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竜と人が暮らすアステリア王国の物語

王都の小さなパン屋には、毎朝一頭の竜がやってくる

作者: みき
掲載日:2026/08/25

 王都セレスティアの朝は早い。


 市場に野菜を運ぶ荷車が石だたみを走り、竜便の飛竜が空を横切り、通りの店々から少しずつ明かりがもれ始める。


 そんな王都の南通りに、小さなパン屋があった。


 店の名前は《麦の(あかり)》。


 店主は、二十九歳のマルク。


 父から店を受けついで三年になる。


 朝四時に起き、生地をこね、火を入れ、町が目を覚ますころには最初のパンを店先へ並べる。


 毎日、ほとんど同じことのくり返しだった。


 ただ一つ。


 半年前から、朝だけ少し変わったことがある。


「……来たな」


 店の外から、かりかりと扉をひっかく音がした。


 マルクは焼き上がったパンを棚へ置き、扉を開ける。


 そこには、一頭の竜が座っていた。


 大きさは大型犬くらい。


 赤茶色のうろこに、小さな翼。


 頭には短い角が二本ある。


「おはよう、ポル」


「きゅる」


 竜は短く鳴いた。


「今日も同じか?」


「きゅる」


「わかったよ」


 マルクは店へ戻り、棚の下から小さな丸パンを一つ取った。


 まだ少し温かい。


 何もぬっていない、ごく普通のパンだ。


「熱いから気をつけろよ」


 店先の皿へ置く。


 ポルと呼ばれた小竜は、少し待ってからパンをくわえた。


 そして、その場で食べ始める。


「毎日よくあきないな」


「きゅる」


「俺も毎日焼いてるから、人のことは言えないか」


 マルクは笑った。


 これが半年続いている。


     


 最初にポルが来た日は、大雨だった。


 朝、店の前で小さな物音がした。


 扉を開けると、ぬれた子竜が軒下に丸くなっていた。


 野生なのか、誰かに飼われているのかもわからない。


「おい、大丈夫か」


 近づくと、子竜は弱々しく鳴いた。


 お腹が減っているようだった。


 竜に何を食べさせていいのか知らなかったので、マルクはとりあえず焼きそこねた丸パンを一つ置いた。


 少し形が悪く、店には出せないものだった。


 子竜はにおいをかぎ、おそるおそる食べた。


 そして全部食べると、どこかへ走っていった。


 それで終わりだと思っていた。


 次の日の朝。


 また来た。


 三日目も。


 四日目も。


 いつの間にか、毎朝一つだけ丸パンを出すのが日課になった。


 名前もないと不便なので、マルクが勝手にポルと名づけた。


 本人が気に入っているかは、よくわからない。


     


「また来てる」


 朝七時。


 店を手伝っている妹のリナが、店先を見ながら言った。


 二十三歳で、会計と接客を担当している。


「毎朝来るよ」


「知ってるけど、ずいぶん慣れたね」


 ポルは店の横の日なたで丸くなっていた。


 パンを食べ終わると、少しだけそこにいる。


 客が増え始めるころには、いつもどこかへ帰っていく。


「看板竜にしたら?」


「勝手にしていいのか」


「本人に聞いてみたら」


 マルクは店の外へ顔を出した。


「ポル。うちで働くか?」


「きゅる」


「だめだって」


「今のでわかったの?」


「なんとなく」


 リナが笑う。


 ちょうどそこへ、近所に住むおばあさんが入ってきた。


「あら、今日もいるのね」


「毎朝です」


「この子を見ると朝って感じがするわねえ」


 おばあさんはポルへ手を振った。


 ポルは顔だけ上げた。


「ほら。もう立派な店の一員じゃない」


「何も働いてないぞ」


「お客さんを呼んでるじゃない」


 たしかに、子どもたちはポルを見たくて店へ寄るようになった。


 ただし、勝手にさわらないようマルクが何度も注意している。


 竜は人と共に暮らしている。


 だからといって、全部の竜が人間の言うことを聞くわけではない。


 ポルも、あくまで自分の意思でここへ来ているだけだ。


     


 その日の昼。


 見なれない男が店へ入ってきた。


 きれいな服を着た、四十歳くらいの男だった。


「こちらが《麦の灯》ですか」


「はい」


 マルクは頭を下げた。


「何をお求めですか?」


「パンではありません」


 男は店の外を見た。


「ここへ、小型の赤い竜が来ていると聞きまして」


 マルクとリナは顔を見合わせた。


「ポルのことですか」


「ポル?」


「俺が勝手につけた名前です」


 男は少し驚いた顔をした。


「その竜を見せていただけますか」


「朝しか来ません」


「そうですか」


 男は少し考えたあと、一枚の紙を出した。


 そこには小さな竜の絵が描かれていた。


 赤茶色のうろこ。


 短い角。


 小さな翼。


 どう見てもポルだった。


「探しているんですか」


「ええ」


「飼い主ですか?」


「正確には違います」


 男は名乗った。


 名前はオルド。


 王都の竜保護所で働いているという。


「その竜は、半年ほど前に保護所からいなくなった個体です」


「半年……」


 ちょうどポルが店へ来るようになったころだった。


「逃げたんですか?」


「そうなります」


 オルドは困ったように笑った。


「ただ、少し事情がありまして」


     


 ポルは生まれてすぐ、王都の外で保護された。


 親の姿は見つからなかった。


 体も小さく、飛ぶこともできなかったため、保護所で育てられていた。


「人になつかなかったんです」


 オルドは言った。


「え?」


「職員が近づくと逃げる。食事も人がいる間は食べない。ずっと部屋のすみで小さくなっていました」


「でも、うちには毎日来ますよ」


「だから驚いているんです」


 半年ほど前。


 王都をおそった大雨の日に、保護所の古い窓がこわれた。


 その時、ポルが外へ出てしまった。


 何度も探したが、見つからなかったという。


「生きていることは時々目撃されていたのでわかっていました。ですが、人を見るとすぐ逃げてしまって」


「それがパン屋には毎朝来ると」


「はい」


 マルクは腕を組んだ。


「連れて帰るんですか?」


「本来なら、一度保護するべきです」


 オルドはそう言った。


 胸の奥が少し重くなった。


 毎朝来るのが当たり前になっていた。


 パンを食べて。


 少し日なたで休んで。


 気が向けばこちらを見る。


 それだけの関係だ。


 それでも、明日から来なくなると思うと、さびしかった。


「でも」


 オルドが続けた。


「無理に連れて帰ることが、本当にこの子のためなのかは迷っています」


「どういうことです?」


「小型竜は、人間と暮らす個体もいれば、自分で居場所を選ぶ個体もいます」


 竜は人間の持ち物ではない。


 アステリアでは、それが当たり前だった。


「元気で、食べ物もあり、人へ危害を加えていない。本人がここを選んでいるのなら、その意思を大切にする方法もあります」


「じゃあ」


「明日の朝、私も来ます」


 オルドは言った。


「その子自身に決めてもらいましょう」


     


 次の日。


 いつもの時間。


 かりかり。


 扉をひっかく音がした。


「来た」


 マルクは扉を開ける。


「おはよう、ポル」


「きゅる」


 いつも通りだった。


 店の少し離れたところには、オルドが立っていた。


 ポルが気づく。


 体が固まった。


 すぐには逃げなかった。


 けれど、マルクの足元へ少し近づいた。


 オルドはしゃがんだ。


「久しぶりだな」


 ポルは何も言わない。


「迎えに来た」


 手を差し出す。


 ポルはその手を見る。


 それから、マルクを見る。


「俺を見るなよ」


 マルクは困った。


「お前が決めろ」


 ポルは首をかしげた。


 マルクはいつもの丸パンを皿へ置いた。


「ほら。朝飯」


 ポルは食べ始めた。


 オルドは待った。


 パンを食べ終わるまで、何も言わなかった。


 やがてポルは顔を上げた。


 オルドを見る。


 ゆっくり歩いていく。


「あ……」


 マルクの口から声が出た。


 ポルはオルドの前まで行った。


 においをかぐ。


 オルドがやさしく手を伸ばした。


 しかし。


「きゅる」


 ポルはくるりと向きを変えた。


 マルクの店の前へ戻ってきた。


 そして、いつもの場所へ座った。


「……そうか」


 オルドは笑った。


「ここがいいんだな」


 ポルは答えない。


 けれど、逃げもしなかった。


 オルドは立ち上がる。


「しばらく、このままにしましょう」


「いいんですか?」


「定期的に様子は見ます。病気になった時の連絡先も渡しておきます」


「それなら助かります」


「それと」


 オルドは少し笑った。


「パンだけでは栄養が足りません」


「やっぱり?」


「やっぱりです」


 リナが後ろで笑った。


     


 それから《麦の灯》には、竜用の朝ごはんが一つ増えた。


 小さな肉。


 少しの野菜。


 そして、最後に丸パンを一つ。


「パンは必要なんですか?」


 リナが聞いた。


「こいつが一番楽しみにしてるからな」


「きゅる!」


「ほら」


 マルクは笑う。


 ポルは今でも毎朝やってくる。


 店の中では寝ない。


 客へ愛想を振りまくこともしない。


 看板竜として働く気もないらしい。


 ただパンを食べて、店の横で少し休み、好きな時にどこかへ帰っていく。


 それだけだ。


 けれど、王都の南通りを歩く人々は、朝になると自然に店の前を見るようになった。


「あ、今日はもう来てる」


「ポル、おはよう」


「きゅる」


 竜と人が一緒に暮らすというのは、きっと大げさなことばかりではない。


 同じ家に住むことでも。


 契約を結ぶことでも。


 背中に乗って空を飛ぶことでもない。


 毎朝やってくる相手のために、一つだけパンを残しておく。


 そんな小さなことも、たぶん共に暮らすということなのだ。


「ほら、ポル。今日の分だ」


「きゅる!」


 朝日が差しこむ王都の片すみで、今日も一頭の竜が、焼きたてのパンを待っている。


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