8
とある話をしよう。
音楽を愛した少女と、そんな彼女を守る使命を持った少年の話だ。
二人が生きていた世界は、所謂人ならぬ者が存在する世界だった。
彼女は歌を愛する天使で、少年は人間だった。と、言っても守るために特別な力は持ってはいたのだが……、彼らは自然の力に負けた。
まず先に自然に飲まれたのは少年で。
海で溺れた天使を守るため、その状況を特別な力で交換し、自分が吸っているはずの息を溺れていて息を吸えない天使に与え続けた結果……。
彼は窒息死した。
それにショックを受けた天使は、生きている屍と化し、皮肉なことに少年を愛していた女性に首を絞められ、窒息死をしてしまった。
それは彼が亡くなってから、三年後の出来事だった。
彼は愛していた、歌を愛する天使のことを心から愛していた。
彼は後悔していた、守るために不必要な感情だと決めつけてその愛を隠していたことを。伝えれば良かったと未練を残していた。
もし、もう一度彼女に会えたなら……、そんな想いばかり巡り、その愛の強さが魂となった身になっても彼を縛りつけた。
魂となっても、記憶が残らず転生したとしても、彼はずっとずっと、天使だけを愛し続けたのだった。
そんな小説を読んだことがある。
この話には続編があると信じていた、だけどこの話の続編は未だに書かれていないし、その作者はこの作品だけしか出版していない。
発売された当初、彼の作品は世間で話題となった。映画化するのでは? と期待されたが、作者の意向でドラマや映画の実写化しなかった。
待てど、待てど彼の新作は出ず、マスコミの関心は徐々に薄くなり、作品が世間に出て三年経った今、本屋では見かけなくなり、辛うじて古本屋で見かけるくらいになってしまった。
私は本が好きだ。だけど、一番に彼の使う表現に惹かれ、何故かわからないけれど、この本に出会った時、何故か涙が出てしまった。
まるで、あの子のようで。私はこの作品を他人事のようには思えなかったの。
ああ、私はなんて自分勝手。
あの子にまた歌ってほしいと望んでる。
「篠里さん?」
そんなことばかり考えていたら、気がついたらバス停に来ていた。どうやって来たのか、記憶がなくて、我ながら無防備な姿を晒したと嘲笑う。立場上、私は警戒心を常に持っていなければならないと言うのにね、彼に声をかけられなければ無防備な姿を晒したまま、バスに乗っていたことだろう。
そんな状態でバスに乗れば、痴漢されようと自業自得とも言えるだろうな。
ああ、なんて優しい声を出すんだ。
期待しちゃうでしょう?
私は君に冷たい態度ばかりで、素直じゃない女だよ。年下の君に心配ばかりかけて、怪我をさせてしまうどうしようもない女なのに……、君はどうしてそこまで優しくいられるの。
そんな奴に期待なんてさせないで、と言えたらどんなに楽で、同時に苦しい気持ちになるんだろう?
君が好きだよ。大好きだ。
そう素直には言えないけれど、今だけは素直に君に頼っても良いかな。
どうしようもないな、君より年上なはずなのに君には助けられてばかりで。
「……後輩くん」
ああ、なんて情けない声。
なのに、言葉が溢れ出す。
「私ね、嫌われるのが怖いの」
こんなにも本音が素直に溢れ出してくるのは初めてだなと考えながら、その衝動に逆らうことなく、その言葉の続きを紡ぐ。
「親友に思いつめるようなことをしてしまった。私ね、彼女には幸せになって欲しいの。そう望んでいるからこそ、見守ろうと思ってた。……なのにっ!
前に進んで欲しいからと言って、幸せになって欲しいからと言って、彼女には彼女のペースがあるのに急かすようなことをしてしまった。
……嫌われる覚悟はあった。あったのに、今更嫌われることに対して怖くなってきた私はどうしようもないくらい情けないね」
そう言った後、私は笑って見せた。
その笑顔は強がりで、本当は泣いてしまいたかった。……いや、内心では泣いてしまっているのかもしれない。
でもね、泣かない。
後輩くんにこれ以上、弱さを見せたくないから。ううん……、これ以上弱さは見せられない。
「ごめんね、知り合ったばかりなのに変な話聞かせちゃって。もう少し私も強くならないとね、話聞いてくれてありがとうね。……そう言えば、忘れ物したの思い出しちゃった! 先にバイト行っててくれるかな? ……じゃあね!」
そう早口で告げて、大学の方向へと早足で向おうとした。
……したのに、そうすることは出来なかった。阻止されてしまったのだ。
……後輩くんの手によって。