11 あの夜に戻る
ほしが前裾をめくり上げてさらした長上着の裏地の色は漆黒で、そこに真白い華奢な膝をのぞかせてぼくをさそっていた。
細いふくらはぎの中程までの履き物にとどかない柔肌を、罪人のように塩の浜につけて、その凍える苦痛でぼくをさそっていた。
いったい、なにを謝るというのだろう、ぼくは人の言おうとすることがよくわからないことが多くてこれまできたが、ただひとりつきあってくれるほしですら、まだよくわからずに、ぼくはまだそんな具合でいることがわかった。
ぼくにはほしに謝ってほしいことの心当たりはなかった。ぼくはほしがぼくのほしであってそばにいやがらずにいてくれればそれだけで気持ちが満たされて、ほしとのはぐれもの同士の絆は、ぼくのような変わり者にはかけがえのないものだった。
「ぼくは、ほしにひどいことされた覚えがないのだけど・・・、ぼくのまだ知らないところでどんなことがあっても、これまで知らないで今までこれた。ぼくと親しくしてくれてきた。ぼくにとってはそれで充分だから。たとえ、それにまだ知らないことがあっても謝るなんて言わないで」
そう言いながら、ぼくはほしの腕をとり立ち上がらせて、箱のうえ、ぼくのとなりに腰かけさせた。そして長上着の尾用隙間からほしの望むがままそうっと尾を絡めた。ほしの尾は温かく優しく柔らかかった。
「あのね、わたし。こんななりの白子で、お日様の下に出ては働けないし、女子の間でもはぶかれものだったの、でも平気だった。わたし、平気なふりをして、強がっていた。はぶかれても、平気なふりをして。でも駄目だった。はぶかれ、ひとりなのは、他の子からやられる役だった。いつも、ひどいことを言われる毎日だった。
そしてよるもはぶかれものらしい、ずれた話しかしない、何をかんがえているのかよくわからない男子、だからわたしみたいに、はぶかれて当然、そんなふうにね、思ってた。 でもなぜかよるが平気でいるらしい、なんで平気でいられるのか、わからないおかしな男子、それだけだったの、でもね、わたし、よるがほかの子のようにわたしをはぶかない、わたしがそばにいてもいやな気持ちをぶつけてこないことに気がついたの」
「ぼくもほしと同じだよ、服に隠れてみえないけど、ぼくの尾はみんなとちがってこんなふうだから」
「わたし、よるの黒くて太い尾、嫌いじゃないよ」
ほしが声を甘くして上体をぼくにあずけてきた。
「ぼくも、ほしの尾まで真白、嫌いじゃない」
ぼくは尾の親密で寄り添ってくるほしの柔らかさに応えた。
「よるの尾の感応の本当のすごさって見た目だけではわからないものね、誰も知らない私だけが知ってる秘密、ないしょの秘密」
「いや、すごいとは思わないけど、もしそうなら巣長達は知っているはずと思うけど」
「・・・知っていた誰ももうないの・・・ねえ、よるの外出で赤火星が見えてたよね」
ぼくはほしから尋常でない気配の感応がにわかに高みに向かうのを感じた。
「私が魔光苔の実、魔法の漿果をたくさん食べて寝込んだのは知ってるよね」
ああ、これは駄目な話しだ。そんな話しの流れほどは黒くて聞こえて・・・ぼくは話しでも共感ということをすることはひどくへたで、繰り返しのしみついた経験でわかっていたが、これは真っ黒で、ぼくの不器用な心まではとどかないに違いなかった。
「そのとき予知の夢をみたの・・・私がよると連れ合いになって生き残る、長い長い夢」
「生き残る?」
「やし様の迎えまで、孵化の巣の知りあいが生き残れなかった夢のとおりだった・・・」
ほしの尾がふるえていた、ほしの体がふるえていた。ぼくにあずけた上体が長上着越でもふるえて、声を低く抑えても抑えきれない情念が感応尾ごしにぼくに伝わっていた。
「本当は目が覚めたとき、星夜巣にいるに違いないとわかったの、幼くなったのはちょっとあれだけど・・・・・・私とよるの他は、星夜巣の守りに選ばれないものは・・・見込みがない、その未来に繋がらないことはできなかった。話せなかった、何とかほのめかしを繰り返してもよけいにはぶかれものになるだけだった。予知の呪いにどうしようもなかった・・・だから、どうしようもなくて、よるが知らない星夜巣の真実を、お務めの本当を、よるにも話さず、あの孵化の巣はほかの誰も見込みないままの成り行きをよるにも強いて、それで私達が選ばれてここにいられるように確かにそうなるように、してきたの」
ぼくは答えることもできないでいた。ほしの激情になすすべなくその支配の元にあったが、ほしの心までの距離がとても近かったが、ぼくは共感することができずにいた。
「ねえ、よる。私間違っているのかな、ここに来ることを選ばずみんなといっしょに天の災禍で滅んだ方がよかったのかな」
「見込みがない、滅ぶって、天の災禍で・・・いったい何のこと?」
「赤火星、よるもよく見てたでしょう」
「うん見てた」
「急にお日様より何倍十も激しく輝いて月幾日もそれが続いたの、その目を焼く光が猛毒で、空気まで月幾日も毒にみちたの」
「たのって、それはおこってしまったことのふうな言い回しだね。だけど本当にそんなことが目覚めるまでにあったのかな」
「ここにくるまでは年幾の間、みんなからはぶかれ、はずされた身のままであることにはずれはなかったの。逆だったら良いのにと何度も願ったわ。よるだけが私の救いで、それにすがりついてここまで来たの。ずっと隠して、そうしてきてごめん、ごめんね」
「うん、謝らなくていいよ。それ、ぼくもほしのことがいつも番一の大切できたから、むしろ、頼られるのはのぞむところだし・・・でも、ここが星夜巣に間違いないとしても、みんなが滅んだなんて、そう言われても実感がわかないというか、信じられないよ」
「みんな全部ではないの、他の星夜巣とか、王侯貴族の城館とか城砦とか魔法の塔とか、そういうのに対応できる備えがあったところとか、あと天の星夜の廻る傾きで、滅びの輝きが地平の向こうにあった極地とか。それでも空気の毒が世界を回ったので生き延びられたところは限られるの」
「それも予知の夢なの」
「うん、ここにくるまで、あたってきた予知の夢」
「・・・ほしとぼくが幼くなったのもそうなの?
ちょっとあれだけどと、ほしがそう言ったと思うけど、それは予知になかったことだからじゃないのかな」
「でも、それでも、ほかは全部はずれずにきた」
「・・・と言うことは、初めて違ったんだ」
「それはそうかもしれないけど、予知の夢にすべてがあったわけではないの」
「すべてがほしの予知のとおりではないということだよね」
「・・・うん」
「もしもね、外の今がほしの予知のとおりだとしても、それは災禍だし、ほしのせいじゃないから、避けられなかったのは、予知の夢をみたほしのせいじゃ、予知ののろいでほしのせいじゃ絶対ないから」
「・・・うん・・・それでも魔光苔の実なんて口にしなければよかった、あんな夢なんて見たくなかった、見なけれよかったのに、ぜったい見なければよかったのに・・・」
ほしは悲痛な声をあげ嘆き慟哭した。
ぼくにはその悲しみにかける言葉も見つけることができず、横から抱きしめ肩を貸して尾を絡めて支えて、ただそうしているしかなかった。
痛ましいと思う感情を初めて知った。
ぼくの胸にほしの痛みがとどいていた。辛い苦しみがとどいていた。ぼくの胸は締め付けられていた。ぼくはそっとほしのほほにふれて、涙をぬぐった、ぬぐってもぬぐって拭い続けても温かい流れは止まらなかった。
それでも涸れる時がきた、慟哭が途切れまぎれの嗚咽に遷ってやがてそれも止んだ。
ぼつりと呟くほし、「・・・ごめんね、泣いてごめんね」
「うん、いいよ、こんなぼくでよければ、泣いてくれていいよ。ぼくはほししか、わからないできたから、それでもほしのことをよくわかってなかったことがわかったから、ぼくの足りないところのせいだから」
「ううん、ずるいことしてきたわたし、わたしのとがだから、ごめんね、わたし、よるのそういうところを知って甘えてた」
「ぼくはそれで十分だから、ぼくこそ、ほしの隠し事に気づかず、甘えてた、おあいこだよ」
「おあいこじゃないから、わたしのせいだから」
「うん、ぼくがほしのことばかり考えるようになったのは、うん、ほしのせいだね、ほしのせいで、それはぼくにとって大切な、せいだよ・・・あっ、もう泣かないで・・・」
どうしてまた涙をだすのだろう、よくわからない、ぼくに足りないところのせいがほしにはあるのかな。そんなことを考えてたら、ぼくの腹の方がぎゅうと泣いた。
「・・・みずは、みずによるに出してもらえるけど・・・わたしもお腹が空いたみたい」
「やし様の箱になにかはいってないかな、はいっていると思うけど。はいってなくて空き腹のままでも長上着がぼく達を小さく、幼くして生かしてくれると思うけど」
「・・・長上着?、ああそうね、そうだわね。でももうこれ以上、小さな子になりたくない、そうなったらやっかいなの、いくら魔力を底上げしても、幼いのはいろいろと不利だわ」
「魔力の底あげ?、ああ、やっぱりほしがぼくにしてくれたんだ。でも、不利ってどういうことなの」
「私の予知の夢があたりなら、戦いが始まるの、いえ、もう始まっているのかも」
「ええっ、予知が本当なら生き残り同士のはずだよ、助け合わず、どうして戦いになるのか、わからないよ」
「わたし達がいまお腹が空いているように、生きていくのに足りない物があれば、うばってでも・・・そういうこと」
「ああ、そうかもしれないけど、ぼく達は二人しかいないよ。幼くなる前に多勢に無勢すぎるよ。まあ、その前にまずはぼく達の食料を探さないとね」
それで食べられる物を求めてやし様の箱をあけようとした。あれこれしようとしたが、どの箱もつなぎ目もない、のっぺりとした大小の直な方体で、どの面も温度というものを感じず複雑怪奇な模様のようなものがあったが手指でなんとかなる部分はなかった。ほしとぼくの魔法の鑑定階梯2の重ねかけもはじかれた。
「ねえ、よる、これってひとつひとつが魔法庫に近いものかな」
「うん、どの箱もたぶんそうなっているみたいだね」
「そうだとすると開けるには、やっぱし、やし様の鍵がいるよね。 あの”開始釦”というのがあやしいわ」
「うん、ぼくもそう思う。だけど、どうすればいいのかな、ひょっとして、こうかな」
なにがおこるかわからないから、ほしに試させるわけにはいかない。ぼくはほしより前に、番一小さな箱、両手で簡単に持ち上げられるものを抱えあげ”開始釦”とある視野外の異形な象形に注意を凝らした。
一瞬、ぴーんという音がして箱の形がぶれて、開いた環ふたつに変わった。にわかに重さが増したが気を張って構えていたのでかろうじて落とさずつかむことができた。
しろとくろの対の幅ひろでいささかを越えてずっしりと重い腕輪の組一つで、表裏に精緻な魔法の符号が微細にびっしりと密に象嵌されていた。
ぼくが両手にもつ、魔法の品の造りの精妙さに目を奪われていると、ほしが声をかけてきた。
「ねえ、私の”開始釦”の表示が消えたのだけど」
「あれっ、ぼくのもなくなっている」
「その腕輪は、予知の夢で見たのと同じ、白い方はわたしのだから頂戴ね」
「うん、見た目よりかなり重いから気をつけて。でも予知のとおりになると思うけどそれでいいの?」
「・・・なんかね、よるに話したら、もう私ひとりで苦しまなくても悩まなくてもいいんだと思ったら、私ひとりでなくて、よるとなら、少しでも良い方向にいけるのじゃないかなって、そんな気がするの」
ほしがぼくをまた過大評価していた。でも、それでほしが立ち直れるならほしが求めるなら、ぼくは無理でもなんでもなんどでもしてみせよう。
「いっしょに同時につけようよ、夢では利き手と反対の腕につけてた。私は左利きだから右の腕に、よるは右利きだから左の腕に」
手首より少し上にはめて環を閉じると、象嵌された魔法の符号が音もなくゆっくりと流れ始めて、腕輪の重さを感じなくなった。それだけでなく、体全体がなんだか軽くなった気がした。
ほしの腕輪は光はじめた白地に黒く、ぼくの腕輪は黒地に光る白で、魔法の符号が環の表面を巡るように衝突して止まることなく往来して廻っていた。
抑揚を抑えた声が音のなかった広い洞内に反響して割れて聞こえた。
『 番84星夜巣で管理者に番84星夜巣で管理者にほしがよるが登録登録されましたされました 』
その公示らしき知らせに嘘がなければ番84星夜巣管理者ということで、ここが星夜巣であるのは間違いないようだ。そして管理者ということは巣長になったようなものかな。ほしの話しから考えてみるに、星夜巣というのは、天の災禍からの避難所らしい。長上着に履き物も年3を越える眠りを目覚めまで生きのびさせてくれたし、それもどうやら防衣の魔法のようで、納得の行くことだった。となれば、生活の手筈も管理する手筈も用意があってもおかしくはないだろう。
それくらいは、思考の曇りが晴れてきた今のぼくにはおしはかれるようになっていた。
でも、ほしとぼく、今はふたりだけの巣なので、長のようでも自分たちで必要な手筈をみつけてなんとかするしかなかった。
腕輪に託された管理者の権限の最初の体験は、やし様の残され物の残りの方体は開けようとふれるだけであっけなく解けることだった。方体はどれも簡単に解けたが、期待した口にできるものはなくて、方体の数と大きさ、重さをこえた大小さまざまな形の立体物にかわった。そして番号が1から84まで記されてあった。
「番号順に組み合わせるものらしいけど何だろう、そうする必要があるから、ここにあるんだよね。ねえ、ほし、これは予知の夢ではこれは何になるの?」
「今してることの場面の記憶はないし、これも多分、夢でなかったことみたい」
ぼくは番1と番2をふられたものをいろいろ向きをかえて試したけど合いそうになかった。それでもしやと番3をほしにもってもらって、三つを合わせて試したけどだめだった。さらに番1から番4まであわせてあれこれためしてみたけれどやはり一つもうまく組合わさらなかった。
「うーん」
ぼくは困ってしまった。順序を考えて試したのにどこが間違っているのか、さっぱりわからない、空き腹で疲れてきたぼくに途方にくれるという馴染みの感情が湧き上がってきた。組み立てを棚上して、先に食べられる物がないかどうかあたりを探してみる方がよいかもしれない、そういう気持ちが強くなってきた時に、ほしが解を思いついてくれた。
「もしかして、順逆かも、ほら、中になるものほど後から付けたし難いし」
それがまさに正解だった。番84は番83とある方向でかちりと組み合わさった。すると番82と組み合わさる部分ができて、あとはその繰り返しで、時間2あまりであと番1の立体物をはめ込むばかりの直前まできた。
「あとひとつになったけど、ほし、これに見覚えはないの?」
「うん、わからない、こんな奇妙で妖しい品に覚えはないわ」
ほしとぼくは首も尾もひねるばかりだった。
というのも組み立て途中から、組み合わせても嵩が変わらず重さも増さず、残り10個あたりから、逆に持ち上げられるほどに軽くそして小さくなって、つじつまが合わない形となった。
回しながら見るとまあその角度の向きに応じた見え方をするのだが、反対面どうしはいくら確かめようが同一のものの輪郭には見えなかった。
そして下においたままでは安定せず、でたらめに方向を変えながら転がりつづけようとするようになったので、軽くなったのを幸い、ぼくがそれを両腕で抱え込んで動きを封じ、そこにほしに残りの番号品を差し込んでもらっていた。
ぼくは番1の穴にはめ込めと言わんばかりに突出した断端をほしの方に向けた。
ほしはその断端に合わせて番1に少しはめ込むと、そこで止めた。
「これは夢になかったこと・・・そうなら、願わくば、外が滅びのない世界を見せて」
ああ、それがほしの願いなら、ぼくの願いも同じだ。
そして、ほしが番1をはめ込んで来るのに合わせて、ぼくの方からもその方向に抱え込んだものをぐっと押し出した。
いっしゅん強い抵抗があったが、そのあとは吸い付くように最後までぴたりとはまり込んだ。
ぐにゃり、ぼくと両腕で抱え込んだものを中心に、ほしと最後の番1を押し込んだ手のひらにふれるものを中心に、世界がぐにゃりと曲がった。
すべての感覚がぐにゃりと曲がった。曲がりは止まらず、それでも感覚はあったようだが、理解不能で感六はその境界が意味をなさくなっていた。
ぼくの意識は今なら事象背景放射と理解しているさざめく惑乱に埋もれていた。
ふいに晴れ渡り、ふいに混乱した感覚がもとの感六に戻っていた。
時空は整然として、東の空から中天にかけて三つの大月明りが昇る合の明夜で、そこにぼく達はいた。
西の空には、ほど高い山波の黒に近い青の影に向けて沈んでいく特等の輝き、古の西海人が心臓と呼んだ赤火星の遠いしみが常人には気がつけないゆっくりとした周期で瞬いていた。
見間違いはない。いる所は番84星夜巣の洞ではなくて、あの夜の開かれた空のしたにいた。
「えっ、どうして」と、木かごに待宵の群草の白の魔花を摘み入れるのを止めた華奢な手と顔は、花にも似て白く、夜陰にくっきりと浮いて幼い仔細も、あの夜の記憶のとおりだった。
ぼく達はまさに歳に相応しいあの夜に戻っていた。
露を孕む夜気が草と花の甘い香りを載せてしめやかに蕩々と流れていた。
二人が組み立てもの、カラビ・ヤウ多様体(3次元部分¥7800)みたいな。