死を望むことすら許されない
王家主催の夜会。
淑女たちの色とりどりのドレスが花びらのように揺れ、シャンデリアの光に反射して煌めく。エスコートする紳士たちは華やかな色合いではないものの、落ち着いた色合いに繊細な刺繍が施されたテールコートを着こなし、ドレスにまた違う色を添えていた。
談笑がさざ波のように軽やかに広がり、グラスの触れ合う音が微かに響く。
それをほんの少し止めたのは、一組の男女が入場した時だった。
現れたのは、整った顔立ちの青年と、春の花のように可憐な令嬢。
滑らかな金色の髪に、透き通るような白い肌。長い睫毛に縁どられた瞳は蜂蜜を溶かしたような淡い琥珀色で、ぷっくりとした唇は淡い紅色。
身に纏うクリームイエローのドレスは、柔らかな色合い。胸元から腰までは滑らかな絹で仕立てられ、細やかな刺繍が蔓のように施されていた。
袖はふんわりと膨らむパフスリーブ。袖口には淡い黄緑色のレースがあしらわれ、そこにも繊細な刺繍が施されていた。
腰を飾るのは少し深みのある若草色のリボン。中央に彼女の瞳と同じ、琥珀色の鉱石が一粒だけ留められていた。
その華奢な両手首に嵌められた金色のブレスレットが、きら、きら、とシャンデリアの光に合わせて煌めく。
そして彼女をエスコートする青年は、静かな美貌の持ち主だった。僅かに青みを帯びて見える癖の無い黒髪は短く整えられており、切れ長の瞳は静かな湖を思わせる深い青色。
纏う正装は、深い森を思わせるフォレストグリーン。仕立ての良いフロックコートは余計な装飾を省いており、その落ち着いた色合いが令嬢の淡いクリームイエローのドレスを一層鮮やかに見せている。
互いの胸元には、互いの目の色の鉱石を嵌め込んだブローチとタイピンが付けられていた。
「まあ、カシウス・ベルフォート侯爵令息と、ロザリー・フェリシエ伯爵令嬢よ」
「夜会に出られるなんて珍しいわね」
「王家主催ともなれば、さすがに無視も出来まいよ」
ひそひそと扇やグラスの影で囁かれる会話。
それらを気にすることもなく、2人は主催である陛下と王妃に滞りなく挨拶を終え、静かに広間の片隅へと歩を進めようとした。
すると。
「先にお声がけする無礼をお許しください、ベルフォート様」
名指しで声をかけられては立ち止まざるを得なかったようだ。
2人は静かにその方向へ向き直る。
「リゼット・アルヴェーンでございます」
光沢のある深い青色のドレス。袖口や裾には、銀糸で繊細な刺繍が施されており、シンプルではあるが上品なデザインだ。
くりっとした大きな緑色の瞳に、肩口で切りそろえられた銀色の髪。薄い紅色の唇は、穏やかな笑みを浮かべている。
青い鉱石が嵌めこまれた髪飾りが、シャンデリアにきらきらと煌めいた。
「ああ……デビュタント以来だね」
記憶を巡らせたカシウスがそう答えると、緑色の瞳が嬉しそうに細められる。
「覚えていてくださったのですね。……光栄ですわ」
リゼット・アルヴェーン男爵令嬢。
カシウスが通う貴族学園に2年次に編入し、優秀な成績を修めた。そう、カシウスと常に首位を争う程には。
結局彼女がカシウスに勝つことは無く、「2位に甘んじてしまったのが心残りですわ」とデビュタントで再会した際に、そう声をかけられたことをついでに思い出す。
「フェリシエ様も、お元気そうで何よりでございます」
リゼットにそう声をかけられたロザリーは、口元に笑みを浮かべてこう答えた。
「ご心配にはおよびませんわ。わたくしの身を案じていただくほど、親しい間柄でもないでしょう?」
愛らしい笑みと鈴を転がすような声音。
だが、紡ぎだされる言葉は、明らかに毒を秘めている。
「そうですわね。余計なことを申し上げてしまい、大変失礼いたしました」
それに気付きもしないのか、リゼットは当たり障りのない答えを返した。
琥珀色の瞳から、興味の光が失われたのをカシウスは感じ取る。
このまま立ち去っても良いが、ふと、男爵家でしかない彼女が王家主催の夜会に招かれているのかが気になった。
「失礼だが、君がこの場に招かれているとは思わなかったな」
そう尋ねると、リゼットの目元が赤く染まったように見えた。
「ええ。光栄なことに、わたくしがこれまで研究していたことが王家の目に留まりましたの」
「ああ……確か、卒業論文が学園長の目に留まっていたな」
確か題目は、と再び記憶を巡らそうとするよりも先に、ロザリーは甘やかな笑みを浮かべた。
「まあ。卒業してから今までずっと研究をお続けに? さぞかし、大変な日々をお過ごしですのね」
すう、と琥珀色の瞳が静かに細められる。
「ご自身のしたい事に打ち込めるなんて、羨ましいですわ。男爵令嬢の身分は、とぉっても軽やかでいらっしゃるのね」
苺のような唇から零れ落ちるのは、またしても甘い毒。
可愛らしい花のような外見からは想像も付かないようなそれに、カシウスはぞくり、と背筋を震わせていた。
「……」
対してリゼットは何も答えない。
図星を突かれて答えようがない、といったところだろうか。
これまでだな、と判断したカシウスは口を開いた。
「では、失礼する」
リゼットの反応を見ることなく、ロザリーの手を取って歩みを進める。
視線を感じるが、振り返ることなどしない。
早速高位貴族の方々が話しかけて来るのを上手くあしらうことの方が大切だ。
ロザリーがころころと鈴の音のように笑うのを、心地良く耳に入れることも忘れずに。
「少し疲れましたわ」
「ああ、邸に帰ったら湯を用意させよう」
そう答えると、ロザリーはうっとりと蕩けるように微笑んだ。
夜会で疲れた心と身体が少しだけほぐれる。
「それにしてもあの男爵令嬢の方、貴方のお色をまだ纏っていらっしゃるのね」
興味の範疇から外れたと思っていた存在を、ロザリーが口に出したことにカシウスは少々驚いた。
「ああ……、デビュタントの時も青いドレスだったな」
デザインは全く違っていたが、と思い返す。
それにロザリーは、ふぅん? と蠱惑的な笑みを唇に宿した。
「確か、成績が貼り出される度に貴方につっかかっていたとか」
「ああ、迷惑だったな。君がいるから2人きりには決してならなかったが」
思わず眉間に皺を寄せると、手袋に覆われた手がそっと添えられた。手首に嵌められたブレスレットが、きらり、と煌めく。
このブレスレットは、カシウスが自ら製作したものだ。彼女の『体質』を考慮してのものだったが、それとは関係なくロザリーはただ純粋に気に入ってくれた。
それが何よりも嬉しい。
「ふふ……とんだ悪食ですこと」
甘い甘い声が、心に浸透していく。
その心地に目を細めつつ、カシウスはその手を優しく取った。
「そうさせたのは、君だろう?」
くすくす、と甘やかな笑い声が鼓膜を擽る。
春の花のように甘やかな外見とは裏腹に、その唇から出る言葉は可憐とは程遠い。
誰にも媚びることなく、言うべきことはハッキリと口に出す。
敵とみなした者には、甘い毒を秘めながら。
「ん……」
琥珀色の瞳が、とろり、と眠たげに潤んだ。
「着いたら起こす」
「ええ……お願い」
そのままロザリーは瞳を閉じる。
滑らかな金色の髪を撫でながらその頭を優しく己の肩にもたれさせ、カシウスは己の目を少し擦った。
今日は妙に疲れた。
夜会に出るのはどうにも慣れない。
「……」
襲いくる眠気に抗えず、カシウスは瞳を閉じる。
馬車は2人を乗せたまま、ひたすらに夜道を走り続けた。
意識が覚醒するのに合わせ、目を開く。
しかし、そこにあるのは闇。
目を凝らしても、何も捉えることが出来ない程に。
そこにはただただ、真っ黒い闇が広がっていた。
「ああ、目が覚めた?」
不意に話しかけられ、その方向に顔を向ける。
今更気が付いたが、四肢が拘束されているようで少しも動くことが出来ない。
ただ、首だけは動かせる。が、何か硬質的な感触が触れて、その不快さに眉を寄せそうになった。
「楽にして良いよ。時間はあるんだからさ」
妙に気安い調子で話しかけられ、また眉を寄せそうになるが堪える。
随分と礼儀を知らないようだ。
声からして女性のようだが……。
「でも、随分と余裕だね。こんな『状態』なのに」
「……そのようなことはありませんわ」
無言のままでは情報を引き出せない、と判断したロザリーは、仕方なく答えた。
「どなたかは存じ上げませんが、この拘束を解いていただけませんこと?」
「それは無理だね」
即座に返って来た言葉に、やはりね、と内心で溜息を吐く。
それに構わず、声の主の言葉は続いた。
「それからさぁ、私貴方に名乗ったことあるんだけど。覚えてないの?」
「生憎と、お会いする方の数は多いものですから。興味のない方のことなど、覚えている余裕などありませんの」
素っ気なく答えれば、声の主が少しだけ肩を竦めた気配が感じられた。
「興味がない、ね……」
「よく聞こえませんわ」
「ううん、別に。じゃ、改めて名乗るけど」
ギィ、と何かが軋む音が聞こえた。
「私はリゼット・アルヴェーン」
その名を聞いても、ロザリーはすぐには思い出せなかった。
何故なら、興味がなかったから。
しばらくの沈黙の後、口を開く。
「ああ……カシウスの同級生だった……」
「うん、そうだよ」
あっさりと肯定され、ざらり、とした不快感が込み上げた。
男爵令嬢が、伯爵令嬢たる自分にこんな口をきくとは。
礼儀がなっていないにも程がある。
口を開きかけたが、それを遮るかのようにリゼットは話し出した。
「まあまあ、私の話聞いてよ。さっきも言ったけど、時間はあるんだからさ」
少しの沈黙。
やがてロザリーは小さく息を吐いた。
「ええ、分かりましたわ。暇つぶしにはなるでしょうから」
それにいざとなれば、とブレスレットが嵌められている腕に力を込める。
そのことに気付きもしないのか、リゼットはくすくすと笑った。
「では早速。まず、貴方は特殊な体質故に母国であるラゼル王国より医療技術が発達しているエルゼノア王国へと留学、療養。ただ、その療養の理由というのは、『魔力飽和による身体の不調』。ここまでは合ってるよね?」
「ええ、その通りですわ」
それがなにか? とロザリーはこてり、と首を愛らしく傾げてみせる。
そもそもこんなこと、普段から交流している高位貴族の方々なら知っている。何故、男爵令嬢でしかなく、交流もないリゼットが知っているのかは分からないが。
まあ、そんなことはどうでもいいわ、とその考えを頭から瞬時に消したロザリーは、とりあえず話を聞く体制に入った。
「貴方の魔力保有量は常人の比ではない。それこそ、一か月で数千個の魔石に魔力を込められるくらいにね」
通常の人間は1日に数個が限界。これだけでもロザリーの魔力量が驚異的だと知らしめるには充分過ぎた。
「ええ、それも合っていますわ」
ふう、と溜息を堪えるのを懸命に堪える。
何を今更、とばかりに。
「さらに留学の間、貴族令嬢として必要なマナーと知識、そして世界共通語含む三ヵ国語、エルゼノアの貴族学園で首席を取得……いや、素晴らしいね、これだけのことを成し遂げるとは」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
うんざりとした様子を隠そうともせず、ロザリーはそう答えた。
「もうよろしいかしら?」
「まあ、もう少し付き合ってよ。話を貴方の魔力保有量に戻すけど、それは貴方の婚約者であるカシウス・ベルフォートによって解決した」
リゼットは一旦言葉を切り、そして。
「貴方が付けているブレスレット。それは着けている者の魔力を溜めるだけではなく、その流れを整え、身体への負荷を抑える役目を果たしている。素晴らしい素質を持つ者同士、互いに惹かれ合うとはこのことなのかな?」
褒めているようだが、声の調子はあくまでも淡々としている。
ざらりとした不快感は苛立ちに変わった。
「暇つぶしにしては、楽しくないお話ね。飽きてしまったわ」
ロザリーはため息交じりにそう言い放ち、ブレスレットに魔力を込めた。
カシウスから贈られたものを破壊してしまうのは心苦しいが、今は緊急事態だ。
ブレスレットが外れさえすれば……。
「……?」
が、その感覚が何時まで経っても訪れない。
おかしい。
何かがおかしい。
「何をしようとしているかは分かるけど、少し落ち着いてよ。話を続けるね」
のんびりとしていながら妙に冷たさを感じる響きに、ぞく、と背筋が冷たくなった。
「でもさ、貴方疑問に思ったことなかったの? 『何故自分だけこんなに魔力量があるのか』って」
「経緯など興味ありませんわ。今のままのわたくしを受け入れることしか出来ませんもの」
「ふぅん? やっぱりそう答えるんだ」
まあいいけど、と前置きしてからリゼットは言葉を続ける。
「この国の新生児魔力量統計を確認したんだけどさ、ある年だけ出生数に対して魔力を持つ新生児が『不自然に少ない』ことが分かったんだよね」
「……」
「その様子だと心当たりがある……まあ、当然か」
すう、と声のトーンが変わった。
「貴方の生まれた年と同じなんだから」
内面を羽で撫でられたかのような、先程とは違った不快感がぞわり、と沸き起こる。
「偶然、にしては異常な数値なんだよね。可能性は幾つか上げられるけど、まず考えられるのは」
あくまで、淡々と。
残酷に。
「禁術」
反論しようと口を開くが、上手くいかない。
「胎内に宿った命から魔力を奪い取り、自らの子へと移し替える……術が成功すれば魔力を奪われた子どもは魔力をほとんど持たずに生まれ、反対に魔力を与えられた子どもは本来の素質を遥かに超える魔力量を持って生まれる。そのような禁術がフェリシエ家には伝わっていたそうだね?」
「……生まれる前のわたくしに術が拒めたとでも仰るの? わたくしはただ魔力を与えられただけ。そう考えれば、わたくしこそが禁術の被害者――そう申し上げても、何ら不自然ではないと思いますけれど?」
「ふーん、認めた上であくまでも自分は無関係って主張なんだね」
「あら、貴方の言い分など誰が信じるとお思いで? ……それよりも、わたくしをこのように拘束しておいて、まさか何のお咎めもなく済むと思っているのかしら? 身の程を弁えて、早く解放していただけませんこと?」
あくまでもロザリーは冷静な口調を保った。
大丈夫。
男爵令嬢が自分をどうこう出来る筈がない。
すると少しの沈黙の後、リゼットが言葉を紡ぎ出した。
「貴方は確かに『優秀』なんだろうね。誰にどのようなことを告げれば動くのか、誰にどのように振舞えば思い通りに動くのか、それをよぉく理解している。自分の手は汚さずに、他人を動かして事態を思い通りに転がして……貴方は傍観者のつもりなの? そうだとしたら、すごぉく高慢な思想ねぇ?」
口調を真似されたと感じたロザリーは、僅かに眉を寄せる。
「そんな高慢な思想故に、貴方は自身の周囲で起こる出来事は全てお芝居のようなものだと思っている。そう、例え」
リゼットの声の調子が、変わった。
「人を殺したとしても」
瞬間、空気が重くなる。
「身に覚えがありませんわ」
こてり、とロザリーは再び首を傾げてみせた。
「ヴィオレット・ロシュフォール」
リゼットが紡ぎ出した名前が、重く響く。
「私の従妹だったんだよね、その子。そして、貴方と『同じ貴族学園』に通っていた生徒でもあった」
ロザリーは僅かに目を見開いた。
同じ貴族学園、ということは、まさか。
「その反応だと察したようね。……私、エルゼノアの者なの」
瞬間、空気が確かに変わった。
それは内心を過ぎる胸騒ぎなのか、それとも。
判断が付かないロザリーを他所に、リゼットの言葉は止まらない。
『嘘なんか吐いてないよ。ほら、この通り話せるでしょう?』
流暢なエルゼノア語で紡がれたそれは、確かに彼女の母国語だと知らしめるには充分過ぎる程だった。
「あ、今はそっちの国に合わせてあげるから安心してね。その方が話しやすいだろうから」
「あら、頼んでもおりませんのに。わざわざお気遣いいただいて痛みいりますわ」
少しの沈黙。
どうやらリードを戻せたようだ、とロザリーは内心で少しだけ安堵する。
しかし。
「貴方は貴族学園時代、とある伯爵令息に付きまとわれていた。堪りかねた貴方はその腕輪を『自分の意思で』外し、『魔力暴走』を『故意に』引き起こした」
かつん、と固い靴音の音が響いた。
「貴方のことだから、その伯爵令息に対しては『牽制』のつもりだったんでしょう。計算通り、令息は軽傷を負ったものの気絶するだけで済み、その後貴方に近寄ることをしなくなったんだから」
かつ、とまた固い音が響く。
「だけど、不幸にもその場面に居合わせてしまったヴィオレット……ヴィオは巻き込まれ、命を落とした」
ざりり、と靴が床を踏みしめた音が、妙に鼓膜を叩いた。
「まあ、貴方の死角にいたから気付かなかったのは仕方ないかもしれないけど」
「それは」
「ああ、謝罪も言い訳も結構。傍観者気取ってる人の謝罪なんて意味ないしね」
冷たく遮られ、ひくり、と口角が引きつったのが分かった。
「で、ヴィオの家にはフェリシエ家から形式的な手紙とお金が届いて……それで終わり。まー、随分と人の命を軽く見てるんだね。一家揃ってロクでもないってことがよぉーく分かったよ。禁術に手ぇ出す時点でアレだけどさ」
くつくつ、とリゼットが嘲笑う。
「ここで誠意ある対応を取るか、ヴィオのことをもう少しよく調べていれば、こんなことにはならなかったかもね」
「どういうことですの?」
反射的に聞き返すと、ようやくそこに思い当たったか、と溜息が吐かれた。
「あの子の母親は、エルゼノア国王の側妃の妹だよ」
なんでもないことのように。
さらりと重要なことを言われ、ロザリーは今度こそ目を大きく見開いた。
それならばリゼットは。
「で、私はその側妃の娘」
さらり、と衝撃的な事実を告げられ、冷たい汗が頬を伝い落ちる。
「言っておくけど、愛妾なんかと一緒にしないでよ。母は伯爵家出身なんだから」
念を押すように言われ、付け込む隙が失われたのを感じた。
「娘っていっても、上には兄と姉がいるし、正妃様との間にも3人生まれているから、王位継承権は限りなく低いけどね。だから、『自分がやりたい事に打ち込める』んだよ。『貴方が言った通り』にね」
「……」
どくり、と心臓が嫌な音をたてた。
今、自分が言ったことを返されている。だが、それは良い意味では無い。
「急に静かになったけど大丈夫? で、王家に連なる者の命……いや、平民でも同じだけど……を、粗末に扱う家と令嬢なんてほったらかしに出来る訳ないでしょ? その罪を問えば簡単に潰せるけど」
かつん!
靴音が高くなった。
「それじゃつまらないよね?」
どく、どく、と鳴る音が、酷く耳障りに聞こえる。
これを止めたいのに、止める方法が思いつかない。
「それに無駄に『優秀』な頭脳を持った貴方のことだから、小賢しい方法で逃げられるかもしれなかった。だから、慎重にことを進めようと思ってね。まずラゼル王国の貴族学院に年を偽って編入し、婚約者カシウスへ接触。バランス良く間違えるって難しいね、2位をキープするの地味に大変だったよ」
こつ、こつ、と靴音が、固く響いた。
「で、ちょっと声をかけただけ。本当に何でもない普通の会話だよ」
『1位だなんて、素晴らしいですわ』
『わたくしも頑張らないといけませんわね』
「……ってね。これのどこが、懸想していることになるの? ってか婚約者いるって分かってんのに言い寄るなんて、する訳ないでしょ? ちょっと声をかけただけで自分に気があるって……、とんだ自意識過剰だね。いくら優秀でも、所詮は『オス』でしか無かったということかぁ」
がっかりだよ、とリゼットはくつくつと嗤う。
「……っ!」
身体の中が、ぐつり、と煮えたぎった。
衝動のままに魔力を込めるが、やはり上手くいかない。
いや、込めてはいるが、何か途切れているような感覚がする。
それを疑問に思う間も与えず、リゼットが言葉を紡いだ。
「で、私に懸想されていると思い込んだカシウスは、貴方に馬鹿正直にそれを伝えてくれたみたいだね。デビュタントで『ヴィオの瞳と同じ色』の青のドレスを纏ってみせたのも勘違いに拍車をかけてくれた。結果、貴方は見事に私を『敵』だと認定してくれたね。別に嬉しくもないけど」
「そ、そのような、ことは」
「だから言い訳とか聞きたくないって。意味ないんだからさ」
冷たく遮られ、今度はぞわりとした何かが這い上る。
「一応ヒントはあげてたんだよね。卒業論文のタイトルは『新生児における魔力量保有の変移について』だし、デビュタントと夜会に着てたドレスの刺繍はエルゼノア王国のランベルク地方に伝わるものだし、家名は遠縁の男爵家のものを名乗っていたとはいえ、名前はそのままだったのにねぇ」
ああ、そうだ。
王家の血を引きながら、社交の場に姿を見せることが滅多にない令嬢。何故なら彼女はエルゼノア王国でも指折りの優秀な研究者だからだ。
彼女の研究分野は魔力学から薬学、農業技術や医療分野にまで及び、それらの分野で優れた成果を上げている。その研究成果はエルゼノア王国の発展に大きく貢献しているのは言うまでもない。
彼女の顔を知る者は驚く程少ないが、その名を知らぬ者はいない。
「リゼット・アルヴェイン様……」
ロザリーが呆然とその名を呟くと、ぱちぱち、と拍手の乾いた音が響いた。
「だいせいかーい。それが私の本当の名前」
ぱちぱち、と拍手の音が容赦なく、鼓膜を打つ。
それは自身の心臓の音と混ざり合い、どうしようもなく不快な協和音を奏でる。
本来ならば足元にも及ばないような存在に、自分は何をした?
どんな態度を取って、どんな言葉を投げた?
それ以前に、自分は彼女の親戚を知らなかったとはいえ手にかけて……!
「ぁ……」
ロザリーの口から、か細い声が零れる。
「で、小賢しい貴方のことだから、この状況から抜け出す方法でも考えているのかもしれないけどぉ」
カツ!
余計な思考を遮るかのように、靴音が鳴った。
「そんなものはないよ」
残酷に放たれた現実に、血の気が引く。
「ってか、ラゼル王国だと禁術に手を出した時点で、家取り潰しの上全員処刑なんだけど」
「それ、は」
「もうとっくに済ませたから」
「……え?」
信じられない。
信じたくない。
一旦耳に入ったことを、理解したくなかった。
だが。
「あのさ、ラゼル国の王家主催の夜会から一週間経ってるんだよね」
そんな、そんな馬鹿な。
驚愕に目がさらに見開かれ、身体が勝手に震え出す。
「その間に、フェリシエ家は取り潰し。家の者は3親等以内の親族に至るまで火刑に処されたよ」
淡々と紡ぎだされた言葉は、ロザリーの胸の内をじわじわと絶望に染め上げていった。
「で、貴方とカシウスの身柄はこちらに引き渡し。幾ら他人に興味ないからって、御者が入れ替わってるのに気付かないのどうかと思うよ? おかげで馬車ごと転移させるの楽に出来たけどさ」
この状況はラゼル王国の協力もあってのことだと知らされ、震えが止まらない。
何故?
魔力保有量が増大かつ優秀な自分はラゼル王国に無くてはならない存在の筈なのに、何故?
「いつ爆発するか分からない爆弾を、あの国が管理できる訳ないでしょ。正直持て余してたってのもあるだろうけど、エルゼノア王国の王家に連なる者を殺害した時点で、もう庇う理由なんて無いよね?」
見透かしたようにそう答えられ、喉奥から声にならない声が漏れた。
だが、それなら。
「……カシウスは?」
先程リゼットはカシウスの身柄もこちらに引き渡した、と言った。
ロザリーが最後の希望とばかりにその名を口にすると。
「じゃ、灯り点けるね」
リゼットの言葉と同時に。
ガシャンッ!
重い音と共に、白い光が容赦なくロザリーを照らし出した。
眩しさに一瞬目を閉じつつも、恐る恐る目蓋を開く。
「あ、ああっ……?」
その目にまず映ったのは、鏡。
当然それには、ロザリー自身が映し出されている。身体は十字架を模した拘束具に縛り付けられていた。
だが、あるべき筈のもの……両腕と両脚が無くなっている。
「な、あ、あ、あぁ……」
はく、はく、と唇を動かすだけのロザリーに、白衣姿のリゼットはくつくつと嗤う。
「不老不死」
きゅーっとその口元が三日月に持ち上がった。
「オマエにかけられた禁術。それにある古代魔術を重ねがけした。おかげでオマエは四肢を失おうと、どれほど肉体を損なおうと死ぬことはない。……そう、永遠に生き続けることになるんだ。
信じられない。
信じたくない。
「ああ、これ普通の鏡だから。幻術かかってるとかないから」
コン、コン、とリゼットは鏡の表面を叩いてみせる。
「これは紛れもない現実。今、オマエの身に起こってることの全てだ」
すう、と緑色の瞳が細められた。
「何時までも傍観者気取ってんじゃねーよ」
そうして懐からナイフを取り出す。
ぎらり、と白い光が反射して、ロザリーの目を一瞬だけ焼いた。
「や、やめ、ぎゃあああー!!」
ザシュッ!!
胸元が焼けるように熱くなり、鮮血が身体を汚す。
リゼットはロザリーに突き刺したナイフを、ゆっくりと引き抜いてみせた。
すると見る見る内に傷口が塞がっていく。
「あ、あああ……!?」
信じられない、とばかりに声をあげるも、傷口は痕を残すことなくあっという間に治ってしまった。
「いやあ、何時見ても本当に凄いね。あ、両腕と両脚はきちんとした環境で保管してあるから、いつでもくっつけられるよ。ま、今は断面に『再生能力を封じる呪い』を刻んでるから無理だけど」
リゼットはひらひらとロザリーの顔の前で、その手首に嵌められていたブレスレットを掲げてみせる。
きら、きら、と白い照明に輝く光が、今はとても禍々しくロザリーの目に映った。
「か、カシウス、カシウス!?」
縋るように叫ぶと、リゼットの目が細められる。
「ああ……此処にいるよ」
鏡がどけられた。
そこに、カシウスは、いた。
開かれたままの瞳はどろりと白く濁り、何の光も宿していない。健康的な色だった肌は紙のように白く、四肢はだらりと力を失っている。
吐血したのか、だらしなく開かれた口から顎にかけて血の筋がこびり付き、胸元に残された深い刺し傷を中心に、全身が赤黒く染まっている。
「カシウス、カシウス……!」
何度名を呼んでも、彼が答えることはない。
そう、永遠に。
「オマエなんかと婚約してなきゃ、もう少し長生きできたのにね」
くつくつと嗤うリゼット。
それが信じられなくて、ロザリーは目を見開き、そして睨みつけた。
射殺せそうな視線を物ともせず、リゼットは続ける。
「『ロザリーを離せ、私はどうなってもいいから』だってさ。随分と愛されてたようだね。ま、こんなもん作るくらいだから、聞かなくても分かってたけどさ」
からん
ブレスレットがぞんざいに机の上へと置かれた。
「すごーく勿体なかったけど、オマエが不老不死になる様を最初から見せてやったよ。何か叫んでたけど、両腕と両脚切り離したら、この世の終わりみたいな叫び声あげて、あとはもう予想通りのこと叫ぶだけ」
どろり、と緑色の目が愉悦に光る。
「『殺してやる』ってさ」
くくっ、とリゼットは喉の奥で嗤った。
「だからさ、検証してみたんだよ。『不老不死』となった者の『肉』を食べると同じ『不老不死』になれるのか」
恐ろしくもおぞましい提案に、ロザリーは嘔吐を必死に堪える。
「で、彼にも提案した。選択肢を与えるのは当然のことだからね」
それならば。
彼が今、こうなっているのは。
「そして承諾し、検証した結果がコレ。さすがに『人間』だとそこまでの力はないってことが実証されたよ。命をかけて貴重なデータを提供してくれた彼には、感謝してもしきれないね」
人の死をデータ扱い。
愛しいカシウスの死を。
「なぜ、カシウスを?」
怒りを堪えて尋ねれば、リゼットは冷静にこう答えた。
「オマエがヴィオを殺したってことを知ってたからだよ」
「え……?」
「オマエの家族から聞いたんだってさ。で、『ロザリーの負担になるようなことは言いたくなかった』だって」
パチパチ、と乾いた拍手の音が、また響く。
「いやあ、実に素晴らしいものを見せてもらったよ。これが『真実の愛』というものだねぇ」
リゼットの顔から、表情が全て抜け落ちた。
「反吐が出るよ」
吐き捨てられた言葉に、ぐわり、と怒りが沸き起こる。
「許さない……」
「ん?」
首を傾げるリゼットを、ロザリーはぎろっと睨みつける。
「許さない!!!!」
衝動のままに魔力を暴走させようとするが。
「あー、お得意の『魔力暴走』は出来ないようにしたから」
あっさりと否定され、ロザリーの顔が絶望に染まる。
リゼットは鼻で笑い飛ばしながら続けた。
「オマエの首に嵌めたソレ……まあ、首輪、としとこうか、ピッタリだしね、カシウスが作ったものよりも遥かに頑丈で魔力保有量も甚大だよ。で、その拘束具を伝ってこの『研究室』の灯りや魔道具を動かす動力源にもなっている。ちょっと導線を弄れば、魔石にも魔力を込められる。実に経済的だと思わない?」
研究室。
それなら、ここは。
ロザリーの全身ががくがくと震えたのを合図にするかのように、リゼットは腕を大きく広げてみせた。
「改めて、ようこそ。エルゼノア国立研究所、極秘研究室へ」
バンッ!
ドアが開かれて、ぞろぞろと白衣姿の研究員たちが入室した。
誰もかれもが好奇の目をロザリーに向けている。
顔を逸らしたいが、逸らすことが出来ない。ただ、身体を震わせることしか出来ない。
『主任、まずは毒物の解毒方法の研究を』
『いやいや、臓器移植の拒絶反応の方が先だろう』
『再生能力の移植は可能でしょうか? 肉片を採取する必要がありますので許可を』
『新しく開発した薬を試したいです。マウスでは成功したのですが人間はまだでして』
次々と交わされるおぞましい会話に、震えが止まらない。せめてエルゼノア国語が分からなければ良かったのに。
歯の根が、がちがち、と鳴る音が酷く耳障りだった。
そんな研究員たちを、まあまあ、となだめてから、リゼットはにっこりと笑う。
「あのね、ヴィオは私をとても慕ってくれていたの。『大きくなったら、リゼットお姉様の助手になりますね』って言ってくれるくらいにはね。だから私も、ヴィオのことを大切に思っていたの」
だからね、とリゼットの笑みが変わった。
「その人生を理不尽に摘み取ったオマエのことが、とぉーっても腹立たしいの」
すう、とその顔から表情が抜け落ちる。
「ただ叩き潰すだけじゃ足りない。徹底的に地獄の底へ叩き落してやろうって思うくらいにはね」
「ひ……! あ、あああああ!?」
ロザリーの喉から、訳の分からない叫び声が迸った。
それに目を狭め、リゼットは肩を竦めてみせる。
「ああ、そうだ。『不死』っていってもやっぱり、『完全』じゃないみたい」
「っ!」
琥珀の瞳に、希望の光が宿った。
「800年」
放たれた答えに、すぐに光が失われる。
「肉体的に限界が来るのかもしれないね。私がそれを見られないのは物凄く残念だけど、この研究室を預かる者に託すことにするわ」
リゼットは手元のノートに、さらさらとペンを走らせた。
「オマエがどうして『不老不死』になったか、その手順、そして原因は詳細に記しておくから安心して。ああでも、私も人間だから、『原因』を多少盛って書くかもしれないね。で、私がいなくなった後に研究室を継ぐ者も同じように記録を残すように託すけど……その人もさらに『原因』を盛るかも」
そうしたら。
この身に施される『研究』は、さらに過酷さを増すに違いない。
「ま、『実験体』にかける感情なんかないから、仕方ないよね」
そういえば此処で目覚めてから、リゼットは一度たりともロザリーの名を呼ぶことがなかった。
リゼットだけではなく、他の研究員も同様に。
あくまでも無機質なその目は、『実験体』を見る目と同じで。
「ああ、発狂しないように術もかけてあるから。全く、至れり尽くせりだよね」
何処にも逃げ場などない。
改めて突き付けられ、ロザリーの口が自然と開かれた。
「い、いや……たすけて、たすけてっ! カシウス、カシウスッ!!」
「未練がましいねぇ。ああ、それ片付けておいて。検体として処理するから丁寧にね」
そう指示を受けた研究員が手際よくカシウスの遺体を台車に乗せ、何所かへと運んでいく。
もう、自分には何もない。
それを容赦なく突きつけられたロザリーは、わなわなと震えた。涙が頬を伝い落ちるのを、何所か他人事のように感じる。
「あ、あああああああーーーー!!!!!」
それは叫びとなって、研究室中に響き渡った。
「あー、うっさい。適当に口塞いで」
「はい」
また別の研究員がロザリーに猿轡を噛ます。
「んー! んぅー!!」
「まだうるさいな。口縫い付けるから、縫合糸と針、用意しといて」
あくまでも冷静にそう命じたリゼットは、口元に笑みを浮かべてみせた。
「それじゃ、『実験体』としてエルゼノア王国のために貢献してね」
緑の瞳が、真っすぐにロザリーを射抜く。
「時間はたーくさんあるんだからさ」
その言葉に、目の前が黒く染まっていく。
ロザリー……いや『実験体』と成り果てたソレは、エルゼノア国のためにその身を文字通り捧げることとなった。
そう、800年という途方もない年月をかけて。
(終)




