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昼食ときどきフォックス・ハント





 人は何故過ちを犯すのだろう。

 それは人類が考える葦であることを確立し、原始の毛皮を脱ぎ捨て文明と共に歩んできた歴史の中で、捨てきれない命題である。

 だが、私はそれを安易に悪と決め付けることはない。悩みというものは人を成長させる、過ちというものは次なる飛躍を生み出す機会を与えてくれる。

 失敗は成功の母、トライアンドエラーを繰り返すことで、人間は他の動物とは一線を画した文明という素晴らしき世界を形成する事が出来たのだ。

 言うなれば、失敗は万物のアルケーである。タレースしかりヘモクレイトスしかり、異なる異物を根源と提案してきた彼らですらその根源は失敗を重ねて生み出されたものなのだから。


「成程、つまり久川、お前は何が言いたいんだ?」

「宿題忘れの一回や二回、寛容な精神で見逃して欲しいと思うんです。許せ、そなたは美しい」


 私の弁論は裁判長の胸には響かなかったらしい。丸めた教科書で頭を叩かれ、私は渋々渡されたペーパーに化学記号を書き足していく。

 折角の昼休み、花の女子高生の癒しの時間だと言うのに、私は職員室に呼び出され、化学の宿題を今この場で埋めさせられているのだ。

 どうやら化学教師の岡本高男、四十二歳ジャージ野郎は私が二日連続で宿題を唯一クラスで忘れたことが酷くご立腹らしい。

 私が宿題を忘れたのは実に些細なミスなのだ。昨日の夜は、テレビでロックバンドのドラマーに目を奪われ、私もドラミズム溢れる女になるべく、管理室のおばちゃんにバケツを複数借りて、それをドラムにみたてて優子と臨時バンドを結成したのが悪かった。

 つい盛り上がり、強制的に拉致した里奈に掃除箒を渡してギター役を追加したところ、『私今からお風呂なんだけど』という理由により、新メンバー脱退が相次ぎ、伝説のドラムバンドは日の目を見ることなく解散となってしまったのだ。

 そのまま優子と里奈と一緒に風呂に入り、こてんと寝入ってしまった訳だ。宿題などやる暇がある筈もない、一体多忙な私を誰が責められるだろうか。

 このように情状酌量余地のある理由を盾に即時解放を求めているが、岡本の野郎は右から左に聞き流すばかり。

 それどころか、私達の様子に気付いた担任の平野が『この馬鹿がすみません』とぺこぺこ謝る始末。誰が馬鹿じゃ、訴えるぞPTAとかに。

 仕方なく、早く終わらせる為に、私は色々な形で結びついた化学式に適当な名前を書き込んで、ぺいっと岡本に提出する。


「終わりました。全然関係ないけど、やっぱり化学の先生ってあれですか、三角フラスコでコーヒー飲んだりするんですか」

「するか馬鹿たれ。王水やナイタールを入れたものを使って誰がコーヒーなんか飲むんだ」

「やっぱりあれですか。先生って形だけのエセ化学教師なんですか。冗談はジャージの上に着る白衣だけにしてくださいよ」


 殴られた。乙女の頭を一体何と心得ておる。

 教師と生徒の心温まるコミュニケーションを取りたかった純真無垢な私に暴力ばかり、この学校は歪だ。

 例えるなら私はチワワ、凍える世界で身を震わせ、私を愛でてくれる飼い主を巡りあう日を願い、雨の日も風の日も段ボールの中で待ち続ける言うなれば段ボール犬。


「答えは無茶苦茶だが、まあ提出を認めてやろう。戻っていいぞ……なんだ久川、震えて。トイレなら外に出て右だ」

「出したいんじゃない、詰め込みたいんだ。という訳で学食に行ってきます。ふん、命拾いしたな小僧、私が本気ならお前など職員会議にかけあってセクハラの容疑で」

「ちょっと久川、岡本先生の用事が終わったならこっちに来なさい。この前、校庭の銅像にした悪戯の件について話が……」

「脱出!」


 遠くから響く平野の怒声を聞こえないふりをして、私は早足で学食へ向かう。

 ただでさえ、昼食の時間は削られてしまったというのに、ここから平野の説教など冗談ではない。私はいつご飯を食べればよいのだ。

 物が豊富に溢れてる現代に生まれし私には、断食などというドM行為に勤しむ趣味もなければ、悟りを開く予定もない。

 教室に戻ったところで、優子も里奈もきっと私を待たずに昼食を終えてしまっているだろう。何て友達甲斐のない奴らだ。ぷんぷん。

 ならば他の連中に声をかけて学食に行こうかとも思ったが、あの二人以外に友達がなど誰一人いないことに気付き頓挫する。

 いいんだ、友達なんて数あればいいってもんじゃないのよ。心許せる大切な友がいればそれでいいの。本当よ、悔しくなんてないんだから。

 学食に辿り着いた私は、券売機の前で何にしようか悩む。現状、母の仕送り日前ということもあり、私の財布は無理は止めろと悲しい悲鳴をあげている。

 だが、私の目の前の女子生徒がAランチ、400円などという高級料理を頼む姿を見て、女として引きさがる訳にはいかない。見栄の張り合いに敗れた者が辛酸を舐める、弱肉強食の世界、それが女学生ワールドなのだ。

 今後のことなど考えず、強気にせめる私は、Aランチの更に上のスペシャルランチなるものに手を伸ばす。520円、デザートとジュースまでついてくるスペシャルなメニューなのだ。今日はカツに海老フライ、そこまでいっちゃうか。

 迷う必要はないと、私はポケットから財布を取り出し、いきようように中身を確かめる。250円、オー、ジーザス。スペシャルどころかAランクにすら私はなれないというのか。

 現実の荒波に打ち据えられた私は、180円のキツネうどんを購入し、おばちゃんに券を提出する。


「北海道の猟師が命を賭して狩った九尾の狐を使った最高級のフォックス・パスタを一つ」

「美咲ちゃん、キツネうどんには別に狐の肉を使ってる訳じゃないんだよ。うどんは英語でヌードルなんだねえ」


 恥をかいた。おばちゃんの指摘を聞こえないふりをして流し、私は渡された最高級のフォックス・パスタに唐辛子を振りかける。

 私は辛い物が好きでも嫌いという訳ではない。何故唐辛子を使うのか。それは、この何の味気もない渇いた人生に、一振りのスパイスをかけることの大切さを若者に知って貰いたいという主張なのだ。

 ビューティフル・イズ・ライフ。たった少しだけ、普通とは異なる視点を見つめるだけで、人生とはかくも素晴らしく楽しいものだ。

 退屈だ、つまらない、そんな風に人生を斜に構えて見つめるだけでは新しい何かは掴めない。たった一振り、一振りのスパイスが大切なのだ。


「そう、一振りのスパイスが世界を変えるんです。貴方も使ってみませんか、スパイスな日常へ身を投じる為に」

「え、いや、すみません……焼き魚定食に唐辛子はちょっと……」


 また恥をかいた。私の後ろに並ぶ焼き魚を愛する男子学生に無理矢理スパイスを渡し、私は空いてる席を探し回る。

 ちょうど人の波がピークを迎える時間帯、流石に空いてる席を探すのは難しい。鞄や荷物で席取りをしている学生の多いこと多いこと。

 心の広い私は、その行為を見逃してやることにし、ようやく見つけた空いている席に腰を下ろす。そして目の前に座る男子学生にきちんとことわりを入れるのだ。礼儀は大切、これぞ人付き合いの肝なのである。


「私がキツネうどんだけで飢えてるっていうのに、目の前の人間はカツ丼などという富裕層であることを主張している。不公平だわ、人生」


 私の挨拶に、目の前の男子学生はカツ丼に箸を伸ばそうとしていた手を止める。

 突然見知らぬ女学生から訳も分からぬ皮肉を言われ、食べにくかろう。私は嫉妬に燃える瞳で男子学生を睨み返しながらずるずるとうどんを啜る。

 何故私が男子学生をけん制したか、それは目の前のカツ丼をおかずにしてうどんを愉しむ為である。カツ丼を視界に入れ、麺を食べる。そうするとあら不思議、何故かカツ丼を食べているような錯覚に陥るのだ。

 これぞ私が貧困学生生活で編み出した生活の知恵。この方法の問題点は、男子学生が困惑する事この上ないということだけれど、私には何も関係ない。

 そのようにして、カツ丼・フォックス・パスタを愉しんでいると、箸を止めていた男子学生が何故か私に丼を差し出してくるではないか。何だこれは。

 意図の読めぬ行動に、私が眉を顰めていると、男子学生はぽつりと言葉を紡いで私に話しかけてきた。


「食べたいのかと、思って」

「腹は減っても高楊枝、慰めの施しなど受けつけぬ。あれか、カツ丼の見返りに私に何を要求するつもりだ。

金ならば無いぞ、先日UFOキャッチャーという名の貯金箱に兵糧の七割を持っていかれてしまったわ。憎い、あのゆるいアームが憎い。緩いアームで緩キャラを取ろうと書かれたふざけたポップを破り捨ててしまいたい」

「何も要らないよ……久川、さん、だよね」

「いかにも私が久川さん家の勉君よ。そういう貴方はアドミラル・トーゴー」

「全然違うよ……同じクラスの滝本、滝本隆二」


 滝本隆二と名乗った少年からカツを一枚拝借しつつ、私は彼の顔をじろりと観察する。

 少し覇気こそないが、整った顔にすらりとした身体付き、優子が好きそうなタイプの優男だ。もう少しワイルドさを身につけなければ社会の荒波に心をボキンと折られそうなイメージのある感じだろうか。

 名乗られて申し訳ないけれど、私には彼のことは微塵も記憶になかった。そりゃそうだ、私は未だにクラスメートの名前を同性ですら半分も覚えていないのだ。男子など言わずもがなである。

 そんな私に気付いたのか、滝本少年は苦笑を浮かべながら、私に話しかけてくる。


「僕が一方的に知ってるだけだよ。久川さん、学校じゃ有名だから」

「有名人過ぎて申し訳ないわ。やはり、美人というものはつらいわね、どこへいっても騒がれてしまうわ」

「いや、そうじゃなくて……ほら、普段の変わった行動っていうか、ストレートに言うと奇行っていうか」

「本人の前でそういうことを言うな。私は奇行をしてるんじゃない、自分に正直に生きてるだけよ」

「それじゃこの前、走り高跳びのバーの先端に袋を結び付けて屋上で垂らしてたのは」

「マグロ一本釣りがどんな感触か味わってみたかったの。あれは少し失敗だったわ、先端につけた荷物が軽過ぎて、思ったほどしなってくれなかったのよ。

次にやる時はもう少しカジキマグロに近い重さのモノを結び付けてみたいわね。まあ、陸上部立ち入り禁止を言い渡されちゃったんだけど」

「無茶苦茶だよ」


 そう言いながら楽しそうに笑う滝本少年は、なかなかに美少年の笑顔だった。

 私の心は微塵も揺り動かされないが、イケメン好きの優子は喜ぶに違いない。私は携帯を取り出し、カシャカシャと写真を撮っていく。

 その様子を首を傾げてみている滝本少年に気にしないように言い含めつつ、私は優子にこれで貸し一つ作ることを決めた。

 フォックス・パスタも啜り終え、空腹に悲鳴をあげていたお腹も満たし、用が済んだ私は、トレイを持って立ちあがる。そして、滝本少年にカツの礼も忘れない。私は義を重んじる淑女なのだから。


「カツありがとう。何か困ったことがあったら、私の部下である古瀬優子か南里奈に言うと良いわ」

「そ、そうなんだ……ありがとう」


 困惑したような笑顔に満足し、私はトレイを返却口へと持っていく。

 ううん、良いことをした後はなんて清々しいんだろう。迷える子羊を導いた聖女過ぎる自分が眩過ぎて見えない程だ。

 食堂に設置されているアンケート用紙に『きつねうどんの麺が少な過ぎて消費者法に反しています。法廷で決着をつけましょう』と書き殴り、ポストへ投函して私の華麗な昼食は終わりを告げた。良いことをするって気持ち良いわ、アイ・アム・ガンジーザス・クライシス。







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