だし、黒いよ、黒すぎるよ、ほしの言い方。
「なにやら、言に含むものを感じるが」
「それはわたしはこんなで、日の光の理にも害をなさなくしてくれる着ているこれを頂戴するまで、昼間の外仕事がかなわなくて半端ものにも足らずの扱いでしたから」
ほしはそういうと白の長上着の袖をめくって腕をのばし前裾を指でつまんですすっとあげ、白いのが顔や華奢な造りの両の腕だけではないのを正面の塔の長に示してみせた。すぐ横に立つぼくからも裏地の黒にほしのにくの薄い細い体の真白さがきわだって見えていて、ぼくはとてもどきどきだった。
「ほほう、なるほどの、白の未熟で魅せるというのか、お前さんの細い腿に尾からませの仕草は
天然かの、なんともなまめかしいのう、雛子のうちからそそりおる、その手管に強いの魔力の附加があるか。これではつける上師はかぎられるのう。男はまずだめじゃ、さりとてまともな女の上師にもいやがられるだろうの。どうしたものかの。わしの尾のものにしておくには、歳の見かけからして不自然、わしは番いもできぬ雛子趣味だけはないと知られているしの、どうしたものかのう・・・」
ぼくはほしの膝のずっと上の方に魅せられたようにとりこになっている塔の長の視線をなんとかしたくて、おおぎょうに窓の外の光景に気をとられるふりをした。
「ん、よるだったかの、何を窓の外にみておるのじゃ」
「塔の長さま、降りてくる大傘です、近づいてきてます」
「おお、戻ってまいったか、そうじゃ、あやつがおった。あやつに押し付けよう。記録の魔晶器をすり替えて、がせの故障器をつかませてそれをネタに・・・この手なら賭けの世界記録の更新を果たしておらずとも、あやつを上師の末席に押し込めるであろう」
「あのう、塔の長さま、お考えがただ洩れのようですけど」とぼく。
「増長するな、お前達はただの雛子、特別な存在でもなんでもない、わけがあって見習いの見習いに引き取られた、ただの雛子の対、そうだな、それでよいな。ほしは目に毒すぎる白肌を人前でさらすのはなしじゃ、よるもほしがそうせぬよう気をつけるのじゃ」
「はい、塔の長さま、わかりました。ほしもぼくも、無力で無害で愚かしく、対でもただ同然、無価値なお目汚しの卑しい雛子の分際でございます」
「わし、そこまでは言ってないんじゃが・・・まあよいわ、ついて参れ、わが塔の英雄どのの帰還を見届けようぞ、風魔法で高度10000越え挑戦の強者じゃ、幼くみえても、娘16、わが塔の期待の新人、わしの自慢の配下じゃ、どうじゃ、お前さんたちも上師たるにふさわしいすごい魔法娘と思わんか」
■ ぼくは感心して聞いていた。なのにほしは、長頭巾のなかで顔を伏せて、尾をぷるぷるさせて、なにか変だった。いったい、ほしはどうしたというのだろう。
☆ ぷぷっ、確かにすごいひとだけど、よるは感心して聞いてるし、耐えてわたし、笑っちゃだめ。
わたしだってすごいことできる。そばのよるにも見えるよう頑張ったし、でもなんでよるは窓の外のすごいひとの方をよそ見するの。なんか、それいやだから。