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「ルート三重人格」

不可解な事件を専門に数々の難題を解決していた足立の前にある日、爆発事件が舞い込んだ。

犯人も動機も不明、被害者も居ない、そんな事件を追っていく中、足立の前に現れた人物とは――。


心を救う為に、人はどこまで出来るのか。

鈴の音が頭に鳴り響く。その音色は端から聞けば安らぎをもたらすもののはずだが、自分にとっては気付けであり、時には始まりの合図にもなる。頭も体もまだ驚いているが手は無意識に携帯電話へと伸び、ベッドから体が起きる前にそれを耳元へと運んだ。

「はい」

藍風(あいかぜ)3丁目で爆発事件です」

事務・連絡係の汐留(しおどめ)の声だ。目覚ましにしては悪くない声。その瞬間にふと安心感が湧く。あの人でなくて良かった。

「どんな?」

「事故ではないのに死傷者は居ないそうで。場所は住宅街だそうです」

佐上(さがみ)さんは」

「さっき連絡しました。般音寺(はんねじ)商店街の道1本外れた所ですので」

「うん」

近頃はオールインワン化粧品なるものがあるから便利だ。学生の時には友達と人並みに化粧を楽しんでいた。まるで警察学校に入るまでの見納めかのように。上手な人は確かに尊敬出来るし、したいと思う。でももう羨ましく思う事はない。オールインワンジェルを顔に塗り、昨晩から施した流さないトリートメントという名の鎧を纏った髪を結ぶだけ。パンツスタイルのスーツと革靴っぽく見えるスニーカーは仕事モードの象徴だし、最早街を歩く女子高生達のスカートには何とも思わない。

地図アプリを見るまでもなく、喧騒という名のサイレンを辿り、パトカーという名のバリケードを通り、スタートラインという名の規制線の前に立つ。

「おはようございます」

警察手帳を見せると、制服警官はそう言って規制線を掴み上げてくれるものの、その尊敬の念をぶつけるような、いやらしくも見えない眼差しには毎度困惑してしまう。

「おはようございます」

汐留さんの言葉を思い出す事なく、商店街の隣でもそれなりに閑静な住宅街の交差点で、焦げ跡を酷く残した地面、熱でぐにゃりと曲がった標識、巻き添えを被った民家のガレージを目に焼き付けていく。

「おっす」

「おはようございます」

佐上(さがみ)(たける)。私のチームメイトであり、相棒であり、事実上上司。歳の割にはがたいが良い。そしてそんな見た目に相応しく言葉遣いは荒いが、体育会系にしては頭はキレる方だ。鑑識の人達が周りに居るからか、逆にスーツが目立つ佐上はすぐに1人の鑑識に歩み寄る。

「担当は?」

「あちらのマンションかと」

お世辞としてナイスミドルな佐上のミドルらしく枯れた声などもう慣れきった。父親みたいな分厚い手や加齢臭も仕方ない。でも、やっぱり白髪染めと称しての赤髪はどうなのだろう。

「何が爆発したんだよ」

「とても精巧で小さなものですが、部品などの破損状況から見ると、とても強力なものかと」

「設置場所は排水口ですか」

「えぇ」

とても強力な爆弾を作れたのに、とても小さい。しかも朝方で賑やかな商店街があるのに、1本ズレた閑静な道。そして死傷者は・・・居ない。何の為の爆発だろう。

「監視カメラ関係ですかね」

「さあなぁ」

殺す為の爆発ではない、でも商店街の近くならかなり目立つ。

マンションの管理人室が見える小窓からは人の話し声が聞こえてきていた。中を覗いてみるとそこには管理人に話を聞いている事件担当の刑事達が居て、気配を感じたのか佐上の加齢臭が届いたのか、同じくらいの中年の1人がこちらに顔を向けた。

「おやおや、トクホさん」

捜査一課特殊犯捜査3係、勝島(かつしま)さん。若い方は何だったか。

しかし親しげな微笑みと同時に勝島は厄介者を見るような表情を見せる。

「トクホサに“ん”を付けないでください。普通に勘違いされますから」

「来ちまったか」

勝島さんは、毎度毎度何で残念そうなのかしら。

「おっす、爆発だから特殊犯係だよな。邪魔するぜ」

ズカズカと管理人室に入っていく年の功には内心感謝しないでもない。しかしネクタイも着けず、髪を赤く染めている中年男が当然の如く初見の人に絶句されるのは同じチームとしてやっぱり恥ずかしい。同じミドルでもこうも違う。

「何聞いてた」

「今から監視カメラ見せて貰う」

「勝島さん、他にカメラはありますか」

「商店街側はいいとして、商店街側から左右には無い」

商店街とマンション側を通れば分かるかも知れないけど、後の2方面を通ればより目立たなくなる。もしその事を知っていたら、わざわざカメラがある方面を通るとは考えづらい。

「管理人さん、何日前まで見れますか?」

「一応3日ですけど」

「勝手に喋るなよ補佐係」

目も合わさずにそう言い放ってきた勝島の代わりに、一瞬ピリついた空気に反応したのか、まるで警戒心に満ちた鹿のように目を向けてきた若い方の男と一瞬目を合わせる。

路肩の排水口なんかに爆弾を仕掛けたんだから、明るい内になんかしないだろう。人混みを狙わず、殺しもしない、そんな隠れたがりなら深夜に行動するのが自然だ。

「ハズレだったか」

「あの勝島さん、補佐係って何すか」

「まだ知らなかったか、捜査一課特別補佐係っつって、文字通り現場の担当刑事を補佐する」

「それだけ、すか」

「しかも不可解な事件を専門にな。じゃ次は商店街のカメラだな」

カメラ以外で、何か気にすべき事は何かしら。

「勝島さん」

「あ?」

「まだ爆発は続きますよ」

「・・・そうかもな。精々嗅ぎ回ってくれ、じゃ」

練習だとすれば、本番がある。爆弾を小さく作るのは、もう1つ作る為。誰かへの警告なら、1回だけとは限らない。

「担当達ゃ商店街に行ったんだ。嬢ちゃんどうすんだ」

「こういう形で警告した場合、相手はどんな人達になりますかね」

「そらぁ、住宅街だからな、個人だろ。だから商店街じゃない」

爆発地点に1番近いお宅は・・・。

インターホンの音が家中を駆け巡り、スピーカーからも漏れ出してくる。

「はい」

「警視庁捜査一課の足立(あだち)です」

玄関から出てきたのは当然の如く主婦だった。ガレージもある3階建ての家によく似合う、服も髪も小綺麗な主婦。

「もう、刑事さん来ましたけど」

「すみません、係が違うのでもう1度宜しいでしょうか、すぐ済ませますので」

「どうぞ」

「いえ、上がらせて頂くほどではないので、お気遣いなく」

「・・・はい」

規制線も張られ、鑑識やら刑事やらがウロウロされては落ち着かないだろうが、特段気が立ってる訳ではなさそうだ。

「ご家族の中で何か恨みを買っているというような心当たりはございますか」

「い、いえぇ、そんな事は、まったく」

「そうですか、ありがとうございました」

「えっそれだけですか」

「はい」

爆弾を作ってまで警告するなら、わざわざ家の外に設置するだろうか。確かに本物なら警告力は絶大だ、でも殺したくないなら、爆発しない偽物をお庭に投げ込んだりする方がノーリスクだ。

「佐上さん、爆弾を作ってまで警告するのは、相手が組織だからじゃないでしょうか」

「だからお前、さっきどんな人達って言ってたのか?爆弾作ってまでの警告で、テロでないとしたら・・・さっぱりだなぁ、はは」

まったく、こういう時は何も考えもしないんだから。

「お前の考えはよ、てか考えてんだろ?早く吐けよ」

「私でエア事情聴取しないで下さい」

「エアじゃねぇわっ」

「商店街の人達に、爆発の事どう思ってるか聞きましょう。この爆発はきっと商店街の人達に向けてのものだと思います」

「何で」

「死人を出さず、この時間帯に商店街の傍で爆発を起こす。住宅街への警告ではなく、商店街からの注目を誘ってるんですよ」

「逆パターンか、よし、レッツゴー」

「死語じゃないですかね」

「俺の目が黒い内は死語じゃねぇな」

大型の商業施設と融合した駅が近くにあるからか、出勤するサラリーマンや学生が混ざり人通りもそれなりに多い商店街、般音寺商店街。般音寺という寺が昔にあった事が名前の由来なのは有名な話だ。しかし雑貨屋やお土産屋、お食事処、八百屋が並び活気もあるその中で、朝方にも拘わらずシャッターが閉められた1軒のお店があった。そしてシャッターにはポスターが貼られていた。閉店を示す主旨のものではない、市街地再開発計画に関してのものだ。

「すみません、ちょっと宜しいでしょうか」

シャッターが閉まったお店の隣の八百屋の娘は、警察手帳を見ると戸惑うように微笑んだ。お客さんに対する笑顔にしては薄い、だがその類いのものといって間違いないだろう。娘は同じように接客している母親らしき女性と見つめ合い、小さく頷くと私達を奥へと促した。

「お隣は、何のお店だったんでしょうか」

「文房具を扱ってます。でも閉店はしてません、柳谷(やなぎや)さん、今入院してるんですよ」

「お詳しいんですね」

「お隣さんですし、小さい頃から知ってますので」

「因みに、どちらの病院で」

「近くの河合(かわい)総合病院です」

「では、爆発事件の印象を伺ってもいいですか」

「印象、ですか。そりゃ怖いですよ。でも商店街じゃなくて良かった。怪我人とか居ないんですよね?」

「えぇ。不審者についての心当たりはございますか?」

「不審者・・・いえ、特には。でも朝はこの通り人通りが多いので、居たとしても気付くかどうか」

「ありがとうございました」

特に目立った事はない。活気のある商店街の八百屋の娘にしては少し大人しいという事くらいだろう。1時間ほど経つと出勤や登校する人達は見なくなり、買い物客やふらっと立ち寄ってきたような人達だけになった。確かに人通りは少なくなったが、来た人来た人皆が建ち並ぶ店に目を向けるこの時間こそが、本当の商店街の姿とも言える。

「勝島さん、どうでした」

「カメラじゃ分かんないな。何してた」

「聞き込みです。不審者とか、爆発事件の印象とか」

「印象?」

「私は、爆発は商店街に向けてのものだと思ってます。10件ほど回りましたが、皆さん揃って商店街でなくて良かったと」

「当たり前だろ」

「その中で、再開発の話が出てきました。あそこ、柳谷としか書いてないシャッターの下りたお店、ご主人は持病で入院しているそうですが、殆どの方が店を閉めたのは地上げに同意したからだと」

「地上げか。まさか爆発は再開発事業者への警告ってか。何か、変だろ。回りくどいっつうか」

「再開発の線、調べる価値はあると思います」

「ん、ご苦労さん」

再開発事業者への警告、それと爆発とを繋ぐのは私もしっくりこない。

「あ、1つ頼むわ」

「はい」

「爆弾の仕組み、出所とか諸々、それからゲソ痕」

「2つじゃねぇか」

突っ込む佐上に、勝島はただニヤける。

「全部引っくるめて1つだ、頼んだぞー」

少し遠くからでも分かる、暗いグリーンの、屋根が円みを帯びた小さな車。佐上の愛車だ。佐上のようなミドルには相応しくない可愛げのある車は個人的には気に入っている。今の時代、車は基本電気だし、それなら小回りが聞いて消費の少ない方が良い。

「ったく、めんどくさいやつ押し付けやがって」

「これくらい、いつもじゃないですか」

「けど頭使ってんのはお前だろ?俺ぁなほんと言うと、つくづくトクホサってどうなんだって思ってんだがな」

「それはちょっと意外です。結局楽だから居るものだと思ってました」

「そら楽だけど、そうじゃなくて名前だよ。補佐係ってなあ、何か良いイメージじゃねぇ。もっと影の立役者的なもんになんねぇかねぇ」

佐上が1つボタンを押せば、車はガソリンを燃やそうと火花を散らすようなものではなく、未来的で唸り上がるような最早音色とも言えるような音を響かせた。

鑑識課は何やら少しざわついていた。とあるテーブルには別の事件の遺留品が並べられていて、その事件の担当刑事達が居たからだ。捜査一課強行犯2係のデンデンコンビ。背が高く、柔道で培った体格が自慢の田辺(たなべ)さん、若い方は身長は平均的だが陸上で培った足が自慢の田島(たしま)さん。田辺とは同期で仲が良いのは文句ないが、見つければ必ず絡みにいく佐上には毎度呆れてしまうものがある。

「どこだ?」

「藍風4丁目、殺し。そっちはどこのお守りだ?」

「お守ってねぇわ。爆発事件だ」

仕方ないので近付くと、田辺が顔を向けてきた。佐上とはまったくジャンルの違うミドル。個人的には田辺がナイスミドルだと言っても間違いはないだろう。

「嬢ちゃん、こっちもお守りしてくれないか」

「はぁ?」

「要介護者には見えませんけど」

「ホシの居ない殺しだ。行き詰まってる」

「おいおい、現場一筋が何言ってんだ、だいたい、殺しならホシは居るんだよ」

「知能犯対策のトクホサだろ。だいたいノンキャリに聞いてない、決めんのはキャリアで主任の嬢ちゃんだ」

「お前もノンキャリだろうが」

「田辺さん、私達も是非混ぜて下さい」

「ん。害者は河原(かわはら)将人(まさと)28歳。強姦の前がある。発見場所は害者の家、死亡推定は昨日の夜7時半から8時。発見者は無し、通報者は不明。凶器はそのナイフ、指紋は無し、心臓を一突きで即死だ。だが麻酔銃が使用された形跡がある。だから女でも殺せる。目星はこいつ」

田辺が胸ポケットから取り出した写真には女性が映っていた。20代後半か、30代前半。アングルは隠し撮りだ。花屋の店先でお客さんに笑顔を見せている写真。

山下(やました)(らん)。こいつの妹は、害者に殺されている。害者の強姦致死の前がその妹だ。前々から殺してやるだの言われてたらしいが裁判じゃ致死になったから、動機は十分だ。けど、こいつのアリバイには穴が無い」

「通報って、どんな風にですか」

「おお、そこか。低い女の声だが、発信地が海外になってた」

「どんなアリバイですか」

「店を閉めたら毎日買い物に行くそうだ。夜7時に店を閉め、後片付けをした後、7時半前には店を出て、近くのスーパーで晩飯を買う。いつも8時過ぎには帰るんだと。スーパーの監視カメラでちゃんと確認取れてる」

殺したいほどの恨みがあるからって、必ず人を殺すとは限らない。

「他に目星くらい居んだろ。事情を知って目星の代わりに害者を殺るとか、家から色んなもん出ただろ」

「指紋も、ゲソ痕も無い。ただ、まぁ」

「何だよ」

「鑑識が不思議がってたゲソ痕が幾つかある。所々が不自然に欠けたものだ。足跡が重なり合い、消し合えばあり得ない事じゃないとは言ってたがな。だがな、俺が嬢ちゃんに頼みたいのはホシを見つける事じゃない」

「はぁ?」

「アリバイ崩しだ。こいつのアリバイは完璧だ。だが、殺しを経験した奴ってのは、普通の奴とは違うんだ。目の奥に何かを抱えてる」

「まさかお前、刑事の勘なんて言わないよな?」

冗談ぶるような口調で佐上がそう聞くと、田辺は逆に親しさが浮き彫りになる、自慢げで蔑むような笑みを返した。

「・・・刑事の勘だ」

アリバイを崩したいなら、考える事は逆に簡単だ。スーパーのカメラに映る山下蘭が本人じゃないと仮定すればいい。

「麻酔銃の出所は分かりますか」

「分かんないよ。対人用の特別な調合らしいからな。裏社会の住人じゃない限り、一般人が手に入れるのは簡単じゃない」

「そうですか。じゃあこっちの用事が済んだら監視映像見せて下さい」

「おう」

爆発事件の遺留品が並んだテーブルには、何か分からないくらいに破損している部品が並んでいるだけだった。

「爆発事件担当頼むわ」

佐上の一声に各々仕事をしていた鑑識の人達は忙しなく顔を見合わせる。こんな見た目の中年男はやはり相手にしたくないのか、駆け寄ってきた1人の小太りの男性はどこか顔色が悪そうだった。

「ゲソ痕なんて取れねぇよな?」

「いえ、取ったは取ったんですが、もう毎日何十人も行き交うので、犯人の特定以前に判別が難しいかと。ですが爆発物はプラスチック爆弾なので、3、40分後には警察犬を使って、設置地点に残ってるかも知れない炸薬の臭いを追って貰います」

「出所は」

「何しろほぼ燃え尽きてますからね。部品の成分は分かってもこれら自体が何なのかは分からないので、何とも」

「成分って?」

「恐らく合成樹脂かと。それと成分だけで出所を特定するのは、極めて難しそうですね」

「あの威力であのくらいの大きさの爆発物を、どんな素材をどう使えば作れますか」

「あ、なるほど逆算ですか。すぐに調べてみます」

殺人事件担当の鑑識がパソコンを操作し、画面にスーパーの監視カメラ映像を映し出した。店内の入口付近を撮るカメラには山下蘭と思われるマスクをした女性が映り込む。当然カメラの事など気にする事なく、本当にいつもの買い物に来たように。生鮮食品エリア、惣菜エリアにもその姿は尽く映し出され、レジ前には正面からの顔も撮れた。

「寄って下さい」

映像が止まり、女性の顔が四角く縁取られ、続けて縁取られた部分にズームされ、補正が掛かり画像が鮮明になっていく。

「普通に山下蘭じゃねぇか」

「店員も山下蘭だって言ってる」

確かに、疑念を以てしても、この人は、山下蘭。疑う余地は無い。ただし顔だけなら。

「骨格、歩き方、それらを花屋に居る時の山下蘭の映像と照合して下さい」

「ああ悪い、花屋の時の映像は無い」

「じゃあ撮ってきて下さい」

「はいよ」

朝から現場に直行など珍しい事でも何でもない。しかし朝から晩まで事件現場をはしごするなんて事は警察官と言えど公務員としては珍しい。ハトが自分の鳥籠に戻るように、用は無くとも自分のデスクに1度は着かないと、それはそれでリズムが狂う。

「もしもし俺、トクホ。あ?鑑識寄ったぞ?ゲソ痕なんて取っても意味ねぇと。爆弾に関しては、どういう素材を使えば事件の爆弾が作れるか調べてると。はいよ。そっちは。ああ、おおそうか。あーあ。はいよ。じゃ」

トクホサのデスクからは強行犯係のデスク達がよく見渡せる。何せ、各係が収まる大きな広間の1番端っこなのだから。ドアは無く、壁は全面ガラス張り。リッチに小部屋を設けられているのか、隔離されているのか、考え方は人それぞれだが。

「再開発事業者は株式会社カケスエーテルだが」

「それってあのでっかいビルのですよね?」

どんな話も拾い上げ、突っ込む速度が誰よりも速い汐留のお陰で、ただデスクに着いてても退屈はせず、更には魔法瓶に入れて持ち歩いている自家製の蜂蜜ジュースにもしっとりと集中出来る。

「あぁ。そのカケスエーテルは地上げ屋を雇ってるっつう話だ。そしてその地上げ屋ってのが、斉藤建築だな」

「聞いた事無いですけど。地上げ屋ってだけでヤバそうですね。こういうのって実はヤクザ関係ってのがお決まりなんですよね」

「汐留お前ドラマの見すぎだろ、さすがに。なあ?・・・おい聞いてんのかよ蜂蜜美人」

「蜂蜜美人は聞いてますよ。人の良い組織が地上げ屋を請け負うでしょうか。そして人の悪い組織が相手だとしたら、生半可な警告じゃダメですよね」

「・・・お前、爆発物は、商店街の人間がやったって?」

「そうだと仮定して、問題は入手方法です」

「そうだと仮定しなくても入手方法は大問題だわっ。爆発物が何か分かりゃ入手経路も分かるんだがな。あー、暇だなぁ補佐係ってなあ」

「商店街の人に化学に詳しい関係者が居ないか洗いましょう」

「そんな事勝島達がやってるよ。素人じゃねんだから。だからなぁ、ヒーローってなあ必要な時にしか必要とされないんだよ」

実は情報の出待ちがトクホサの主要時間だったりもする。常識的には、自分から仕事を見つけ、自発的に動くのが当然だ。だがあくまでここは、特別に補佐をする係。正式な捜査一課内の係ではなく、キャリアの人間を現場に行かせる為に作られた、母屋と離れで言う離れのようなもの。最初から常識の範囲外だ。しかし今の時代、知能犯という言葉は詐欺や贈賄などに当てはまる訳ではない。殺人でも窃盗でも、ましてや動機が読めない爆発事件だとか。捜査二課としてではなく、捜査一課として知能犯に対する。その為の特別補佐係と言っても良い。

「ヒーローは持ち上げ過ぎですよ」

「お前の検挙アシスト率には誰も文句が言えないのは事実だろうよ。豪勢に通り名なんて付けられちゃって」

「そうですね。よく色んな呼び方をされますよね。例えば蜂蜜美人とか」

「俺じゃねぇかっ。てか結局ダジャレだ。名前が真歩(まほ)だから魔法使い。あれ、誰が言いだしたんだっけなあ」

捜査一課内で密かに、いや割と大々的に知れ渡っている私の異名、魔法使い。何故そんな異名なのかは未だによく分からない。手が届かない痒い所を掻いてくれるからか。どんな点と点でも繋げて誰にも書けない線を描くからか。それこそ、まるで魔方陣みたいに。孤高か孤独か、それもまた考え方は人それぞれだが。

ん?孤高、孤独・・・。

「佐上さん、新しいチームの名前、捜査一課孤高班なんてどうでしょう」

「ぶっ・・・ダサすぎるだろ」

「じゃあ孤独班」

「もっとヤダわっ何でそれ後に持ってきた、普通前だろ」

「前から気になってたんですけど、蜂蜜美人ってそのジュースのお陰ですか?何か特別な具材が入ってるとか」

「実はこれは蜂蜜をお湯で薄めただけのものです。それにこれは美容というより頭に糖分を回す為です。美容の為にやってるのは蜂蜜パック、蜂蜜石鹸、蜂蜜トリートメントぐらいです」

「すごいですね」

「汐留さっきから何カチカチやってんだよ、ゲームか?」

「何でですか。実はこれは極秘なんですけどね、僕の係は事務だけじゃないんですよ」

「おおっ?何だよそりゃ初耳だな。何してんだよ」

「ふっふっふ、実はですね、自称情報収集係です」

「自称っつってる時点で自信ねぇじゃねぇか」

「ふふっ」

「お、笑ったな?足立。ほら」

「え?何ですかその手」

「笑ったから1000円」

「はい?」

「笑っちゃダメよゲームだろうが」

「してめません」

「口ん中蜂蜜だらけで呂律回ってねぇじゃねぇか」

「あは」

「はい汐留~。1000円だ。っしゃこれで2000円、今日は良い店屋もんが取れる」

「今時店屋もんとは言いませんよ」

「じゃ何だよ」

「デリバリーです」

「だったら係の名前もいっそ横文字にしちまうか?警視庁捜査一課ヒーロー係ってな。じゃあ分かった、今からゲーム本番だ。1番最初に内線取った奴が2人から1000円貰う」

「・・・はい補佐係」

「おまーえ」

「お2人共、鑑識からです」

そりゃあ事務の汐留が内線を取るのが1番速いだろう。佐上は何を思ってあんな事を言ったのだろう。鑑識で待っていたのは爆発事件担当の鑑識だった。軽く宮内(みやうち)と名乗った後、彼は満足げな笑みを浮かべながらパソコンの前に座った。

「自分の答えはこれです」

画面には半円筒型の爆弾予想図が映し出された。あれから1時間ほどで出来るとは、宮内は余程仕事熱心なのだろう。道路の路肩という小さな段差の側面に爆弾が貼られるという形だ。とても小さなもので、路肩と同じ色に染めれば人通りのある日中でも気付かれる可能性は低いだろう。

「パイプもその他部品もホームセンターに行けば普通に手に入りますが、やはり粘土部分は専門知識が無い人が作る事は不可能ですので、出来合いのものを手に入れる他ないでしょう」

作れないものを手に入れる方法。買うか貰うか。ネットを使えば手に入らない物は無い時代だ。だがこんなに隠れたがる犯人がそんな足がつく方法を取るだろうか。

「ありがとうございました。佐上さん、まず半円筒のパイプが取引された形跡があるか調べましょう」

「無かったとしたら」

「精巧な爆弾という時点で1人で準備したと考える方が不自然です。裏社会の爆弾屋的な存在が背後に居るかもです」

「だろうなぁ、念の為だな」

「それから勝島さんに商店街の夜中の監視カメラ映像を確認して貰って下さい。商店街の人が出歩いた形跡が無いか」

「はいよ」

「おう居たか嬢ちゃん」

振り向くとそこに居たのはデンデンコンビだった。山下蘭の映像を新たに入手したのだろう。電話している佐上に遠慮するような気遣いはまったく見せず、田辺は殺人事件担当の鑑識を呼び、彼にメモリースティックを手渡した。スーパーの監視カメラ映像と、物陰から花屋が撮られた映像が並び、2人の山下蘭の骨格が照合されていく。結果は一致だった。見せつけるような単語の隣に、意味があるのかと思いたくなる92、3%という数字と記号。

「どうする嬢ちゃん、歩き方も見るか?」

「一応お願いします」

結果はまたもや一致だった。そしてまたもや91、8%という数字と記号の列。その時田辺がため息を吐いた。しかし残念そうなものではない、それはまるで、さあどうするかと問い掛けられているようだった。

「あの、靴、寄って貰えますか」

「靴ですか、はい」

「確かに履いてる靴は違うが、それが何だよ」

「どちらも新品ではないようです。スーパーに行く時だけ靴を変えるものでしょうか」

「そりゃ変えるだろ。女房だってちょっと買い物に行く時、何だっけ。クソッカス、じゃなくて」

いきなり何を言い出すんだと、佐上は吹き出すように笑い声を上げる。

「クロッパスですか」

「ああ、それそれ。サンダルみたいに履けて、靴みたいに丈夫なやつなんだろ?」

「ですが映像のはどちらもスニーカーです」

「女なんて腐るほど靴持ってるだろ」

「花屋からスーパーに行く時の映像、お願いします」

「嬢ちゃん、往生際悪いんじゃないか?ここまで本人だって結果出てるだろ」

「私はただ、アリバイを崩す為にスーパーの映像の山下蘭が本人じゃないと仮定してるだけです。まだ気になる事があるので、お願いします」

「分かったよ、しょうがないな」

再びトクホサの小部屋に戻ると佐上はすぐに汐留に指示を出した。すると汐留はどこか嬉しそうにキーボードを叩き始めた。

「もしもしどうだ。おおマジか。ああ、ああ、え?何だよそりゃ。お、おう分かった」

「何かありましたよね?その顔」

「夜中の映像に商店街を出歩く梶村(かじむら)(あずさ)の姿があった」

梶村梓は八百屋の娘だ。しかし佐上の表情は取っ掛かりが解けたものとはまったく逆に見えるものだった。

「梶村梓に聞いたが、まったく記憶が無いだと」

「記憶が無い、ですか」

「だが任意で引っ張るのにはまったく抵抗しねぇんだと。行くぞ」

「はい」

「汐留、何か分かったら電話しろ」

「はい」

記憶が無いとまでいう証言を警察官に言う時は大抵何かを知っていて、そして任意の事情聴取と聞けばやれ証拠だの令状だの、素人のお決まりのセリフを言うはずだ。なのに引っ張られる事にはまったく抵抗しない。絶対的な自信がある場合なら、むしろ簡単に知らないと言うだけだ、記憶が無いとまでは言わないだろう。

1列に並んだ幾つもの取調室と廊下を挟んだ、実質上取調室の隣として扱われる大部屋、取り調べ視聴室。取調室分のモニターがあり、すべての取調室を一挙に監視出来る。取調室の為に作られた大部屋の為、視聴室で通じない相手は居ない。各取調室にはカメラが2つ。1つはドアの上に付いていて、室内全体を撮る。もう1つはドアに向かって座る被疑者から見てドアの左に付いていて、被疑者だけを撮る。しばらくして1番取調室のモニターには取調室に入る勝島、若い方、そして梶村梓の姿が映った。

来馬(くるま)

「はい」

抵抗しないだけあって来馬が面と向かって椅子に座っても梶村梓の態度に大きな変化はない。しかし取調室というものに連れてこられて平常で居ろという方が無理がある。

「それではお願いします」

梶村梓はただ来馬に会釈を返した。

「まずはお名前を」

「梶村梓です」

「藍風3丁目、般音寺商店街で八百屋を営まれている梶村さんの娘さんで間違いないですね?」

「はい」

「では本題に。昨日夜11時半前頃に、商店街のカメラにあなたと思われる人が映ってました。その姿は歩道から車道を横切り、爆発事件があった道の方面へと向かい、フレームから外れました。何をしに行ったか説明して貰えますか」

モニターにはテーブルの上のノートパソコンを真っ直ぐ見つめる梶村梓が映っている。その表情はまるでただその映像を見るかのような冷静なもの。戸惑ってはいるが、それは第一印象と酷似したものに重ねて取調室という空間が影響しているものだと言っていい。

「それが、記憶が無くて。私、度々記憶が抜ける事があるんです」

「悪いけど、そんなのどう信じろっていうんですか」

八雲川(やくもがわ)医大病院の心療内科にカルテがあるはずです」

「え?し、心療内科?」

「行ってこい、カルテのコピー」

「あ、は、はい」

取り調べはあっさりと終わった。後の話は自宅でも良いと梶村梓が了承したからだ。時には1つの証言が絶対的な自信を被る虚勢を上回る事がある。突拍子は無いが、その証言は勝島でさえも黙らせた。

「お早い帰還ですね」

「これからだよ」

そんな時に汐留は椅子を滑らせ、ちょうどプリントアウトされた紙をプリンターから取り上げた。

「ちょうど周辺のホームセンターから販売記録を送って貰ったところですよ」

「おおそうか。斎藤建設は」

「ホームページを見ましたがよく分からなかったので、ソタイさんに内線で聞きましたよ。そしたら当たりでした。トップが服役して事実上壊滅した仙道会のナンバースリーだった斎藤(さいとう)頼馬(らいま)が経営者で、ソタイでも内偵中だそうです」

「足立、ヤクザ相手の警告で、何で関係ないあそこに爆弾仕掛けんだよ。普通会社周辺だろ」

「例えば、今朝のは練習とか。それに連続的の方が効果的です」

「つってもな、被疑者も不明、出所も不明じゃ、どうしようもねぇじゃねぇか」

例え練習だとしても、連続的な爆発ならヤクザでも無視しない訳にはいかないだろう。販売記録には鑑識の宮内が予想した爆弾の設計図に使われそうな部品の記録があるにはある。しかしそれは断片的で、その店から手に入れたものでは到底爆弾など作れそうにない。

「店頭販売もネット販売も記録してあるが、どこもここだってのがねぇ。こりゃねぇな。例えば県外で買って郵送で部品を送られたりされちゃ、さすがに追いきれねぇ」

「汐留さん、リストの中から爆弾に使う部品を洗い出して下さい。複数の店から少しずつ集めた可能性もあります」

「はい」

「でもどこにも半円筒パイプはねぇよ?あれがミソだろ」

「なら半円筒パイプではないと仮定しましょう」

「自分から振り出しに戻るのかよ。ったく。また暇ならゲーム始まっちゃうぞ?」

「待って下さいよ。僕まだ2000円貰ってませんよ」

「おいおい、本当に金出す訳ねぇだろ」

「じゃあ、昼ご飯奢って下さいよ」

「しょうがねぇなぁ」

「あっ」

「どうした汐留、ようやく記憶戻ったか」

「いや、違いますよ何のですか」

「実はこの星の人間じゃなかったとか」

「足立さん、思ったんですけど、爆弾の部品、プラモでもイケるんじゃないですかね」

「あっそうですね。プラモの部品なら小さくて精巧なものを作るのにはむしろ難しくありませんし、プラモの素材は基本的に合成樹脂です」

「だとしても、それじゃもっとどこでも手に入るじゃねぇか」

「・・・はい補佐係。あ、居ますよ。足立さん、内線2番、鑑識の宮内さんから」

「はい、足立です」

「宮内です。警察犬の件ですが、警察犬はなんと爆発地点から商店街の方へと向かい、文房具店である柳谷さんの自宅で止まったそうです」

「因みに、何の臭いを追ったかは分かりませんよね?」

「全部ひっくるめた現場の臭いなんでねぇ、そればっかりは警察犬本人に聞かないと分かりませんね」

「分かりました、ありがとうございました」

「プロポーズでもされたのか?」

「されませんでした。警察犬の件ですよ」

「あっはっは、警察犬の件、お前もオヤジになったもんだ」

「ダジャレ発信はあっちですよ。警察犬、柳谷の前に行ったそうです」

「え、何だよそりゃ。爆弾作ったの柳谷かよ、そんな訳ねぇだろ、入院中なのに」

「行きましょうか」

「だな」

佐上の愛車に乗り込んだちょうどその時、佐上の携帯電話が鳴り出した。佐上は伸ばしたシートベルトから手を放し、胸ポケットに手を突っ込んだ。

「お、勝島。はいよ。いや?これから柳谷の家に行く。そうか」

「カルテのコピーを取ったから梶村梓に会いに行く、ですか?」

「ご名答。あ、柳谷の家に誰か居ないか聞けば良かった。まいいか」

都心だけあってか再び訪れた商店街は未だに人も車も通行量があり、またもうすぐ昼時とあってか人通りはお昼ご飯を食べる場所を探す人などもちらほら見えていた。柳谷の自宅前に着き、インターホンを押す。しかし反応が無く、代わりに八百屋の店先から梶村梓が顔を出した。

「刑事さん、何してるんですか?」

「柳谷さんのご家族がいらっしゃるかと思いまして」

「ああ、実は柳谷さん、5年前に離婚して、次男の颯真(そうま)君は残ったんですけど。今は大学の寮生活で居ないんです」

「颯真さんの上は、お兄さんですか?」

「はい。おばさんとお兄さんが大阪に行った事以外は柳谷さんもまったく知りません」

「入院っていつからだ?」

「1週間程前です」

「そうでしたか。お邪魔しました」

再び車に戻ると、すぐに佐上は電話をかけた。相手は勝島だろう。柳谷が居る病院へ向かうと一言伝えると電話を切り、シートベルトを着け、エンジン作動スイッチを押した。

「誰も居なかったのに爆弾の痕跡が見つかるって、どういうこったよ」

「本人の許可を取って中に入ってから考えましょう」

河合総合病院、柳谷(やなぎや)篤郎(あつろう)の名札がある病室。6人部屋の左側1番奥に柳谷は居た。持病での入院という事で無論外傷は無いし、態度は至って普通だ。こちらを見ると柳谷は1番よく伺い知れた類いの警戒心を見せた。

「警視庁捜査一課の足立です」

「佐上です」

「何でしょう」

「般音寺商店街付近で爆発事件が起こったのはご存知でしょうか」

「まぁ、ニュースで」

「その爆発事件の印象を伺っても宜しいでしょうか」

「印象・・・ってそんなの、物騒な事を考える奴も居たもんだなと」

「お隣の八百屋の娘の梓さんから伺いましたが、1週間前から入院されてるんですよね?」

「まあ」

「その間、柳谷さんのお店に誰か出入りしてませんか?」

「え、分かんないよエスパーじゃないんだから。でもあっちゃん、梓は家の合鍵持ってるから。着替えとか持ってきてくれるし、たまに掃除してくれてるし、出入りするなら、梓しか居ないよ」

「そうですか。任意なんですが、私達も中に入っても宜しいでしょうか」

「何で?」

「捜査の一環で。ちょっと気になる事があって、いわゆる家宅捜索ではなく。私達2人だけでちょっと見せて頂ければと思いまして」

「・・・散らかさないって約束するか?」

「勿論です」

「仕方ないな」

確かにはた迷惑な話だろう。だが人間は潔白であれば無意識に身を守ろうとはしない。柳谷は引き出しの1つを開けると、2つの鍵がぶら下がる楕円形のレザーキーホルダーを取り出した。

「お預かりします。ありがとうございました」

「なあ、あっちゃん、大丈夫か?」

「はい?」

「あっちゃん、俺なんかよりも重い病気抱えてるから」

「心療内科に通っていると聞きましたが、その事でしょうか」

「あぁ。梓の母親と俺は幼馴染みでさ、俺は半分梓の父親みたいなもんだから。心配でさ」

「梓さんのお父様は」

「そんな、様なんて付けるような人間じゃない。正式に離婚してからは顔見せなくなったけど、それまではいくら殴ってやっても酒も暴力も止めない奴だった。そのせいであっちゃんは小学生ん時にイジメられて、挙げ句に高校入った時には心療内科行きだ。でもまぁ、ゆうちゃんも言葉は悪いけど人は悪くないからな、そこはせめてもの救いだ」

「ゆうちゃんとは誰でしょう」

「あ?心療内科に行く理由、知らないのか?」

「今ちょうど別の担当刑事がその事で梓さんの所に行ってますが、私達はその担当刑事から詳しい事を聞く前にここに来ましたから」

「・・・そうか」

「でも検討はつきます。梓さんは、多重人格者、ですか」

途端に佐上はこちらに顔を向けて口をあんぐりと開け、表情を歪ませるが、同時に柳谷は目線を落としたまま、小さく頷いた。

「ゆうちゃんが、その別の人格ですか」

「あぁ、ユウカだ。ゆうちゃんは夜型だが、俺はたまに話す」

少し急ぎ気味で車に戻ると、佐上はすぐにまた勝島に電話をかけ、まだ梶村梓の下に居るかを確認した。勝島達も先程の佐上のように言い様のない変な顔をしてる頃だろう。商店街に戻ると八百屋の店先には、店番をしながらも不安そうに奥に気を向けている梓の母親が居た。

「奥さん、担当刑事来てますか」

「えぇ」

「私達もいいですか」

「はい」

「お邪魔します」

暖簾の手前には勝島達のものと思われる靴があった。靴を脱ぎ、暖簾を越えたすぐ左手の畳部屋のリビングに入る。そこには勝島達と梶村梓の姿があったが、ふとこちらを見上げた梶村梓の目つきや表情の張り方、肩の力み具合など、小さな仕草からそれはまるで別人そのものだった。

「来たか見物人」

「どこまで話した」

「深夜のアリバイだ。監視カメラの後、バーに居たんだと、これから裏取る」

「ユウカさん、ですか」

「お前ら知ってんのかよ。どっから嗅ぎ付けてきた」

「入院してる柳谷さんから聞きました」

「オヤジに会ったの?」

「え、えぇ」

朝会った時の控えめな印象からは想像も出来ない。あの梶村梓の姿でも声は少し低く、胡座さえかいている。その態度は言うなればヤンキーといった類いのものだろう。

「あんたらは何?あたしもう言う事言ったけど」

「私は、ただユウカさんと話をしてみたかっただけなので。因みに、ユウカさんも、梓さんの記憶は共有してませんか?」

「・・・いや?だってあたしは梓から生まれたから。梓がダメそうになった時に出るのもあたしの役目だし」

「そうですか。ありがとうございました」

「トクホはついて来なくていいからな?」

「はいはい、バーのカメラ映像貰ったら呼んでくれよな?」

鍵の開けられたシャッターが少し錆び付いたような音を立て上がっていく。日の光が入ると辺りは明るくなり、フィルムカバーがかけられた商品棚が照らされていった。商店街の一棟だけあって、それなりの広さだろう。佐上がようやく電気を点けたのでシャッターを下ろした。そこは掃除されているお陰か、人の気配の残り香のようなものが感じられた。

「お前、前に見たことあるのか?多重人格者」

「ドラマでなら。でも心に闇を抱えてる子はよく見てますから」

「いくらカルテがあるからって、本当に演技じゃねぇもんかなあ?ああいうの」

「梓さんはユウカさんの記憶を共有してない訳だから、ユウカさんにしか知らない事を梓さんが知ってたら、それは演技という事になりますよ?」

「例えば、バーの店名とか?アリバイん時に飲んでたものとか?」

「それは記憶が無いと言われてしまえばそれまでです。無意識の中のものを調べないと。例えばウイスキーとかハイボールを飲んでたと仮定して、何も言わずにコップは何を選ぶかとか、ハイボールの作り方は慣れてるかとか観察するんです」

「なるほどな。こっから自宅部分か、おっ邪魔っしまーす。足立、レジから金くすねるなよ?」

「佐上さんじゃないんですから」

「俺がいつくすねたよ」

「汐留さんの事務用品、佐上さんが勝手に使ってるの、みんな知ってます」

「事務用品は係のもんだろ?誰でも使うだろうよ」

「汐留さんが言うには、汐留という名前シールが貼ってるのだけ減りが速いとか。どういう事でしょうね」

「ははっ、どういう事でしょうねえ。見えないだけで、トクホサは実は4人とか」

2階のドアを開けるとそこは生活感の無い部屋だった。恐らくは離婚した後に空いた部屋だろう。佐上は途端に真剣になり、部屋を見回りだした。見たところ8畳ほどだろう。商品の在庫と思われる段ボール箱も幾つかあり、そこはいわゆる倉庫のような役割をしているようだった。

「おいっプラモデルじゃねえか」

ステンレスのラックに乗せられていた幾つかのプラモデルの箱の1つを佐上が取る。しかしその箱には埃という膜がキレイに張られていた。

「全部開けてみましょう」

プラモデルの箱は全部で5つ。しかしすべての箱は空っぽだった。

「空っぽなのに箱とっとくって。ああ、パッケージオタクなのか?」

「完成品はお子さんの部屋でしょうか」

「かもな、見てみるか」

「ではお子さんの許可を取らないと」

「入らなきゃいい。作ったら目立つ所に飾るもんだろ?すぐ分かる」

佐上が別の部屋のドアを開け、電気を点ける。幸いドアは外開きで、少し臭う大きな背中の後ろからでも辛うじてその部屋が見通せた。

「戦車が2つで戦闘機が2つ、そしてロボットです」

「何にもねぇな。てことは、その大学の寮に飾ってるんじゃねえか?結局連絡取らねぇとダメだな」

病院に戻ると柳谷は変わらず、何の病気なのか分からないような至って平常な態度でベッドに座っていた。

「お返しします。それとお子さんの通う大学を教えて下さい。1つ伺いたい事が出来ました」

「千葉県の、明日葉(あしたば)学園大学」

「ありがとうございました」

車に戻りながら明日葉学園大学とやらに電話をかけてみると、答えは悪い方の予想通りとなった。柳谷颯真の寮部屋にはプラモデルは飾られていない。それ以前に、そのプラモデルは長男のものだという答えが返ってきた。更に長男は両親の離婚後、大阪に引っ越し、柳谷篤郎からも顔を見たという話を聞いていないとの事。

今日の佐上の昼食はカツ丼だ。初動捜査日はいつもそうだ。やはりミドルらしくゲン担ぎを信じているらしい。昼食を始めた矢先、食堂に勝島達がやってきた。ユウカのアリバイの裏が取れたと言いに来たのだ。そして端的に詳しく話すと勝島達も食券販売機へと向かっていった。

「もし本当に、爆弾が柳谷の店ん中で作られていたなら、鍵を持ってる梶村梓しかないだろ」

「動機は何でしょう」

「斉藤建設と梶村梓との繋がりかあ」

「もしかしたら、斉藤建設とユウカさんとの繋がりかも知れません」

「ああ、でもユウカには、深夜はバーに居たっつうアリバイがある」

「監視カメラの映像を見るまで分かりませんよ」

「まあな。何でお前、昼飯蜂蜜じゃねぇんだ」

「私はプーではありません」

「あれ、そうだったのか」

「何と仕事してると思ってたんですか」

「足立さんはゲン担ぎしませんよね」

「そりゃしませんよ、自分に自信あるので」

「お前、そういう事言ってると、いつか本当に何かあるぞ?見えない力を甘く見るのは若い証拠だな、だからまだまだ嬢ちゃんなんだ」

「真面目な事言わないで下さい、東京に大雪寒波来ちゃいます」

「来ねぇわっ」

鑑識課にもまだまだ昼休憩の為の空席が目立っていたが、宮内は自分のデスクでタッパー片手にいなり寿司を箸で頬張っていた。

「ども、もうスタンバってます」

バーの監視カメラ映像のアングルは上から撮ったもので、バーテンダーと対面するカウンター席に座っていたユウカは斜め後ろから見た姿だった。時間は23時28分。勿論バーテンダーの証言は取れている。1日置きから3日置きくらいに来るユウカはいつもの席で、いつものようにバーオリジナルのホット・ラム・エッグノッグを飲んでいたと。

「靴、寄って下さい」

どこかで見たようなスニーカー。それ以前に服装も違う。だがそこは人格が違うのだから服の好みが違って当たり前だと考えるべきだろう。バーの監視カメラ映像にスニーカーが映っていたからか、妙に目に留まり、そしてそのデザインは見覚えがあるという感覚を過らせた。

「薄暗くてよく分かんねぇけど?」

「そうですね」

「帰り道の映像も見ます?」

「お願いします」

バーから商店街への帰り道の中、カメラは3つ。真夜中ではあるがそのどれもにユウカの姿が確認出来た。1つ目はバーから商店街方面への1本道。2つ目は小さな交差点。そして3つ目は行きの時と同じカメラで、行きと同じく車道を渡っていったもの。時間は3つ合わせて深夜12時2分から12時15分。その間寄り道する事は不可能という事でそのアリバイはより明確となった。

「ありがとうございました」

「さて、飯も食ったし、どうすんだ?」

「出待ちです」

「んだよー」

「じゃあ4人目のトクホサと遊びにでも行ったらどうですか、私はのんびりしてます」

「居ねぇわっ。てか考えてんだろ?早く吐けよ」

「エア事情聴取は止めて下さい」

「エアじゃねぇわっ」

「最近聴取してないからウズウズしてるんですか?」

「聴取はストレス解消法じゃねぇだろ」

「爆発事件の方は、入手方法の線にしましょう。ですが汐留さんに調べて貰うので、汐留さん待ちです」

「んー」

「殺人事件の方は山下蘭の閉店後の買い物に行く時の映像待ちです」

「斉藤建設は」

「あ」

「あ、じゃねぇわ。ほらな、カツ丼食わないからそうなる」

「カツ丼は関係ないですよ」

捜査一課の下の階にある組織犯罪対策部。佐上は歳を取ってるだけあってか、意外に顔が広い。主に暴力団関係を担当している三課にいる浜脇(はまわき)さん。彼もまた佐上のミドル仲間だ。佐上が近付くと、加齢臭という名の見えない力に惹き付けられてか、デスクに着いて何かを飲んでいる浜脇はふと佐上に顔を向けた。

「よぉハマ」

「おお、佐上。おっ噂の嬢ちゃんじゃねぇか」

「おはようございます」

「斉藤建設詳しいか?」

「まぁぼちぼち。傍目にゃ虫の息だが、どっからパイプ引いてきてるかまだ割れてねぇ。まああっちも必死なんだろな」

「般音寺商店街の八百屋の、梶村梓ってのとの繋がりは挙がってないか?」

「ああ次のターゲットだと思うぜ?」

「地上げの?」

「柳谷の事を出せば落とせると思ってんじゃねぇかな。柳谷が店閉めた後、1回だけ斉藤建設の奴が八百屋に入っていくのを見たしな」

「そうか」

「そっちも斉藤建設絡んでんのか?」

「多分な。出所も被疑者もまだ不明の爆発事件の動機が、斉藤建設への警告だと嬢ちゃんが踏んでる」

「ああ?爆発事件だ?警告っつったってなあ。まあ斉藤建設がヤクザ関係ってのは水面下では知られてるけど」

「マジかよ、そんなの知らねぇよ?」

「そりゃネットになんか書き込んだら狙われるだろ?だが知ってる奴は知ってるぜ?」

「被害は」

「ま、それなりに」

動機の線は大方間違ってないだろう。梶村梓、またはユウカが爆弾に関わっていたとして、問題はアリバイと入手方法だ。

「例えば、梓さんかユウカさんが爆弾を作る人を手引きしてるとか」

「梓は日中は八百屋だろ?なら休みの日の行動だな。それとユウカだって毎日酒食らってる訳じゃねぇ。協力者が居るなら絶対接触があるはず。こらぁ、張り込みかなあ、めんどくせえ」

「足立さん、ネットでプラスチック爆弾の入手経路なんてやっぱり無理ですよ、それに、とあるサイトには作り方まで書いてありますし、そこまで裏社会との繋がりを考えるのもアレなんじゃないですかね」

「ですが、色々と不可解な事もあります。全体的に見ると、1人でやったと考えるにはちょっと緻密というか。殺人事件の方なんかは麻酔銃まで使われてますからね。ここまで証拠が残らないのも、何か、犯罪組織的なものが影にあると考えざるを得ないです」

「悪知恵役ってやつか」

「はい」

「何の為にだ。巧妙なトリックと引き換えに大金せしめるとかか?そんなん、要は、何だ、犯罪コンサルタント、いや、犯罪プランナー、まぁどっちでもいいか。そんなようなもんって事か」

「私は可能性はあると思います」

「つっても、だとしてもそのトリックとやらを解かない事には始まらないだろうよ」

「頼みの綱は田辺さん達ですね。閉店後の山下蘭の映像で何か分かればいいんですが。ちょっとまた、梶村梓さんの所、行きますか」

「聞いたところで、素直に関わってる人の事話すか?」

「いえ、どっちかと言うと多重人格者っていうものに、ちょっと興味があります」

梶村梓は変わらず嫌な顔をせず私達をお店の自宅部分に促した。ユウカとの仲を聞いてみると、梓は思い立ったように何やら2階へと上がった。だが特に急ぐことなく戻ってくると、その手にはノートが握られていた。

「それは何でしょう」

「私とユウカの、交換日記です」

「いつからでしょう」

そう聞くと、梓は穏やかな微笑みを浮かべた。多重人格者の心情などはよく知らないが、トラウマや嫌な思い出を振り返るような暗い表情ではなく、それはまるで純粋に友達か何かを思い出しているようなものだった。

「高校1年の時、ある日朝起きたら自分がお酒臭かったんです。で、枕元にはメモがありました。ごめん、飲み過ぎた、ユウカっていうメモ。それから、交換日記を始めたんです」

「もしかして、ユウカさんが行ってるバーとか、よく飲んでるものとか知ってたりしますか?」

「はい。私も、1度ホワイト・フォレストに行ってみました。ユウカが飲んでるもの飲みましたよ?ホット・ラム・エッグノッグ」

「そうですか」

こうなったらバーやお酒に関しての記憶で、多重人格が演技かどうかの検証をする事は無理だ。佐上も同じ事を思ったのか、何も言わず、残念さを眉間のシワで語りかけてきた。

「その、多重人格というものを間近で見た事がないので、偏見を持ってるかも知れませんが、別人格同士は干渉し合わなかったり、仲が悪い訳ではないんですね」

「えぇ、ユウカとは同い年なので、それにお互い、1人だったから。あ、あのそれで、話ってその事ですか」

「実は、梓さんとユウカさんのそれぞれの関係者を調べようと思いまして。その、1人って事は、1人っ子という事ですか」

「はい」

「では、任意なので黙秘しても構いませんが、周りに、犯罪に詳しい人とか、犯罪行為を持ちかけてきたりするような人、知りませんか?」

「えっそんな人、なんて、知りません。でも、ユウカは夜型だから、バーに行ったりクラブに行ったりしてたら、そういう人と関わってたりするかも知れませんけど」

「ではあの、柳谷さんが店を閉めた後、斉藤建設の人間と話していたと聞いたんですが」

「あ、は、はい」

「どんな話でしょう」

「斉藤建設の人と、株式会社カケスエーテルの人も一緒でした。再開発の話です。それで、まぁ、ちょっと乱暴な事言われたり。あの、魚屋の佐久間(さくま)さんに聞いたんですが、あの、斉藤建設の人って、ヤクザだって。本当ですか」

「えぇ、まぁ。因みに、今日ユウカさんは、そのホワイト・フォレスト行きますかね。ユウカさんとも話したいので」

「じゃあ伝えておきます」

車に戻ると佐上は首の骨を鳴らした。少し話しただけでそんな疲労が溜まったのだろうか。それともただの加齢による老化だろうか。

「お前今老化とか思っただろ」

「何で、分かったんですか」

「俺もそう思ってるからだよ」

「心と髪は燃えても、体は正直ですね」

「はーヤダヤダ。ん?電話だ、汐留だ。はいよ、えっああ、分かった」

「どうしました?」

「トクホサにお客さんだとよ」

つまり何か事件があり、その事件の事でトクホサにアドバイスを求めに来たという事だろうか。捜査一課に戻るとすぐさま声をかけられた。勝島の相棒だった。

「お前確か、新米だよな?何つったっけ」

「はい。来馬です。あれから聞き込みしてたんですけど、斉藤建設の事で、ホワイト・フォレストっていうユウカが通うバーの入口手前で、夜なんで多分ユウカだと思うんすけど、ユウカと斉藤建設の人が会ってたそうっすよ」

「へー、まぁ俺達今夜ユウカと会うけど」

「あ、あと、バーテンから聞いたんですけど、昨日見たらしいっすよ?」

「はぁ?オバケを?」

「ちーがいますよー。噂の犯罪プランナーっすよ」

「はぁ?噂のって、知らねぇよ。てか、マジなのか?見たって事は容姿を知ってるって事だよな?どんな奴だよ」

「いや容姿じゃないっす。その筋の話じゃ、剣のモチーフのネックレスが目印みたいっすよ」

「でっ、容姿は」

「深くフードを被ってたので分かんなかったって。それでそそくさとVIPルーム行っちゃって、しかも一瞬だったので、本当かどうか分かんないっすけど。そんなネックレス、珍しくないし」

「てか何でお前、噂のとか、知ってたんだよ」

「え?アメリカで有名じゃないっすか」

「知らねぇわっ。お前、まさかハーフか?」

「はいっ来馬・ケビン・博信(ひろのぶ)っす。アメリカじゃ犯罪プランナーなんて色々居ますけど、それで1年前から1人日本に行ったってので、知ってる人の中じゃ結構な噂なんすよ」

その自慢げな笑みに何を思ったのか、佐上はふと顔を向けてきた。

「お前、マジで魔法使いかよ」

「そんな事ないですよ。可能性は無限大ですから」

「カメラ映像取った時に聞いたのか?」

「いえ、手分けして聞き込みしてる時に俺1人で、何となく、噂知ってるかなぁって」

「そうか、まぁとりあえずよく分かったよ、サンキュー、ケビノブ」

「あっは、ケビノブは初めてでした」

アメリカ育ちというのはこうも明るい人柄なのか。それにしても犯罪プランナー。そんなものは警察官として到底許せるものではない。そしてそれが本当なら、ユウカは何かしらの接触を受けているはず。しかもそんな事を生業にしているなら、たった1回の爆発ですべてを暴かせるとは思えない。まだ、きっと何かある。

「佐上さん、殺人事件も、犯罪プランナーの入れ知恵でしょうか」

「殺しの方はそう思った方が自然だろ。麻酔銃に発信元不明の通報、一般人じゃ無理だ。けど、それが分かった所でホシが割れねぇ。ったく大したプランターだ」

「プランナーです」

「プランA?」

「プラン、ナーです」

「プランNAA?」

「エヌエーエー?いえ、普通に、プランナーです」

すっかり日が落ちた藍風3丁目。商店街から少し離れた場所に建ち、隠れ家的な雰囲気で人気の夜8時から開店するバー、ホワイト・フォレスト。その店の前で待っていると、やがてユウカと思われる女性がやって来た。すると目の前に立ち止まるなり、ユウカは少し迷惑そうな表情を見せた。

「あんまり梓を追い詰めないでよ。繊細なんだから」

「ごめんなさい。気になる事がある以上、放っておく訳にはいかないので」

「え、あたし何か疑われてるの?」

「いえ、気になるってだけです。それじゃ行きましょうか」

店内はカメラ映像で見た通り、控えめでミステリアスな明かりに照らされていた。お客はちらほら居るし、ウェイターも分かる。しかしこの薄暗さでは人の顔などは近付かないとよく分からないだろう。ましてやフードを深く被っている人なら、例えバーテンダーやウェイターでもお客の顔をすべて把握出来そうにない。ユウカは自然な足取りでいつも座っているというカウンター席に座った。

「バーテンさん、ホット・ラム・エッグノッグ」

「私も同じものお願いします」

「俺はウイスキーでいいや、お湯割りで」

「かしこまりました」

少しして出てきたのは、一見お酒とは思えない透明感の無いものだった。薄暗くてよく分からないが、その上にはシナモンと思われるものが振りかけられていた。しかし丸みを帯びた小さなガラス製マグカップは可愛い。

「うわぁ、甘くて美味しいですね」

「刑事さん、見た感じこんなとこ来たりしなさそう」

「そうですね。でも居酒屋はよく行きます」

「へー、刑事ドラマのまんまじゃん。で、仕事しに来たんでしょ?」

「では、斉藤建設はご存知でしょうか」

「知ってるよ?ヤクザなんでしょ?」

「話した事はありますか」

「うん、前に梓だと思ってこの店の前で話しかけられた。あたしは梓の記憶知ってるからオヤジが、斉藤建設に店閉めさせられた事も知ってるし、その事を出しにして次にウチを狙ってる事も知ってる」

「その後、何か、犯罪に詳しい人とか、犯罪を持ちかけてきたりする人との接触はありますか」

「あはは、何それ、そんな奴知らない」

「バーテン、ちょっといいか?」

「はい何でしょう」

お酒が大量に並んだ棚をライトアップしていたり、カクテルなどを作る為に作業場を明るくしているお陰か、佐上に呼ばれ、世間話か仕事の話かと少し戸惑うバーテンダーの表情がよく見える。

「あんたは何で、犯罪プランナーの噂を知ってた」

「アメリカにはよくお酒の買い付けにいくので。バーやクラブじゃそういう話よく転がってますからね、バーテンをやってたら自然と耳に入ってきちゃうものですよ」

「それで、その剣のモチーフのネックレスのパーカー野郎、この暗がりじゃ顔は分からないか」

「役に立てなくて申し訳ないですが」

「他に特徴は、身長とか、体型とか」

「身長は、恐らく170ちょっとくらいだと、まぁ僕くらいですか。体型はごく普通な感じですよ」

「そうか。どうも」

「いやー、人生初めてのカクテルがあれで良かったですよー、美味しかったなぁー」

「刑事さん、キャラ壊れてんじゃん」

「じゃあユウカさん、ありがとうございました」

「こっちこそ、奢って貰っちゃったし」

車に戻る頃にはふわふわしたような感じは空気が抜ける風船のように萎んでいた。しかしドアを閉めたその瞬間、まるで小さな風船が音を立てて割れるように、記憶の中の一辺がふっと沸き上がった。

「何で、住宅街に爆弾を仕掛けたんでしょう」

「は!?そらお前、商店街に気を向かせる為なんだろ?」

「犯罪実行者ではなく、犯罪プランナーですよね。つまり実行犯は素人です。私達の相手がもし本当に犯罪プランナーなら、素人にそんなリスキーな事させるでしょうか」

「悪い、俺、犯罪プランナーの気持ち知らねぇわ。てか、愉快犯じゃねぇか?」

「そうかも知れません。でも、噂にまでなる犯罪プランナーです。練習で爆弾を爆発させる必要は無いと思います。確実に犯罪を遂行させたいなら、手練れにとってあの住宅街の爆発は無駄なはず」

「だから、目立ちたがりの犯罪プランナーなんだろ。あれ、いや、そもそも住宅街の爆発がなきゃ、俺達だってここまで捜査出来ねぇよな」

「そうですよ。私はあれ、犯罪プランナーからの挑戦状だと思います」

「んー、まぁそれでも良いけど、もしそうならその犯罪プランナーの目的はよ」

「そもそもプランナーです。重要なのは実行犯の目的です。犯罪プランナーは私達に商店街に注目して欲しかった、そしてその商店街には今現在、商店街を脅かす存在がある」

「焦れってぇなあー。斉藤建設を張り込みゃ良いんだろ?けどだからって、実行犯は誰だっつの。1番怪しいユウカのアリバイだろっ問題はっ」

「山下蘭の映像、朝一で見ましょう」

鈴の音が頭に鳴り響く。その直後に昨日の事のすべてが頭に甦る。しかし同時にある疑問も湧く。何故目覚まし時計ではなく、着信なのか。また何か新しい事件でも起きてしまったなら、少し忙しくなってしまう。着信画面を見ると、そこには汐留の名前が表示されていた。

「はい」

「汐留です。大変ですよ。斉藤建設、爆発しました」

目が覚めてすぐのその言葉は思考を鈍らせた。そして真っ先に浮かんだ言葉は、先を越された、だった。

「被害と爆発場所は」

「昨日のより大きなものですが、怪我人は居ません。爆発したのは会社の玄関前に停まってた車で、玄関も被害を受けてます」

「何時に爆発したんですか?」

「通報を受けたのが午前4時36分。爆発音に飛び起きて、その有り様を見てから通報したと言ってましたので、恐らく4時半かと」

あの後佐上が勝島に電話をしていた。そして勝島達が斉藤建設を張り込んでいた。なのに爆発した。居眠りでもしていたのだろうか。

「おっす」

「おはようございます」

野次馬や記者が群れ、規制線が張られた斉藤建設。その玄関口は爆風によってなのか、ガラスは砕けコンクリート部分はヒビ割れ、焦げ付いていた。玄関口のすぐ目の前に停まっていたはずの車は玄関口の反対側に吹き飛び、逆さまになっていて、その無惨な状況は正に誰が見ても爆発事件が起きたものだと言えるだろう。

「勝島さん達は」

「取り調べだってよ。斉藤建設のもんが、勝島達を犯人と勘違いして乱闘になってな。まぁヤクザだし、余罪もあったから、そんまま連れてった。しっかし、言うなれば、これが斉藤建設への警告の本番だよな?つっても、斉藤建設ぶちのめしたってカケスエーテルが辞めなきゃ変わんないだろ?」

「斉藤建設が世間に注目されれば、カケスエーテルとの繋がりもいづれ暴かれます」

「おい、カケスエーテルが本当のターゲットかよ」

「それはどうでしょう。そこら辺も調べてみましょう」

事件から時間が経っていて、住宅街のものよりも更に大きな爆発の跡にはもうすでに鑑識の姿はない。崩壊した入口から会社内に足を踏み入れてみると、受付カウンターと幾つかのデスクがあるそこには変わらずデスクに着いている従業員達の姿があった。

「おいおい、よく仕事出来んな」

「何でしょう」

眼鏡を掛けた若そうな男性が立ち上がり、警戒心と敵意を持って歩み寄ってきた。その目つきはまるで宿敵を見るようなものだ。

「警察の方にはもう事情聴取を受けましたが」

「すみません。係が違うので、重ね重ねお邪魔致します。皆さん、変わらずにお仕事ですか?」

「入口が無くなっても、仕事は無くなってませんので」

「おほ、面白ぇな」

「用が無いならお引き取りを。見て分かりませんか?仕事中なんですが」

「じゃああと1つだけ」

「狙われる心当たりはありませんし、仕事内容は黙秘します」

「え」

「同じ事を何度も聞かれるの嫌なので。で質問とは」

「では、先程刑事と乱闘を起こした人達のように、この会社には常駐者が居るのですか?」

「え・・・っと、いえ、あの3人はたまたまです。留守番ついでの警備のようなもので」

「心当たりが無いのに何の警備でしょうか」

すると男性は眼鏡のブリッジに指を当てた。

「深い意味はありません。ただの留守番です。それから今ので2つ目です質問は。もう帰って下さい」

視聴室に向かうと、2、3、4番取調室では斉藤建設の人間の取り調べが行われていた。しかし10分経っても20分経っても3人はそれぞれの余罪の事は話しても爆発事件の事だけは知らないの一点張りだ。

鑑識課に入ると爆発事件のテーブルの下には勝島達とは別の担当刑事、特殊犯捜査3係と思われる2人の中年男性が居た。するとまたもや顔見知りなのか、佐上は躊躇なく2人に歩み寄った。

「噂の嬢ちゃん、足立真歩」

そう言って佐上はこちらに親指を差してみせる。

「そっちが八敷(やしき)、こっちが米原(まいはら)

眼鏡を掛けた小太りな方が八敷さん、張った頬骨に太い眉毛が米原さん。それにしても佐上さんは顔が広い。

「足立です、宜しくお願いします」

「うん。佐上さん、斉藤建設とカケスエーテルの繋がり、週刊誌がバラすのも時間の問題ですよ。僕が来た時、すでに記者が居ましたから」

おや、八敷さんは佐上さんと親しいのかしら。

「ああ、多分それも狙いかも知れねぇ」

「じゃあ僕達、そっち洗います」

「そうか、じゃ頼むわ」

殺人事件担当の鑑識は待ち兼ねたような顔でパソコンを操作していき、画面に閉店後に買い物に行く山下蘭の映像を出した。マスクをしているが花屋から出てきたその人は山下蘭で間違いない。

「前に見たスーパーの山下蘭、並べて下さい」

「はい」

「マジかよ、靴が違う」

「はい。やっぱりスーパーに行くだけじゃ靴は変えませんよ」

「けど骨格が一致はでかいだろうよ」

「宮内さーん」

宮内に持ってきて貰った、バーから商店街への帰り道のユウカのカメラ映像を、最初に見たスーパーで買い物をしている山下蘭のカメラ映像の横に並べる。そしてまったくの別人であるはずの2人の骨格を照合していく。結果は一致だった。そして一致という表示の横には98、2%の表示。

「ウソだろ?おい、マジかよ。ぶっ壊れたんじゃねぇか?」

「よく見れば靴が同じです。だからこれは、交換アリバイですよ」

「はぁ?こ、コッカースパニエル?」

「え?何で犬の話になるんでしょう」

「いや、でも、骨格が一致って、じゃあ歩き方は」

真夜中を歩くユウカ、スーパーで買い物をする山下蘭の歩き方が測定され、同時にそのデータが重なりあっていく。結果は一致だった。そして一致の表示の横には98%の表示。

「鑑識さん、次はユウカさんがバーで過ごしている映像と、山下蘭が閉店後に買い物に出かける映像とを照合して下さい」

次にユウカがバーに居るアリバイの証明となる映像と、山下蘭が閉店後に買い物に出かける映像が横に並び。2人の骨格が照合されていく。結果は一致だった。そして一致の表示の横には97、3%の表示。

「ほら、この2人も靴が同じです。山下蘭と梶村梓、2人は偶然にも骨格も歩き方も酷似してるんです」

「だが、機械は騙せても人の目は騙せねぇよ。バーテンもユウカだって、スーパーの店員も山下蘭だってそれぞれ証言してる」

「それは、ものまねメイクです」

「も、桃の缶詰め?」

「買うものリストのメモを渡し、ルートなど予め伝えておけば、梓さんかユウカさんでも不自然に見えないようにスーパーを歩く事は可能です。ですが、これはあくまでもアリバイを崩しただけです。山下蘭が害者を殺した決定的証拠にはなりません」

「とりあえず田辺呼ぶか」

デンデンコンビが来る間に殺人事件の遺留品を眺めてみる。血のついたナイフ。害者の服。麻酔銃の針など。その中でふと気になったのは一粒の種だった。山下蘭が犯人だとして、犯行時間に花屋の山下蘭が落としたもの、という事だろうか。

「よぉ嬢ちゃん、でかしたなぁ、たった1日で」

「どうもです。もしかしてこの種で落とすんですか?」

「まあな。アリバイ崩れてこの種まで出ちゃ、もう逃げられねぇ。うし、早速行くか」

「田辺さん私達も行かせて下さい」

「え?何で?」

「勉強です」

「まぁいいか」

確かに疑うに至るほどの証拠だとは思う。肝心のアリバイも崩せた。しかしこの時点で勝負に出るという事は、田辺は最後には説得を選ぶという事だ。だが実際、犯罪プランナーはそうせざるを得ない証拠しか残させなかった。それほどの相手だという事だろう。

藍風4丁目、国道に続く二車線道路沿いに建つ花屋、フローリスト・山下。販売店経営を前提に作られたという大きなガレージのある一軒家。山下蘭はそこで母親と共に花屋を営んでいる。田辺の顔を見てか、4人の姿に山下蘭はうんざりするようで、若干怒りさえ覚えているような表情を見せた。

「何ですか」

「悪いな、大事な話なんだ、奥でいいかな」

田辺の言葉になのか、4人で刑事が押し掛けてきたという事になのか、山下蘭は一瞬目を泳がせた。しかし特に気を立たせる事はなく、山下蘭は母親に一言告げると4人を家の中へと促した。

「いやぁすまんね、本当は2人で来るはずだったんだが、この嬢ちゃんはまだ新米に毛が生えたぐらいのもんでな、勉強の為についてきただけだから気にしないでくれ」

捜査一課内では田辺が人情キャラで通ってる事は有名な話だ。だからこそいざとなったら説得という選択肢を取ったのだろう。4人掛けダイニングテーブルの椅子にデンデンコンビ、山下蘭が座り、トクホサは立たされる。だがこれは今日に限らず、トクホサの立ち位置としては当然の形だ。

「一昨日、夜7時半から8時過ぎ、スーパーのダブリュ・フーズに買い物に行っていた事、間違いはあるか?」

「無いですよ」

余程自信があるのか、田辺からの最後の質問のような雰囲気の問いに、山下蘭は真っ直ぐな眼差しですぐにそう応えた。直後、田辺は頷き、同時にため息を吐いた。

「その時のスーパーの監視カメラ映像に映る山下蘭さんの骨格と歩き方が、別人のものと一致したよ。そしてその別人は一昨日の夜の11時半頃にバーに居た。だがその監視カメラ映像の別人の骨格が、山下蘭さんのものと一致した。つまり入れ替わってんだよ」

山下蘭の目は泳いでいた。しかしやはり諦めるような表情は見せず、ふと何かに気付くような表情を浮かべると、田辺を見るその目つきは少しだけ鋭くなった。

「でも、それは私が人を殺したという証拠にはなりませんよ?」

「え、俺は大事な話としか言ってないけど。それとも疑われる心当たりがあるのか?」

山下蘭は一瞬目を見開くとすぐに目線を落とした。それは正にしまったと思い、そしてその思いを隠そうとする素振りにしか見えなかった。しかし直後に何故か田辺は冗談ぶるように笑いだした。まるで自分で張り詰めさせた空気を自分ではたき落とすように。

「で、本当は何してた?あの時」

「私はただ、アリバイ作りを頼まれただけ」

「その子と面識は」

「知らない」

「どういう段取りか、細かく正確に話してくれ」

「私は、ただ、あのバーで、30分居るだけでいいって。それでバーの前で待ってたあの人が入れ替わって普通に帰るって事に」

「うん、で、一昨日の夜7時半から30分何してた。その時スーパーに居たのは山下蘭さんじゃないんだ」

しかし山下蘭は黙り込んだ。どうやらその事に関しての嘘は用意してなかったようだ。なら遺留品の種を出すのは今だ。証拠能力は薄いがそれは確実に山下蘭を追い詰められる。すると田辺はまたもや小さく頷き、ため息を吐いた。証拠を出すしかないと諦めたのだろう。

「なぁ山下さん、もういいんじゃないか?」

まるで私の気持ちを写したように、いやただ単に同じ事を思ったのか、山下蘭はただ理解に苦しむように眉間を小さく寄せた。

「あんたを脅かす野郎はもう居ない。もう怯える必要はないんだ。俺は刑事だが、あんたの気持ちはよく分かるさ。家族を殺されて恨むなって言う方がおかしい。確かにあんたは法律を犯した。けどなぁ、あんたがやった事、100%責められる奴なんて居ない。だからもう肩の力、抜いていいんだ」

山下蘭は静かに泣き出した。その姿はまるで我慢していた子供が泣き出したようだった。すると田辺は静かに立ち上がり、山下蘭に歩み寄り、その分厚い手で優しく山下蘭の肩を擦った。

「辛かったな」

山下蘭は必死に声を圧し殺していた。しかしその頬には止めどなく涙が流れ落ちていた。辛かったな、その一言は田辺の少し掠れた優しい声に乗り、山下蘭の心をも撫でているようだった。

「もう大丈夫だから。な?自首して刑を軽くしてくれ。あんたの人生、まだまだこれからだろ」

けたたましく、力を誇示するようなサイレンなど鳴らさず、山下蘭を乗せたパトカーは静かに去っていった。証拠も出さず、本当に人情キャラで説得した田辺を、私はただ眺める事しか出来なかった。

「いやぁ、ザ・ベテランだねぇ。歳を食った奴にしか出来ないやり方だ。勉強になったか?」

「はい。本当に本当に勉強になりました。証拠も出さず泣き落とすなんて、今の私じゃ、到底真似出来ません」

「そりゃそうだろ。まだ10歳だもんな」

「私はコナンではありません。何と仕事してると思ってたんですか」

「あれ、お前、本当にいくつだっけ。そういや知らなかったな」

「26です。言いませんでしたっけ」

「火星から来たってのは聞いた」

「言ってません、そんな事」

この赤髪の中年には、100年経っても田辺さんの真似など出来ないだろう。改めてナイスミドルとは何たるかを考えながら、佐上と車に戻った。次はユウカだ。アリバイは崩れた、だがそもそもアリバイを作る事自体、何かを隠している事に他ならない。例え怪我人を出さなくても、町の中で爆発なんて、すぐに止めさせなければ。

車を下りた途端、ふとどこからか人の声やら大きな物音やらが聞こえてきた。無意識に目線が投げられると、梶村梓の居る八百屋には2人のスーツの男性が居て、その2人は正に暴力団らしい怒鳴り声を梶村梓に浴びせかけていた。

「こんな店なんていつでも潰せんだよぉ!嘗めてんじゃねぇぞおらぁ!」

急いで駆け寄っていく最中にも、1人が店先の商品棚を蹴りつけ、果物を地面に散らかしていく。

「おーいクソガキ共ぉ、業務妨害に恐喝、そんなに留置場入りたいほど人生暇なのかあ?」

「あ?んだと?てめぇ」

「お、公務執行妨害で今すぐ連れてって欲しいならそうしてやるよ?ほら来いよ」

「行くぞ」

佐上の目と鼻の先にまで詰め寄っていた1人に別の1人がそう声を掛けると、その1人は佐上の目の前で地面に唾を吐き、別の1人と共に去っていった。

「佐上さん、さすがに挑発が過ぎるのではないでしょうか」

「挑発なんてあいつらにとっちゃおはようございますだ。あいつらも何とも思っちゃいねぇよ」

「そうですか」

「くそったれ」

果物を拾い始めた矢先、そんな言葉が梶村梓から聞こえた。顔を見ると梶村梓もこちらに顔を向ける。その目つきは梶村梓のものではなかった。

「ユウカさん?」

「当たり前でしょ」

「ちょうど良かった。その、ユウカさんに大事な話があって」

リビングテーブルを挟んで座って貰う中、その態度は何やらピリピリしていた。まだ先程のヤクザ達に対する気持ちに収まりがつかないのだろう。その目は伏せられ、夜に伺える自然な落ち着きは失われていた。

「早くしないと寝ちゃうから」

「一昨日11時半頃、ホワイト・フォレストに居た事、間違いないですか?」

「・・・うん」

「山下蘭さん、先程自首しました」

ユウカは顔を上げた。その驚いたような表情は、ユウカとは面識が無いという山下蘭の証言に疑念を生み出させるものだった。

「その時間バーに居たのは山下蘭さんですよね?」

再び目を伏せたものの、態度はすでに大人しくなっていた。それは正に何かを諦めたような落ち着きだった。

「・・・うん」

「ならユウカさんはその時、何してたんですか?」

「・・・運び屋、かな」

「おいおい、まさかヤクの話じゃねぇよな?」

「違うよ。その・・・」

「爆弾、ですか?」

その直後、ユウカは後ろに倒れ込んだ。畳に頭が落ちる音が小さく響いた。その現象は思考を止め、脳裏にはただ目を伏せているユウカが焼き付いていた。

「何だよおい」

「ユウカさん?」

立ち上がろうとした矢先、ユウカは起き上がり始めた。まるで眠りから覚めるように。

「あれ、刑事さん」

その表情はまるで何も知らないようなものだった。直後にその人はその場を見渡した。まるで何故ここに居るのかさえ理解していないように。

「梓さん?」

「はい。あの、もしかして、ユウカと話してました?」

「えぇまぁ。でも急に、いえわざとかも知れませんが」

「今頃は、ユウカは寝てるんです。でも斉藤建設の人が来て、いきなり怒鳴ってきたので出てきてくれたんですけど、多分睡魔に勝てなかったんだと思います」

「睡魔ですか」

人格障害の事は詳しくないし、脳科学の事など分からない。本当かどうかだって、どう調べていいかも分からない。

「ユウカに話があるんですか?」

「はい」

「ならやっぱり、夜に来て頂いた方が」

「そうですか。じゃあ、お邪魔しました」

確かにまた夜に来れば普通に話せる。だがもしその前にまた何か起こったら?一昨日の深夜だって昨日の深夜だって、爆弾を1つしか仕掛けてないなんて確証はない。

「佐上さん、山下蘭の視聴、行きましょう」

「だな」

6番取調室のモニターにはデンデンコンビと山下蘭が居た。その立場は罪を犯した者と咎める者、普通ならあの状況では人は罪を暴いた警察に怒りをぶつけたり、ぶっきらぼうな態度を取る。だが山下蘭はむしろ聴取相手の田辺には穏やかな態度を見せ、更には時折笑みさえ浮かべていた。

「1つ分からないのが、足跡なんだが、裸足でも靴でもなく、どうやって家に上がった?それも入れ知恵か?」

「はい、シリコンゴムでサンダル作って、終わった後に溶かしました」

「そうか。それで肝心の、犯罪を持ちかけてきたのはどんな奴なんだ?」

「それが、顔、思い出せなくて。思い出すと顔だけモヤモヤしてるんです」

「まぁ・・・じゃあ、他に特徴は」

「剣のモチーフのネックレスです。パーカーのフードを常に被っていました」

「名前は」

「ソードって名乗ってました」

「で、いくら払った」

「え?」

「アリバイ作りの筋立てて麻酔銃まで貸したんだ。代償くらい要求されるだろ」

「それが、何も。慈善事業だって言ってました」

「何だそら」

慈善事業で、犯罪プランナー。果たしてそんな事をする人間の心理とは。まったく理解出来ない。いやそもそも犯罪プランナーなんてもの、慈善でやるとかそういうジャンルじゃない。トクホサの小部屋に入ると汐留はデスクに着いてはいるが、寛ぐようにコーヒーを飲んでいた。

「おはようございます」

「おはようございます。足立さんやりましたね。また1つナイスアシストです」

「えぇまぁ」

「汐留知ってるか?ソードとかいう犯罪プランナー」

「知りませんねぇ。まぁネットになら何かしらあるかも知れませんけど」

「アメリカで有名だと。ちょっと調べてくれ」

「はい。・・・・・・アメリカの記事に、結構ありますよ?おおっ、あっ、すごいですね」

「おいおい、誰がアメリカのAV見ろっつったんだよ」

「見てませんよ何でですか、もー。いやぁそのソードっていう犯罪プランナー、ファンサイトまでありますよ?」

「はぁ?犯罪プランナーを調べろっつったんだよ」

「要は義賊ですよ。ゾロのように紳士的で、ルパンのように神出鬼没、ってところですね訳してみると」

「義賊だと?ったく、ふざけた野郎だ」

「弱者の為に、強者を挫く知恵を与える。しかしソードの顔は誰も知らず、無償で授けられる知能犯罪計画は警察をも寄せ付けない」

「顔を知らないって、山下蘭もそう言ってたな」

「例え実行犯が捕まってもソードに辿り着けないのはそのせいですね。会った人はすべて、催眠術で顔を思い出せないようにされてると」

「チッ催眠術かよ」

「うわぁ、これは・・・ソードは催眠術とイリュージョンの達人で、格闘技も使えるらしいです。あはっこんなの、勝てませんよ」

「おいこら汐留ぃっ諦めんな!。おおっ何だ電話か。おお八敷だ。よぉ。おお。ほぉ。はいよ」

義賊の犯罪プランナー、ソード。アメリカ人なのかしら。

「カケスエーテルと斉藤建設が共謀して裏金作りしてるってよ。その裏金はまぁ斉藤組の活動資金になると考えれば辻褄は合う。もし斉藤建設を潰す事でカケスエーテルに社会的ダメージを与え、斉藤組をも潰す事になるって事まで考えてやってんなら、その犯罪プランナーは、藍風のヒーローかもな」

「佐上さんまで。まさか、ソードを放っておくつもりですか?」

「んな訳ねぇ、犯罪プランナーの最終目的が斉藤組壊滅なら、警察が先に斉藤組を潰せばいいだけだ」

「今すぐ別件で引っ張るんですか?」

「そう出来たら良いけどな。ソタイはまだ斉藤頼馬を内偵中だからな。まあちょっと聞いてみっか」

組織犯罪対策部の一角には丸っきり人の居ないデスクがあった。総動員したのは容易にガサ入れに行ったからだと予測出来る。浜脇の居る5係も内偵中とあってかそれなりに人は居ないが、偶然にも浜脇の姿はあった。

「ハマ」

「おお、どした」

「斉藤建設行けそうか?裏金あんだろ?」

「明後日、新宿3丁目の廃ビルでヤクの取引がある。だから会社には行かねぇよ?」

「あの浜脇さん、斉藤建設内で爆発の事はどう思われてますか?」

「あー、商店街の八百屋の梶村梓が漠然とだが疑われてるみてぇだ。けどすぐに店まで潰そうとかそういう事はなさそうだぜ?」

「そうですか。もしかしたらですが、爆発事件首謀者は斉藤頼馬の命も狙ってる可能性があって、爆発は連日に渡って早朝に起こされている事から、明日の朝、斉藤頼馬の命も奪うほどの爆発が起きる可能性があります。今日中にでも別件で引っ張る事は出来ないんですか?」

「えぇ?ああ、んー、そりゃあ、マジかぁ。課長ぉっちょっといいすか!」

デスクに着いていた課長が来ると浜脇から今の話が伝言されるが、やはり課長も唸り出し、そこにはすでに否定的な答えを予測出来る空気が流れだした。

「ヤクの取引は叩けば取引相手の情報も割れるからなぁ。可能性ってだけじゃちょっとなぁ」

「そうですか」

「悪いな嬢ちゃん、確証が無けりゃさすがに動けないわ」

「いえ、こちらこそすみません中途半端な情報で。お邪魔しました」

山下蘭がソードと接触してるなら、爆発事件の実行犯も必ずソードと接触してるはず。でもユウカさんも梓さんも知らないと言ってた。勿論嘘をついている可能性もある。けどもしそれが本当だったら?嘘ではないと仮定したなら、実行犯は別に居る事になる。アリバイ作りをしたからって実行犯ではないと仮定したなら、実行犯は――。

「おい蜂蜜美人」

「え、はい、あ、八敷さん達来てたんですか。ちょっと考え事してました」

「妙な目撃情報上がったんだと。今朝爆発する前、近くの家の子供が斉藤建設に落ちる何かを見たってよ。しかもゆっくりとな」

「ゆっくりと落ちる何か、ですか」

「はい。それと、爆発直後、斉藤建設の3人が勝島さん達と乱闘し、勝島さん達が3人を連行した後です。斉藤建設の近くで梶村梓、もしくはユウカの目撃情報が挙がりました」

「おおマジか。ゆっくり落ちる何かに、まぁユウカだろうが目撃情報。こりゃ、ラジコンで爆弾を運んだってこったろ。お前らその線で調べてくれ」

「はい」

「さてと嬢ちゃん、八敷達が本筋洗ってる間、どうするよ」

「病院行きましょう」

「おい、遂に蜂蜜飲み過ぎてどうかなったか」

「なりませんよ。蜂蜜は健康の味方です。佐上さんこそ、腰痛と痛風と水虫と五十肩と眼精疲労と」

「ボロボロじゃねぇかっ。そんなボロボロじゃねぇわっ」

「あは」

「汐留おいこら、おいこら汐留」

「想像してしまいました」

「金髪外人の裸でも見てろよ」

「見てませんからっ」

「てか何でだよ」

「梓さんとユウカさんの他にも、斉藤建設への警告をする動機がある人が居ます」

「あっ確かに柳谷だってそうだな」

「むしろ病院からなら、遠隔操作で斉藤建設に爆弾を運ぶのに必然性があります。ですが確認するのは本人からではありません。嘘をつかれては分かりにくいので」

「監視カメラ、だろ」

「はい」

「じゃ汐留、行ってくるわ」

河合総合病院の警備管理室。そこは常駐の警備員が2人居るそこそこの広さの空間だった。柳谷篤郎が居る病室が右手に位置付く、廊下の監視カメラ映像には当然の如くナース、医者が映り、病室を出入りしていく。問題なのは最初の爆発が起こる前だ。

「足立、ナースステーションで柳谷の面会者記録見てこい」

「はい」

柳谷篤郎の病室がある3階のナースステーション。待機している数人のナースに警察手帳を見せると、ナース達は非日常的なものにそんなに飢えていたのか、噂好きのおばちゃんのように目を輝かせた。

「もしかして副院長の黒い噂的な?」

「あるんですか?噂」

「ありません。あったら良いなぁみたいな」

「すいませんねこの子、そういうの好きなんです」

「そう、なんですか。あの、面会者記録、見たいんですけど」

「はいはいじゃあお掛けになって下さい。ほらみんなも仕事しなさい」

「はぁい」

柳谷篤郎の面会者記録には当然梶村の名前がある。しかしそれ以外には名前はない。こんな所で何かを残す程度の人物ではない、と勝手に仮定するのもいけないんだろうが。それにしても、最初の爆発は斉藤建設からも遠いし、もしかしたら斉藤建設に気付かれないリスクもある。本当にただ目立ちたいからなのか。

「面会者は、いつも若い女性1人ですか?」

「えっと、いえ、たまにお母様と親子2人で来たり、若い男性が1人の時も」

「若い男性ですか、その方も、梶村と署名を?」

「えぇ」

「その方、剣のモチーフのネックレスしてました?」

「んー、あーはいはい、してましたちっちゃいの」

「ありがとうございました」

ネックレスだけでは決められないが、梓さんに男兄弟は居ない。なのに梶村と名乗る男性。

「佐上さん、怪しい人物が出ました。梓さん達に男兄弟は居ないはずなのに、梶村と名乗る若い男性が柳谷さんに面会してます」

「じゃあ映像確保しとくから、そのまま柳谷本人の所行っといてくれ」

「はい」

柳谷の居る病室に入ると、私を見た途端、柳谷は窓へとゆっくり目を背けた。しかしそうかと思えば歩み寄ると再び目線を戻してきて、前に見せた病人とは思えないあっけらかんとした表情を浮かべてみせた。

「1人か」

「えぇ。確認ですが、梓さん達に男兄弟は居ませんよね?」

「居ないよ?」

ふと何の躊躇もなく家の鍵を手渡してきた時の事を思い出した。潔白な人は無意識に身を守ろうとはしない?ポーカーフェイスもいいとこだ。

「梶村と署名して若い男性が柳谷さんに会いに来てた事実を掴みました。その男性とはどんな話をしましたか?」

すると柳谷は小さなため息を吐き下ろした。その目線を落とした素振りは、まるで観念したようだった。疑われないように大胆な事をしたのか、それとも、わざとリスクを背負ったのか。

「まぁ、斉藤建設の事、地上げとか、あいつらの評判とか」

「もしかして、お宅の2階の空き部屋のプラモデル、その人にあげました?」

「え」

「私達みたいに、その人にも鍵渡しましたか?爆弾の素材はプラモデルと同じ合成樹脂です、しかも細かい部品の。あのプラモデル、箱はあっても中身がまったく無くて、お子さんに聞いたら兄のだと。でも長男さんはもう家には来ないんですよね?」

「ふぅ。あぁ、そいつに、鍵渡したよ。でも何で俺が爆弾に関わってるって分かった」

「そりゃああなたにも、斉藤建設を恨む理由がありますでしょ?それに、最初の爆発は商店街に警察の目を向けさせる為、つまり病院に目を向けさせない為だと思いましたから。ここから、遠隔操作で爆弾を運んだんですよね?」

柳谷は小さく頷いた。そして力が抜けるような細く長いため息を吐き、起こしているベッドに深く背もたれた。

「犯罪プランナーに、犯罪計画を持ちかけられましたよね?」

「あぁ」

「やっぱり無償でですか?」

「あぁ。やっぱりって?」

「4丁目の事件にも、その犯罪プランナーが関わってたんです。その事件の被疑者は、妹を殺された報復をする為の犯罪計画を無償で持ちかけられたって。それから犯罪プランナーは、疑われた時の為に、関係のないその別件を絡ませてユウカさんのアリバイ作りをしてたんです。でもそのユウカさんの偽装アリバイはフェイクで、あなたに目を向けさせない為のもの。今頃担当刑事がユウカさんから話を聞いてるかも知れませんが、ユウカさんからは真相には辿り着けない」

「そりゃあ、ゆうちゃん達に犯罪なんかさせられないから。そうさ、全部、俺だよ。藍風の為に、商店街の為に、ゆうちゃん達の居場所を守る為に、斉藤建設は今やらないといけない。けどもうすでに、記者か何かにつつかれてただじゃ済まないだろうけど」

「あの、お体の調子はどうですか」

「え?」

「これからあなたを連れていかないといけませんから」

「ああ、はは、いいよ、呼んでくれ」

田辺のような接し方は出来ない。しかし柳谷のどこかすっきりしたような表情に、私の心の中にさえも安堵が立ち込めた。私の実力ではない、柳谷篤郎自身が無差別に人を殺すような人ではないから、ここまで平穏な解決が出来たのだ。

「自首、してくれますよね?梓さん達もそう望んでると思いますよ?」

「分かってるよ」

サイレンも鳴らさず、手錠も掛けずに済んだ。そんな事を言えばまた嬢ちゃんだの言われるだろう。だがやはりそう思わずに居られなかった。迎えに来た八敷と米原がパトカーで静かに柳谷を連れていくのを眺めた後、ふとこちらを見た佐上は何やらドヤ顔を見せた。

「勉強になったか?」

「まさか、わざと1人で行かせたんですか」

「あれ、怖かった?」

「いえ、それはまったく。私は、やっぱり田辺さんみたいな説得には憧れますね」

「で、犯罪プランナーの手掛かりは掴めたか?」

「いえ。ですが、目星はついてます。行きましょう。・・・もしもし宮内さん、至急確認して欲しい監視カメラ映像があります」

車に乗り込んだその時、車内に佐上の携帯電話の着信音が響いた。シートベルトを着けながら、面倒臭そうに携帯電話を取る佐上にふと顔を向けた。

「汐留か。はい?・・・はぁっ?」

見た目も態度も、日頃の言葉使いも確かに悪いが、肝っ玉だけは分厚い佐上がそんなに驚く事は珍しい。携帯電話を力が抜けるように下ろすその表情は何やら驚愕に満ちていて、それは思わず息を飲んでしまうほどだった。

「斉藤建設が、爆発した」

それほど驚愕に満ち、眉間が寄せきられた顔は初めてだった。耳を疑うより早く、その表情は真偽を物語っていた。

「被害は」

「今燃えてると」

何が起こった。柳谷は今パトカーの中だ。いつ、誰が、どうやって。

「佐上さん、斉藤建設はむしろ後回しです」

警察は基本、後手だ。それが世間からの批判の対象になっている事は今に始まった事じゃない。何か起こってからじゃないと動けないのか、そんな言葉はドラマでも現実でも聞き飽きた。けどこれは、もしかしたら防げたかも知れなかった。これは、刑事として、完全な敗北。

「あ、もしもし宮内さん」

「あの、足立さんが言ってた人物、それらしいのは居ましたが、肝心なものが見えませんね」

「他に特徴的な服装は」

「まぁ、高めのブーツくらいですね」

「そうですか、ありがとうございました」

お洒落に英語で準備中と書かれた看板など気に留めてる場合ではない。それは頭に血が上った感覚に似ている。そのドアを躊躇なく開けると、目の前にはたまたまウェイターの姿があった。しかし警察手帳で黙らせ、作業場に居たバーテンダーを見つける。目的はバーテンダーだ。

「どうも、今日はお仕事みたいですね」

バーテンダーは微笑んでいた。それは端から見れば紛れもなくお客さんに対して見せるものだ。

「あなたが、ソードですか?」

「え?」

「はぁ?」

佐上の驚く声など気に留める余裕はない。その直後、バーテンダーの笑みは深くなった。しかし見開いたその目はただ戸惑っているようだった。

「犯罪プランナー、ソードの話の発信源はあなたですよね。特徴は剣のモチーフのネックレスです。でもそんなものどこにでもある。なのにあなたは身長まで言い当てた。ですがあなたがソードを見たその時間、監視カメラ映像には確かにパーカーを着た人が居ましたが、その人は高めのブーツを履いていた。あの暗がりでしかもあなたからはカウンターに遮られお客さんの足元は見えづらい。それにあなたはすぐにその人はVIPルームに行ってしまったと言いました。その状況で簡単に身長が分かるでしょうか。ましてや、ソードの1番の特徴は誰も顔を知らないという事なのに。あなたはソードをよく知っている、というよりあなたが、ソード」

その直後、バーテンダーは大笑いした。この緊張感でその反応は、一体何を意味するのか。

「嬉しそうですね。まるで出した問題が解かれたように。あなたは隠れたがりだけど目立ちたがり、ヒントを出して、自分に辿り着くかどうか試してたんですか」

「いやぁーははっ。すごいな、東京に、俺に辿り着く人が居るなんて」

「マジかよ、お前、マジでソードかよ」

「そうですよ?いやぁー、トクホサの噂聞いて日本に来たけど、実力は本物か。いや、見違えたよ、真歩」

「・・・え」

バーテンダーは微笑んでいた。耳を疑う間もなく、何故名前を知ってるのか、ただ疑問が募った。

「え?俺だよ、俺」

「詐欺師か?」

「何でだよ。面と向かってオレオレ詐欺する奴なんか居ないっしょ。まぁ19、か8年ぶりだからな。俺だよ、剣一(けんいち)。家族の名前くらい覚えてるよな?」

「はぁ?」

家族、そうだ。剣一お兄ちゃんは、紛れもない家族。19年ぶりくらいだから顔なんて分からなかった。その瞬間に記憶がフラッシュバックされた。いつもクイズで遊んでくれるお兄ちゃん。頭の良さじゃ敵わないお兄ちゃん。笑うと左の口角だけ少し上がるクセ。

「・・・お兄ちゃん」

「待て待て、おいおい、何だよ。家族って」

「サクランボで一緒だったんです。勿論血は繋がってませんが、この人は、私の、兄です」

「サクランボはまだあるんだ?」

「うん。佳苗(かなえ)さんも元気。そんな事より、斉藤建設は?」

「パターンと裏切り、だな。爆弾が仕掛けられるのが1日1回だと思い込んだだろ?けど入口が吹き飛んで、一時的に人が居なくなったその時にまたすぐ、俺が爆弾を仕掛けた」

「お前、それでどれだけ人が死んだと思ってんだ」

「悪者が死んで、誰が悲しむんだよおっさん」

「そいつらにだって家族が居るだろうが。児童養護施設育ちでも、それくらい分かるだろ」

「プランナーだからって高みの見物じゃ示しがつかないからな。けど、俺の存在なんて誰も嗅ぎ付けられない。世間じゃ全部柳谷さんの犯行になるだろうが、だからこそどうやったか、誰も分からない」

「お兄ちゃんのせいで、柳谷さんがテロリストになるんだよ?柳谷さん、いい人なのに」

「断る事だって出来た。決めたのは柳谷さんだ。それより真歩、警察官になる夢、叶えたんだな」

「私は、希望だから。サクランボの子供達の希望なの。児童養護施設育ちでも頑張れば警察官にだってなれる。なのに、お兄ちゃん何してんの?こんな事してたら子供達も佳苗さんも悲しむ」

剣一は小さくため息を吐きながら、残念がるように小さく首を横に振った。それは初めて見る大人の表情だった。

「子供達を悲しませてるのはどっちだよ。俺だって夢があるんだ。そして俺も夢を叶えたんだ。俺の噂知ってるだろ?俺はずっと、アニメで見たルパン三世になりたくてさ、法律に囚われず、弱きを助け強きを挫く。俺だって、子供達の希望だ」

「おい若造、てかバカ造だな。犯罪は犯罪だろ。ヒーローぶるなよ、山下蘭だって犯罪者になりたくてなった訳じゃない。山下蘭の人生はどうなる」

「おっさんは頭が堅いな。堅すぎて釘でも打てるかもな」

「打てねぇわっ」

「法律に満ちているこの世界は今、平和か?山下さんの妹を殺した奴は法律で裁かれた。あんたらはそれで、山下さんが心から救われたと、胸を張って言えるのか?たった8年しか経ってないのに、妹を殺した奴が目の前に現れた時の山下さんの気持ち、分かるか?法律はルールだ、命を守る盾じゃない。この世界は、戦わなければ弱者は死ぬしかない。イジメも犯罪も、テロも過激派も、法律じゃ無くせない。破壊も殺戮も本能の中にあるからだ。法律が人間を作ってる訳じゃないからな。法律とモラルは別だ。心は法律じゃ救えない、法律には心が無いからな。でも弱い奴は戦えない、だから俺が戦う知恵を教える」

「お前の考えは、まあ、間違ってないかもな。だが俺達は、それでも俺達が俺達で作った法律の中で生きていかなきゃならないんじゃないのか?」

しかし佐上と見つめ合う剣一の表情はまるで凍りついたような色の無いものだった。19年の間の剣一を私は知らない。その表情が何を意味しているのかを、私には知る由もない。

「てか悪いが若造、今頃、応援が来て裏口も塞いでる。大人しく箱に入れ」

作業場のスタッフ専用口から勝島と来馬が入ってくると、剣一は先程までの自信を無くしたように大人しくなった。

「真歩、お前が、かけてくれ」

私は、警察官なのだ。例え家族でも、剣一でも。作業場に入り、兄に歩み寄る。その顔は近付くほどあの頃を思い出させた。身内から見ても、なかなかのイケメンに育ったものだ。

「大きくなったな」

「お兄ちゃんもね」

「けど胸は小さいか。・・・グフッ」

「アメリカ人慣れしてるだけでしょ」

「まあな。流石警察官だ、パンチが鋭い」

まさか、家族に手錠をかける時が来ようとは、夢にも思わなかった。剣一に手錠をかける時、ふと他の家族も思い出していた。今頃みんな、どうしてるだろう。静寂に包まれたバー、そこを出れば剣一は連れていかれる。それでも私はこれからも同じ事をしていく、それが仕事だから。

作業場を出た辺りで、剣一は急に手を握ってきた。そんなに真っ直ぐ面と向かって、何かを言う気だろうか。佐上も勝島も来馬も、向かい合う兄と妹をただ見ていたその時、誰も居なくなった作業場の中から弾けるような音が鳴り立った。それは思わず目を向けずには居られないほどで、まるで爆竹でも弾けたかというような音が鳴った方を見ていた時、ふと手首に硬く冷たい感触が乗った。目線を落とすと、私の手首には手錠がかけられていた。しかしそんな事に驚くより早く、潰れた銃声が鳴った。剣一は拳銃を持っていた。どこから出したかなんて考えるより早く、勝島と来馬が倒れていく。しかし血飛沫は出ない。

「てめえっ」

佐上が掴みかかるも剣一は素早くそれを避けた。しかし佐上は更に間髪入れずに素早く殴りかかり、蹴りかかっていく。歳は取っていても佐上の1番の特徴は、同世代の中では1番格闘に長けているという事。確かに歳は取っていても佐上の身のこなしに劣らない剣一は相当な腕だろう。

「いやっはは、怖い怖い。おっさん、やるな。けど、俺もアメリカ仕込みのもん、一応あるんだけどな」

そう言うと剣一は麻酔銃を近くのテーブルに投げた。重たい音が響いた直後、剣一が見せたのはボクシングのフォームだった。それを見た佐上は、小さくニヤけた。

「甘く見るなよ?警察官を」

そう告げると佐上は素早く走りだした。直後、剣一の突き出された手から火が吹いた。ボッと音を上げ、微かな光と熱が広がり、その一瞬でもそれは思わず目を背けずには居られなかった。顔を背けた佐上が剣一を見たとき、剣一の手からトランプがばら蒔かれた。

「くってめえ」

佐上の声と同時に銃声が鳴った。それが麻酔銃だと分かっているからか、一瞬の出来事だからか、ゆっくりと倒れ込む佐上をただ眺める事しか出来なかった。剣一を見ると、剣一は黙って麻酔銃を持った手を丸ごと白いハンカチで覆い被せた。そして直後にハンカチを素早く取り上げるとすでにその手には麻酔銃など無くなっていて、剣一はあの頃のように無邪気に笑った。

「お兄ちゃんお願い、お兄ちゃんの顔忘れさせないで、忘れたくない」

剣一は微笑んだ。少し左の口角が上がるクセ、だけどその表情はすっかり大人のものだ。しかしその微笑みのまま歩み寄ってくる剣一に、犯罪プランナーである剣一、知らない部分が多すぎる剣一に小さな恐怖を抱かずには居られなかった。

「しょうがないな」

すると剣一は目の前を通り過ぎ、外へと向かっていった。

「鍵、お尻のポケットに入れといたから」

そう言うと背中を向けたまま手を挙げてみせ、剣一はバーから出ていった。

山下蘭も柳谷篤郎も、検挙出来た。けど、最悪な結果は防げなかった。やはり、私はまだ未熟なのか。剣一を追いかけられなかった。追いかければもしかしたら麻酔銃でも撃たれていたかも知れないけど、あまりにも衝撃的過ぎた。

私は両親をよく知らない。見るのは0歳の私を抱いている写真だけ。母の妹が私を見ている時、両親は買い物の帰りに事故にあったそうだ。でもその時叔母はまだ未成年だった。だが父の両親、母の両親は私の両親の結婚に反対していて、お堅い家柄と由緒正しい家柄はぶつかり合い、結局どちらも私を引き取る事はなかった。それから、私の実家は児童養護施設サクランボ。経営者は桜井(さくらい)佳苗(かなえ)。まるで本当にお母さんみたいな、お節介な優しいおばちゃん。物心ついた時から剣一も居た。兄も姉も沢山居る中の、3つ上の兄。いわゆるムードメーカーで、いたずらっ子で、特撮やヒーローアニメが好きだった。そういえば剣一の家族の話、聞いた事なかったかも知れない。でもそんな剣一が、まさか、犯罪者だなんて。

何とか無事に戻れたが捜査一課はざわついていた。斉藤建設の大爆発はテレビにも映っていた。死者は7名、その中には斉藤頼馬も含まれていた。爆発地点は2階。2階に居た人達は全員死んでいる事から爆発の威力はある程度伺える。1階に居た人達は逃げたものの建物はほぼ全焼し、ヤクザとして知られていた斉藤組も壊滅した。それに関してはむしろ安堵する人の方が多い、リポーターはそんな事を言っている。柳谷篤郎の事は報道されているが、犯罪プランナーのはの字も出ず、スタジオではMCとコメンテーターが柳谷篤郎をテロリストだの異常者だのと話し込んでいく。

「足立さんお帰りなさい」

「えぇ」

「佐上さん達はまだ寝てますか」

「えぇ、休憩にはちょうど良いでしょう。何か事件は」

「今は特に」

「私、ちょっと出てきます」

しばらくして佐上はトクホサの小部屋に戻った。しかしそこには足立の姿はなく、相変わらずキーボードで指の運動をしている汐留が佇んでいるだけだった。

「足立は」

「どこに行くかは言いませんでしたけど」

しかし佐上は慌てる事なく、心当たりでもあるような顔でどっしりと椅子に座った。そんな佐上を汐留は不思議そうに見ていた。

「恐らくはまぁ、実家だな」

「えっケンカですか。実家に帰らせて頂きます的な」

「んな訳ねぇだろ。実はな、犯罪プランナーの、何だ、あの、ソーダ」

「ソード」

「ああ、そいつ、足立の兄貴なんだとさ」

「でえぇっ何ですかそのドラマチック発言」

「俺が知るかよ。つっても実のじゃねぇ、同じ児童養護施設育ちの、まぁ、家族・・・つうかな」

「え?児童、養護施設」

「検索かけろ、児童養護施設サクランボ」

「は、はい。・・・・・・あ、これですか」

「それが足立の実家。てか仕事中に実家帰るバカ居ねぇだろ」

仕事中に来るのは初めてだ。けど、今どうしても来たかった。児童養護施設サクランボは元は幼稚園だった。佳苗さんの知り合いが経営者だったが、その人が新しく別の土地に幼稚園を建てる時、佳苗さんがここを譲り受け、児童養護施設にした。私に気が付くと子供達が駆け寄ってきた。とても嬉しそうに。休日の時はいつも来てるのに。今はスーツだからかしら。

「佳苗さん」

「あらっ良いスーツねぇ」

「うん、この前新調したの」

「どうしたの?仕事中じゃないの?」

「そう、なんだけど。佳苗さん、剣一お兄ちゃんから連絡来たりした?」

「え?剣一・・・ううん、来てないわよ?引き取られた時、アメリカに着いたって電話が来たくらい」

「そっか」

佳苗は優しく微笑んだ。私が何を考えているのか分かっているように、そして同時に優しく見守るように。

「剣一お兄ちゃんに、さっき会ったよ」

「あらっそう、元気だった?」

佳苗はいつも明るい。ベタだけど、やっぱりまるでみんなの太陽みたいな人。子供達がケンカしても、補導されても、いつも微笑みを向ける。でも、犯罪プランナーだったなんて、言えない。

「うん、元気だった。もうびっくりしたよ、すごく大人になってた。しかも手品が上手なの」

「そうなのねぇ」

「多分、また会うと思う」

でも、私はやっぱりみんなの希望だから。


1つの事件が終われば、後の身支度というものが残る。いつもはここまで気にかける事はない。まるでただ旅行先のホテルを変えるようなもの。だが今回は少し違う。稀に見る緊張感。戻るタイミングは重要だ。自分達が帰って行った直後にまさかホワイト・フォレストに戻るなんて思わないだろう。裏口からバーに戻ると、スタッフルームには天馬(てんま)の姿があった。声をかけるより早く、天馬はトランプの束を差し出してきた。先程赤髪の中年にぶちまけたやつだ。

「悪いね」

「支度は済んでんだろ?」

「歯ブラシとパンツはオッケーさ」

そう言って親指を立てて見せるが、クールな天馬は微笑み返す事もなくただ小刻みに頷き返すだけだった。秋田川(あきたがわ)天馬(てんま)もサクランボ出身、俺の兄弟。てことは真歩の兄でもある。そして天馬は次にネックレスを返してきた。

「これまで着ける事なかったんじゃないか?」

「まぁ念の為だよ。ソードの証言をしてるバーテンが剣のネックレスしてたらドラマじゃん。せっかく天馬にソードとして監視カメラに映って貰ったのに。こういうのは細かいとこをむしろ気にしないとダメなんだ。じゃ、さっさとトンズラしますか」

日本に帰ってきてから1年、色々と地は固めてある。悪名のある人や、斉藤建設の事だって簡単に調べられるし、何の不自然さもなくバーテンだってやれる。特に隠している訳でもなく、普通にバーの駐車場に停めてある赤い軽自動車に乗る。ソードが俺だと嗅ぎ付ける人がいるとは思わなかったから、隠してなかっただけだが。

「なあ天馬、斉藤建設の導火線に点いた火がカケスエーテルに辿り着くまで、どれくらいかな」

「遅くても明後日くらいじゃないの?だからって、火自体は外壁に当たって、ジュッて消えるだけだろ?」

その時に携帯電話が車内で鳴り出した。シャツの胸ポケットから携帯電話を取り出し、天馬に渡す。

「お、マリア」

すぐさま天馬から携帯電話を奪い取り、車を路肩に停めて携帯電話を耳に当てる。

「はいはい」

「見たよ?斉藤建設のニュースぅー」

「おほほ、マリア、今から会いに行くからね」

「手伝って貰う事、無いけど?」

「え、いや、ほら、迎えに。じゃあそっちも無事に終わったんだね?」

「うん」

いつ聞いても可愛い声。マリア・ブリリアント。アメリカで知り合った娘。いや最早女神だ。彼女が居たから、今の俺がある。そういう女性。何故孤児ではないのに俺達の仲間になっているかというと、まぁ単に恩返しという事が第一なのだろうが、深く聞くと機嫌を悪くしてしまうので、そこは未だによく分からない。

大手町のビル群に仲間入りしている、株式会社カケスエーテル。そこの重役には仙道会のナンバーツーだった若月(わかつき)誠一(せいいち)が居て、仙道会復活に1番尽力している。今回の目的はそいつを葬り去る事。斉藤建設という名の金脈を破壊すると同時に、我らがマリア様が担当した人が若月に仕掛ける、そういう手筈だ。混乱させる為でもあるが、1番は柳谷篤郎に報復の手が伸びない為。路肩に留まっているピンクの軽自動車。マリアの愛車だ。背後に縦列停車させるとピンクの車のドアが開き、マリアが出てきた。ゆる巻きポニーテールにリボンのヘアアクセサリー。細い脚が際立つタイトなジーンズに、括れた腰と大きな胸が際立つライダースジャケット。思わず生唾を飲んでしまったその美しさをもって歩み寄ってきながら、更にマリアは可愛らしく小さく手を振って見せた。

「天馬、ダメだ、可愛すぎて近付けねぇ」

「サスケは?」

「聞けって」

「いやうるせぇよ、じゃあコーヒー飲んでるか?」

「い、いやだっ視界から外したくない」

「サスケはちょうどカケスエーテルで仕事中よ。じゃああたし、いつもの充電、行ってくるね」

「あぁ」

ああ、行ってしまうのかマリアよ。マリアの充電と言えばエステかスパだ。願わくばついて行きたい。だがプランナーとして、すべてが終わるまではいつでもすぐに動けるようにして居なければならない。顔を見れたのも束の間、マリアは車に乗り込んでいく。それを、俺はただ眺める事しか出来――。

「ボケッとしてんな、ほら」

こっちの事業相手は深田(ふかだ)義郎(よしろう)、歳は32。仙道会系の奴等に妻と幼い息子を殺された、キャバクラ店の副店長。仙道会系の息がかかったキャバクラ嬢との揉め事の末に家族を殺された深田には、そのキャバクラ嬢を人質に取り仙道会系の奴を誘きだし、更にその仙道会系の奴を人質にして最終的には若月を誘きだし、そして若月を闇に葬り去る、そういう手筈を提案した。1人ずつ殺されていく仙道会の奴等は警察に見つかっても不審死扱いになる。さすがに真歩ほどの警察官はそう居ないし、こっちに関してはハラハラせずに済むだろう。そして斉藤建設が陥落した今頃は、深田も若月に手を伸ばしてる頃だ。

大手町から神田橋を渡った先にも1年間で積み上げたアジトの1つがある。地下駐車場のある雑居ビルの1階に入っているバー、イズミ。当然のように準備中の札を掛けているドアを開けると、真っ先に知らない顔が歩み寄ってきた。

「すいません今」

「いや俺達、ここの幽霊部員」

「・・・はい?」

「ジーさんは?」

「え、えっと、ちょっとお待ちください」

いつの間にか新人のウェイトレスを入れてたのかジーさん。けどまぁまぁ可愛いからいいか。

新人の娘がジーさんをスタッフルームから連れてくると、ジーさんはまるで何週間か経って帰ってきた家の者に見せるような、薄いリアクションをとった。

「いつまで居るんだ?」

「来てそうそう出てく時の話かよ。その前にその娘は?」

ジェイ・雅人(まさと)・スミス。年齢は42。勿論ジーさんはニックネームだ。メタボ腹でアゴ髭を蓄え、外人顔の見た目はどこかサンタクロースなバー店主。だが日本語だけはまるで日本人。初めて会う人は大抵驚く。俺もその1人だった。

「可愛いだろ?スカウトした、アヤカちゃん。去年、神奈川の大会で優勝したんだってよ」

「え、バーテンかよ。てっきりウェイトレスかと」

「腕が鈍ってなきゃお前とどっこいかもな」

「えっマスター、この人もどこかで優勝したんですか?」

「まぁアメリカでな。で、いつまで居るんだ、まぁアヤカちゃんが居るから、シフトは週2以下だが」

「おほ、まぁ腕が鈍らない程度にやらせてくれりゃいいかな」

「え?それじゃ稼げませんよ?」

「良いんだよこいつらは、副業やってっから。アヤカちゃん、さっさと掃除済ましちまおう」

「はい」

地下駐車場の更に地下にある、一般人は絶対に入れない、いや入れさせない空間。高度な通信機器が置かれ、スパイ映画で出るような特殊な武器やらがあるそこはさながら秘密基地。天馬の担当は「把握」。どんな事件が起こったか、その事件の被害者、加害者、その2人の身の上、更には警察の捜査状況など、情報収集のスペシャリスト、それが天馬。

「剣一、ピザ頼む」

「あぁ、辛めか?」

「あぁ」

イズミの固定電話でピザを頼んでアジトまで持っていってやると、さっさとピザを平らげた天馬はそそくさとパソコンと睨み合っていった。特にイレギュラーな事は起こらずに日が変わり、正午を過ぎた頃、携帯電話が鳴り出した。サスケからだった。

「どうかしたかあ?」

「呑気そうだな」

「ちょうど鰻重食ってさ、今睡魔とチェスしてる」

「動き出した」

「何がよ」

「・・・若月誠一」

「深田さんのとこか」

「恐らく」

「じゃ、お前も手筈通りに」

「ん」

若月誠一はカケスエーテルの金庫係とも言うべき存在。そしてサスケの担当は「潜入」。サスケはマリアが紹介してくれた奴で、サスケは本名ではないが、顔立ちからして恐らく日本人だろう。若月が会社を出た後、サスケが金庫から裏金作りに関してのものやら暴力団関係の資料やらを抜き取る、そういう手筈だ。少しした後、携帯電話が鳴り出した。映し出された深田という名前を見た途端、何故か胸騒ぎのようなものが走った。

「・・・もしもし」

「あ、ソードさん、あの、ちょっと、話さなきゃならない事が」

声が震えている。粗方、逆に若月に捕まってしまったか、或いは何か予想外のイレギュラーが発生したか。

「近くに誰か居ますか」

「えっと、はい」

「誰かは言えませんか」

「・・・いえ、若月、です」

「俺に何と伝えろと言ってますか」

「今、本郷通り沿いのホテルオーオカの裏の、田中ビルっていう雑居ビルのテナントが入ってない3階に居るんですけど、すぐに来いと」

「分かりました」

深田による仙道会系の奴等の暗殺を1番早く勘づけるのは当然若月だ。何かしらの穴があれば計画だって綻ぶ。だが組員を殺されて相当怒ってるはずなのに、若月本人は怒鳴り声1つ聞かせない。

「天馬、深田さん捕まったから、行ってくるわ」

「マジかよ。1人か?」

「平気だって、色々仕込んでくから」

若月1人で居ると考えるのは浅はかだろう。もしかしたら銃も持ってるかも知れない。田中ビルとやらを前に、フェイクのナンバープレートを着けた車を路肩に停める。どうやら怪しい車は無さそうだ。3階に着いたエレベーターを出ると、何もないそのフロアの真ん中にはこちらを見る深田が居た。どうやら無事らしい。という事は――。

「お兄ちゃん」

思わず笑ってしまった。柱に隠れていた真歩が出てくると、別の柱からは赤髪の中年、そしてまた別の柱からは他の2人の中年刑事に捕まっている若月が出てきた。

「おー、愛しい妹よ」

やっぱりな。

「何それ、芝居臭い」

「えっと、何で分かった?」

「私の係は、不可解な事件をよく担当するの。昨日、お兄ちゃんに逃げられた後、神田駅周辺の4つの不審死事件の話がこっちに回ってきて、事件の被害者がすべて仙道会の人間だって聞いた途端、斉藤建設の事と繋げて、それからカケスエーテルの若月誠一さんの事と繋げた。そして深田さんの事調べて、深田さんを張り込んで、若月さんを捕まえて、お兄ちゃんを誘きだしたの」

「たった1日で?すげぇな。でも不審死事件が回ってきたのは偶然だろ?」

「まあね、私、そういうの引きが良いの。お兄ちゃんの最終目的は、若月誠一。けど、今回は私の勝ち」

「俺の目的じゃない。深田さんの目的だ。よぉ赤髪のおっさん。妻と幼い息子を殺された人の気持ちより、法律振りかざして飯を食う方が絶対に大事なのかよ」

深田が赤髪の中年に振り返り、同時に真歩と他の刑事達も赤髪の中年を見る。しかし赤髪の中年は真っ直ぐ俺を睨みつけていた。

「深田さんがどんな気持ちで墓参りするかより、また人を殺すかも知れない若月の未来の方が絶対に大事なのかよ」

「うるせぇよ若造。・・・うるせぇ」

エレベーターが開いた音が聞こえて振り返ってみると、また2人の刑事が出てきて背後を取られてしまう。すると前置きも無しにその2人の刑事達が襲いかかってきた。何とか2人のパンチやキックを捌いた直後、背後から首を絞められた。とてもきつく力強く、そして微かな臭い。真歩はこんな加齢臭といつも一緒なのか。その点は同情しないでもない。赤髪の中年から脱出する最中、ジャケットに忍び込ませていた実弾の入った拳銃を、深田の足元に投げ落とす。その鈍い音には誰もが目を向けるだろう。だが誰もがそれが何かを理解する前に深田がそれを拾い上げ、そして銃口を若月に向けた。

「深田やめろぉっ」

「くそおおおおぉっ」

銃声が響いた。彼の叫び声の中で。若月の胸元が赤く染まる、同時に真歩が深田に飛び掛かる。若月が膝を落とす、同時に赤髪の中年が叫んだ。くそったれと。直後に深田は真歩を振り切り、柱に背中を着け、銃口を自分のこめかみに当てた。誰もが声も出せずに深田を見ていた。深田は目を閉じ、微笑んでいた。直後、カチッと空虚が鳴った。

「悪いな、深田さん、弾、1発しか入れてない」

彼の力の抜けていく表情は何を意味していたのか。膝を落とした深田から拳銃を静かに拾い上げると、真歩はそれを勢いよく俺に投げつけた。

「いてっ」

「ふざけないでよ!何してんのよ!!」

「俺は、ただ法律に縛られず、心を救いたいだけだ。別にこれが答えだって言ってる訳じゃない。だが」

その瞬間、頬に衝撃が走った。その重たさに頭は揺れ、視界は投げられ、体は床に倒れこんだ。立ち上がる間もなく背中が強く押し付けられ、腕が掴み上げられた。

「黙ってろよ若造」

重くのしかかられたまま、手首に冷たいものが嵌められた。まさか2日連続で手錠をかけられるとは。これも真歩という優秀な警察官が居るからだろうか。


パトカーに乗る剣一の横顔を見る。30センチも無い距離。剣一はまるで銅像のように微動だにしない。確かに剣一の目的は達成された。拳銃に弾を1発しか入れなかったのは深田を救う為だろう。19年の間に、剣一に何があったかは分からない。何故こんなにも、非情になってしまったのか。確かに死んだのは悪人だ。確かに誰も悲しまないかも知れない。けど、刑事として、こんな事は絶対に許してはならない。だって、私は刑事なのだから。

佐上と応援に来てくれた勝島と共に、手錠をかけられた彼を連れて警視庁へと帰った。今度こそ事件は終わった。しかし刑事部のフロアへと上がった矢先、辺りはどよめいた。するとすぐに課長が駆け寄ってくるが、その様子は何故か困惑していた。

「何してんだよ」

そう言うと、課長は彼の肩を掴んだ。

「おい、来馬。おいっ」

「はっ!・・・あれ?おわあっ何で手錠がっ」

・・・剣一、じゃない。私は目を疑った。何故こうなっているのか。

「おいおい何なんだよ。ケビノブ、お前、何してんだ。てか、ソードは・・・あれ?ソードって・・・どんな奴だっけ」

「いや、田中ビルで捕まえたじゃないすか、あれ?・・・顔、思い出せない。勝島さん」

しかし勝島は絶句していて、来馬にはただ首を捻り、驚愕に満ちた何とも言えない変な顔を見せていた。

「何言ってるんですか皆さん。佐上さん、ソードは、私の兄で」

「そら分かってる。あれ、おかしいな、顔が、出てこねぇ」

ソードの1番の特徴、誰も、その顔を知らない。いやそれより問題は、いつ、その催眠術をかけられたか。ふと剣一を思い出す。うん、お兄ちゃんの顔は、思い出せる。ホワイト・フォレストで会ったお兄ちゃん、田中ビルで会ったお兄ちゃん、手錠がかけられたお兄ちゃんの反省という言葉を知らないような顔。まさか、お兄ちゃんは私には催眠術をかけなかったのだろうか。

・・・お兄ちゃん。


「たっだいまー」

相変わらず天馬はパソコンと睨み合っていた。1時間も経ってないから、特に不思議な事はない。しかし中央のテーブルには雑誌を広げて寛いでいる女神が居た。俺は目を疑った。その周りだけ、キラキラしている。

「おほっマリアちゃん」

「お帰りー」

「また一段と可愛くなって。ねぇただいまのキスして」

「えー?ルージュ落ちちゃ、あれ、血が出てるよ」

「あーこれ?ちょっとオヤジに1発かまされちゃってさ」

マリアの頭に手を乗せると、サンドバッグを相手に汗を流していたサスケがふと俺を見た。マリアのボディーガード役も務めているサスケだが、サスケなどどうでもいい。頭を撫でながらマリアに顔を寄せる。

「ほらよく言うだろ?唾をつけときゃ治るってさ」

するとマリアは微笑んだ。照れ臭そうにニヤけるその表情はどっからどう見ても可愛いという言葉しか出てこない。

「サスケ、手当てしてあげて」

「あぁ」

「いや来なくていい。自分でやります。・・・あ、そうだサスケ、どうだった?」

「問題ない。カケスエーテルの腐った肝はすべて抜き取った。すぐにでも週刊誌に売れる」

「いくらになるかなー」

悪い奴を倒すだけじゃない。お金が入る事があれば寄付をする。それがソードの最終目的。だから、真歩、悪いけど、俺は立ち止まってなんか居られないんだよ。






「ルート三重人格」


読んで頂きありがとうございました。

何となく連ドラ風な構成で出来たらいいなと思います。

この小説でもって犯罪を推奨しようというものでは全くありません(笑)

サブタイトルは尻付けです。

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