第一幕 深夜の集会
月の光に照らされた影が一つ、ヒラリと塀を飛び越える。
そのまま音も立てずに地面に着地すると、一度周囲を見回し一呼吸置く。
そして次の瞬間には飛ぶように走り去り、闇へと溶けていった。
身を低くしてあたりを見回し、周囲になんの気配も感じないのを確認する。
十分に警戒を巡らせた後、目の前に口を開けた更なる闇にスルリとその身を入れた。
ここは深夜の廃工場。
今日は月に一度開かれる集会――ではなく、急遽開かれることになった集会だ。
音も無く足を踏み入れ、安堵の息を一つ吐く。
廃工場の中は月の明かりも届かぬ深い闇だったが、彼には大した問題ではなかった。
工場の奥にはいくつもの気配がある。どうやら多少遅れたらしい。
「ようギン、ずいぶん遅かったな」
その声は幾つも積まれた木箱の上から降ってきて、直後に声の主がギンの目の前へ身軽に飛び降りた。
「タスケか……今日はなかなか響子のヤツが寝てくれなくてな」
ギンが肩をすくめて苦笑する。
タスケは一度鼻を鳴らし、呆れた顔を見せながら
「またお嬢か? ……まぁいいさ。もう会議が始まるぞ」
そう言って顎先で工場の奥を示した。
ギンは無言で頷くといつもの自分の場所が空いているのを確認し、その場所に腰を下ろす。
「これで全員揃ったな」
ギンが来るのを見計らったような声が闇の中から上がる。
集会の進行役で、仲間内のボスであるタマキの声だ。
「全員? まだカイジが来てないぜ」
誰かがそう言った。
タマキはその言葉にゆっくりと頷き
「カイジはしばらく外出禁止を命じた。家の者に怪しまれているらしいからな。そのほとぼりが冷めるまでは」
その言葉に『これで何度目だ?』と、失笑と不満の声でざわつく。
「カイジのことはとりあえず置いておいて、今日集まってもらったのは、他でもない○×番地のことだ」
その言葉で周囲のざわつきは収まり、それと同時に緊張が走った。
「耳にした者もいると思うが、最近あそこにマンションが建つという噂があった。しかし、それはただの噂ではなく、事実だということが今日はっきりした」
タマキの言葉に再び周囲がざわつく。
タマキの話では、隣街の設計事務所にマンションの設計依頼があったらしい。
そしてその情報は、設計事務所で世話になっているタマキの旧友からのもので、非常に信憑性の高いものだという。
「俺たちに無断でふざけてやがる」
「俺たちの縄張りだぞ」
「聖地を荒らされていいのか」
口々に怒りの声を上げる。しかし、その騒ぎをギンの言葉が黙らせた。
「だったら阻止すればいい。ここで騒いでいるだけなら意味ないぜ」
一様に口を噤み、顔を見合わせる。具体的な案が浮かばず、誰も返事をするこが出来ない。
その静寂の中、タマキが咳払いを一つ。
「ギンの言う通りだ。今日集まってもらったのは、どうするのか皆の意思を確認したかったからだ。このまま泣き寝入るをするか――」
一呼吸置き、ゆっくりと集まった仲間達に視線を巡らせる。
「それとも、阻止するために戦うか」
タマキの問いかけに声を答える者はなかった。しかし、それぞれの目はすでに答えを出している。
それは鋭く、獲物を捕らえる野生の目だ。
「……決まりですね」
静かに言ったタスケの言葉に、タマキが目を細めて満足そうに頷いた。
「今日は皆の意思確認をしたかっただけだ。戦うには全員の団結が必要だからな。具体的なことは決まり次第報告する。よって、これから今回のように緊急の集会を開くことが多くあるかもしれん。各自そのつもりで待機しておいてくれ」
タマキの言葉に全員が頷く。
それを確認し、タマキは大きく息を吸い込むと声を張り上げた。
「解散っ!」
その言葉を合図に、各々が音もなく四方八方に散っていく。
もちろん、その中にはギンの姿もある。
ギンは廃工場に入るときに通った場所から外に出ると、背中を思い切り伸ばし夜空を見上げた。
空には満天の星と、細い三日月が輝いている。
「……これから忙しくなりそうだ」
そう呟き、月に向かい『ニャア』と一鳴きし、しなやかに走り出した。
全身を覆う体毛が、月の光に照らされてキラキラと輝く……
つづく