第八幕 安息の場
街境付近、深夜の道端で両軍は睨み合う。
タマキとその仲間たち。リンとその子分。
最初に動いたのはリンたちだった。
リンの合図にその子分が一斉に襲いかかる。
それを見て瞬時にタマキも合図を送る。
ギンたちはそれに呼応し、リンたちの攻撃に応戦する。
まさに両軍入り乱れた総力戦だった。
脚を噛まれる者、顔を引っ掻かれる者、それぞれが必死に身体を動かす。
「タマキを狙え!!」
リンの子分がリンの代わりに叫ぶ。
リンはその子分の隣でタマキを指差している。
その言葉を聞き、ギンはタマキを探した。
「!!」
タマキは数匹の猫に囲まれていた。
タマキを囲むリンの子分たちが一斉に飛びかかる。
しかしタマキに動揺する気配はない。
背中に一匹を背負いながらも、数匹の猫を一撃で吹き飛ばす。
「さすがだな」
ギンはこんな状況にも関わらず、思わず笑みをこぼしてしまう。
「この野郎!この野郎!」
タスケが塀に上り、下から向かってくるリンの子分たちに猫パンチを繰り出す。
「はわわ、はわわわわ」
カイジが逃げ惑っている。
どうやら戦況はギンたちに不利なようだ。数で圧倒されている。
そこへ近所のオバちゃんが、懐中電灯を片手に通りかかった。
「あんれぇ…猫がこんなに……発情期かね?」
そのオバちゃんの言葉に全ての猫の動きがピタリと止まる。
『ギャギャギャッ!!(オス同士だ)』
一斉にオバちゃんに威嚇すると、オバちゃんは小さく悲鳴を上げ、懐中電灯を放り投げて逃げていく。
そして乱闘が再開される。
「このままじゃ全員ヤラれるぞ!」
タマキに近づきギンが声をかけた。
タマキは一度周りを見渡すと、なにかを決意するように頷きギンを見た。
「おまえがリンを倒せ。リンまでの道は俺が作ってやる」
タマキの言葉でギンはリンを探す。
リンは子分たちの最後尾にいた。
ギンはもう一度仲間たちの状況を見る。
どうやら迷っているヒマはなさそうだ…
タマキを見て強く頷き
「ジジィが無理するなよ」と声を掛けた。
タマキは口の端を上げて小さく笑うと、咆哮と共にリンに向かい走り出した。
「リンさん!タマキの野郎が向かってきます!」
子分が指す方向にリンが目を向けると、タマキが巨体を震わせ猛烈な勢いで向かってくるのが分かる。
子分たちがそれを止めようとするが、ことごとくタマキに吹き飛ばされる。
「止めろ!そいつを止めろ!」
リンがモゴモゴと口を動かして言っている。
その甲斐あってか、タマキの突進も徐々に勢いを弱めていき、リンの目の前まで来てその歩みを子分たちに止められた。
「けっ!無駄だったな」
リンが口をモゴモゴさせながら吐き捨てる。
その台詞を聞いて、肩で息をしていたタマキがニヤリと笑って言った。
「そうでもないぜ」
次の瞬間……
「リーンッ!!」
ギンは叫びと共に、立ち止まったタマキの背を踏み台にして子分たちを飛び越え、リンに襲いかかった。
リンの驚く表情が見える。
その顔に渾身の力を込めて猫パンチを繰り出す。
リンはなんとか直撃は避けたがダメージはあるようだ。
怒りで顔が歪んでるのが包帯越しにもよく分かる。
体勢を立て直してリンが飛び掛ってくる。
二匹は組合って道路を転げ回った。
リンは大口を叩くだけあってなかなかの腕前だったが、先日キョンから受けたケガと、先ほどギンから受けたダメージのハンディを持っては勝てるわけがない。
「もらった!!」
ギンがそう思ったとき、横からリンの子分に組み付かれて倒れた。
しまった!
視線を上げるとリンが前脚を振り下ろそうとしている。
「言っただろ?進入者は許さないって」
そうモゴモゴ言ってリンが不敵に笑う。
ヤラれる!!ギンはそう覚悟して目をつぶった。
…
……
………
しかしリンは攻撃してはこなかった。
「リンさん何してるんですか!!」
組み付いてきているリン子分の声でギンは目を開けた。
前脚を振り下ろしてくるはずだったリンは、なぜか地面に向かってピョンピョン飛び跳ねている。
その姿はまるでハンティングの練習をしているようだ。
「何って…身体が…勝手に…この…待て!」
そう言いながらリンは跳ね回る。
リンの足元を見ると、そこには丸い何かが忙しく動いていた。
「ギンの兄貴ぃ!チャンスっすよ!」
声がした方向を見ると、それはカイジだった。
塀に上りカイジが何か叫んでいる。
隣ではタスケが何かをくわえ、頭を左右に振っていた。
タスケが口にくわえている物…それはさっきオバちゃんが放り投げていった懐中電灯だった。
タスケはその懐中電灯の灯りでリンの足元を照らし、それを動かしていたのだ。
リンは必死でその灯りを追いかけている。
リンの行動、それは悲しい猫の本能だった。
ギンは状況を把握すると、組み付いているリンの子分を振りほどき、すぐさまリンに駆け寄る。
今度は外さない!
ギンの猫パンチはリンのアゴ、先日キョンに再起不能パンチを食らったのと同じ場所に的確にヒットした。
それは会心の一撃だった。
「ギャウ」っと声を上げて大の字に倒れるリン。
そしてそれを見下ろすギン。
倒れたリンにギンは言い放つ。
「俺もおまえに一つ言っておいてやる……」
そう言って大きく息を吸うと
「仲間に手を出すやつは許さねぇ!!」
勝敗は決した……
「ご苦労だった。今日はこれで解散にする。各自ゆっくり休んで、明日の正午に聖地に集合してくれ」
タマキの声でそれぞれが散っていく。
リンが倒れた後はあっと言う間に決着がついた。
リーダーを失った子分たちは逃げ惑い、クモの巣を散らすように去って行った。
リンは子分の一匹が引っ張っていったようだ。
ギンはカイジ、タスケと家路を歩いていた。
「いやぁ〜、タマの親分の背を飛び越えていったときのギンの兄貴…格好良かったッスよ!」
カイジが目を輝かせて言っている。
「……」
いつもくだらないことを言うはずのタスケは無言だ。
「なんだ?疲れたのか?」
ギンはそんなタスケに声をかけた。
「ん?…いや、リンを倒せたのはオイラの奇策のおかげなのに…と思ってな…ハハ…ハハハ」
タスケの笑顔が引きつる。
そんな話をしているうちにギンの家が見えてきた。
ギンは二匹と顔を擦り合わせて別れの挨拶をし、二匹を見送ると我が家の二階を見上げた。
数日帰らなかっただけだが、ひどく懐かしく感じる。
本当にここは自分の『家』なんだなと実感した。
しばらくそうしていると自分が来た道から誰かが来る…タマキだ。
「タマキ…どうしたんだ?」
タマキはギンに近寄ってくると一度大きく息を吐いて言った。
「まったく、歳を取ると若いやつに追いつくだけでも一苦労だ」
タマキの言葉にギンも笑顔を見せる。
「で?どうしたんだ?」
「いや、大した用じゃねぇ。ここがおまえの家か?」
タマキがギンの家を見上げて言った。
「あぁ…」
ギンも我が家を見上げた。
そうして二匹でしばらく黙っていると、タマキが口を開いた。
「どうだ?仲間に誘って良かったろ?」
ギンはそう聞かれると、返事はせずに照れ臭そうに笑ってうつむいた。
タマキはそれを見て満足そうに笑うとクルリと向きを変える。
「じゃあな…」
「??わざわざそれだけを言いにきたのか?」
ギンが首を捻る。
「あぁ、それだけだ」
「おかしなヤツだな」
そう呆れたように笑うギンを背にタマキが去っていく。
「おい!タマキ!」
ギンが慌てて呼び止めると、タマキは頭だけギンに振り返った。
「…なんだ?」
「……いや…なんでもない」
『ありがとう』
ギンはその言葉を照れ臭くて、素直に口に出すことが出来なかった。
タマキは一度小さく頷くと再び歩き始めた。
タマキの後ろ姿を見送り、それが見えなくなるともう一度二階を見上げる。
?不意に二階の窓、響子の部屋の窓が開いていることに気付く。
ギンの飼い主の響子は一見気が強く見えるが、実はかなりの恐がりだ。
そんな響子がこんな時間に窓を開けたままにしているとは…?
「無用心だな…」
そう苦笑いすると、ギンは玄関にある猫用の出入り口から家の中に身を入れた。
家の中は静まり返っている。
音を立てぬように注意を払って二階に上がり、寝床にしている響子の部屋のドアが、いつものようにわずかに開いているのを確認してそこに向かう。
部屋に入るとベッドの上で、響子が規則正しく寝息を立てている。
いつものようにベッドに潜り込もうとしたとき、響子が寝ながら何かを大事そうに両手で握りしめているのに気付いた。
「これは……」
それはギンがいつも響子の『相手をしてやる』ときに使う、鈴の入ったボールだった。
よく見ると響子の目頭から頬にかけて、赤くカサ付いているのが分かる。
泣いていたのかもしれない…そう思い窓を見る。
「俺のために開けていたのか……」
ひどく恐がりの響子が、自分のために窓を開けておいた。
そう思うとギンの胸に熱いものが込み上げる。
この数日間が長い時間に感じた。
だが響子にとっては、自分が思うよりも長く感じたのかもしれない。
不意に視界が歪み、鼻がツーンする。
それを慌てて堪えると、ギンは響子の頬を舐めてそっとベッドに潜り込んだ。
そこは『安らぎ』という名の温もりがあった……