「空っぽの宇宙」
相棒にとある電話がかかってきた事から、足立は新たな事件に身を投じる事になる。
遺体遺棄事件を追う足立は、最後に辿り着いた人物を前に何を感じるのか――。
その犯人の心を、警察官は理解出来るのか。
いつでも人も車も通行量の多い、賑やかという言葉だけでは言い表せない大都会、新宿。午前8時20分、その時間、とある片隅が警察により規制線で囲まれていた。パトカーが停まり、群青色の服の数人がその辺りをうろつく。それはどこからどう見ても事件現場だ。少しの野次馬も居るそこには2人の刑事が居た。新宿警察署の刑事課強行犯係の刑事。この道30年のベテラン刑事、益田、そして中堅の田畑。2人はとある人物の前に立っていた。その男は眠るように息絶えている。服の乱れはない、だが胸元から足にかけて血に染まっている。首から上は綺麗だ。つまり頭を殴られたり、首を絞められたりされたのではなく、刺殺。
「凶器は?」
益田の問いに、鑑識の1人が苦い表情で首を振って応えた。みすみす凶器をその場に捨てるような間抜けではない、という事か。
「こんな所に呼び出してじゃ、計画的ですね」
ここは工事現場。プレハブや足場に囲まれたビルがあり、ガードフェンスに囲まれた場所。確かにガードフェンスがあれば例え都会のど真ん中でも人の目を遮る事は出来る。
「町田、凶器の形状は」
益田と比較的親しい中堅の鑑識、町田。彼は2人に歩み寄ると害者の胸元に指を差した。
「はい。ナイフなどの、一般的な刃物ではなく、例えばアイスピックなどの、細いものかと」
「アイスピックで心臓を一突きか。銃刀法見越したのも計画ってか、死亡推定は」
「冷えきってるし、硬直もピークっぽいんで、24時前後だと思います」
「身元は」
「里田玲音。免許証どうぞ」
「ん。発見者は」
「あちらの、工事現場の人間だという方」
酷く動揺した様子の30代後半の男性に歩み寄り、警察手帳を見せる。
「最初に来たって事は、責任者か何かですか」
「えぇ、いわゆる現場監督をやってます」
「名刺があれば頂けますか」
「あ、はい。どうぞ」
大村義隆。株式会社サザナミ土木、主任技術者。
「被害者の男性と面識は」
「・・・まったく」
「従業員ではないんですか」
「はい」
「そうですか、どうも。町田、後頼んだ」
「はい」
「田畑、とりあえず家行ってみるか」
「はい」
新宿一丁目のマンション、害者の自宅。管理人に鍵を開けて貰い入ってみると、そこは10畳のワンルームだった。部屋には畳まれていない布団、ちいさなタンス、数冊の本しかない物置になった本棚があった。家具だけ見ればシンプルだろう、だが生活感が溢れたその散らかり様はシンプルという言葉を真っ先に遠ざけた。
「パソコンありますね。SNS関係で身辺洗えるかやってみます」
「おう」
警視庁捜査一課特別補佐係室。特別補佐係は捜査一課内にはあるが正式な一課ではない為、ここだけドアの無いガラス張りの壁で仕切られている。午前8時40分、その時間、そこには特別補佐係の3人の他に2人の刑事が居た。捜査一課強行犯2係のデンデンコンビ、田辺と田島だ。その2人はとある事件の遺留品の写真を数枚、佐上の前に置いていた。写真は頭を何度も殴られて亡くなった害者、血の付いたコンビニのビニール袋、不自然に濡れたカーペットなど。田辺の話に寄れば、目星は害者と交際中だった女性。凶器は無いが、田辺のお決まりの刑事の勘で、目星の女性を中心とした意見を求めている。
「ビニール袋で、どうやって人を殺すんだよ。てか家ん中の犯行で、証拠隠滅の形跡もねぇし、何で身近な包丁とか、灰皿じゃねぇんだ」
「それはやっぱり、捜査の撹乱じゃないですかね。凶器を残さないアイデアでも浮かんだんじゃないですか?凶器さえ無ければ、自首しない限りそうそう逮捕出来ませんからね」
「あー、分かった。ビニール袋ん中に酒瓶入ってたんだ。そんで頭叩いた時に割れて、酒が」
「いや、カーペットの染みにアルコールは無い。鑑識はただの水だと。それにそれだったら瓶の破片もあるはずだろ」
「なら、氷じゃないですか?氷を入れたビニール袋で頭を殴り、そこで氷を捨てた後、自然解凍で、凶器そのものを消滅させた。ビニール袋くらい持ち帰れますが、それをしなかったのは、氷さえ無くなればバレないと思っての事だと思います」
「さすが嬢ちゃんだな、やっぱりノンキャリの佐上とは違う」
「お前もノンキャリだろうが」
「ですが、本当に凶器が無いなら、他の証拠を掴まないとです。何かありますよね?」
「はっ田辺はどうせ泣き落としだろ?」
「まぁアリバイはないし、動機もあるからな、もうイケるだろ。じゃ、助かったよ嬢ちゃん、またな」
「はい」
去っていった田辺達を見ながら、いつも魔法瓶に入れている自家製蜂蜜ジュースをまた一口飲む。
「ったく、これくらいの事で来るなんて、ちょっと足立を頼り過ぎなんじゃないか?」
「いいじゃないですか、解決するなら」
「そうですよ、汐留さんの言う通りですよ、これで2対1ですね」
「ははっ俺はベテラン刑事だ、俺は1人で3票分だ」
「な、何ですかその横暴さ。あでも、田辺さん達の2人を合わせて4対3ですね」
「それがな、昨日から1人3票から5票に制度が変わったんだ。忘れてた」
「あれ?ベテラン刑事は1人5票なら、田辺さんも5票分ありますね」
「あは、さすが足立さん」
「あ?現場に出ない奴はマイナス5票だぞ」
「えーっ。ちょ、それ、差別的発言ですよ。僕だって一人前です」
「え、つまり、私達3人で1票ですか」
「はぁーあ、トクホサだからな、そんなもんだろ」
新宿警察署検視室。益田と田畑は検視の終えた里田の遺体を目の前にしていた。検視結果は出血死。他に外傷は無い事から、争う事なく、何かで心臓を刺された事によって死に至った、という事になった。
「やっぱり、出会い頭にアイスピックでグサ、か。だが待ち合わせしてるから通り魔じゃない。怨恨だな」
「アイスピック?」
マスクと手袋を外しながら、検視官の宇田律香が疑問を主張するような口調で口を開いた。益田と宇田もそれなりに親しいので、宇田のぶっきらぼうな口調にも益田は最早気にする事はない。
「アイスピックにしては少し太い気がするわね。それより、皮膚と心臓の傷口が、凍傷を負ってたわ」
「凍傷?って・・・何だよ」
「凍傷っていうのは、超低温のものに触れたりした時に負う、ヤケドね」
「俺は小学生か。そうじゃなくて、何でだって聞いてんの」
「そんなの知らないわよ。見てた訳じゃないし。まぁでも、そんな超低温のもので刺されれば、より強いショックは与えられると思うけど。ただ出血して死ぬより、心臓が冷えてれば体に冷えた血が回るし、早く死ぬわよね。でもだからって、心臓を刺されたら普通でもすぐ死ぬし、私には何の意味があるのか分からないわ」
「・・・そうか。死亡推定は24時前後でいいのか?」
「そうね、死斑も硬直も8時間以上のものだし、間違ってないと思うわ」
「その、どっかから動かしてきたとかは」
「ないと思うわ?心臓を刺されて、倒れて、そのまま」
従業員でもないのに居るのは、殺されてから運ばれたと思ったんだがな・・・。こりゃ、思ったより面倒だ。
里田の通っていた大学、帝憐大学。しかし里田は大学生とは名ばかりで、1ヶ月の平均出席率は約10日。SNSを通して関係者として判断出来る人物の1人、同大学の情報学部在籍の中島和真。2人が会いに行くと、中島はスーツを着た2人の中年男性の雰囲気になのか、まるで動物のようにただ小さな警戒心を伺わせた。
「中島和真か」
「まぁ」
「こういうもんだ。里田玲音の事で、ちょっといいかな」
校庭のベンチで、仲間内5人でたむろっていた中島は他の人と顔を見合わせる。その素振りを、益田は何かを知ってそうなものだと何となく判断した。すると直後、中島はどこか焦ったような、それでいてどこか呆れたような大人しい態度を益田に見せた。
「あいつ何かやったんすか」
「心当たりでもあるのか?」
「いや、ただロクに大学にも来ないのは、何かヤバイ事してるんじゃないかって、まぁ俺らが勝手に決めつけてるだけっすけど」
「里田は、何か普通にバイトとかしてたか?」
「家賃とか生活費は日雇いで稼いでるってのはチラッと聞いたっすけど、詳しい事は」
「SNSで繋がってんのに、友達じゃないのか?」
「大学に居る時には話しますけどね。プライベートはそんなに知らないっす」
同大学の建築学部に在籍している真北歌穂。講義が終わって講義室から出てきた真北は2人の刑事に呼び止められた。益田が警察手帳を見せると真北は動揺した様子ですぐに周りを見回し、人気の無い方へと歩き出した。
「里田玲音と、SNSでは随分と親しいみたいだけど」
「勝手に見たの?意味分かんない、プライバシーとか知らない訳?」
「その様子じゃ、里田が死んだ事知らないのか」
真北は益田を見たまま固まった。何も知らない人の、突然の訃報に対してのリアクションとしては当然だろう。
「里田の周辺の、里田に恨みとか持ってた奴を調べてる。知ってたら教えてくれないか」
しかし周りに配慮したような声で話す益田に、真北は酷く取り乱す事もなく、目線を落とした。だがそれは特段悲しんだりするような態度でもなく、ただ驚いているようなものだ。
「・・・恨み、とかは心当たりない。でも、犯罪に関わってるみたいな事、1回聞いた事ある。それでヘタしたら消されるとか言ってた」
「もうちょっと詳しい事聞いてないか?」
「え?んー、分かんない」
「最後に会ったのはいつ頃だ?」
「会ったのは、一昨日の夜8時。昨日は会ってない、昼にメール来たけど」
「そのメールの内容は」
「・・・言わなきゃダメ?こういうの、黙秘出来るんでしょ?別に、ただのメールだし」
「・・・まぁ名刺渡しとくから、何か思い出したら連絡してくれ」
「・・・はい」
確かに、待ち合わせして殺されるのは怨恨だけとは限らない。犯罪で結ばれた関係の中なら、尻尾を切るような殺しがあっても不思議じゃない。
「でも、SNSじゃそれらしいのありませんでしたし、パソコンの中のメールでも取引っぽいものは無かったですから。後はスマホですね」
新宿警察署鑑識係室。2人はそこに居た町田とテーブルに並べられた遺留品を眺めていた。衣服、靴、所持品。しかし所持品の中にはスマホの影も形も無い。
「スマホ、無いのかよ。いや、証拠になるデータでもあったんだろ。だから持ち去られた」
刑事課強行犯係のデスクに戻ると、そこには半数以上の刑事が姿を消していた。吉永係長が戻ってきた益田と田畑に気が付くと、吉永は待ち兼ねたように真っ直ぐ2人を見つめた。
「害者は里田玲音、歳は20。帝憐大学の大学2年生。新宿一丁目の家に行った後、大学に行きました。そこで、害者はどうやら犯罪に関わってるらしいという話が上がりました」
「そうか。今別件で帳場が立ってる。だから悪いが、そっちはお前らでやってくれ。必要な時は人寄越すから」
「そうすか。なら本庁の知り合いに、協力させていいすか」
「本庁、何で、まさか」
「はい、トクホサです」
「噂のお手伝い係か。あぁ分かった、けどいつも通り報告はこまめにな、まっさん、そういうとこたまに忘れるかなぁ」
「ははは、分かってますよ」
警視庁捜査一課特別補佐係室。所によってはお手伝い係とも呼ばれる為、基本的に捜査本部を出入りする事はない。何か分からない謎が発生し、直ちにそれを解決出来ない場合、手続きなど踏まずにふらっと立ち寄り、知恵を借りる。そういう立ち位置の係。10時20分、その時間、トクホサの小部屋で佐上の携帯電話が鳴った。
「おっ。益田だ。おう、久々だなぁ、どうかしたか、あぁ、あぁ、そうか分かった。じゃすぐ行くわ。はいよ」
「誰ですか?」
「新宿署の益田。まぁ柔道仲間だ」
「そうですか。事件ですか?」
「帳場が立たないから手を貸して欲しいんだと。行くぞ」
「はい、汐留さん、行ってきます」
「はい」
暗いグリーンの、丸みを帯びた屋根が可愛い軽自動車。佐上の愛車だが、ネクタイを着けずにスーツを着こなし、白髪染めと称して髪を赤く染めているような中年男には似合わない車。警視庁から約20分ほどで着く新宿警察署に入り、刑事課のデスクに向かうと、すぐに佐上は1人の中年男性に声をかけた。
「よぉ、田畑も生きてたか」
「そりゃもちろんですよ。どうも」
佐上と同年代の中年男性の傍に居た若い方は、佐上に親しげに応えるとそう言って私に会釈した。
「はじめまして、足立です」
「そいつは田畑で、こいつが益田」
「宜しくお願いします」
「あぁ」
佐上よりも幾ばくか笑顔ジワの深い益田。口調や態度からして同年代だろうが、佐上が奇跡的に若々しく見えるからか、佐上よりかは少し歳上に見える。だが無駄に髪を染めず、白髪混じりで自然体のその風貌は個人的にはナイスミドルと言っていいだろう。そして恐らく40歳前後と思われる田畑。中堅層ならではの、若々しさと落ち着きのバランスがよくとれた雰囲気。
「んじゃ係長、お邪魔しますよ」
「はいよ」
鑑識係室、遺留品と遺体の写真が並べられたテーブルの前。益田から発見時や検視の話を聞いた後、1枚の写真を手に取る。遺体の左胸に空いた穴を撮った写真。資料には直径11ミリと書いてある。
「凍傷、ですか」
「え、いきなり株の話か」
「東証ではありません、凍傷です」
「活字にしなきゃ分からない話すんな」
「ははは、いやぁ佐上、相変わらずだな。嬢ちゃん大変だろ、こいつ産まれた時からダジャレしか言わないから」
「もう慣れましたよ」
「そんな訳ねぇよ。俺の産まれた時知ってんのかよ」
「で、嬢ちゃん、第一印象は」
「心臓への一突き以外に外傷が無いって事は、振り向き様に刺したか、油断している時に刺したかです。でも働いてもいない場所、しかも真夜中で待ち合わせしてたら、そう油断はしません。相手が知り合いだとしても、警戒はしているはず。そんな相手に、いきなり近付いて心臓を一突きするのは難しいかと思います。例えば、明るい室内で殺されてから、あそこに置かれたとか」
「おいおい、死斑の事は」
「刺されて倒れたままの形で動かされたか、あるいは、死斑も硬直もピークになってから、運ばれたか」
「ああなるほど。んで、ゲソ痕が無いってのは?」
「ゲソ痕が付かない運び方と言ったら、例えばワゴン車から降りずに、後方ドアから害者を落としたか。それと、以前お手伝いした事件でもゲソ痕が出なかったものがありました。それはシリコンで作ったツルツルのサンダルを履いて犯行に及んだというものでした」
「そうか、それなら確かに足の指紋も出ないし、靴下とかの繊維片も出ないな。んじゃ、まず、検視前に親御さんから聞いた話だ、連絡を取るのはだいたい1週間に1度で、害者の友人関係はまったく把握してない。だから殺される心当たりなんて考えようがないとさ。んで、害者の家に行ったが、とりあえず郵便物とレシート関係じゃ最後の生存時間は分からなかった。それから大学で、ブログとかSNS関係で繋がってる奴らにも話を聞いた。1人、恐らく交際相手と思える女が、害者がどうやら犯罪に関わってるらしいって言ってた。だがパソコンからは目立った情報は見つけられなかった。所持品にスマホが無いから、詳しくはまだ何とも言えない。後は目撃情報と監視カメラだ。他に案件抱えてないなら、手伝ってくれると有り難いんだが」
「大丈夫です」
2日前。
帝憐大学。里田は中島達と校庭のとあるベンチでたむろしていた。その雰囲気は端から見ても柄の悪さは無く、言葉遣いは荒いが正に大学生達がたむろしている、というものだ。一方、そんな里田達とは例え同じ大学でも関わる事なく大学生活を過ごしている大勢の内の1人、皆藤海司はとある講義室に居た。休み時間は次の講義が始まる講義室で過ごすような人物。彼には里田のように賑やかな仲間は居ないが、里田のように言葉遣いは荒くない。かと言って特に周りから注目されたりするような人間ではなく、さながら雑草のような存在だ。彼は自分をそんな風に思っている。
昼休み、皆藤は食堂に居た。今の時代、大学生が1人で食堂で昼食を取っていると何故か話題になる。だからと言って1人で居ても誰かのからかいの対象になることもないし、そもそも印象的にからかい易い人柄ではない。そしてましてや当の本人が1番、1人というものに対して抵抗がない。孤独というものを寂しいものだとは思わない、彼はそう心に刻んでいる。そんな心持ちでも、傍目にはただ1人で昼食を取っているようにしか見えない皆藤に、数少ない知り合いがやってきた。皆藤の中では友達なのか知り合いなのかは分からないが、速水美依菜、勝俣博道が近くに座ると皆藤は表情を緩めた。3人の中で主に言葉を交わすのは勝俣と速水。皆藤というと、この場に限らず誰と居ても、彼はいつも受け身係。
昼休みが終わり、勝俣と速水が席を立ったその瞬間、いや、昼休みに限らず誰かと話していてその雰囲気が一旦の区切りを迎えた瞬間、皆藤は安堵する。と言っても皆藤は賑やかさが嫌いな訳でもなく、ましてや人と話す行為には嫌悪を抱く事は基本的にはない。また独りになったと思う半分、人の笑顔というものが傍にあるとふと、その穏やかさを客観視してしまい、何故自分が誰かと微笑み合っているのかと疑問に思う性分であるから。安堵するのは、結局の所、独りが気楽だからだ。
学校が終わり、1人で家路についている時、皆藤の携帯電話が鳴り出した。皆藤はジーンズのポケットから携帯電話を取り出す。すると画面には速水美依菜という名前が表示されていた。話の内容は簡単だった。指定されたカフェへの呼び出し。皆藤の頭に疑問が過る。まさかの告白?いや、それは流石に飛躍したかも。では告白でないとしたら何か。そう言えば少し声のトーンが落ち着いていた、学校では聞いた事のないような。でもそれは単に電話だからか。速水さんの前に着いた時、例えば隣に誰か居て、告白を断れないように見届け人を立てたとか。いや、2人でカフェで過ごしていた時にチンピラに絡まれて、かっこ良く追い払ってからの告白の方が良い。
カフェに入り、店員に待ち合わせですからと案内を断れないのはちょっと残念。何故なら、そもそも店員が案内するようなカフェではないから。2階の隅っこの席に速水は居た。しかも速水の向かいには男性の姿。まさか本当に誰か居るなんて。兄?親戚?恋人?見立て人?。歩み寄る中、頭は真っ白だった。皆藤に気付き、声を掛けてきた速水。しかしそのは表情はどこか切羽が詰まった感があった。ふと目に留まったのは、2人なのに3つのコーヒーがあるという事。
「いやぁどうもどうも、さぁどうぞ」
見知らぬ男性は人当たりの良さそうな雰囲気でそう口を開き、速水の隣の、コーヒーはあっても人の居ない椅子に手を差し出してみせた。とりあえず座るが、速水の表情、見知らぬ男性の飄々とした微笑み、既に用意されていたコーヒー、そのどれもが不安に駆られた。
「俺はソード」
現在。
新宿警察署鑑識係室。益田と田畑が里田の目撃情報を聞き込みに行っている時、トクホサはそこで遺体発見現場周辺の街頭監視カメラを確認していた。遺体発見現場に1番近い監視カメラに、死亡推定時刻までの数時間、遺体発見現場に向かう里田の姿は確認出来なかった。その代わり、早朝、遺体発見現場への方面に向かっている、長い包みを台車に乗せて運んでいる人物の姿が確認出来た。
「人ぐらいですかね」
「運ばれたって事は間違いなさそうだ。このまま足取り追ってみっか」
台車を押す人が来た方面の監視カメラを辿っていくが、その人物はまるで監視カメラの位置を見越しているように、その1つの監視カメラ以外に姿は見せなかった。
「俯いてるがとりあえず顔は掴んだ。後は益田達だな」
「柔道仲間って、大会でライバルだったとかですか?」
「まあな。俺が優勝した時、あいつは準優勝でな、歳も近かったし、配属は違ってもたまに飲んだりしてた」
「そうですか」
「・・・もしもし、俺だ、監視カメラに、でっかい包みを台車で押しながら現場の方面に向かう怪しい奴が映ってた。おう。ほう。はいよ。台車の奴の目撃情報も洗っとくから、害者の身辺、詳しく突っ込んでくれってさ」
「犯罪に関わっていたかも知れないという線ですね。町田さん、害者のパソコンから何か出ましたか?」
「シークレットファイルのパスワード、解読出来ましたよ」
「やるなぁ、チョウデン」
「ちょ・・・町田です。それ小学生の時のあだ名ですよ」
「気にしないで下さい。佐上さんはつまりそれくらいの精神年齢という事です」
「あ?蜂蜜とどっか遊びにでも行ってこいよ」
「蜂蜜は歩きません」
「じゃあ飛んで貰え」
「蜂蜜は飛びません」
「あの、ファイル、見ないんですか?」
ファイルに入っていたのはメールだった。一方の名前は里田玲音だが、里田と連絡していたのはSWという名前。しかし名前に対して考えを巡らす以前に、そのメール内容に目を奪われた。最後のメール、差出人はSW。要約するとそこには、株式会社サザナミ土木への恐喝を指示する文面、報酬額の提示の2つが書かれていた。
「ビンゴだな」
「死語じゃないですかね」
「じゃあ何て言うんだ」
「え、あの・・・ドンピシャ?」
「・・・いや違うだろ。送信者は特定出来るか?」
「それが、ちょっと無理っぽいんですよね、海外のサーバーを経由してるみたいで」
「んだよ」
「佐上さん、現場見てみましょうか」
「そうだな」
遺体発見現場となった株式会社サザナミ土木。当然ながら現場保存の為に業務は再開されていない。工事現場全体を囲む規制線は外されたものの、変わらずに目を光らしている制服警官に警察手帳を見せ、工事現場の敷地内へと足を踏み入れていく。プレハブに入ると、事務所となっているそこには2人の男性が居た。
「警視庁捜査一課の足立です」
「佐上です」
酷く意気消沈したように落ち着ききっている、50代と思われるスーツの男性、三木田範久と、益田からの第一発見者の話と一致する30代と思われる作業服の男性、大村は黙って会釈してみせた。
「いきなりすみません。今一度、お時間を取らせて頂けたらと思いまして。被害者の、里田玲音さんと、面識は」
「いえ、無いですよ。そう最初の刑事さんにも言いましたが」
大村がそう応えながら2人の刑事に歩み寄る。
「そうですか。では、過去に、この会社が、被害を受けたような事はありますか」
「会社が、どういう事ですか」
「例えば恐喝にあったとか」
大村が三木田に振り返ると、大村と目を合わせた三木田はすぐに目線を逸らしていく。心当たりを巡らしている仕草だと思えば不自然ではない。だが、冷静過ぎるその態度はまるで心当たりがあるかのようにも伺える。
「ありますか、心当たり」
「部長」
「ありませんよ、そんな事」
なら前例は無いというだけだろう。里田のパソコンのファイルに入っていたメールが事実なら、里田を殺した被疑者はまさかそのメールを知っていて、犯罪を防いだという事になるのだろうか。でももし、部長さんが嘘をついているなら、サザナミ土木の人間には、里田を殺す動機があるという事だ。
「例えば、嫌がらせする為に遺体を置いたなどは考えられませんか」
「嫌がらせ、ですか」
「もしかしたら、ただガードフェンスで人の目を遮りたかっただけかも知れませんが、狙ってここに遺体を置いたと仮定した場合、そういう嫌がらせを受けるような心当たりはないですか。本当に小さなものでもないですか」
「いやぁ、そう言われましてもねぇ」
再び大村が三木田に振り向く。しかし三木田はすでに自分の考えに自信を持っているかのような強い眼差しを私に見せた。
「我が社に、そんな汚点はありませんよ。あなたの仮定は前者の方なんじゃないんですか?たまたま人目に付かない場所があったから遺体を置いた、それしかありません」
「じゃあ、お時間取らせてすみません、ありがとうございました」
「嬢ちゃんどっちだよ」
佐上の愛車に戻ると、佐上がそう口を開いた。
「部長さんが言ってる事は嘘、という線で」
「だな。けど、物証を掴まないとあの強情そうな部長は崩せそうにねぇ。あのSWっての、どうすりゃ割れっかなぁ。何かの頭文字じゃねぇか?」
「例えば」
「エスだろ?す、す・・・ああっ」
「な、何ですかいきなり。痛風ですか」
「んな訳ねぇだろ。ソードのスペル。SWORD。最初の2文字。SW」
「あ、確かに」
「あぁ、くそ、あのバカ造、てことは、里田を使ってサザナミ土木を潰そうとしてたのか?なら、サザナミ土木にはやっぱり何かあるってか」
「何で里田は殺されたんですか?そんなお兄ちゃん、いえソードが、そんなヘタを打つでしょうか」
「犯罪プランナーは所詮プランナーだぞ?実行犯は素人だ、ヘタくらい打つだろ。ったくブラコンか?」
「ち、違いますそんな事、ないですから。その、SWがソードでないと仮定してみましょう」
「捜査にブラザーコンプレックスを挟むなよ」
「止めて下さい。捜査方針決めるのは主任の私ですから」
「うっわ、出た出た。潔くブラコン挟みやがって。ったく、で、SWがソードじゃねぇなら、何すんだ?」
「SWと里田のメール、徹底的に調べましょう」
2日前。
とあるカフェ。皆藤は速水、そしてソードと名乗った男とコーヒーを飲んでいた。傍目から見れば3人はただコーヒーを飲んでいるように見える、しかし皆藤は頭の中を巡らせていた。ソードって何だ?日本人顔のクセに。まさか、あの可哀想なキラキラネーム?でも僕より歳上だ。いや、名前なんてどうでもいいか。ペット感覚で人の名前を考えるバカが居るってだけだ。ガキ親が溢れてる、ただそれだけ。
「皆藤くん、速水さんの友達だよね?」
その瞬間、皆藤の脳裏に友達という言葉が走った。皆藤ははいと応えたものの、頭の中に居座る友達という言葉は彼のあまのじゃくな心を揺さぶる。僕には友達は居ない。速水さんは、話す人。だからと言って、彼は本心を表に出さない。本心を出したところで、その場の空気が好転する訳じゃない。そんな細かい事をいちいち訂正するより、話の腰を折らない方がマシだ。自発的な言動をした時に限ってロクな事は起きない、それが僕の人生。
「ちょっと速水さんが、大変でね。皆藤くんの力が必要なんだ」
初めて会った人にそんな事を言われて心が動くほど、僕は善人じゃない。でも速水さんが大変、その言葉で、疑問は冷静さを連れてくる。
「速水さんのお父さんが、大変でね。病気とかそういう類いじゃないんだ。皆藤くんは、ヒーローは好きかな。戦隊ものとか仮面ライダーとか、ウルトラマンとか」
ヒーロー。そんな、単純で、道徳的で、スケールのでかいもの、一言では、いや、はいかいいえで応えれば良いだけか。まぁそれなりに、そんな言葉を返した皆藤はまた頭の中を巡らせていた。絶対的正義とは何か。子供の客層を重きに置いているからこそ、道徳的なものを単純に伝えなければならない。それがヒーローもののコンセプトであり、最大の特徴。
「俺も好きなんだよねぇ。それで皆藤くんに頼みたい事っていうのが、その悪者退治なんだよ」
ソードは微笑んでいた。何だか胸騒ぎが止まらない。悪者退治、とは。その笑みは、直感的に意味深なものを感じた。ふと速水を見る。その顔の色の無さは、まるで鏡に映った自分のようだった。
「でもこれはあくまで速水さんが望んでいる事だから、俺は作戦参謀だ。皆藤くんは、速水さんのお父さんの事は知らないよね。弁護士なんだけど、まぁ簡単に言えば悪人っていうものだよ。自分にとって都合の悪い事はすぐに揉み消して、更には自分自身も悪い事をしてる」
全然知らなかった。速水さんとはそこまで仲が良い訳じゃないし、見た目だって雰囲気だって、家柄の良い娘だろうなくらいにしか思ってなかった。でも本当にそうだとして、じゃあ今までの清楚な人柄は、どうやって作り出されたものだろう。人の心の中は、本当に分からない。
「改めて言うけど、これは速水さんが望んでる事だからね。でも1人じゃ力が足りないから、俺と皆藤くんが力を貸すんだ。元々、俺は速水さんのお父さんの裏の顔とか、その繋がりとかを調べてて、それでこれはたまたまなんたけど、俺のサイトに速水さんの書き込みがあって、それで会う事になった」
人の裏の顔を調べるような、仕事?サイトがあるらしいが、少なくとも僕は知らない。そもそも、この人は、どういう人なんだ。そんな彼の頭の中を見透かしてか、ソードはまた微笑んだ。ミステリアスで、少し怖くて、この人には勝てない、皆藤はそんな風に思った。
「道具とか手順は全部俺に任せてくれればいい。それにこれは俺にとっては慈善事業だから、お金の事はまったく気にしなくていいからね」
速水は虚ろな表情で黙って頷いた。隣でそれを見ていた皆藤の心は怯えていた。2人の中では話が進んでいる、でも僕だけ何も理解出来ていない。一体、何の話だろう。それ以前に、臆病者でクズの僕に何が出来るだろう。
現在。
新宿警察署刑事課強行犯係のデスク。トクホサの2人、益田と田畑は係長の吉永の前に居た。
「遺体発見現場付近の監視カメラに映っていた、現場の方に向かう台車の人物の目撃情報は上げられなかったです。更に害者の目撃情報も上がりませんでした。なので殺されてから姿を隠されて運ばれたという線が濃厚です。それと害者と同じ大学の大学生から、大学の近くで害者が、弁護士の速水勝也と一緒に車から出てきたのを見たという情報が上がりました」
「害者のパソコンのシークレットファイルに入っていたメールの、SWという人物についてはまだ分かりません。ですがSWからのメールの中で、害者に迎えを寄越す際に、坂町という者を使わせるとありまして、害者からのメールの中で、SWを先生と称しているものがありました」
益田に続いて私の報告が終わると、吉永はうんと一言、区切りを付けるような返事を上げた。しかしその後の続きを任せるように、吉永はそのまま私を見た。
「もしかしたら、その弁護士の速水というのがSWだという可能性は高いと思います。坂町と速水の繋がりの裏を取った後、速水に接触してみるべきかと思います」
「そうだな。じゃ、引き続き頼むよ」
新宿警察署鑑識係室。速水法律事務所のホームページには事務員の紹介ページがあり、坂町相実の名前があった。益田達が速水法律事務所に向かっている間、町田は里田と速水弁護士が乗っていた車を確認していく。
「足立お前、SWの意味分かったのか?」
「ソードではなく、速水がSWなら、恐らく、スピード・ウォーター、とか」
「速い水だしなぁ、まぁそんなもんか。それなら、里田を使ってサザナミ土木を恐喝しようとしてたのは、速水ってこったな。なら、やっぱり里田をやったのはサザナミ土木の人間だってこった。里田と速水の関係より、サザナミ土木をもっと突っ込んだ方が良いんじゃねぇか?」
「では、サザナミ土木の人間が犯人ではないと仮定してみましょう」
「はぁ?」
「何事も決め付けはダメですから」
「じゃあ、里田と、速水の関係がもつれた、か?あっ分かった。お前が考えてるの、あれだろ」
「あれ?」
「速水と里田の事を知って、サザナミ土木が恐喝される前にソードが里田を殺した」
「私はその可能性が高いと思います」
「けど遺体を置いたら、サザナミ土木に迷惑がかかるぞ?」
「つまり、迷惑がかかるのが嫌な理由がある。サザナミ土木も、ソードのターゲットの1つ」
「けどなぁ、お前だって、それも相当な決め付けだろ。事件に巻き込まれるのはどこだって嫌だろ。そんなにお兄ちゃんに会いたいのかよ」
「違いますそんな。会いたいからじゃありません。捕まえたいんです」
「そんなの、お前だけじゃないだろ。ソードに繋がってようがなかろうが、事件に私情を挟み過ぎるな」
「・・・分かってますよ。真面目な事言わないで下さい。東京に大雪寒波来ちゃいます」
「来ねぇわっ」
「あの、監視カメラ映像、出てますけど」
里田と速水が会っていたという証言が裏付けられた事を、佐上が電話で益田に伝えた時、益田達は速水法律事務所、応接室に居た。その応接室で益田と田畑の前に座るのは速水勝也、秘書の坂町相実だ。
「では伺います。速水さんと里田玲音が、この事務所の前に停まった車から一緒に出てきたというのを確認しましたが、里田との関係は」
「彼は、研修中の事務員でした。まだバイトでしたが、大学を卒業したら、まぁまだ口約束ですが正社員になると」
自分の事務所の事務員が事件に巻き込まれたというのに、まったく冷静な態度だ。一方坂町は俯いていた。その方がリアクションとしては自然だろう。
「随分と冷静ですね」
「こう見えても多忙なものでね。殺された事は大変痛ましいですが、例え身内でもいちいち構ってられませんから」
「話は変わりますが、サザナミ土木という会社をご存じですか」
「えぇ。知ってます」
「この事務所と、仕事上で関係を持ってますか」
「えぇまぁ。殺されたのがサザナミ土木が請け負う工事現場でだとマスコミから耳にしました。まさか、サザナミ土木と私が事件に発展するような関係をお持ちだと?」
「それを調べるのが我々の仕事ですから」
「そうですね。ですがそんな黒い関係、微塵もありませんよ」
「そうですか」
事務所を出てすぐ、益田は佐上に電話をかけた。
「今終わったぞ。速水、里田の事は研修中の事務員だと。SWについては、速水のパソコンを調べれば分かるかも知れないが当然任意提出は拒否だ。けどサザナミ土木とは仕事関係だ。あぁ。とりあえず速水の身辺を洗おうと思う。あぁ分かった。じゃ。あいつらはサザナミ土木にもっと突っ込むってよ」
「そうですか」
2日前。
午後11時頃。皆藤は速水美依菜と共にとある小さなホテルの一室に居た。皆藤にとっては生まれてから20年、初めての女性関係。傍目にはただラブホテルに入っていった2人の大学生。しかし彼女の心の中には絶望と決意があり、彼の心の中には虚無があった。皆藤の心の中には速水への恋心があり、それを彼自身も自覚しているが、同時に今まで恋愛経験が無いから、ただ女性に飢えているという事もまた自覚している。そんな皆藤の心の内を知ってか知らずか、速水は皆藤をラブホテルへと誘い、謝罪の言葉で願いに釘を刺し、ベッドへと誘った。皆藤は常に、頭の中を巡らせていた。この何もない人生が、人の役に立つのなら。この何もない人生が、変わるなら。速水さんはきっと、僕よりも絶対的なんだろう。そして僕よりも、少し弱い。
朝帰りする事自体は初めてではないが、家路を経て玄関を開ける時、いつもの自分の座椅子に腰を下ろす時、その心の内は少しだけいつもと違っていた。初めて感じるものだ。しかし当然ながら、お帰りと言って姿を見せた父、母は何も知らない。どこ行ったの?何したの?、まるで定型文のような母の問いに適当に応えながら、ただ居るだけの親の顔を見る事もなく、ただ朝食を取る。傍目にはただの一家団欒の風景だろう。しかし皆藤はそんな時でも頭の中を巡らせる。親から教育を受けたという実感が無い人生。この世の中には、本当に子供の事を考えない親が多い。親が死んだ後の事を考える、それが子育て。産まれたその時から、子供の30年後を考える、それが子育て。こんなクズでも分かってるのに。何もない人生。自立のイロハ、その1%も教えられてない人生。メシを食わせ、学校に行かせれば子育てとか思われてるクソみたいな人生。ペットかよ。メシを食わせて学校に行かすだけなら、児童養護施設でも出来るっつうの。いや、どうせ僕が悪いんだ。産まれたその時に、こういう風に育ててねと、親に言わなかった僕が悪い。どうせ産まれた瞬間から、僕以外の人類は自立してるんだろう。結局僕がクソなだけ。
現在。
株式会社サザナミ土木前。足立と佐上がその場所に着いた時、足立の目がふとトラックに留まった。サザナミ土木の向かいにあるコンビニの横道に停まるトラック。そこではコンビニの制服を着た人が、トラックの荷台からコンビニの商品をコンビニへと運んでいた。
「あっ」
「何だ足立。アイス食わないといじける病か?」
「あのトラック」
「ああ。あ?」
「車載カメラですよ。サザナミ土木の真正面、もしかしたら遺体発見時刻、トラックが居れば映してたかも」
運転席に戻り始めた時に声をかけると、運転手はドアに手をかけたまま止まった。
「すみません、突然。こういう者です」
「え、はい」
「車載カメラについてお伺いしたいんですが。昨日の夜12時頃もここに停まって、この道路を撮ってましたか?」
「えー、いえ、夜の品入れは10頃なんで」
「そうですか、ありがとうございました」
まるで風船が萎むような脱力感が胸中を襲った。しかしトラックが走り去る最中、ふとコンビニの店員に目が留まる。
「佐上さん、アイス食わないといじける病って何ですか」
「遅ぇよ」
遺体発見から9時間前。
午後11時20分。皆藤はトラックの荷台に乗り込んだ。そして直後、トラックは動き出した。ソードの説明ではそこには作戦遂行の為の道具がある。ソードから渡された懐中電灯で荷台の中を照らすと、見えたのは手袋、シルバー一色の肩掛け紐の付いた円筒、そして何やらライフルっぽい形をしたもの。
「コンビニの監視カメラ、サザナミ土木撮ってませんかね」
「だと良いけどな」
ドアを開けるとお客が入った事を知らせる入店音が店内に響き、直後にそのチャイムに紛れて店員のいらっしゃいませという言葉が聞こえた。
「すみませんこういうものですが、ちょっとだけ良いですか」
「え」
20歳前後の女性店員は戸惑い、別の店員へと顔を向ける。
「私ですか」
「ああいえ、出来れば昨日の夜12時に居た店員さんに話を聞きたいんですが」
「店長呼んで来ます」
すると連れて来られた40代の女性店長も、何の話かというような顔でレジカウンターから出てくる。しかしそんな表情はもう慣れきってるので、さっさと店長を店の外へと連れ出し、サザナミ土木へと注目させる。
「監視カメラは、この方面映してますか?」
「いえ、ギリギリ駐車場までしか。もしかして、サザナミ土木の付近に怪しい人が居なかったか、ですか?」
「あ、はい実は。何か知ってますか?」
「怪しい人は見てません。でも今朝は、いつもの時間じゃないのにトラックが入っていって、しかも5分も経たずに出ていったので、何か変だなと」
「トラックですか。何時頃でしょう」
「7時・・・半過ぎくらいだと思います。それともう1つおかしな事があるんですよ」
「え?」
すると店長は周りを気にするような素振りを見せ、そしてまるで噂話をするように顔を少し寄せてきた。
「いつも朝は8時過ぎくらいに車が来るんですけど、3日前から急に車が来なくなってたんですよ」
「それで」
「・・・それだけです。でも一日中ですよ?車も人も入らないんです。変ですよね?まるで何もしてないみたい」
「そう、ですね。因みにトラックはどっちから来てどっちに行きましたか」
「あっちです。帰りも同じです」
店長が指を差したのはコンビニから見て左。左から来て左に帰る。それは見るからに、何かを置いてきた、そんな動きだ。
「大きさは」
「えーと、さっきまで居た配送のトラックよりは全然小さいくらいです」
「色は」
「シルバーです、よく見るタイプの」
「夜の12時頃は、誰か怪しい人は見ましたか?」
「いいえ。流石に常に見てる訳ではないですが、特に変わった事はなかったです」
「そうですか、ありがとうございました」
遺体発見から8時間30分前。
皆藤が乗るトラックが停まった。皆藤が荷台から降りると、そこはとある小さな廃工場だった。肩に掛けた円筒の紐を掴む、手袋を着けた皆藤の手は微かに震えていた。そんな皆藤の気持ちを察してか、運転席から出てきたソードは微笑んでいた。
「大丈夫だって、俺が居るし。俺はプロだから」
店長と別れた後、その足でサザナミ土木に入り、再びプレハブへと入ると、そこには三木田と大村の他にも2人の従業員の姿があった。しかしその空気は活気などまるでない。さながら何も知らない従業員がいつものように出勤してきて、何も出来ずに静まっている状況だろう。
「大村さん、ちょっと宜しいですか」
大村が頻りに三木田へと目線を送るのには、何か意味があるのだろうか。それともただ不安なだけなのか。大村と一緒に三木田もプレハブを出てくる中、まるで通夜のように静まっている従業員達をふと見ていく。これからどうなるのだろう、だいたいそんなところだろう。
「今朝7時半過ぎ、この現場にトラックが入ったと聞きました。誰が来たかご存じでしょうか」
大村は三木田を見た。それは驚いたような表情ではあるが、単に応えるのを三木田に委ねるような素振りだと思えば不自然ではない。
「シルバー一色の小さめなトラックと聞きましたが」
「いえ、そんな話は、今初めて聞きました」
「あの、因みに、今日は仕事でいらしたんでしょうか」
「はい?」
「3日前から、まったく車の搬入も人の出入りもしていないという証言があるもので、もしかしたら、何かトラブルでも起きてるのではないかと」
大村は三木田へ顔を向けず、俯いた。その素振りは目立つものではなく、癖が出なかったと思えば不自然ではない。しかし三木田も同じく、目線を少し落とした。
「速水勝也さん」
直後、2人は顔を上げた。2人のその眼差しは正に意表を突かれたかのような丸いものだった。
「ご存じですよね?亡くなった里田さんへ、速水さんからの、サザナミ土木への恐喝を指示するメールがあります。何もしてないのに恐喝されるのはおかしいですよね?本当は、何かすでに弱みを握られてるんじゃないんですか?」
「だから、我々が、その里田という人を殺したと?」
「いえ?そうは思ってません」
再び2人は目を丸くする。
「だから話してください。これから、あなた方が本当に何かしてしまう前に、穢れを落としませんか?」
2人は揃って俯いた。しかしすぐに三木田が顔を上げた。その表情は諦めを伺わせるものだ。だが同時にその眼差しは、どこか期待を寄せてるようなものに見えた。
「着服、です。建築材料を多く見積り、実際にはそれより安く、少なく買い付ける。それで余った分を、自分の懐に。その事で、速水弁護士に脅されてます。3日前からです。それで、作業を中断せざるを得なくて」
遺体発見から8時間20分前。
とある廃工場。ソードがその中で待っていると、やがてそこに里田玲音が姿を現した。皆藤からしてみれば、里田は言葉も交わした事のない相手。例え同じ大学でも、見かけた事はあるかという問いにもすぐには応えられない相手。だから何とも思わないという訳ではないが、皆藤は躊躇なく、ソードに歩み寄る里田の背後に忍び寄った。もし失敗したらどうしよう、もし見つかったらどうしよう、こんな時でも皆藤は頭の中を巡らせていた。速水さんとの関係の行く末は。いやその前に、もし警察が来たら何て言おう。里田の背中が近くなる。同時に鼓動が早まり、何だか血の気が引いていく。同時にまるで、胃が鉄球のように固く、重い。直後、ソードの眼差しの後を追うように、里田がこちらに振り返った。そして、皆藤の思考が止まった。
「ほら、大丈夫だったでしょ?」
ソードの言葉で、皆藤の思考が再稼働した。大丈夫、とは。しかし同時に、皆藤は自分が落ち着いている事を自覚していた。人間の遺体を間近で見たことがない訳じゃない、葬式というものは経験したし、納棺だって体験した。でもそれが理由じゃない。どうせ僕は最初からクズだし、地球上で唯一、戦争をする生物である人間は最初からクズだ。こんなの、大した事じゃない。
「さて、また来るのは8時間後だ。それまで、ゆっくり休んでね」
現在。
主犯の三木田、共謀していた大村、2人を新宿警察署の刑事に連れていって貰った時、佐上は電話を掛けていた。相手は益田だ。
「サザナミ土木が落ちたぞ。速水は黒だ、サザナミ土木を脅してる。あぁ出たよ、バッチリな。ん、そうだな。はいよ」
「逮捕状ですか?」
「あぁ。これで速水も終わりだな」
「では、謎のトラック、追いましょう」
「だな。てかそもそも、何でトラックで運んできたんだろな」
「サザナミ土木のタイヤ痕に紛れる為でしょう」
速水の罪状は恐喝だろう。なら誰が里田を殺したのか。サザナミ土木でないなら、速水か。それとも、本当にソード、お兄ちゃんの仕業か。それなら――。
「やっぱり止めましょう」
「はぁ?やっぱりアイス食わないからいじけ始めたのか」
「行き先変更です。速水法律事務所、そして速水弁護士を張り込みましょう」
「ああ、速水にアイスを奢って貰うのか」
「もしかして、佐上さんがアイス食べたかったりして」
「・・・え?」
佐上の車に戻るが、佐上はシートベルトに手を掛ける素振りを見せず、悠々とソフトクリームを一口食べた。まさか、この世に本当に、アイス食わないといじける病があったとは。確かに、春先にしては今日は少し暑い。朝のお天気お姉さんもそんな事言ってたっけ。
「何で、速水んとこに?そりゃあ逮捕しに行くのは明日になるだろうが、見張りなら新宿署の奴らで良いだろうよ」
「凶器とゲソ痕を残さない、その手際の良さはやっぱり素人じゃない人の犯行か、そういう人がバックに居る可能性が高いという事です。そもそもあの工場現場に何故遺体を置いたか。それは速水弁護士の裏の顔を知っていて、サザナミ土木から道連れにして速水弁護士の悪事を暴く為。ソードは、犯罪者を狙う犯罪プランナーです。つまり、ソードの最終目的は、速水弁護士の命。今からでも目を放さないようにしなければなりません」
「やっぱり、ソード絡みかねえ。でもたかが恐喝だろ?そんな小悪党弁護士の命まで狙うかねえ」
「それは、本人から聞きましょう。どうにか今日中に、いえ今すぐ引っ張れませんかね」
「じゃあ、ほら、益田に電話してみろ」
「あ、はい」
加齢臭、移らないかしら。
そんな思いが頭を過り、画面を頬に当てるのを一瞬だけ躊躇してしまう。しかし佐上は幸いソフトクリームに夢中になっていて、内心で気付かれなかった事に安堵した。
「どした」
「いえ」
「・・・はい」
「・・・あ、もしもし、私です足立です」
「え?何でだ、佐上は」
「今ちょっと、ソフトクリームに夢中なんです」
「園児か」
「あの、今逮捕状請求してるんですよね?」
「あぁ」
「速水弁護士の事なんですけど、今すぐ引っ張れませんか」
「何で」
「身を守る為です。里田を殺した被疑者が、速水弁護士にも危害を加える可能性が高いです。もしかしたら命が危ないかも」
「根拠は」
「何故遺体をサザナミ土木に置いたか、それは被疑者の狙いは最初から速水弁護士だからだと私は思います」
「それは、あくまでも仮定だろ。害者からホシを追う方が確実なんじゃないのか?それが仕事だろ」
「それは、そうです。でももし、やらなきゃいけない事をやっている時が、被疑者の時間稼ぎだとしたら」
「・・・んー」
「相手は犯罪プランナーの可能性もあります」
「犯罪プランナー?何だよそら」
「この前の、斎藤建設爆破事件の首謀者です。その犯罪プランナーは、標的の命を躊躇なく奪います」
「だからって、任意でしか引っ張れねぇぞ?相手は弁護士だからな、行っても忙しいとかで相手にもされないだろ。それに任意で引っ張るにもそもそも速水に罪を認めさせなきゃ、例え狙われてるっつっても連れられねぇんじゃないか?それこそ礼状が必要だ」
「でも、行くだけ行ってみます」
「・・・分かったよ。三木田達から調書取って礼状取って行くまで、粘れよ?」
「はい」
携帯を佐上に返すと、佐上はドリンクホルダーにソフトクリームのコーンを置いた。そして携帯を胸ポケットにしまいながら、佐上は途端に真剣な表情を見せた。
「まぁまぁだな」
「わざわざ何で私に電話させたんですか」
「何事も経験だ。じゃ行くぞ」
佐上がエンジン作動スイッチを押し、車を走らせ始めた頃、皆藤は速水法律事務所に向かっていた。1人で街を歩いているだけなのに、皆藤は頭の中を巡らせていた。街は何も変わっていない、人知れず、人が死んだのに。まぁマスコミは居るけど。これが世界か。速水法律事務所はなるほどそれなりに大きなビルに入っている。だけど、速水弁護士の裏の顔こそ、世界が知るべき事。速水法律事務所の玄関口はガラス張りで、その手前には数段だけの階段がある。怪しまれないだろうか。そんな事を考えたらいけないんだろうと考えながら、皆藤はドアを開けた。目の前には花の飾られたカウンターがあり、受付嬢が居た。しかし直後、受付嬢は貼り付いた微笑みを薄めた。大学生が1人で、というより、醸し出す暗く怪しい雰囲気を感じ取ってしまったのだろうか。一気に緊張が膨らむ、同時に胃がキュウっとなった。速水弁護士の裏の顔、幾つもある中の1つ、山賀警備保障という警備会社との繋がり。その事を出せば、いくら忙しい弁護士でも顔を会わさずには居られないだろう。ソードはそんな事を言っていた。ソードの指示通りに伝えると、何となく怪しそうだと思っているだけで特に何か言う事なく受付嬢は受話器を取り、速水弁護士に内線をかけた。
受付嬢が速水弁護士と内線を繋いだ頃、足立と佐上が乗る車は速水法律事務所の前で停車した。
「コーン、ちょっとだけ食っていいか」
「ダメですっ」
ドアが閉まる音が小さく鳴り、足立と佐上が足を運び出す。1階のエレベーターホールへの大きなドアの右側にある、数段しかない階段を上がり、速水法律事務所専用のドアを2人が開けた頃、皆藤はエレベーターに乗っていた。3階で止まったエレベーターのドアが開くと、仕切りやドアは無く、目の前が速水弁護士の自室となっている。応接室にあるようなソファーとテーブル、そして自分用のテーブル。確かにそれらは必要だが、それらを差し引いてもそこは幾分広い部屋。家具の一つ一つが無駄に豪華なのは、やはり悪行で荒稼ぎしたものを形にしたという、一種の力の誇示のようなものだろうか。
そこに言葉が響くより早く、皆藤はエレベーターに乗っている間にバッグから出したクロスボウを、自分用のテーブルに着いていた速水に向けて構えていた。
「や、止めろ、お前は、何だ」
初めてそこに言葉が響いた頃、足立と佐上は受付嬢に警察手帳を見せていた。
「速水弁護士は居ますか」
「えぇ」
「会わせて貰えますか」
「今ちょうど、お客様を対応してますので」
「そうですか。因みにどちらに居ますか。緊急性があるので教えて下さい」
「えっ。は、はい」
黙って素早く速水に歩み寄っていく皆藤の思考は止まっていた。ただその頭の中には、ソードの言葉が焼き付いていた。ためらうな。新たに言葉が響く事なく、直後に皆藤は引き金を引いた。銃声もなく血飛沫もなく、速水は椅子に座ったまま静かにうなだれ、同時に皆藤の思考が再稼働した。クロスボウを持つ手はだらんと力が抜け、自然とため息が洩れた。終わった。いや、始まった、いや、狭まった?いや・・・確定した。うん、そうだ。これから、警察に――。振り返ったその瞬間、エレベーターのドアが開いた。そこに居たのはスーツの女性と、赤髪のいかつい男性。ああ、悪行仲間か。
「おいっ」
するとエレベーターを出るや否や、男性はそう声を上げ、女性は胸ポケットに手を入れた。撃たれる?・・・。どうしよう、こんなの聞いてない。
「動くなよ?」
「警察です」
・・・警察。確かにあんなすっきりとした美人の悪党なんて居ないか。じゃあもう1人は、マル暴的な人だろうか。
「捨てろっ」
クロスボウを捨てると男性刑事は鋭い眼光で睨み付けてきて、女性刑事は速水の下へと歩み寄り始めた。
「お前がやったんだな?」
「佐上さん、死んでます」
あ、返事のタイミング、食われた。
「応えろ。お前がやったんだな?」
頷いてみせると佐上という男性刑事は小さく頷く。しかし距離を保ったまま変わらずに鋭い眼光を見せてくる。そのがたいの良さとその眼光、確かにすごい迫力だ。そんな時、女性刑事は電話をかけ始めた。救急車ではない、応援を要請している口振りだ。
「まさか、里田玲音もお前か?」
なるほど、そこからちゃんとここまで来たのか。
頷いてみせると佐上は再び小さく頷き返し、クロスボウを見下ろした。
「こんなもん、どこで手に入れた」
「ソードですか」
女性刑事の言葉に思わず振り返ると、女性刑事は聡明そうな微笑みを浮かべた。頷いてみせると女性刑事は小さく頷き、同時に小さくため息を吐いた。それはどこか悲しそうで、安堵したようで、呆れたようだった。
「自分からならまだしも、そそのかされて何してんだよ、人殺しだぞ、分かってんのかよ」
「刑事さん、どうして、法律があるのに、犯罪が無くならないの」
「あ?」
「どうして、犯罪は無くならないの」
「ソードの若造みてぇな事言ってんじゃねぇよ。犯罪を犯したら罰を受ける、それだけだ。それが世界だ。お前は犯罪を犯した、だから罰せられる、それだけだ」
「犯罪が無くならない世界に、何の価値があるの。そもそも、戦争してきた人類が、命とか人権とか語る権限なんて無いのに。刑事さん、霊長類ヒト科は、同種族で殺し合う、そういう生態系なんだ。それにそもそも、人殺しがいけないなんていう法律は無い」
「はぁ?・・・まぁいい、応援が来るまで聞いてやる。じゃあ今の法律は何だ」
「事が起こった時、周りが納得する為のもの。事が起こってからしか、効果は無い。法律は、人殺しそのものを否定してない」
「罰が下る事自体が、否定だろ」
「・・・罰。この世には、罰を背負ってでも、やる価値がある事がある」
「エゴだな。この世で1つしかない命を消す以上に価値がある事なんてねぇ」
「僕は、人殺しがしたいから殺したんじゃない。人の人生を守る為に、その人を脅かす人を殺した。人の命は、法律より大事でしょ?」
「まぁ・・・ソードが裏に居るんなら、速水の裏の顔、知ってたんだよな」
「ソードから聞いたのは、恐喝と、暴力団への資金提供、殺人」
「マジかよ。でも、人は、産まれた時から悪人なんて事は絶対にねぇ。命そのものに、罪はねぇ」
「確かに僕は人殺し、犯罪者。でも、僕は人の心を救った。それだけで生きていける。人の心を救えたなら、罪くらいどうでもいい」
「てか、殺人までして守りたい奴って、誰だよ。速水の被害者か」
すると彼は急に口ごもった。しかし今まで色の無かった横顔に、微かな綻びが伺えた。それは緊張が解れたようで、戸惑うようで、どこか安堵したようなものだった。
新宿警察署取調室。その一室には現在皆藤、益田、田畑の姿がある。当然書記は居ない。カメラがあり、取調室を監視する取り調べ視聴室があるのは最早常識だ。足立、佐上は3人の居る1番取調室を映すモニターの前に居た。
「里田玲音を殺した時の凶器はどこだ」
「無いです。ドライアイスの矢だから、朝にはもう無くなってる。そういう作戦です」
「クロスボウも、そのソードってのに渡されたのか?」
「はい」
里田玲音に関して、続いて速水弁護士に関して、皆藤は淡々と話していった。犯罪を犯した者だって喪失感に見舞われる事はある。例えば復讐を遂行し、怒りや憎しみといった想いが燃え尽きた時、そこまで行かなくても、本当に人を殺してしまったと罪の意識に押し潰された時。その場合、大抵被疑者からは大人しく反省が伺えたり、または泣きじゃくったり、少なくとも目の前の警察官に悪態をついたり、八つ当たり出来るほど余裕のある状態ではない。でもモニター越しの皆藤は冷静どころか、まるで初めて来た場所に好奇心を持つ子供のような態度、まるで取っ掛かりが取れてすっきりしたような態度だ。
「お前には何の関係もないのに、何で殺した。ゲームじゃないんだぞ」
粗方聞き終えて、ここからは動機の話だ。益田のそんな問いにも、皆藤は至って冷静さを無くさない。現場に入って数ヶ月、こんなに、心が読めないのは初めてだ。
「人を助ける為、その人の人生を救う為」
「誰を?」
「速水弁護士の娘」
「その娘が、お前にやらせたって事か」
「違う。ソードが居なかったら、流石に何もしなかった。ソードが全部用意してくれたから」
「けどその娘が居なかったら、ソードが居ても殺しなんてしなかったよな?」
「彼女は何も知らない。ソードが用意して僕が実行した、それだけ。彼女は、ただの被害者」
「何の?」
「彼女は、自殺まで考えてたって。そんな感じには見えなかったけど、でもそういう感じは僕と同じだから、助けたいって思った。僕は、心が強いから良いけど、速水弁護士が居たら、絶対に自殺してたって」
「父親に、何かされたって?」
「・・・性的暴行ってやつ。それと母親も、DV受けてたって。僕は、人殺しでも何でもいい、でも僕は確実に人の心を救ったから」
「お前の人生はどうなる。お前の親がどれだけ苦しむか考えなかったのか?」
「刑事さん、罪は、償わなきゃだめでしょ?」
「え、あぁ、そうだ」
「だったら、苦しむのが正解」
「は?」
「虐待しなければ、殺人なんてしなかったかも知れない。育て方を間違えた。そうやって苦しむ」
「虐待、されてたのか?」
「周りから見れば、円満な家族。・・・白い黒って感じ」
「白い黒?グレーゾーンって事か?」
「潔白だって思い込んでるっていうか、でも、気付かずに、人の心を殺してる。もしかしたら、育て方を間違えたって事すら考えられない、本当のバカかも知れないけど。とにかく僕、今の人生を変えたかった、自立させようとしない親から、離れたかった。そもそも、僕は最初から人生諦めてるから。人の役に立って死ねるならそれでいい」
結局裏取引されたであろうクロスボウや、遺体を運んだ際のトラックからはソードへ辿り着けなかった。確かに事件は解決した。だが佐上の車へと戻る中、ずっと、頭の中が巡りっぱなしだ。
「佐上さん、彼の目、何となくソードに似てました」
佐上は黙って車に乗り込んだ。彼は、どういう人なんだろう。何をどう感じて生きてきたんだろう。
「今の世界の法律は、未熟なんでしょうか」
「かもな。でも、それでも俺らは仕事をするだけだ」
「はい」
「空っぽの宇宙」
読んで頂きありがとうございました。
24000字がドラマ一時間分くらいだとどっかに書いてありました。なので前話は初回二時間スペシャル的な(笑)