1万年後のキス
遠く1万年後、人類のいなくなった世界で。
それでも変わらず、地球は回り続ける。崩れたビルに、墜ちた軌道エレベーター。
その瓦礫に花は咲き、森は再び、世界を埋め尽くす。黄昏の、さらに先の時代。
そんな時代に、人類の置き土産のように動き続けるモノ達がいた。
緑に埋もれた廃墟の先、穏やかな花園……まるでヒトの手が入ったような小さな庭で。
じょうろで草木に水をやるのは、エプロンドレス姿の、金髪の少女。
「この春も、また綺麗な花が、咲きました」
どこかたどたどしい、抑揚に欠けた喋り方。美しいが、どこか人形のような。
いや、事実彼女は「人形」なのだ。ヒトが造りしモノ。ヒトに奉仕するよう産まれた、機械人形。
水遣りを終えた彼女の周りを、丸っこい形状をした造園用小型ロボット達が、忙しなく働き回る。
「ふふ、では雑草の、駆除をお願い、しますね」
そう、彼女達は。
人類に、置いていかれたモノ達。ヒトの去ったこの地球で、幾百、幾千の季節が過ぎても。
帰らぬ主の為、この庭を護り続けている。
そこへ。
「お姉さま、地下シェルターで、奇妙なものを、見つけました」
庭の手入れをしていた金髪の機械少女より幾分小柄な、もう一体の機械人形。
銀髪の長い髪にエプロンドレス、こちらも可憐な少女の姿である。
彼女が差し出すのは、古びた紙を綴じた、旧世紀の遺物……本。
「おや、奇妙、とは?」
小首を傾げる金髪の機械乙女。人類が消えた世界でも、本そのものはあちこちの廃墟に残っているし、極めて珍しいわけではない。
「とても、不思議な行為が、書かれている、のです」
姉として造られた少女へ、銀髪の機械侍女はその本を手渡す。
「あらあら、これは……」
そこに書かれていたのは。女性同士のキス。
少女同士の恋愛を描いた、1万年前の人類が残した小説である。
「不思議ですね。私の記憶データでは、キスとは異性間で行う行為との、認識でしたが」
限りなくヒトに近付けて造られた彼女達には、人類と同じ、ある欲求が備わっている。
それは、知識欲。データの更新、収集を是とする彼女は、興味を引かれた。
「では、試して、みましょうか」
「ええ、そうしましょう、お姉さま」
人類に忘れられた花園で、歩み寄り、その本のように指を組み合う二人の機械乙女。
彼女達を邪魔しないようにか、足元の小型ロボット達が植木の隅へ隠れる。
「……んっ」
唇が、触れ合う。ヒトと同じ柔らかさ、同じ熱を備えたそれは。優しく、甘く。
何度も何度も、重ねられる。
「ふ、んんっ、ちゅぅ、くちゅぅっ……」
彼女達の擬似的な呼吸機能が、システムエラーを起こしそうなほど。長く、強く、口づけは続く。
知性を司るデータ領域に、妖しく魅惑的なノイズが走る。
「ぬぷ、ちゅるぅ、ちゅぷ、ちゅぷん……」
どれくらい、キスを交わしていただろう。時の果ての庭園で、二人抱き合いながら。
機械少女の姉妹は、好奇心のままに何時間も、何時間でも唇を吸い合っていた。
やがて、1万年前と変わらぬ夕日が。庭を、森を、そこに埋もれた廃墟を染め上げる頃。
ようやく唇を離し、姉は妹に尋ねる。
「どうですか、何か、感じましたか」
「……よく、分かりません」
彼女達を造った人々は。そして本を遺した人々は。
人類はなぜ、こんな行為を行っていたのか。機械の少女達は、完全に理解するには至らなかった。
それでも。機械仕掛けの顔に、感情の籠ったような素直な表情で。
銀髪の妹は微笑んだ。
「……でも、暖かいです」
これは素敵な行為。二人は、そう認識するのだった。
「では、もっとしてみましょうか」
金髪の姉もにこっと微笑み、妹の頬を手で挟み込む。そしてまた、重なる唇。
今度はもっと長く、深く。陽が沈み、月が空を回り……夜がまた明けるまで、ずっと。
「ちゅ、ちゅく、ぷるちゅ、ちゅぅん……」
瓦礫と森の大地を、優しく照らす朝日。切ないほど暖かな光に包まれながら、キスは続くのだった。
遠く1万年後、人類のいなくなった世界で。
人類の残したモノは、その存在意義を失ってなお。美しい輝きを、放ち続ける。
おまけ
「お姉さま、この本では、次は着衣を脱いで、ベッドで抱き合うようです」
「あらあら、では、やってみましょうか」