最終幕 聖地
空では太陽が最も高い位置に達しようてしている。
「ギンの兄貴ぃ〜」
カイジがギンを見つけて駆け寄ってくる。
二匹は顔を擦り付け一通りの挨拶を済ますと肩を並べて歩き出した。
「いや〜、昨日はビクビクして家に入ったッスよ」
カイジは数日前まで、夜遊びが問題で去勢される恐れがあった。
「でもいざ家に入ったら、こっちが拍子抜けするくらいママさんが優しくてね。なんか心配してたみたいで。デヘヘ…」
やたらとデレデレした顔を見ると、心配され、優しくされたのが余程嬉しかったのだろう。
「こんなことなら数日家を空けるのも悪くないッスね!」
去勢にビクついてた数日前から見たらえらい変わりようだ。
「ギンの兄貴はどうでした?お嬢さんは心配してました?」
「まぁ…多少はな」
ギンはそう答えたが、実際は多少どころの騒ぎではなかった。
響子が目を覚ますと、苦しいくらいの抱擁が待っていた。
わんわん泣きながら力いっぱい抱きしめられたからだ。
その泣き声は、両親が何事かと慌てて二階に駆け上がって来るほどだった。
そんなわけで朝から三人に頭を散々こねくり回されて、首の骨が折れるかと思ったほどだった。
二匹がしばらく歩いていると土手が見えてきた。
土手を上ると眼下に聖地が広がっている。
視線を走らせると、もう少し土手を進んだ所に仲間が集まっていた。
タマキはまだ来ていない。
どうやら二匹は遅れたわけではなそうだ。
タマキがまだ来ていないことは、その姿を探さずとも分かる。
誰も聖地に下りていないからだ。
聖地はタマキの許可無くして入ることは許されていない。
これは仲間内での暗黙のルールだ。
二匹が近づいて行くと、「よう」と口ぐちに挨拶をして顔を擦り付ける。
だいたい挨拶を済ますと、ギンは仲間の顔を見渡した。
誰もが多少の傷を付けてはいるが、とりあえず皆元気そうだ。
タマキを待つ間、各々が昨日の話をして盛り上がっていたが、時間が経つと共に表情に変化が表れ始める。
タマキが来ない……
約束の時間を過ぎようとしているのに一行にタマキの姿が見えないのだ。
誰もがただならぬ雰囲気を感じ始めた。
タマキは誰よりも時間に厳しい。
今まで約束の時間に遅れることなどなかった。
その場にいる誰もに不安がよぎり始めた。
しかし、結局タマキは約束の時間には現れなかった。
そう言えばタスケもいない。
仲間内がざわつき始める。
そのとき…
「よぉ、遅れて悪かったな」
そう言いながら土手を上ってくる一匹の猫。
『タスケ!!』
その場にいる全員が声を揃えた。
しかし、やはりタマキの姿はない。
「どうなってんだ!?」
「タマの親分は!?」
タマキのことを口にしながら全員がタスケに詰め寄る。
「まぁまぁ、落ち着け」
そう言ってタスケは自分が来た方向を振り返る。
タスケが来た方向を全員が見ると、もう一匹の猫が土手を上ってくるのが見える。
その猫は…
「キョン!!」
ギンが驚きの声を上げた。
その言葉を聞き仲間たちにも驚きの声が上がる。
「キョンて…サバ缶のキョンか?」
「あれが?伝説の?」
「間違いねぇ、キョンだ…」
「どうゆうことだ…?」
この街を去ったはずのキョンの突然の登場に余計に混乱が走る。
キョンはギンたちの元に近づいてくると、ゆっくりと静かに、しかしハッキリとした口調で言った。
「タマキはここには来ないわ…」
キョンの言葉に全員が石のように固まる。
「どどどど、どうゆうことッスか!!」
カイジが誰よりも早く口を開いた。
それをきっかけに他の者も騒ぎ出す。
「お黙りなさいっ!!」
そう一括すると、ゆっくり全員を見回し、再び口を開く。
「タマキはもうこの街にいないの。姿を消したのよ……」
キョンの言葉は次第に小さくなり、最後は聞き取れないほどだった。
「なっ…」
なぜ?ギンはそう言うつもりだったが言葉が出なかった。
気付いたからだ。
キョンは確かに最後『姿を消した』と言った。
『姿を消す』それは猫社会にとって、すでに忘れかけられた、しかし本能の奥底では忘れることのない言葉だった。
猫が『姿を消す』…それは…死期を悟ったときだ……
すでに消えかけた本能だが、それは猫にとっての誇り、死に様は見せぬ誇りだ。
そしてタマキは誇り高い猫だ。
誰よりも誇りと威厳に満ちている。
その場にいる誰もが意味を悟り、口を利くことが出来なかった。
ギン同様に本能で言葉の意味を理解し、ただうつむく者、嗚咽を漏らす者と様々だ。
ギンは隣街に行った日、タマキが街境の橋に仲間を連れて駆けつけてくれたときのことを思い出した。
あのときタマキの呼吸はひどく荒かった…
いや、そのときだけじゃない。なにか行動を起こしたときのタマキはいつも呼吸が荒かった。
「!!」
ギンは愕然とした。
だから昨日わざわざ俺を追ってきたのか?別れの挨拶だったのか?
それと同時にもう一つのことに気付く。
昨日の帰り道、タスケの様子がおかしかったのは疲れたからじゃなく、あの時点でタスケは知っていたんだ!
そう思いタスケを見ると、ギンの視線に気付いたらしく目を逸らした。
間違いない……
そんな身体でタマキはリンへの道を作ってくれたのか?
リンの子分たちに突進する力強い後ろ姿と、家の前で見送った歳老いた後ろ姿が重なる。
「バカヤロー……」
ギンはそう力なく呟いた。
「なっ…」
「まだ新参者の部類だぜ」
「他に適任はいないのか」
その声でギンは我に返った。
どれだけボーっとタマキのことを考えていたか分からないが、まったく話は聞いていなかった。
「?なっ…なんだ?」
みんながギンを見ていた。
「ちょっとぉ〜、聞いてなかったのぉ?」
キョンが口を尖らせて言って来る。
キョンの言葉に続いて、タスケが少し茶化すようにに言う。
「おいおい、しっかりしてくれよ。おまえが新しい親分なんだからな」
「……」
ギンはタスケの言っている意味が、瞬き二回分ほどの時間、理解が出来なかった。
「なに!?俺が親分?」
「だからそう言ってるじゃないの」
呆れてキョンが肩をすくめる。
「おまえが後を継ぐっていうのが、タマの親分の最後の指示なんだよ」
タスケがニヤついて言う。
「そう。で、あたしがギンちゃんの後見猫になるのを、昨日の夜中タマキが頼みに来たわけ」
キョンが嬉しそうに言う。
「!!」
そうか!昨日の夜、タマキがわざわ追って来たのはこっちが理由か!
「あのクソジジィ……だったらそう言っていけ!」
そう声に出し毒づく。
「決まりね。私が後見猫になったからには誰にも反対させないわ!」
キョンがそう身体をクネらせながら言うと、一斉に不満の声が上がる。
「余所者は引っ込んでろ!!」
「勝手に決めるな!」
それを見てタスケがため息をつく。
「まぁ、仕方ないわな…どんなに伝説の猫でも、今はただのオカマ猫グボォワァ……」
タスケの身体は、言葉が言い終わらぬうちに木の葉のように宙に舞った。
その場にいる全員の視線がタスケの行方を追う。
タスケは転がりながら土手下に落ちていく…
キョンの一撃が炸裂したのだ……
「……」一同沈黙
「うわぁーー!!タスケの兄貴ぃぃ!!」
慌ててカイジが土手を駆け下りていく。
「ひでぇ!ひでぇよぉぉ!!誰かぁ、誰か来てくれ!わぁーっ!!泡ふいてるぅ!早く誰かぁ!!」
慌てるカイジとピクピク痙攣するタスケを尻目に、キョンがもう一度言った。
「あたしが後見猫になったからには誰にも反対させないわ!」
「…」
「……」
「………」
パチ!パチ!パチ!パチ!!
多少の間があったが、今度は満場一致で拍手が鳴った。
拍手をする皆の顔は必死そのものだ。
「……」
ギンは何も言わない。
キョンに関してはもう驚かないし、何も言わない。
「さぁ、ギンちゃん!親分になっての初仕事よ!」
キョンが満面の笑みで頷く。
ギンは苦笑いし首筋を掻いた後、息を大きく吸い込んだ。
「さぁ今日は聖地を守った記念だ!皆存分に楽しんでくれ!!」
『ニャアァ〜〜!!』
一斉に喜びの声を上げると、全員が土手を駆け下り聖地に向かう。
キョンはそれを目を細めて見送ると、ギンの側にやってきた。
「これから大変よ。リンたちの件があるから…リンたちの親分もこのまま黙ってないわ。それに新米親分だと、何かとちょかいを出してくるやつらもいるでしょうし……」
ギンはその言葉に笑顔を返した。
「大丈夫…力を合わせりゃなんとかなるさ!!」
ギンはそう言うと聖地に向き直り、飛ぶように土手を駆け下りた。
聖地……
その場所では大量のマタタビが風に揺れていた……
聖地を守れ、終了です。
いかがだったでしょうか?携帯で読む人が多いようなので、『長過ぎず』を心掛け、削ったエピードが多数あります。
削ったエピソードなどは、もしやる気が起きれば別の機会にでも書こうかと…もちろんそんな物は、読んでくれる人がいなければ意味がありませんが…。
ここまで読んでくれた人、ありがとう