魔王様、慌てる
その事件は、昼間近に起こった。
いつものように、我輩は自室で粛々と公務を全うしておった。いくつもの書類に目を通していた時、控え目なノック音が聞こえ、恐る恐るという風に扉が開かれる。一体誰だと我輩が扉に目を向け、そして、そこに立つ二人、特に女の方を見て、我輩は能面を作った。
「へ、陛下。ミラ様が、お見えになられました……」
「ふふ、久しぶりヴォルキース」
「…………」
顔を青ざめさせるルーベルトの後ろに立つ、ラミア種のミラ・カーティスは我輩を見つめて笑った。
「帰れ」
「嫌よ。せっかく会いに来たのに、つれないわね」
するすると音も立てずに近寄ったミラは、椅子に座っている我輩の頬を軽く撫でた。冷たい手のひらに思わず背筋が震えた。主に嫌悪感で。
我輩が鳥肌を立てているその間に、ルーベルトはさっさと退出しておった。あやつ、我輩を犠牲にして逃げよったな。後で殴る。
「ああ、やっぱりいい男。ヴォルキース、私のものになる気はないの?」
「一欠片もない」
「なによ、つまんない」
ぷくぅと頬を膨らませたミラに、少しだけ殺気が沸いた我輩である。2000歳代のこやつがやっても大して可愛いものではない。
辺境の地に住み、たまに辺境の地から出てきて男を(性的な意味で)食い漁っているミラは、ある意味魔界の男性の恐怖対象となっている。もちろん、我輩も誘われたことはあるが、すぐに退散した。と思っておったのに、性懲りもなくまた現れるとは……。
「ミラ、用件はなんだ。ないなら、即刻帰れ」
「人間界に、勇者が現れたわよ」
唐突の勇者発言に、我輩はまばたきをした。
我輩が何事かを言う前に、ミラが人差し指でそれを制する。ムッとしてその腕を払うも、彼女の強気な態度は変わらない。
「もっと情報が欲しいなら、そこのベッドに座って?」
「……それ以上はなにもせぬからな」
「いいわよ? 別に」
「……」
しぶしぶベッドに腰かける。すぐに我輩の隣に座ったミラは、我輩に擦りよってきおった。
「ふふ、やっぱり、大切なお話はベッドの上じゃなきゃ」
「貴様のその価値観には些か狂気を覚えるな」
「あら、そんなこと言ったら、教えてあげないわよ?」
「……」
「ふふふ、ちょっと前にね、私が頂いた男の子が言ってたのよ。あ、勿論人間よ?」
「……だから貴様は人間界で敵視されておるのだ。しかし、勇者召喚は人間界と天界、二つの世界の協力があって初めて成立するものだぞ」
最近の天界による、魔界に対しての攻撃は現在消極的である。その原因は、魔界にタマがいるからだ。
天界の者は、人間を守護の対象としている。そして逆に、魔族のことは嫌悪しておる。
しかし、人間のタマが魔界にいて、しかも魔界の頂点に立つ我輩のペットであり、かつその状況を嫌がる素振りを見せないことに多大なるショックを受けているらしい。
勇者など召喚してしまえば、ここにいるタマにもすべからく危険が及ぶ。人間を守ることを生き甲斐としている奴等は、その事を危惧して攻撃をしてこなかった。ならば、勇者召喚など手伝うわけがない。
しかし、ミラが放った言葉は、我輩も想像したことすらない予想外のものであった。
「それがね、天界のものが勇者召喚を拒絶したから、人間たちだけで行ったらしいの」
「……成功、したのか?」
「ええ、でも結構手間取ったらしいわよ。代償として何人か意識不明の重体だって」
「しかし……」
「あら、もしかして疑ってる? でも、相手は高位の神官だったから、眉唾物ではないわよ」
「……」
ふむ、と我輩は一人思案に耽る。
もし本当に勇者が召喚されたとしても、すぐには影響がでないとは思うが、念の為に人間界側の兵を増やしておくべきか。そして何人か、偵察のために人間界に派遣する必要もあるだろう。
万が一、ここに来られたら、タマにも危険が及ぶために、絶対にここには来てもらいたくない。その前に、片をつけてやろう。
「じゃ、必要なこと喋ったから、御代貰うわよ」
「……貴様、何もしないと言ったであろう」
「それとこれとは別よ。イイコトしましょう?」
我輩にしなだれかかり、微笑むミラにげんなりする。そもそも、下半身が蛇であるこやつとどう交尾しろと。いや、方法はあるにはあるが、交尾だけは絶対に行いたくない。
「ふざけるなミラ、我輩には、」
「陛下ー、お仕事終わった?」
可愛らしい声と共にノック音がした。そうして我輩の部屋に入ってきたのは、タマだった。
時が止まるというのは、まさにこのこと。目を見開いて驚くタマを、見つめることしか出来ない我輩。呆然としている中、一人だけ思考停止していないミラがペラペラ喋りだした。
「ん? なによ、この小娘。私のヴォルキースの部屋に、なんで入ってくるのかしら?」
「…………」
ちょ、おま。
これ以上ないほどに顔を青ざめさせるタマを見て、心の中であわてふためく我輩。
「な……、え…………」
「あら? よく見たら人間じゃない。食用なの?」
なにを、こいつ抜かしおって! タマが食用なわけがなかろう!
しかし、どう言えばこの場を乗り切れるのか考えている間に、ミラがスラスラと言葉を出してしまうため、思考が全く追い付けぬ。こやつ、我輩に喋らせない気か。この魔王たる我輩に。
「私は今、愛しのヴォルキースと大事な話をしているの。小娘は出てってくれないかしら」
「し、しつれい、しました……」
そうこうしている合間に、しょんぼりと肩を落としたタマが、部屋を出ていってしまう。静かに扉が閉められて、残ったのは我輩とミラのみ。
沈黙が、部屋を支配した。
「ぅおおおいっ! 貴様、何を!!」
「あら? なにそんな慌てているの?」
スイッチが入ったかのように叫ぶ我輩を見て、きょとんとするこやつに何を言っても無駄だろう。まず先に、タマの勘違いを正さねばっ!
ベッドから飛び降り、タマが出ていった扉を開ける。
「タマッ!」
そこには、泣き出すタマを抱き締め、我輩を蔑んだ目で見てくるアルテアの姿があった。まるで虫を見かのような目だった。
いや、そんなことより、タマが、泣いて……。
我輩に気付いたタマが慌てて涙を拭き始める。ああ、そんなにゴシゴシと強く拭いたりしたら、跡が付くだろうタマ。そう言いたいのに、上手く言葉がでてこない。
「……陛下、タマ様はこれから私と食事を取ることとなりましたので、失礼します」
「っ、陛下、その、」
「さぁータマ様行きますよー」
「…………」
涙を溢すタマを連れて、アルテアがさっさと我輩の部屋から遠ざかっていく。そのことよりも、タマを泣かせてしまったショックに、我輩はそこから動けなかった。
「あらあら、なんだか修羅場?」
「きっ、さまっ!」
ひょっこりと顔を出して含み笑いをするミラに、危うく掴みかかるところだった。一体誰のせいだと思って……!
それをなんとか堪えていると、ミラはさっさと我輩の部屋から抜け出した。
「ふふ、ヴォルキースの珍しいところを見れたから、今日のところは一先ず帰ってあげる。まさか、魔王様が人間にゾッコンだなんてねぇ?」
「……それがなんだ」
「ふふ、べっつにぃ? ずっと冷めたクールな男かと思ってたけど、以外だなと思ってね」
ふふっと笑ったミラが、音も立てず廊下を進んでいく。その後ろ姿を見つつ、これからどうしようかと落ち込む我輩であった。
取り合えず、ミラを我輩の自室に連れてきおったルーベルトは殴る。




