魔王様、運動させる
△月◯日
「ふぅ……」
目の前に積まれた書類の山を見つめつつ、我輩は溜め息を溢した。今日のノルマである書類は、今しがた片してやった。つまり、我輩は今から自由である。
立ち上がった我輩は、ローブをはためかせて自室を後にした。
「タマ、遊ぶぞ!」
「っ!」
図書館に訪れた我輩に、すぐにタマは反応した。その姿は大好きなご主人様の声に反応して、耳を立て尻尾を振る犬のごとし。ぱっと机から顔を上げたタマは、顔を綻ばせ我輩に抱きついた。
「へ、陛下。御公務は……?」
「今日の分は既に終わらせておる。タマは連れていくぞ。相違ないな?」
「は、はぁ……」
ロベカルは曖昧な返事をしつつ、自身のあごひげを撫でた。
「最近思ったのだが、あまりタマを外に出して運動させていないことに気がついてな。気分転換に遊んでやろうと思ったのだ」
犬なども運動させないと、ストレスを生じると文献に書いてあった。タマにストレスを与えるなど、魔王たる我輩が赦せるわけがない。
「へーか?」
「タマ、外で遊ぶぞ」
我輩の足にしがみつくタマを抱き上げる。室内ゆえ動きやすい格好をしているが、外は寒い。
新年からもう三ヶ月近く経っているのだが、春の気配はまだ訪れない。もうそろそろ、一気に雪が溶けて春が訪れるのだろうが。
今日はタマに何を着せようかと悩みつつ、我輩は図書館を後にした。
「陛下、どこにいくのですか」
「…………」
仏頂面で玄関に仁王立ちするルーベルトを見つけて、我輩も仏頂面になった。
「今日の分の公務は終わった」
「左様ですか。ならば明日の分も今から消化してしまいましょう」
「貴様、今我輩の腕に誰がいるか分かっているのか?」
「タマ様ですよね。どうせ陛下が図書館から連れ出したのでしょう?」
「タマも我輩と遊びたがっておる」
「タマ様は思慮分別のある人間です。公務時間中にタマ様が陛下の公務の邪魔をした事など皆無です。よって、陛下のワガママだと私は判断したのですが」
「…………タマ、タマは我輩と遊びたいよな?」
「陛下、戻りますよ」
どうしても我輩に公務をさせたいらしい。ルーベルトが限りなく煩わしい。
「ならば一時間で良い。タマを運動させてくる」
「ならば私がタマ様のお相手をしてきましょうか?」
「横槍は赦さんぞルーベルト」
さっさとルーベルトの横を通りすぎ、庭に向かう。外は快晴とまではいかないものの、降り始める気配はない。
雪を踏みつける度に、ギュムギュムと固い音がする。何もかもが白に染まった世界に、そっとタマを降ろしてやった。
「陛下、一時間だけですよ」
「……チッ」
わざわざ監視の為についてきたルーベルトに舌打ちをする。苛立った心はタマで癒すに限る。
ピンクや白といったパステルカラーに身を包むタマは、嬉しそうに雪をいじりだす。帽子には犬の耳らしきものがつけられ、マフラーに口元を埋めるタマは、もふもふの犬っころのようである。
「それで、何をして遊ぶつもりなのですか?」
ルーベルトの質問に、我輩は無言で懐に手を入れた。スッと取り出したそれを見て、ルーベルトは小首を傾げる。
「スライム、ですか?」
「左様」
水色のスライムは、我輩の手の上でふるりと震えた。
プルプルな奴らであるが、冬になると体内の水分が幾分凍ってしまうためか、夏よりも冬の方が弾力性が増す。我輩も幼き頃はスライムでよく遊んだものだ。
「これで、犬のような取ってこいをやろうと思ってな」
「はぁ……」
ボールを投げて、タマが拾いに行き、我輩の元に持ってくることが理想図だ。
我輩がスライムをバウンドさせると、すぐにタマが気がついた。興味津々のようで、じぃっとスライムを見つめている。食い付きは上々である。
「タマ、取ってこい!」
あまり遠くに投げてもタマが可哀想なので、タマとは違う方向に軽く投げてみる。テンテン、と転がるスライム。我輩はタマが持ってくる事を期待しつつ腰を落とし両手を広げた。
タマは何度かスライムと我輩を見て、
「へーか!」
スライムを追わずに我輩の胸に飛び込んだ。
「……これはこれで正解ではある」
「趣旨がずれていますよ陛下」
思わず抱き返す我輩を、ルーベルトが冷めた目で見つめる。いかん、タマを運動させるのであった。
「タマ、スライムを取りに行くのだスライムを」
我輩がタマに見えるようにスライムを指差すと、タマは少しばかり考えて我輩の元から離れ、スライムに駆け寄った。
我輩が持っていた時はそこまでスライムが大きく感じなかったが、タマが両手で抱えるようにして持っているとやけにスライムが大きく感じた。
スライムを拾ったタマは、すぐに我輩の元にスライムを持ってきた。
「タマ、偉いぞ。もう一度だ!」
もう一度投げてみると、慌ててタマがスライムを取りにいく。
両手に抱えて拾ったスライムを渡され、我輩が投げる。またてててと走ってスライムを拾い、はいっと渡すタマ。
問答無用で投げる我輩。スライムの後を追うタマ。
「フッ、フフッ、フフフフフ」
「陛下、気持ち悪いです」
ニヤニヤしていると、ルーベルトが冷静に突っ込んだ。
「し、失礼な奴だな貴様っ!」
「いや……。というか陛下、普通ここはキャッチボールとかではないですか?タマ様、いきますよー」
我輩からスライムを奪い取ったルーベルトは、タマに向かって軽く放り投げる。スライムを難なくキャッチしたタマは、今度はルーベルトにスライムを手渡した。
「い、いやだからタマ様、キャッチボールです。私に投げ返してください」
また軽く投げるルーベルト。キャッチしたタマが駆け寄りスライムを手渡す。
離れるタマ。投げるルーベルト。てててっと走って手渡しするタマ。
「…………ふっ、グッ」
「貴様だってにやついておるではないか」
にやつくルーベルトの後頭部を軽く叩いてやった。
「はっ!?いや違いますよ!」
「違わんわ!というか何故貴様がタマと遊ぶのだ」
気に食わん、とブスッとしていると、タマが運動して暑くなったのか、マフラーと帽子を外して一息ついていた。
「疲れたのですかね?」
「ふむ、少し休むか?」
休憩しようかと思っていると、タマがスライムを持ったまま走り出した。
「へーかー!」
少しだけ距離を取ったタマは、頭の上から降り下ろすようにしてスライムを放り投げる。てんてん、と転がったスライムを手にとり、我輩はタマに駆け寄りスライムを渡した。
誰もいない所へ投げるタマ。走るルーベルト。ルーベルトよりも先にスライムを手に取りタマに手渡す我輩。
また誰もいない所にスライムを転がすタマ。走るルーベルト。氷の壁を作り出して妨害しつつ、回り込みスライムを拾う我輩。
「陛下、大人げないのではっ!?」
「何も聞こえぬ」
「へーか、めー!」
気づけば一時間はとっくの昔に過ぎていたことは、言うまでもない。




